行動はいつも幸せをもたらすものではないが、行動なくしては幸せはない。


 “イギリスの政治家ベンジャミン=ディスレーリの言葉より抜粋”
























 十四才という実年齢に比べると女性の発育が早いと言われる昨今、背丈が140センチに満たないその少女はかなり小柄な体躯といえた。
 腰まで長い髪をリボンで二つに分け底部にて上手にまとめており、肩口に下ろした両サイドの編み髪はまるでフランス人形のようだ。
 本人が平凡と称する容姿も凡庸なものではなく、あと数年もすればかなり良い方向へ大きく化けるかもしれない。
 麻帆良学園女子中等部の制服を着てることから、学校方面での素性はまるわかりだった。

(……困ったです)

 少女、綾瀬夕映は途方に暮れていた。
 いや、ピンチといった方が正しいだろうか。
 時は夕暮れ。
 ここは学園敷地内から麻帆良市街中心部へ抜ける界隈、その路地裏にある人気の無い薄暗い袋小路。
 奥には学園都市麻帆良の市街地開発段階で使用された木材やらドラム缶やら、そのなれの果てが積み上げられていたりする。
 アウトローが好みそうないかにもな場所だ。 
 夕映の周りを柄の悪い風体の男達が五人、ズラリと取り囲んでいた。

「……」

 ぐるりと見回しても、見たくもない顔ばかりが目につく。
 茶髪に、ロン毛に、鼻ピアス……どれもこれもお近づきにはなりたくない典型的なチーマーや不良といった人種だ。
 夕映の一番の親友である少女が今と同じ状況に陥ったとしたら、場の雰囲気に耐えきれずショックで気絶ぐらいはするに違いない。
 一介の中学生にすぎない夕映が遭遇する状況にしては、ひどく場違いではある。
 なぜ、こんなことになっているのかといえば至極単純な話だった。
 日常的な一コマ。
 放課後、帰宅の後に街へ繰り出した夕映がコンビニで買い物を済ませ外に出た際、その前のスペースに座り込みで陣取っていた集団を、目障りな社会のゴミだと感じ……否、通行の邪魔だったため、丁寧に注意しただけ。
 少しきつく――いや、悔い改めるように一方的に論破したのだが、それが彼らの神経を逆撫でしたらしく、所詮はただの小柄な女の子、哀れ夕映は路地裏に連れ込まれてしまったのだ。
 普段なら頼りになる友人達と共にいるので、多少の無茶でも切り抜けることができただろうが、残念ながら今は一人。
 ついつい、いつもの調子で無謀なことをしてしまったのだが、後悔したところでもはや後の祭りである。
 
「黙ってちゃわかんねぇだろ!! このチビガキがっ!」

「さっきまでの威勢の良さはどーしたんだ、おぉーっ!!?」

「この女変態! いっちょ死んでみろや変態! シャブリ尽くすぞ変態!?」

「もういっぺん言ってみろやっ!! どこの誰が図体がでかくて邪魔くさいって? あ!?」

「このアマ! ナマ言ってんじゃネエぞ!! カタギのガキが百万光年早いんだよ! ゴヴラァ!!」

 不良達の怒りの形相には、夕映の注意に悔い改めている様子など欠片も感じられなかった。
 まさに孤立無援。
 このままでは単独行動中の行き過ぎにより自滅を待つだけだ。

(説得するのは、難しそうですね)

 どれだけ彼らが邪魔か希望通りもう一度最初から丁寧に教えてあげようかという手段が脳裏に浮かんだが、夕映はため息をつきながらそれを打ち消した。
 幾ら言い募ったところで夕映の言葉は所詮、彼らにとって毒でしか無い。
 それ以前に、事の発端が夕映の口上なのだ。
 説得は無意味どころが火に油を注ぐようなもの……いや、油どころかガソリンを撒くようなものだろう。

 逃げるか?

 現在地は袋小路の奥、逃げ道は表通りへと通じる道のみ。
 夕映の正面に立ち塞がるのは五人の男達。
 どれ一人とっても、体力だけは有り余っていそうな感じだ。
 夕映自身、図書館探検部に所属していることもありフットワークには自信があったが、どう隙を突いたところでこの囲みを突破するのは無理っぽかった。

 では、戦うか?

 一瞬頭を掠めたその考えは、本当に一瞬で掻き消えた。
 それこそ愚策中の愚策。
 2−Aの友人の中にはこの程度の不良連中が何人束になったところで揺るぎもしない強者も確かにいたが、夕映当人はそんな武闘派ではない。
 決行したところで玉砕して終わりだろう。
 どちらの選択も状況を打開する具体策には成り得ない。
 友人達が近くにいるなら、携帯電話を使用して応援を呼びつつ時間を稼ぐという手もあるが、残念ながら今日は正真正銘の単独行動。
 故にその手段も無理。
 それではどうするのか。
 夕映に出せる答えは、もはや一つしかなかった。

(ここは、泣き落とし――しかなさそうです。気が進まないですが)

 古今東西、乙女の涙は男性に対し高確率、様々な意味での効き目がある。
 それほど効かないにしても、余程の鬼畜でもなければ躊躇う様子をみせるものだ。
 試さない手はない(というか、もうそれしかない)。
 問題なのは、夕映がこの手の演技めいた行動を苦手としていることである。
 大体にして、注意喚起は彼らを更生させるための善意の行動なのだ。
 夕映に非は無い、少なくとも少女自身は悪いと思っていないのだから不満は多分にあった。
 とはいっても、夕映はただの一般女子中学生。
 逆らって痛い思いはなるべくしたくない。
 厳しい現実に直面しつつも、己の意志を貫き通すような鋼の精神などは全くないので、しぶしぶながらも泣き落としモードへと移行すべく、タイミングを計り始めた。
 だが。
 少女の張り詰めた緊張は、何処からともなく聞こえてきた声に緩衝されることになった。

「〜〜♪」

 異国の童謡だろうか。
 聴いたこともないフレーズではあったが、流れは何となく昔からTVでやっている『みんなの歌』を連想させるようなハミング。
 
「〜♪」

 路地の入口から袋小路の奥、危険地帯へスタスタと歩いてやってきたのは、夕映より少し背の低い少年だった。
 街灯もまばらな薄暗い路地なので、その詳しい容貌はまだ特定できない。
 彼が背負うのはパンパンに膨れたザックと背丈よりも長い棒のような――しいてあげるなら、御伽話などに出てくる“魔法使いの老人が振るうような杖”。
 
ぴんちになったらあらわれる〜♪ どこからともなくあらわれる〜♪ ……なんだ、お姫さまはチビッコか。ま、ちっこくても女の子には変わりないけんだけどな」 

 緊張感の無い少年の声。
 夕映はある意味、自分以上にその少年を場違いなものに感じた。 
 それは夕映だけではなく不良達も似たような印象を受けたようで、どう見ても小学生ぐらいにしかみえない少年を前に唖然とした様子だ。
 
「そこのあなた、こっちへ来てはダメですっ! 逃げるですよ!」

「なっ、テメエっ!?」

 先に動いたのは夕映だった。
 男達の一人が声を上げたが一向に構わない。 
 いくら小学生ぐらいといっても、切羽詰まった声で呼びかければこの危機的状況を理解してくれるかもしれない。
 あわよくば、通りで大人でも呼んできてくれれば大金星だ。
 むしろ、それを狙っての行動だった。

(思えば、こんなところへ連れ込まれる前に大声でも上げておけばよかったですね……ううっ、今日は猛省です)

 いずれにしても、このチャンスを逃がす手は無い。
 動き始めた場に対し、どうにか勝機を見出して動こう。

「な!?」

 そう決意し顔を上げた夕映は、自分の声にまったく反応しない少年を目撃し絶句した。
 それどころか、その場で少年は立ち止まってしまった。
 
「どうして逃げないですか!? これでは何も変わらな――あ」

 自分本位の事ばかり考えていた夕映は、相手が自分よりも年下らしいことに思い当たる。
 わけもわからない、恐ろしげな場面に遭遇したのだ。
 恐怖に縛られ、動けないのかもしれない。
 それに、年端もいかない少年に対し咄嗟の判断力を要求する方がどうかしている。

「なあ変態、騒がれるとやっかいだ変態?」

「だな。オイ、そのガキ逃がすなっ!」

「わーってるって」

 不良連中も少年が動かないことで、その事に思い当たったらしくニヤニヤと余裕の態度だ。
 取り押さえる気なのか、彼らの一人が少年へとゆっくり近づいていく。
 しかし。

「……え?」

 夕映は目を疑った。
 ほんの一瞬で。
 男が少年へ近づいたその瞬間、少年がその場から消えた。
 夕映達が見ている目の前で、まるで煙のように掻き消えたのである。
 
「な、え……おい、いねえぞ?」

「おい! あのガキ、何処いきやがった!?」

「消えちまった……って、んなわけあるかよ!」

 少年が目の前から消えたことで取り乱し始める男達。
 予想とは違う形で訪れたチャンス。
 だが、夕映もまた彼ら同様に出来事に目が行っていたため戸惑いの中におり、この機会をものにすることはなかった。
 自分が利用しようとした少年は、一体何処へ消えたのか。
 突然の出来事の連続で、思考か事態の推移に追いついていないのかもしれない。
 が、ひとまずそんな夕映の疑問は次の瞬間、氷解する事になる。

「――助けて欲しいか?」

「!?」

 突然、降ってきた声に振り仰ぐと、夕映のすぐ脇にあるジャンクと化した大きなコンテナの上に、消えたはずの少年が悠然と立っていた。
 十秒にも満たない僅かの間に、一体どうやってそんなところへ移動したのか。
 薄暗い夕闇の中。
 建物の間から差し込む月明かりに照らされたその少年の貌は、何処か年不相応な大人びた面持ちのように夕映には感じられた。
 その一因……夕映はそこで初めて少年が赤い色の髪をしていることに気づき、顔の造形が日本人のそれとは違う、異国の人間だとすぐに関連づける。
 異国情緒溢れる麻帆良では異人など特に珍しくはないが、少女はこの時、赤毛の少年の雰囲気に呑まれていた。

「あなた、誰です?」

「通りすがりの英国紳士だ」

「……」

「聞かれたから言ってやったのに無視すんなよ。先に聞いたのはこっちだぜ。『助けて欲しいか』って言ったんだがおまえ、おれの日本語通じてんのか?」

 状況をまったく加味せずあっけらかん然とした少年に、ムッとする夕映。

「初対面の、しかも目上の相手に随分ぞんざいな。あなた、失礼ですよ。私はれっきとした日本人、日本語を解するのは当然のことです」

 平静に返そうとするも、しかしまったく平静ではないのは関係ない話題を口にしたことから明白だった。
 
(な……私としたことがこんな時に悠長に何言ってるですか!? アホすぎです!)

 そんな少女の事情をわかっているのかいないのか、少年は続ける。

「ま、細かいことは気にすんなって」

「おい、テメエどうやってそこに上りやがった!? 降りてきやが――」 

 自分達を無視して勝手に話をする二人に色めき怒鳴り声を上げる男共を一瞥し、少年は

「うるせーよ、お前らはしばらくおれ達の話に入るな
 
 と、冷めた声で釘を刺した。
 するとどうしたことか、不思議なことに何かモノ言いたげな顔ながらも不良達がピタリと口を閉ざしたのだ。
 あの不良連中が大人しく押し黙った様はある意味、異様な光景だった。

(?……どういうことですか)

 どう見てもただの子供の言葉を不良達が聞くとは思えない。
 そうなると美人局の類かとも取れるが、それこそよほど現実味が無い。

「で、話を戻すぞ。うら若き乙女がご所望というなら、条件付でこのおれ様がこいつらから助けてやる。困ってんだろ?」

 恰好つけているつもりなのだろうか。
 綺麗な顔立ちの少年が月光をバックに佇む姿はちょっとした絵だが、正直な話、この展開は怪しさ爆発だ。

「何言ってるです? アホですか、あなたは。正義の味方は間に合ってますから、ヒーローゴッコなら他を当たった方がいいですよ」

「オイオイ、人が親切に言ってやってるのに、そりゃ随分な言いぐさじゃねーか?」

「これは地です。気に障ったなら謝っても良いですが、あなたこそ子供のくせに生意気すぎです」

 テレビの見過ぎなのか、最近の子供は口の悪い子が多い(夕映的一般論)。
 推定外国人であるにも関わらず驚嘆に値するほど少年の日本語は上手く、声も耳に残る綺麗なものだったが、肝心の口調は余りに年甲斐が無さ過ぎる。

「それに、元々こちらが撒いた種なのです。これからきちんと謝って、この人達には気持ちよく許してもらうので平気です」

 勢いで、夕映は先程までとは180°ほど反対の回答を示した。
 気持ちはまったくといって良いほど進まなかったが、泣き落としなど演技派ではない自分には向かないと判断し、いい加減疲れたこともあり正攻法でいこうという気になったためだ。
 あわよくば、どさくさに紛れてこの場を乗り切ろうという打算もあった。
 だが、そんな少女の決意を少年は鼻で笑う。

「気持ちよく、な。けど本当にそれでいいのかよ?」

「……どういう意味ですか」

 少年の含みを持たせるような物言いに訝しむ夕映。
 何となくだが嫌な予感がした。
 そして、それを裏付けるかのように少年が躊躇せず爆弾を投下する。

「このままほっといたらおまえ――こいつらに犯されるぜ?」

 とりあえずだが唐突だった。

「……は?」

 いきなりすぎてその発言は不発弾に終わったようだ。
 最初、夕映には何を言われたのかその意味が理解できなかった。

「あー、こういう場合は複数だから輪姦すって言うんだっけか?」

 しかし、それもすぐに頭の中に染み渡り、どうやら意味に思い当たったのか、少女は顔を真っ赤に染めた。

「十二秒に一人。今こうしている間にもか弱き女性が次々と毒牙に……」

「何処の銃社会の統計ですか、それはっ!」

 しかも結構古い統計っぽい。
 ちなみに余談だが、現在はもっと酷かったりする。

「ここは世界上位の治安国家日本です。飢えた野獣じゃあるまいし、犯すだの輪姦すだの……子供のくせに何言ってるですか。まったく」

「男が女を連れ込む目的なんか決まってるよーなもんだろ。信じられないのもわかるけどな、こいつらに聞いてみろよ――ま、聞くまでもなさそうだけどな」

 そう言われ、夕映は初めて気づいた。
 苦笑する少年の言葉を裏付けるように、夕映を見る男達の視線が何故か妙に熱を帯びている。

「な……!?」

 まるで全身を嘗め回すように注がれる、獣気の篭もった視線。
 五人が五人全員というわけではなかったが、男達の何人かが夕映に異常な眼差しを送っていたのである。

「おお、モテモテだな」

「全然、嬉しくないですっ!」

 少年の見当違いな声援にツッコミを入れ、即座に毅然として男達を見据える夕映。
 先程までは人畜無害ではなかったものの、ただの生粋の不良(?)であり、ここまで人畜有害な者達ではなかった。
 考えられるのは、少年の言葉だ。
 実的な内容を具体的に提示され、あっさりマイコンされたのだとしか思えない。
 余りにも単純すぎる。

「こ、こんな子供の戯言に耳を貸すなんて、ただのアホです! 馬鹿です! マヌケです! あなた達は獣ですか? 違うでしょう、理性ある人間のはずですっ!」
  
 明らかに間違っている彼らを更生させるチャンスは今以外に無い。
 夕映は身振り手振りを踏まえて必死に訴えかけた。

「薄暗いですが、その眼で私をよく見て下さい。顔も特に可愛いとも言えず、発育も極端に悪いこの身体を玩んだところで楽しいと思いますか? 胸もお尻も無く、背も低いです。触ってもつまらないですよ」

「自覚してるんだな、おまえ。つーか、自分で言ってて恥ずかしくないのか?」

「あなたはいちいちうるさいです! ……大体、私は中学生です。そういう事をしたら犯罪です」

 中学生でなくとも、十分犯罪なのだがそれはこの際割愛。
 少年の揶揄にもめげずに、夕映は男達に向かって目の前の現実というものを涜く。
 が。

「……いや、実は俺ちっちゃい子大好きなんだよなー! 中学生、ゲヘヘ!!」

「こんなとこに連れ込んだ時点でアウトだろ? ならいっそのこと、徹底的になぶりモノにしてやった方がいいよな……クヒヒ!」

「ツルペタ萌えっす! ツルペタ萌えっす! ツルペタ萌えっす!」

「こうなったらやってヤルぜ変態! 監禁してヤル変態! オレ変態!」

「おいおい、どうみてもこいつ毛も生えてねーガキだぜ? お前らよく考えて言えよな! 俺はとりあえず……さ、先だけ入れてみて試してみるけどよ?」

 どういうことか、全員ヤル気満々になっていた。
 現実は厳しい。
 状況はどうやら悪化したようだ。

(全然ダメです!? ……って、あなた達最初とキャラ違うですよ!)

 崖っぷちに追いつめられた夕映は、心の中でツッコミを入れる元気こそ残っていたものの、いつの間にか顔面蒼白だ。
 不良連中のこの様子では、話し合いの余地などもはや無い。
 男達はまさに言葉通りの野獣。
 このままでは夕映が供物の如く生け贄と化すのは目に見えている。

「ここで何ラウンドかの後、どっかの廃工場に監禁されて延々と……なんて、三流ポルノとかでありそうな展開だよな」

「こっ、怖いこと言わないで下さい! 大体子供なのに、マセ過ぎです!」

 ようやく怯えの色を見せた夕映に、少年は励ますように言った。

「ま、心配すんな。そうだな、一晩……一時の刻とおまえの『――』を貰う。それでこいつらから助けてやる」

「な……『――』!? あなたはアホですか! ふざけないで下さいっ!」

 その要求の意味は、今の状況に輪を掛けた内容だった。
 馬鹿げている。
 そう簡単に頷けるほど夕映は軽い身持ちではない。 

「ふざけてねーよ。こいつらのナブリモノになるよりは遥かに安い料金だぜ?」

「だからといって、その要求が相応とは思えないです!」

「要求が相応かどうか決めるのはおれで、おまえじゃない。なあ、自分の立場がわかって無いんじゃねーか? 奴らもそろそろ痺れを切らすぞ」

 どういうわけか、少年が現れてから不良達は直接的な行動を一切行なわなくなったのだが、ここにきて野獣達が異様な雰囲気を漂わせ始めている。
 
「収穫派! 収穫派! 収穫派!」

「グへへ、たまんねーぜ変態!!」

「犯って犯る……犯って犯るぞっ!!」

「ダルマ、ダルマ!!」

「ペド野郎上等! ボタせてみせるぞヴォラァ!!」

 どいつもこいつも最悪だった。
 まさに変態だ。

(こ、こんなの悪い夢です……)

 本当に質の悪い夢だったらどんなに良いことだろう。
 いや、実は本当に夢なのではないだろうか。
 裏路地の奥とはいえ、これだけ騒いでいるのに少年の他には誰もやってこない。
 消えたり現れたりする妙にマセた異国の少年に、怒っているわりには口ばかりで一向に何もしてこない不良達。
 現実味が無かった。

「これが夢なら……いえ、違うです。夢だからこそ不快な思いなんか、したくありません」

 例え夢でも、自分が男達からいいように玩ばれるのは御免被りたい。
 それに都合良く助けてくれるという救い手もいるのだ。

「……君の要求を受け入れます。夢でも良い方がいいですし、どうせ夢ならこの際何でも来いです!」

 開き直り、夕映が挑むように明確な意思を伝えると、赤毛の少年は満足げに頷いた。

「面白いヤツ。よし、契約成立だ。今夜、忘れられない夢をみせてやるから楽しみにしてろよ……! が、その前に――」

 言いながら、少年が自分の顔を飾る小さな丸眼鏡をゆっくりと外す。
 まるでそれが合図とでもいうように、物を言うだけだった不良達が一斉に動き出した。

ウヴォォォォォ!!!!!

 溜まっていた鬱憤が一気に開放されたような怒号をバックにして、獣の群が追いつめられた夕映へ向かって殺到する。


 限定解呪施行 ネギ・スプリングフィールド


 その瞬間、聞こえた少年の呟きが、彼の存在に新たなる変化をもたらした。

(この光、何事ですか!)

 場に満ちる強烈な光。
 月光の下、一瞬にして収束する光の中で幼い少年に変わって現れ出たのは、幼さなど微塵も感じさせない自信に満ち溢れた貌をした、不敵極まる赤毛の少年だ。
 外国人ぽいので分析が正確ではないが、顔立ちから判断して年の頃は十七、八才ぐらい、背丈は夕映よりも頭二つ分ほど高いことから180センチ近辺といったところか。
 鮮烈に目を惹く存在感。
 “凛々しい”という言葉があるが、夕映は生まれてこれまでこれほどの“凛々しさ”を感じた人間を知らない。
 現れるなり彼はコンテナから飛び一呼吸の後、夕映の前へ舞い降りた。
 野獣達の目から少女を覆い隠すように。

「か弱き乙女の呼びかけに応え、紳士の国から即座に参上! おれは英国紳士だからな。ジェントルマンらしく、エレガントに終わらせてやるぜ!」

 アホすぎる。
 言動が芝居がかりすぎだった。
 余計なことを言わなければ最高評価を得るというのに、台詞が見た目をこれでもかというほど相殺している。

(今度は誰ですか? それ以前に、どの辺が紳士なのか説明を求めたいところですが。即座というのも大嘘です。助けるなら初めから助けるです)

 本当に、都合の良い夢のような展開だ。
 ツッコミどころ満載である。
 今の一瞬でどうやって別人と入れ替わったのか、今までの幼い少年は何処へ行ったのか、この長身の少年は何者なのか。

(私の夢にしては捻りの無い展開ですね。チープすぎです。けど――)

 前に立つ新たな少年を見た時、夕映の脳裏に浮かんだそんな意味は、自分の側にいる圧倒的存在を前に胡散霧消した。
 言動は幾分アレだが、コートの裾をなびかせ自分を護るかのように不良達の前へ立ち塞がる少年の姿は、大好きな絵本の中に出てくるヒーローそのもの。
 アホとわかっていても、思わず目を奪われる。


 ……この日のそんな日常の中で。
 綾瀬夕映が出逢った世にも破天荒な運命は、彼女の瞳に

 あまりにも猛々しく

 あまりにも傲慢で

 そして、あまりにも美麗に映った――。


















私の偉大なる魔法使いマギステル・マギ
一時間目『出逢いというのは突然で』














 月は東に日は西に、そしてまた日は昇る。
 夜が明ければ朝がやってくるのは、世の中における天地神明自明の理。
 微睡みから目覚めるまでの時間は自覚しているかどうかは別として、低血圧の少女にとって至福の一時だ。
 カーテンから差し込む朝陽は冬場特有の強い光で、僅かな隙間からも夕映の瞼を刺激し、心地よい覚醒を促していく。
 ぬくぬくしながらベッドの中で寝返りをうち、すぐに終わってしまう束の間の幸福を存分に味わう。
 夕映が寝起きする麻帆良女子寮のベッドは世間一般の二段ベッドとサイズ的にも同等のもので、少女の小柄な身体でも何度か寝返ればすぐ端に当たってしまうのだが――。 

「……………………?」

 幾度か寝返りをうった後、不意に違和感を覚えた。
 いつもより長い間ゴロゴロしているのに、ベッドの端に当たらない。
 ムクリと身体を起こし、ゴシゴシと目を擦りぼんやりとしたまま、部屋の中を見回す。
 淡いピンクにところどころ情熱的な赤の柄を用いた壁の模様。
 まず目についたのは壁に備わったプラズマ仕様の大きなテレビ。
 ベッドの脇にあるテーブルにはティッシュ箱と何かのノート、それにハート型の時計が置かれている。

(時間は、午前6時7分ですか……)

 妙に広い部屋だった。
 乙女チックに整えられた内装には、何処かあざとさを感じる。
 広いといえば夕映が今居るベッドも丸形で大きく、一人寝で用いる類のものではない。
 見慣れた女子寮の部屋が、一夜にして随分と様変わりしたものだ。

「……って、違うですよ!」

 現実を見ようとした瞬間、一気に目が覚めた。
 どう考えてもこれは変だ。
 先程まで使っていた枕もやたらと大きめで、用途もハッキリとした物だったりする。
 掛け布団も愛用のものよりもフカフカしている……というよりも見た目、肌ざわりからしてまるっきり別物。

「な、な、な……な――!?」

 いや、布団の感触がいつもと違うのは当たり前、夕映は寝間着からして着ていなかった。
 身に着けているのは、何故か最低限の下着類のみ。
 当然ながら半裸で寝るような趣味など無い。
 考えが全てにおいて結びつかないまま何気なく床を見やると、見覚えのある麻帆良の制服がシャツ等と共に脱ぎ散らかしてあるのが見えた。
 夕映自身のものだ。
 
(こんな時こそ落ち着くのですよ、綾瀬夕映! この状況は何か変です! 部屋の内装から推察するにここは噂のラブホテ……?! 平日の朝から中学生の私がいて良い場所ではないです! いえ、平日でなくてもいる理由など皆無ですが! 私がこんなところにいること自体、不自然すぎる! は、ハルナ達が純朴な私を担ごうとしてこんな!? もしくは、夢の続き――!?)

 ぐわんぐわんと様々な情報が頭の中を錯綜し、混乱を深める夕映。
 しかし、無能ではない少女は最終的に全ての情報を帰結へと導いていく。
 そういう目的の場所にて、服を脱ぎ散らかしたまま裸に近い状態でベッドにいることの意味がわからないほど、夕映は子供ではない。
 極めつけは夕映自身の身体の変調である。
 寝覚めだというのにスッキリとした感じではなく、ひどく身体が重たい感じだ。 

「そんな、そんなわけ無いです……!」

 例えるならば、何時間か水泳を続けた後のような気怠さ。
 夜更かししたところでこうはならない。
 これではまるで――。

「お? 起きたのか」

「!?」

 突然声を掛けられ弾かれたように声の主へと目を向けると、そこにはガウンを羽織っただけの赤毛の少年の姿があった。
 部屋の奥、おそらく浴室でシャワーでも浴びていたのか、濡れた髪をバスタオルで拭っている。
 水も滴る良い男などという言葉があるが、この少年への比喩としては実にピッタリだ。
 ガウン映えする長身。
 布の間から見える引き締まった身体は、何かスポーツでもやっているのか筋肉に無駄が無くしなやかで、猛禽類を彷彿させる。
 無造作に羽織ったガウンのラフな恰好が逆に相乗効果を生み、少年の魅力を増大させているようだった。

「かなり汗かいちまったから先にシャワー使ったけど、別に構わないよな。空いたから入るか?」

「!?!?!?」
 
 まるで“夜のアレを何戦も終えた後のシャワー”を浴びてきたような物言いに絶句する夕映。
 その予想を裏付けるように、少年の素肌はシャワーの冷たい水でも冷まし切れていないのか僅かに火照ったままだ。
 
「っ!」

 少年の肌を見た瞬間、自分が裸に近い状態であることに思い当たり、夕映は慌てて掛け布団で身体を隠した。
 改めて沸き上がって来た羞恥心で、顔面どころか全身が朱に染まる。
 
「……ああ、そっか。なるほどな」

 そんな少女に何か納得したのか、少年は床に落ちていた衣類を拾い上げてベッドへとほおった。
 自分の服ではあるので、意味がわからないながらも夕映は慌ててそれを胸元へかき寄せる。

「日本の女性は奥ゆかしいって話だからなー、そこから出るに出られないんだろ? 向こう向いていてやるから、とりあえずそれ着ろよ」

 こういうことに慣れているのだろう。
 夕映とは対照的に穏やかな調子でまったくもって余裕の少年が、気を利かせて後ろを向く。
 少年の言っている事は確かに当たっていたが、そんなことは問題としても些細なこと。
 夕映にとって重要な事は他にある。

「――をしたんですか」

「あ?」

「私に、何をしたんですか? 説明を求めます」

 見苦しく取り乱さず、相手が後ろを向いているのに乗じて口調だけは平静を装う。
 最重要事項は事実関係の確認。
 これは、知らないで済まされる問題ではない。

「説明っておまえ……覚えてないのかよ?」

「……」

 覚えてない、ことはなかった。
 徐々に思い出される昨夜の記憶。
 不良達に絡まれたこと、小さな少年のこと、この少年に助けられたこと、そして、その後の出来事――全部夢ではなかったのだ。
 その後の出来事について夕映がどんなことを思い出したのかまったくの謎だが、少女は改めて顔を赤く染めた。

「そういえば、詳しい説明はしてなかったっけか? えーっと……日本語だと“房中術”って言葉が一番近いか。それに協力してもらった」

「ぼ、房中術……!?」

 言葉自体は怪しげだが、いきなりの確信的な内容に夕映はハンマーで殴られたようなショックを受ける。

「って言っても、まあ一般人には馴染みが無いからわからないだろーけどな」

「……」
 
 確かに普通の一般人ならば知らない事項だろうが、残念なことに図書館探検部に所属する本の虫、文学少女であるところの少女にはその意味が理解できた。
 房中術(正式には房中陰陽術)とは中国のタオイズムやインドのタントリズムに根ざす思想で、平たく言えば男女間の肉体的交渉による精養術である。
 難解でもなんでもない、ようはセックスのことだ。
 結局のところ夕映は、予想していた最悪の現実に直面することになったのだが、とりあえず沸き上がってきた怒りの矛先はゆっくりと対象へ向いていくことになる。

「合意はもらったから普通は徹底的にやるんだけどなー、まあそれはそれだ」

 夕映にとっての重要な事柄を、事も無げに言ってのける少年。
 急速に、頭の中が冷めていく。
 難しい言葉で濁せば、わからないとでも思ったのだろうか。
 許せなかった。
 制服を身に着け終わり、夕映はベッドから降りて少年に近づく。

「……服、着ました」

「初めてだって言うから、随分優しくしてやったんだぜ? ま、当然のことか。おれは英国紳士だからな――」



 ぱしっ



 少年は言葉を言い終わることができなかった。
 振り向こうとした瞬間に、夕映の繰り出したスナップの利いた平手が頬を叩いたためだ。

「――最低、です」

 そう言い残し、突然の出来事に呆気にとられたままの少年を置いて、夕映は部屋を飛び出した。

 本当に最低だった。
 気分も、少年も、全部。
 そして何よりも、あんな少年を一瞬でも格好いいと思った自分……成り行きに任せて少年に身体を預けた自分自身が。
 機能的な早朝のホテル内を、少女は駆け足で逃げるように抜けていく。
 瞳からとめどなく溢れる涙を必死に拭いながら――。
 














 一人部屋に残された少年、ネギは叩かれた頬を軽く撫でた。
 普段は風楯デフレクシオと呼ばれる風の結界を用いた障壁魔法を常時展開しているので、ネギの身体に直接攻撃が届くことは滅多にない。
 早朝の無防備な室内だったということもあったが、まったくもって予想もつかなかった一発に珍しく反応できなかったためだ。

「……やば。おれとしたことが、なんか失敗しちまったみてーだな」

 この手の出来事には色々と慣れているので、女性の扱いはバッチリのつもりだったネギだが、今回は完全に失敗したようだ。
 しかし、何をどう失敗したのかわからないのだから始末に負えない。
 もっとも、今回のことについて言えば色々な不幸が重なった結果、平手打ちという形での帰結を迎えたのだが、この結末を回避する手段は幾らでもあった。

(あいつ、おれが黙って勝手に外へ出てたの怒ってんのか?)

 まず一つ目の誤解だが、ネギの身体が火照って見えたのは毎日の日課である拳法の鍛錬のせいだということ。
 早朝二時間弱の鍛錬は五年以上もの間、余程のことが無い限り続けてきた事である。
 これを夕映は勘違いしたのだが、当然ながらネギはそんなことなど知る由もない。

(あー……房中術って言い方だとわけわかんねーよな。もっと説明した方がよかったか?)

 二つ目は、房中術云々の言い方。
 日本へと渡るにあたって、ネギは諸事情により魔力を激しく消耗していた。
 それを手っ取り早く回復させるために性魔術の類……この場合は粘膜接触と互いの体液の交換を利用した術なのだが、それを房中術だと言ってしまった事が誤解を招いてしまった。
 ネギの用いた術は、必ずしも性交渉を必要としない。
 現に今回は接吻を術媒体として用いて回復を図ったのだ。
 もっとも、性交渉をした方が結合も深く手っ取り早いのだが、幸か不幸かネギはそこまで鬼畜ではなかった。

(けど、交渉の時『唇』を頂くって断ったしな……ったく、女ってヤツは面倒くせーぜ。初めてだって言うから、ムード出してやったってのに)

 そして三つ目は“初めて〜”の件だ。
 術を行使する際、ネギは相手が日本人女性ということもあり、半暗示状態である夢心地の夕映に対して雰囲気タップリに、薄暗いラブホテルという場で優しくも激しい、とても忘れられないようなベーゼを数時間掛けて行なった。
 それも、ベッドの中で。
 “大和撫子が初めてのキスを大事にする”という伝聞通り、思い出深いキスシーンを演出したのだが、これが完全に裏目。
 大抵の日本人ならばラブホテルのベッドの中で『初めて云々』などと言われれば、AではなくCを想像する。
 術を受けた事によって少女の身体は魔力消耗の影響で激しく疲労、間の悪いことに夕映当人がネギの凄まじい口撃により、途中で失神してしまっていた事が誤解に拍車を掛けた。
 ファーストキスは奪ったが、夕映はそういった意味において清い身体には違いない。
 房中術や初めて云々など誤解を招く発言を繰り返したネギが悪いのだが、赤毛の少年は外国人、達者といっても日本語の細かい機微まで攻めることはできないだろう。

「笑って別れたかったけど……仕方ねーか。結構、楽しいヤツだったんだけどな」

 本来なら魔法に関わった一般人はその件に関しての記憶を消さなければならないのだが、この性魔術を行なった場合、相手の女性にとって良い思い出となるよう処置を一切施さないのがネギのポリシーだった。
 お互いに名前を聞かず良い思いをして、別れる。
 ネギは女性の良い思い出になり、女性はネギとの思い出を胸に秘めて生きていくのだが、ネギはともかくこれが女性とって良いのか悪いのかは定かではない(実際にトラウマになったり、ネギのことが忘れられず恋愛できないような女性もいるのだが、ネギ本人はそのことを知らない)。

「ま、あいつもそのうち良い思い出にしてくれるだろ。そんなことよりいよいよ明日が修行開始だな……ククッ、楽しみだぜ」

 麻帆良も広い。
 もう会うこともないだろうと小柄な少女のことを頭の隅に追いやり、ネギは明日から始まる学園での生活に胸を躍らせた。


 だが、少年は知らない。
 今日の出逢いが自分の麻帆良での生活、しいては今後の運命に大きく関わっていくことを――。














続く













 あとがき

 ここまでお読み頂きありがとうございます(読んでなかったらすいません)、自称SS書きの三剣です。
 今回は第一話目ということで、原作でいうところのアスナの立ち位置を拙作にて演じることになるヒロインキャラが登場しました。
 オカシな展開に「なんじゃこりゃああぁぁぁぁっ!?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、仕様ですので勘弁して下さい(笑)。
 ヒロイン級のキャラは複数存在することになりますが、彼女や今後続く後続のヒロインキャラ達がどう動きネギと関わっていくのか。
 端折る部分もありますが、基本的には原作のストーリー展開をおおよそなぞる形で進めていきますのでお楽しみに。 
 では、また次の機会に。


 Ver.100

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