第16話『できそこない』
「さぁて、今日の仕事も終わり……と」
月戒は、1人でパソコンとにらみ合っていた。
本年度のスポーツテストの結果を入力していたのだ。
それだけではない。
国語の小テストの結果から、学園長の飲食費まで。
規模は小さいにせよ、多くの作業を必要とした。
さて、『迅速』なんだから、スピードを早くしてしまえば、と思うだろう。
だが、月戒のキーを打つスピードに追いつけるコンピューターが無い。
パソコンが認識するよりも早く、月戒は次のキーを打ってしまう。
結果的に、パソコンがエラーを宣告し、強制終了されてしまう。
だから、この作業は地道に行われていた。
時計を見ると、既に11時である。
月戒は、そのままイスに寄りかかるようにして眠りに落ちた。
木々原黒蓮も三年坂白桃も、4日前から家にいない。
ちょうど、月戒が副担任になった日からだ。
「坊ちゃんと別れるのは寂しいですけど、急務ですので」
と言って、ストーカー並の執着を見せる黒蓮が去っていったのだ。
今、国級には、ただならぬ事態が発生していた。
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「さぁて、皆さん! 教科書の31ページを開いてください! フゥ〜!」
今日の月戒は一味も二味も違った。
今までは、ただのコスプレだった。
『デビルマン』やら『キャシャーン』やらはまだいい。
最近映画化したばかりだから、皆一応知っているのだ。
酷い物になると『宇宙刑事シャリバン』やら『ハカイダー』やら、コアな物になっていった。
ハッキリ言って、そこいらの特撮マニアくらいしか分からないだろう。
……ちなみに、ハルナだけは全部分かった。
だが、今日の月戒は本当に一味違った。
今現在のコスプレは、お笑い芸人のものである。
しかも、ここ最近イキナリ有名になった、ある意味における実力派だ。
番組の企画とは言えど、街中で人助けをしたりもしている。
「どぉしました〜? 早くページを開いてください! オッケェイ!」
腰を上下にグラインドしながら月戒は叫ぶ。
しかも、いいんちょの前でだ。
朝倉でさえもが、その行為には目を背けている。
桜子なんか、いつもの心地よい笑顔のまま目が点になっている。
いや、桜子だけではない。
事実、クラスの内の60%以上が放心状態だった。
残った40%弱の生徒の内でも、正気を保っているのは僅か5名だ。
巫女さんスナイパー…龍宮真名
ロボット女子中学生…絡繰茶々丸
甲賀中忍…長瀬楓
水泳部期待のエース…大河内アキラ
寡黙なピエロ…ザジ・レニーデイ
この5人以外は、放心状態か重度の混乱を起こしていた。
いいんちょも、防衛規制が働いて幻覚を見そうになっていた。
「どうしましたぁ、皆さぁん? 31ページですよぉ!
早くしないと数学が『ハードゲイ数学』になりますよ、フゥ〜!」
レイザーラモン住谷(←自称・ハード『ゲイ』人)のモノマネだった。
しかも、服装まで全く同じものを用意している。
皮製っぽい短パンに、同じく皮製っぽいジャケット。
大き目のサングラス……は、していないが鎖を体の所々に巻きつけていた。
ハッキリ言って、痛い。
この格好で職員室から歩いてきたというのだから、更に痛い。
『なんで誰も止めなかったんだ?』と突っ込みたくなる。
しばらくすると、授業がようやく開始された。
しばらく、というのは相当長い時間だ。
月戒が腰を上下にグラインドしながら、生徒一人一人に呼びかけるだけの時間。
それだけの時間が、『しばらく』な訳だ。
とにかく、授業時間の半分を浪費して、月戒の数学は終わった。
授業時間を無駄に削ったのは、これで3回目である。
だが、こんなバカな授業を展開している間にも、数多くの犠牲者が出ていた。
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「第3防衛ライン、突破されました!」
「華楠様に増援を要請しろ! あの方なら倒せる!」
ここは、国級家別邸。
核戦争を想定し、食料品及び攻撃システムを搭載している一種の要塞である。
見かけは普通の豪邸でしかないが、その外壁はコヘレト謹製・超合金を用いている。
核弾頭30発の同時直撃にも耐え抜く、頑丈な素材だ。
それに加え、比熱は水の26万倍と、熱に対する対策も万全である。
更に、どんな酸に対してもすぐに表面を不動体に変化させ、融解を防ぐ。
常に600名のエリート兵士が防衛しており、入ることすら不可能だ。
その要塞が、玄関前まで攻略されていた。
たった1人の人間に。
被害状況は、中々に深刻である。
一般戦闘兵480人中、103名が死亡・211人が重軽傷。
被験体兵120人中、37人が重傷・2名が軽症。
侵入者の能力は、要塞の兵の実力を圧倒的に上回っていた。
司令室は、外装の割には質素なものだった。
各種コンピューターに、対ステルス・レーダーが備えてある。
巨大なスクリーンに投影されているのは、機械的な光の文字と図の羅列である。
『NORMAL』と『OPERATED』の隣には数字が表示されている。
その数字は、時間の経過と共に着実に減少していた。
その司令室の中は、無論のこと慌しかった。
ライフルを担いだ軍服の男女が、司令室の中を右往左往する。
檄を飛ばして怒鳴り散らす者もいれば、冷静に現状を報告する者もいる。
どうやら、完全にシステム化された組織でないことが分かる。
そういった組織であれば、人員があちこち歩き回るはずが無い。
その騒がしい司令室の中で、1人の少女が声をあげた。
『静粛に』の一言が司令室中に聞こえ渡り、騒がしかったソコは水を打ったように静まった。
それを確認すると、声の主……一際目立つ椅子に腰掛けた少女が宣告した。
全ての者の不安を断ち切るように、凛とした声色で。
「大丈夫よ。もうすぐ、増援が来る」
少女は、自分に言い聞かせるように言った。
茶色の髪をポニーテールにし、小奇麗にまとめてある。
大きな瞳からは、髪の毛と同じ栗毛色が伺える。
凛としたその瞳を見ていると、いつの間にか飲み込まれて射しまいそうだ。
西洋人のような顔つきに、すらりと高い鼻。
丹念に時間をかけて作られた人形のような美しさが、そこは存在している。
白く透き通るような肌など、まさにその通りだ。
短めのチェックのスカートで、長い足を組んでいる。
上半身には、膝まで隠れるような深緑のコートを羽織っていた。
「静宮(シズク)様。一体増援とは……」
「黒蓮と白桃よ」
「ほへ? 先輩達ですかぁ?」
「そう。だから、貴方達も行きなさい。姉さんを呼ばなくても、勝てる」
シズクと呼ばれた少女に、2人の女性が促された。
とぼけたような返事をしたのは、『京極 紫杏(きょうごく しあん)』だ。
長い髪の毛を1本の三つ編みにまとめ、右肩から流すように胸の辺りに持っていっている。
声と同じく、とぼけたような半開きのタレ目が、彼女の性質を物語る。
深緑の軍服をキチッと着こなし、ライフルを担ぐ。
G3/SG1に酷似しているが、それよりも少しばかり大きい。
スコープも、10倍から2000倍まで切り替えることができる代物だ。
現在、コヘレトが特許を取った兵器の一端である。
つまるところ、完全に狙撃を目的としたライフルなのだ。
背の低いこの少女が担ぐと、より一層大きく見えた。
シズク様、と言った女性は、『双眼寺 蒼露草(そうがんじ そるす)』である。
キリッした瞳に、適当に切ったかのようなショートカット。
頑丈そうなグローブを両手に纏い、右手には更に、抜き身のサーベルが握られている。
無機質な面持ちが、仕事人の気配を感じさせていた。
深緑の軍服をキチット着こなし、腰元に大振りの拳銃を構えている。
体には、左肩から右腰に掛けてベルト弾倉がぶら下げてあった。
当の本人はライフルを持っていない辺りから、味方の為の弾丸なのだろう。
先程の少女と違い、明らかに大きな体をしていた。
女性にしては、少々たくまし過ぎる体つきである。
「了解しました。ターゲットの生命活動の停止を作戦の軸とします」
「それじゃあ、行ってきますぅ〜♪」
緊張感に満ちた声と、緊張感0の声が響く。
2人の女性が部屋から去ったと同時に、『防波堤』がもう1つ突破されたという連絡が入った。
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「ッハハハハハ! 見たか、不限人に味方する悪しき人間どもめが!
貴様らのようなクズは、不限人もろとも抹殺してくれるわ!」
男は、艶やかな黒髪を携えていた。
その黒髪は、適当に一本に束ねられている。
そして、その髪の毛よりもずっと深い漆黒の瞳。
西洋人独特の骨格に、病的に色白の肌。
ジーンズにジャケットといった簡素な格好で、その男は戦地の真っ只中にいた。
彼の武装は、貧弱そうなレピアー(※レイピアの刀身が広くなった物)だけだ。
年季の入った顔は、彼に傭兵の風格を纏わせていた。
この男が、国級の別邸を攻略しているのだ。
「ククク……。俺の力は、既に不限人を凌駕しているのだ!」
この男に襲い掛かった者は、数百人もいた。
だが、そのほとんどが体に傷を負い、死に至った。
この男には銃弾が効かず、かといってナイフも効かない。
殴ったくらいでは倒すことはできず、手榴弾も直撃の前に処理された。
その中には、被験体もいた。
もちろん、戦闘向きの付加能力を持った被験体だ。
その被験体達でさえ、その男には敵わなかった。
男の名は『佐波 岩路(さわ がんじ)』と言う。
被験体No1332『アシッド・リーダー』の使い手である。
名の通り、酸を扱う能力なのだが、その能力の性質が少々特異であった。
この能力以外にも、特定の物質を操作する能力はいくつもある。
だが、この能力はある点において他の能力よりも優れていた。
この能力は『特定の座標に酸を出現させる』能力だったのだ。
『酸を相手にぶつける』とは本質的に違う。
例えば、酸を防ぐことのできる繊維を全身に纏っていたとしよう。
だが、『アシッド・リーダー』は防げない。
体の中に酸を出現させることが可能なのだ。
「さぁて。もう少しで『万観』の不限人様の屋敷か。
それにしても『英知』のヤロウ、『アシッド・リーダー』の能力を妨げる物質を開発したな。
お陰で、内側から屋敷ごとドロドロにしてやろうって計画が台無しだぜ。
まったく、こんなクソ弱い護衛どもを何人盾にしようが、無駄だってわかって……」
岩路の足に激痛が走った。
いや、それはもう激痛を通り越し『熱さ』に変わっていた。
酸でコーティングされた体を、銃弾が通過することの無い体を貫いたのだ。
岩路の心の中の疑問に、女の声が答えた。
スピーカーを通しても分かるほど呑気な声だ。
「その弾はぁ、この屋敷と同じ材質でできてますのでぇ、まず防げませぇん♪
さらに言うとぉ、この弾丸はぁ、時速3600kmで発射されますからぁ、
アナタみたいにぃ、素早く動けない人はぁ、避け切れませぇん♪
でもでもぉ、この弾ってぇ、とっても高いのでぇ、頭を狙わせてもらいまぁす♪」
女の声が宣言したとおり、弾丸が再び岩路を襲った。
だが、それは頭部ではなく左腕を貫いた。
岩路は、いくつかの事柄を認識した。
今飛んでくる弾丸は、酸では防げない。
表面が即座に不動体になって、溶かしきれないのだ。
おまけに、スナイパーライフルであるため、貫通力が非常に高い。
防弾チョッキこそ着込んではいたが、役に立たなさそうだ。
岩路は、いきなり奥の手を使う羽目になった。
ある程度予想はしていたが、予想をはるかに超える敵が現れてしまった。
だから、まだ相手に知られていない奥の手を使うことにした。
岩路は、懐から素早く試験管を取り出した。
その際、怪我をしていない右手を使ったのだが、右肩を打ち抜かれた。
岩路は、空中に跳ね上がる試験管を、何とか口でキャッチした。
それと同時に、腹部に痛みが走る。
弾丸が防弾チョッキを通過し、岩路の体を貫いたのだ。
だが、そんなことは気にしない。
加えた試験管を噛み砕き、破片ごと中身を飲み込んだ。
「見ているコッチが痛々しいな」
破片と液体がノドを通っているさなか、うしろから脇腹をかっさばかれた。
再び女性の声だ。
先程のスピーカーからの声とは違う。
新たな刺客だと岩路は悟った。
同時に、この程度の刺客なら全く問題ないとも悟った。
サーベルを横薙に放ったソルスが、己の目を疑った。
切り裂いたはずの岩路の脇腹が、見る見るうちに元に戻っていくのだ。
サーベルの軌道を追うようにして、傷口が塞がっていったのだ。
まるで、国級月戒が自然治癒力を高めているかのように。
「撃て、シアン!」
「りょうかぁ〜〜〜い♪」
サーベルを投げ捨てながら、ソルスが叫んだ。
ノドが裂けるのでは、と思うほど大きな声だ。
その声に応えるように、シアンが返事をする。
岩路に向かって、弾丸の雨が降り注ぐ。
シアンは、ライフルのモードをフルオートに変更したのだ。
しかも、シアンの狙撃の腕は、世界でも指折りのものである。
多少の反動でブレが生じても、修正することができるのだ。
弾丸の雨は、無駄なく岩路の急所に向かって突き進んでいた。
ソルスは大きく飛び退き、腰元にある拳銃を引き抜く。
デザートイーグルのような形状をとっているが、銃口が少しばかり大きい。
スライド部分には『BISYAMON−TEN』と刻まれている。
その銃口から飛び出したのは、フォローポイント弾だ。
着弾と同時に、弾の先が展開して、対象を抉る、殺傷能力の高い弾である。
その弾丸は、岩路の頭部めがけて放たれた。
だが、弾丸は一発も当たらなかった。
急所に当たらなかったとかではなく、文字通り直撃しなかったのだ。
先程まで岩路がいた地点に、弾丸たちは虚しく降り注いだ。
シアンは驚いたが、ソルスは冷静に判断した。
程度はどれほどか知れないが、間違いなく『迅速』の能力である。
だとすれば、この程度の弾幕は効かないと踏んだのだ。
そして、予想通り通用しなかった。
だが、別にそれが敗北に直結するわけではなかった。
始めから『迅速』が使えたのならば、シアンの弾丸に当たるはずが無いのだ。
ましてや、ソルスのサーベルを喰らうことなどありえない。
先程の試験管の中の液体に秘密があるのだろう。
とりあえず、『アシッド・リーダー』はさして怖くない。
シアンもソルスも、コヘレト謹製の軍服を着ている。
万が一にも、体の中から溶かされることは無い。
飛んでくる酸と、レピアーにさえ気を配っていればよかった。
それと、『迅速』とほぼ同等と推測されるスピードに。
岩路がソルスに向かって手をかざす。
だが、男の思惑通り、ソルスは溶けて消滅しなかった。
自分の能力が通用しないと解かり、岩路は接近戦を挑んだ。
「ハッ!」
気合と共に、岩路のレピアーが放たれる。
『迅速』の最大速度で、無数の突きを放ったのだ。
なす術も無く、ソルスは貫かれた。
頭部・心臓・肝臓・腎臓・肺・胆のう・すい臓・背骨……。
急所という急所を、一瞬のうちに破壊した。
あまりの衝撃に、バラバラになりながらソルスの体が宙を舞う。
その光景を『迅速』の眼で捕らえながら、岩路は冷ややかに笑っていた。
所詮ただの人間の力では、自分には敵わないのだと確信したからだ。
しかし、その笑みは一瞬で凍りついた。
宙を舞っていたソルスの輪郭がぼやける。
軍服を着ていることには違いないが、それはソルスではない。
まったく別の、一般兵の男だ。
男は、笑っていた。
そして、小さな声で吐き捨てる。
「引っかかったな、バァカ」
岩路は背筋が凍りつくのを感じた。
まさか、国級が囮作戦に出るとは思わなかったのだ。
それに、岩路はこの能力を知らない。
対象を視覚的に変化させることのできる能力など、聞いたことが無かったのだ。
だが、岩路はすぐに冷静になった。
こんな子供だましは、時間稼ぎにしかならないと。
『迅速』の能力さえあれば、どんな窮地からでも脱出する自信があった。
その岩路に、ソルスがしがみついた。
「こうすれば、再生能力と酸以外は怖くないのよ」
「ふざけるな! こんなもの、時間稼ぎにしかならんぞ!」
岩路は酸を飛ばし、ソルスの頭を吹き飛ばした。
すると、再び輪郭がぼやける。
今度は、ただのロボットだ。
左を振り向くと、自分の頭に銃を突きつけているソルスがいる。
そのソルスの腕を酸で吹き飛ばす。
すると、またまた輪郭がぼやけ、マネキン人形が勢いで倒れる。
右を向くと、サーベルを振りかぶっているソルスがいる。
そのソルスに酸の塊を叩きつける。
予想通り輪郭がぼやけ、地面に突き刺さっていたサーベルが溶ける。
恐怖に狩られて、岩路が周囲を見回す。
そこには、ソルスがいた。
岩路に向かってほくそえむソルス。
傷つき倒れたソルスを抱えて泣き叫ぶソルス。
溶けたサーベルを拾い、口惜しそうに岩路を睨むソルス。
拳銃を自分の頭に突きつけて、にやにやと不気味に笑うソルス。
木の上で、子供のように足をぶらぶらさせるソルス。
視界には、無数のソルスがいた。
「上等だぁ! 全員ぶっ殺してやる!」
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本物のソルスは、ずっと遠くにいた。
シアンが狙撃していた場所だ。
別邸の壁に沿って、『外壁』の内側に作られた森である。
その森の中心部に、ソルスとシアンは隠れていた。
もっとも、ソルスはここに逃げ込んできたのだが。
ソルスは、苦しげな顔をして右肩を抑えている。
その隣で、シアンがソルスの手当てをしていた。
応急処置のために、ガーゼの上から包帯を巻いてある。
「……これで、しばらくは時間を稼げるな」
「ソルスちゃん!」
「大丈夫だ。治癒してもらう」
「そうじゃなくて!」
落ち着いたソルスに、慌てふためくシアン。
この2人の様子から、戦場の慣れの違いを感じた。
もちろん、性格の違いもあるのだろうが、根本的な違いはソコだ。
不測の事態に対する対応力が、目に見えて違うのだ。
「分かっている。あの男の……岩路の『迅速』の能力だろう?」
ソルスの問に、シアンはただ首を縦に振った。
シアンの言わんとしていることが納得できたのか、ソルスは続ける。
「多分、あの試験管の中身の液体が、岩路の体に影響を及ぼしているのだろう。
だが安心しろ。始めから『迅速』が使えるのなら、そうしていたはずだ。
恐らくだが、しばらくすれば『迅速』は使えなくなるだろう。
それに、黒蓮隊長と白桃服隊長が、そろそろ来る頃だろう。
もうコチラに到着すると連絡が入ったから、私たちの出番はもう無いだろう」
そういうと、ソルスは芝生の上に寝転がった。
小さく溜息をつくと、大きく目を見開く。
「ただ、私の能力……『トリック・ミラー』はまだ解除できんがな」
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「こいつで……終いだぁ!」
岩路は大きく両手を広げた。
すると、酸の膜が岩路の周りに形成される。
その膜は段々と大きくなり、ソルスの幻覚全てに直撃した。
結果、偽者のソルスは全て消え去り、岩路の視界がようやく元に戻った。
岩路は、肩で息をつく。
付加能力の使いすぎで、『気』を大量に消費してしまったのだ。
加えて『迅速』での慣れない負加に、体までもが悲鳴を上げていた。
だが、彼の体力の回復を待ってくれるはずが無かった。
ようやくと言うべきか、別邸の上空を軍用ヘリが通過した。
岩路がその音に気付く頃には、2人の女性が落下してきていた。
戦場に場違いなメイド服に、パラシュートも付けずにだ。
その代わりといっては何だが、この2人も常人ではなかった。
100m以上ある高度から、難なく地面に着地する。
5点着地も使わずに、パラシュートも無しにだ。
相当の衝撃を、2本の足だけで耐えて見せたのだ。
もちろん、着地の瞬間を岩路が見落とすはずが無かった。
着地とほぼ同時に、2人に向けて酸を放った。
しかし、2人に酸が当たることは無い。
酸が到達するであろう頃には、2人は既に岩路を後ろから追い詰めていた。
「来なさい! オート・グレイヴ!」
メイド服のままの黒蓮が叫ぶ。
完全に不意を突かれた岩路の体に、5本の槍が突き刺さった。
2本は前方から大腿を貫き、地面に突き刺さる。
残りの3本は、後方から岩路の腹部に突き刺さった。
「ROSS(リゼンブール・オブ・スプレッド・ソリッド)、装填完了……掃射開始!」
黒蓮のやや後方から、白桃は上空に向けてショットガンを放つ。
上空に打ち上げられた弾丸は、空中で分裂する。
そして、急激に加速して岩路に襲い掛かった。
先程の狙撃とは比べ物にならないほどの弾丸が、岩路の体に降り注いだ。
岩路は、心の中で笑っていた。
痛みのあまり引きつる顔で、笑みを作ることはできなかったのだ。
黒蓮と白桃は、岩路の目の前に姿を現したのだ。
『アシッド・リーダー』の攻撃範囲内に。
しかも、コヘレトの作った服ではなさそうだ。
その証拠に、メイド服から覗く下着にさえ、金属が使われている様子は無い。
コヘレトの作った『何か』は、恐らく金属なのだ。
だから、推測でしかないが、『アシッド・リーダー』が防がれる心配は無かった。
それに、仮に防がれても、直接酸をぶつけてやればいいのだ。
「溶けて無くなっちまえ!」
岩路は、両手を大きく広げた。
途端、岩路の周囲に酸の膜ができる。
先程の幻影をかき消した時と同じ技だ。
単純ではあるが、回避は非常に難しい。
だが、岩路は2人を仕留めるつもりは無かった。
いや、仕留めることができないと気付いていた。
仮にこの2人を殺しても、『気』はほとんど残っていない。
後から来た奴に、徹底的になぶり殺しにされるのがオチだ、と。
だから、彼は再び自分の体に鞭を打った。
黒蓮は、自分の眼前に出現させたグレイヴを回転させて、酸を吹き飛ばす。
白桃は、手榴弾の爆風で酸を散らした。
2人とも岩路を追い詰めるべく、その酸の抜け穴に突入する。
だが、そこに岩路はいなかった。
黒蓮達が作った穴以外に、もう1つ穴が開いていた。
恐らく岩路は、それを使って逃げたのだろう。
しかし、2人の能力では岩路に追いつくことはできない。
仕方なく、2人は追撃を断念した。
酸で溶けてなくなってしまった芝生の上で、硬い表情を一層硬くして、白桃が口を開いた。
「…………逃げられましたね、黒蓮さん」
「そうね」
「敵ですから、手を抜かないように。いくら知り合いでも」
「当然よ」
黒蓮は、白桃の一言に笑顔で答えた。
とびきり冷たい笑顔で。
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国級シズクは、兄・コヘレトと連絡を取っていた。
確実に傍聴・阻害を受けず、尚且つ、どこにいても使える手段。
つまるところ、シズクの能力の1つ『大陸間弾道テレパシー(コヘレト命名)』だ。
「コヘレト兄さん。佐波岩路が現れました」
『ふむ。どうやらヨシュアも本気のようですね』
シズクの緊張した声とは対照的に、コヘレトの声はあっけらかんとしていた。
こういうのはどういう時か、シズクは知っている。
風呂上りか、食事の後か、昼寝の後か、奥さんとのデートの後だ。
そんなことは気にすることも無いので、シズクは念話を続行した。
「えぇ……。それで……」
『サヨに任せましょう。サヨなら、全員の治癒くらいたやすいでしょう』
シズクは、こういう兄の悪い癖も知っている。
話を先読みして、勝手に返事をするのだ。
それでもある程度の会話ができるのだが、今回はそうはいかなかった。
なにせ、別邸襲撃などというコヘレトの慮外(シズクの推測)の事象である。
こういう場合はしっかりと説明するべきだということも、もちろんシズクは知っていた。
「いえ、そうでは無くてですね……」
『死者に関しては、手厚く葬式を開いてやればよいでしょう』
「兄さん。私の話を聞いてください!」
『あぁ……これは失礼。もしかして、何か不測の事態が生じたのですか?』
ようやく本題に入れた、とシズクは安堵した。
酷い時は30分近く会話が進まないのである。
とは言っても、その酷い時に遭遇するのは、大抵は兄の月戒である。
とにかく話を続けなければと、シズクは用件を足早に言った。
「はい。佐波岩路が『迅速』の能力を使ったそうです」
『ふ〜む。多分、月戒の血をヨシュアが持ち逃げしたんでしょうね』
「でしょうねって……兄さん。もしかして『例の薬』のサンプル、盗まれてたんですか?」
『えぇ。まさか、実用化できるなんて思いもよりませんでしたからね。
一般人がアレ使うとですね、しばらく内臓器官の働くスピードが無茶苦茶になるんですよ。
肝臓ばかりがよく働いて、心臓が1分毎に10回も動かなかったりとか、かなりヤバイんですし』
「でも一般人でなければ……」
『使えますね。特に、岩路みたいに国級の親戚とかはね』
当然といわんばかりにコヘレトは答えた。
これも、コヘレトの悪い癖の1つである。
人の死というものの重みを、イマイチ実感できていないのである。
実際、不限人は例外なく不死身だ。
同じく不限人の手でよってか、強力なソノ手の力の使い手に殺されるか。
その2者しか、不限人の死は有り得ない。
だからと言う訳ではないが、コヘレトは人間の命を、時には朝飯以下にしか思わない。
最悪、朝飯の邪魔をするとメタクソにされる。
始末の悪いことに、コヘレトの中には『優先順位』というのが存在する。
それのワースト100以内は、コヘレトの朝食に劣るのである。
とは言っても、よっぽど酷い人間くらいしか攻撃しなくなった。
……いや、大怪我をさせなくなった、だ。
とにかく、人の死には無頓着なのだ。
頭を抱えつつも、シズクは続けた。
「どうしますか? 追撃しますか?」
『……いえ、大丈夫です。私と素子と……鳴里夫妻と猪谷、そして、月戒。
私の友人に、神速剣とキマイラで、ヨシュアと岩路を制圧します。
カナンの力を借りたいところですが、今、お見合いの処理してる途中ですからね。
シズク。貴方にもサポートに回ってもらいますよ。
貴方の『万観』の能力は、絶対必要になりますからね』
「分かりました。……ところで、コヘレト兄さん?」
『どうしました?』
「大概、若手お笑い芸人に投資するの、やめてください」
そういうと、シズクは通信を終えた。
自分のコメカミから手を離す。
ゆっくりと目を開くと、小さく溜息をついた。
兄にはテレパシー能力が無いから、向こうからの通信の心配は無かった。
だがシズクは、もう1つの仕事を片付けねばならなかった。
いわゆる事後処理というヤツだ。
担当もちゃんと決まっている。
ご存知、というべきか、侍女の1人・三年坂白桃である。
「被害は中々に深刻ね。重傷者には、至急治療を受けさせなさい」
「了解しました」
淡々と答える白桃に、呆れた声でシズクは言った。
なんで自分の周りにはまともな人間が少ないんだ?
そんな疑問を殴り捨てて、とりあえず命令をした。
「頼んだわよ、白桃姉さん。サヨが寝ている間は、貴方が国級の治療要員なんだから」
「シズク様。仕事中ですので、姉さんは止めていただけますか?」
「……仕事熱心ねぇ。とりあえず、急いでね」
「了解しました」
それだけ言うと、白桃は足早に司令室から立ち去った。
それを見届けたシズクは、またもや小さく溜息をついた。
「白桃姉さんも、もう少し柔らかく物事を考えられないのかしらねぇ」
一言呟き、シズクは目を閉じた。
いつまでも堅物なイトコのことを思いながら。
自分が普通の人間で無いということを、何度もかみ締めながら……。
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家に帰ると、黒蓮がいた。
うす塩に変えたばかりの醤油を、濃度2倍の醤油に変えた。
頼むから、年頃の女……黒蓮にだけは、裸エプロンはやって欲しくなかった。
プロポーションは抜群だが、如何せん黒蓮だ。
抱きついてくるわ、擦り寄ってくるわと考えただけで、気は滅入った。
できれば台湾まで泳いで逃げたかったが、残念なことに海が無い。
他国に亡命したいが、日本は島国なので陸路で他国には行けない。
いっそのこと黒蓮ごと爆破してやりたいが、お隣さんにも迷惑がかかる。
仕方ないので、甘んじてこの状況を受け入れることにした。
「黒蓮……今日は遅くなるんじゃなかったのか?」
「そうだったんですけど……坊ちゃんのために急いで仕事を片付けてきました♪」
『できれば、1ヶ月くらい帰ってこないでくれ』などと、
月戒は口が裂けても言えなった。
この後、黒蓮が『如何に月戒のことを思って急いで帰ってきたか』を、朝まで聞かされるのだった。
……裸エプロンで。
ちなみに、サワ・ガンジの情報を伝達するのに時間がかかったのは、言うまでも無い事実である。