……また任務か。
再び手を血で汚すことになるのか。とは言っても任務は任務。
私情を簡単に挟むわけにはいかない。
面倒くさいからとか言ってたら、殺し屋がまた人を殺す。
そうなると自分と同じような道を辿るような者が出てくるかもしれない。
自分と同じような道を辿る者など居てはいけない。
絶対に……
日も西に傾きかけた時刻。街にいる人々は長い影を引きずり、会社から学校から買い物から帰宅するべくいそいそと歩を進めている。そんな喧騒が嘘かと思えるように対称的なまでに静かな公園。造る場所を間違えたかのように人影はない。いや、作った後に相応しくない場所へと変貌を遂げたのだろう。入り口も公園の内部も草が生い茂っていて、日当たりが悪く陰鬱な雰囲気が辺りを占めている。だが、人が明らかに避けるような、そんな陰鬱な場所に一人の少女がいる。年齢は14、5歳だろうか。ベンチに座り、誰かを待っている様子がありありと覗える。彼女は目尻に涙を溜め、生い茂る草を見つめていた。涙でぼやけた視界を戻すために彼女は涙を拭うと時計に目をやり、そして公園の入り口に顔を向ける。その入り口には何時の間にか一人の青年が立っていた。こんな場所に用のある人間などはっきり言っていない。しかし、彼はベンチの少女に気付くとゆっくりと草を掻き分けながら近付いてくる。彼女の待ち合わせの相手だろう。青年は少女の目の前に立つと言葉を掛けた。
「君が相沢 香澄さん?」
少女は青年の言葉に気付いていないかのように押し黙っている。だが、青年は少女を見つめている。まるで自分の言った言葉には間違いなどない自信があるように。
数分後、少女がすっと立ち上がった。青年はピクリと反応すると、いきなり少女の腕を捻じる。少女が痛みに反応する声の後に、ドサッという音が少女の足元で発生する。それの正体はナイフ、果物ナイフであった。青年は少女の腕を捻じったまま、耳元で囁く。
「いきなり危ないね。君が相沢 香澄さんだね?」
青年の言葉には確信が満ちているが、あえて相手を確認するように語っている。少女が肯くのを確認すると青年はゆっくりと腕を放す。彼は少女―――香澄を座らせると足元に落ちていた果物ナイフを拾い上げ、クルクルと手元で弄ぶ。
「それにしても僕の周りには物騒な人が多いな……クククク」
青年は自分の身の上を思い起こしたのか香澄に背を向け、急に声を押し殺して笑い出す。彼女は急に笑い出した青年に戸惑っていた。そう、自分の期待していた人間像と違っていたかのように。
「さて、与太話はこれくらいにしておくから詳しい話を聞かせてくれるかい?」
青年が香澄に促す。だが、彼女は俯いたまま視線を泳がせているだけだった。一時の沈黙。未だに口を開こうとしない香澄を見兼ねて青年は言葉を漏らす。
「まあ、話したくない気持ちは分かるよ。僕はここに座っておくから話したくなったら話すと良いさ」
青年は香澄に向かってそれだけ言うと隣に腰掛けた。
そのままの状態で十数分が過ぎただろうか。唐突に香澄が青年に声を掛ける。
「あなたの目はどうされたのですか?」
か細い声。香澄の声は今にも壊れそうな声だった。無理矢理絞り出したと言っても過言ではない。話し掛けなければいけないという思いが募って出た言葉だろう。青年はその感情を読み取ったのか、全く関係無い話題であるにもかかわらず、丁寧に優しい口調で答えた。
「ああ、これね。
そう言うと香澄の反応を確かめるため、彼女の方に顔を向ける。彼は両目で瞳の色が互いに異なっていた。
左目は真紅。まるで血のように動脈を流れる血のように真っ赤だった。
右目は漆黒。まるで闇のように深い絶望を表した闇のように真っ黒だった。
香澄は珍しそうにその瞳を見続けていた。それを肯定の意として取ったのか、青年は言葉を続ける。
「やっぱり、こんな目を見るのは初めてかな。これは……手術の副作用みたいなものかな?」
「手術の副作用? あの、大丈夫なんですか?」
彼女も普段の調子が戻ってきたのだろう。少しずつ口調に怯えがなくなり始めていた。
「視覚に問題は無いから大丈夫だよ。心配してくれて有難う」
そう言って香澄に微笑みかける。その笑みを見て、彼女は疑問を持った。こんな笑みを持つ人が本当にそうなのか。再び自分の疑問を投げ掛ける。
「あなたは本当に殺し屋の方なんですか?」
「ああ、もちろん。なるほど。さっき切り掛かってきたのはそれを確かめるためか」
一変して先ほどまでの優しい口調は消え去り、淡々とした口調になっていた。温和な雰囲気も消え去り、冷酷無比の色を出している。その声にも感情が全くこもってない。ただ淡々と事実を述べているだけ。不気味な事この上ない。
「正確にはマフィアや殺し屋といった反社会的なモノ専門の殺し屋か」
「で、でも」
香澄が恐る恐る口を開く。青年の口調、雰囲気に対して完全に畏怖していた。至極、当然の反応とも言える。だが、青年は彼女の反応を全く意に介せず、言葉を連ねる。
「ああ、僕は殺人者さ。どんなに言い訳をしようともね。それは否定しないよ」
冷たく言い放つ。悲しみや絶望、後悔の念がこもっているようにも聞こえる声で、である。香澄は完全に萎縮している。青年は冷たい眼差しを向け続けていたが、ふっと張り詰めていた力を抜くようにして微笑む。
「これで少しは僕のことを信用してくれたかな?」
「え……?」
「驚かせて悪かったね。だけど、こうでもしないと話してくれそうになかったからさ」
再び温和な口調で言った後に顔を伏せる青年。その様子を見た香澄はポツリポツリと話し始める。
「私の父は優しい人でした。母は私が小さい頃に事故で亡くなったそうで、今まで父が男手一つで私を育ててくれました」
過去を懐かしんだ風な口調。そこからは簡単に悲しみの感情が読み取れた。この少女も自分と同じく大切な人を他人の手によって失ったのだろう、と青年は予測しながら話を聞いていた。
それから香澄は溜め込んでいた思いを、堰を切ったように話し出した。彼女の話の概要は自分の父親を殺した者の敵を討って欲しいという物だった。ただ、彼女の父親が働いていた会社が、裏―――反社会的なモノ―――の世界に関わっており、彼はそれを知ったために社長によって殺された、という事実が“一般的な死”と異なる点であった。
香澄は一枚の写真を取り出すとそれを青年に見せる。青年は目を細め、その人物を見つめる。
「これが父の働いていたバイオテクノロジー会社の社長です。父は研究開発関係の仕事に就いていました。そこで父は会社の秘密を知ったんです。生物兵器の研究を裏で進めているということ。人間を生物兵器として開発し、利用すること。そんな秘密を父は知りました。だから、この人に殺されたんです。間違いありません。殺される一ヶ月前から口数も少なくなり、気落ちしていました。生物兵器がどうのこうのと呟いていることもありました。でも、私が聞くと何も教えてくれないのです。『大丈夫だから』って、まるで口癖のように私に何度も言い聞かせて。私は何とか父の悩みを聞きだそうとしました。そうやって私が疑問に思い続けて、今から二週間くらい前、不意に父がいなくなりました。そして」
一瞬、言葉を切る。香澄の瞳からは涙が零れていた。嗚咽を噛み殺しながら最悪な結果を繰り返すべく、口を開く。
「三日後、死体で発見されました。全身をなます切りにされた状態で」
涙を流し嗚咽を漏らしながら、話を終えた香澄は座っていた。青年は彼女が落ち着くまでそっとしておく。数分も経つと落ち着き始め、青年は再び質問を再開した。
「ニ、三だけ質問があるんだけど良いかい?」
「はい」
青年の声と共に香澄は涙を拭い、ハッキリとした口調で答えた。しかし、青年は彼女の精神状態が不安定になっていることを見越し、質問を最小限に留めようと考えていた。どの質問をするのが適当か、少しだけ思案に暮れ口を開いた。
「そうだね。まず、一つ目。君はどうして“裏”の社会のことを知った? 推測だけでは考えられない話も出ている。例えば、そう、君のお父さんが口にしていた生物兵器のことを秘密にしていたとかね」
途端に少女の顔が曇る。青年は質問内容を選び誤ったかと思ったが、一度、口にした質問を撤回する事もできずに口を噤んだ。公園内に沈黙が続くかと思われたが、少女がその沈黙を破る。
「父の……父の遺書に書いてあったのです。会社で生物兵器の研究をしているって」
「遺書?」
「はい、父は殺されることを予想していたみたいでした。殺された日の朝、机の上に置いてありました」
「そう。警察には見せてないね?」
「警察には見せないように書いてありました。そこにはあなたと連絡を取る方法も、書いてありました」
青年はその言葉で満足したかのように立ち上がる。長い間、放置されていために汚れていた公園の椅子に座っていたからか、青年は真っ黒の服を手で叩く仕草をする。そして、香澄の方に向き直り、謝罪する。
「悪かったね、辛いことを思い出させてしまって」
「いえ、そんなことないです」
「そうか。それなら良いけど」
謝罪を終え、香澄に向けられた青年の顔には僅かな笑みが浮かべられ、雰囲気は柔らかい物であった。そこからは殺し屋の雰囲気など微塵も感じられない。だが、彼は殺し屋であるのだ。今までに出会ってきた敵を百パーセントの確率で殺してきた殺人者。それが彼なのだ。優しい笑みを浮かべる“彼”と無感情に無表情で殺気を放つ“彼”。どちらが本当の彼なのだろうか。いや、どちらも本当の彼なのだろう。
香澄は青年に微笑み返すと、立ち上がって出口へと歩いて行った。青年はその姿を優しげな瞳で見つめていた。“もう、あの娘は大丈夫だ”。青年はそう確信すると携帯電話を取り出す。慣れた手つきでボタンを押して行く。数回のコール音が携帯電話から流れ、相手が出た。
「確認は終わった。あの男で間違いない。写真も見せてもらった。それと場所の指示を宜しく頼む」
青年の声は無感情で、香澄に見せた殺し屋の一面のそれだった。ピッという機械音を立てて電話が切れる。それを胸に仕舞う。ふと、何かに気付いたように生い茂る草の一部へと目をやった。そこには淡い紫色をした花が咲いている。周りには背丈の高い草が占領しているというそんな場所で、その花は花弁を俯き加減に広げていた。青年は苦々しげな顔をしたまま、それを見つめる。公園に花を見つめる青年だけが残っていた。
「ボリジ……花言葉は『変わる心』、か。これも教えてもらった花」
青年は一言だけ自嘲的に呟く。無感情な声とは違った悲しみのこもった声で。彼は暗い顔をしたまま、香澄が出て行った方向とは反対の出口へと歩いて行った。