俺はまだ決めかねていた。
 誰かの手のひらの上で踊らされて、
 たくさんの大事なモノを失ってきた俺達。
 たしかに、ドクの気持ちもわからないでもない。
 先ほどまで背中で負ってきた瑞樹をはじめ、彼女の仲間達。
 そのそれぞれに背負っているものがあって、
 初めて俺の手のひらの中に何かが手に入ったような気がして、
 それを失いたくないと感じていた。
 この島に来るまで、俺達にはもう俺達と故郷に残してきた家族しか
 もう他に大事なものはなかった。
 正義とか何だとか、お偉いさんはよく言ってたが、
 俺達に、いや、俺にはもうどうでもいいことだった。
 今までの生活を振り返ってみる。
 仲間達と山に入って狩りをし、酒を片手に焚き火を囲んで談笑する。
 家に帰れば、おやじとお袋などなど、家族総出で獲物を肴にパーティーする。
 俺はそんな生活をしていた。
 ある日突然、仲間の俺を見る目が変わった。
 会うたびに決まって言われるある言葉。

「ジャップ」と。

 日が過ぎていくごとに俺の家族は周囲から村八分にされ、
 ついには、日本人の血が流れているというだけで家族総出で収容所に入れられちまった。
 俺が二十歳になったばかりのときだ。
 収容所では満足な生活はできなかった。
 高く築かれた鉄条網の壁。
 そして、割り当てられた狭い部屋と重労働。
 日に日にまいっていく俺達。
 そんな中での唯一の選択。
 少しでも心証がよくなって家族が楽になればと、志願した日系人部隊。
 そりゃ、最初は街でよく見た映画みたいにガンをぶっぱなして、
 かっこいいせりふを決めたり、男らしく死んでいくシーンなんてちょっと期待していた。
 頭の中じゃそんなことありえるわけがないと思ってたけど。
 だけど、現実は甘いもんじゃなかった。
 決して格好良くもないし、撃たれて死んだやつは映画のように格好良く死ぬなんていかない。
 戦闘の中じゃ、死ぬのは一瞬。
 あっという間にヒトが屋台に並べられた野菜みたいになっちまう。
 碌な訓練もなしに、装備品を渡され、即戦場。
 武道やら何やらの格闘技をやってたやつらならともかく、
 一介の一般人に人を殺せといわれて出来るはずがない。
 たまたま、猟をしていた経験で狙撃を専門に行うようになっていったわけだが、
 ヒトを殺すよりも、ヒトが殺されるのが怖くなっていった。
 考えられるか?
 つい昨日まで俺とだべっていたやつらが、今日になると、
 そいつを俺が死体袋につめているという事実を。
 毎回の戦闘で、それの繰り返し。
 生き残っていることが本当に幸運なことなのかと思わせるくらいに続いた。
 素人だったことが幸いしたらしい。
 仲間は強い奴からどんどん死んでいった。
 そこには、名誉も、誇りも、何も存在していない。
 死体になって国に帰れた奴らはまだましだ。
 仲間の多くは今も死んだ場所で野ざらしになっていることだろう。
 そこに何の意味があるというんだ?
 あるのは、ヒトだったものがそこでヒトでなくなったという事実。
 俺達が俺達という証を失うという真実。
 経験という名の積み重ねを経て、俺達は戦場というものがどんな場所であるのかを思い知った。
 生き残ることがこんなにもつらいことだと。
 あいつらの笑顔が、あいつらのことが
 死んでいった連中の証を背負っていることが、こんなにもつらいことだと。
 生きていることがこんなに不幸だと。

 俺も、ドクも、そしてジェイも。
 いつもどこかで死ねることを希望していた。
 特にジェイは、あいつは死にたがっていた。
 あの子を失ってからのあいつは困難な作戦であればあるほど、自ら望んで突っ込んでいった。
 いやだった。
 これ以上知った顔が死んでいくのがいやだった。
 死ぬんだったら3人一緒のほうがなんぼかまし、だから付き合いで3人そろって作戦に望んでいた。
 そうさ、この作戦始まりそのものもそうだった。
 だけど、現実はいつも過酷。
 俺達に課せられた使命は、戦闘中のどさくさにまぎれてあいつをなかったことにすること。
 戦争中は作戦成功率が高いからといってもてはやされ、
 散々戦場を駆け巡らせたあいつを、
 戦争が終わりそうだから、事実が露呈するとまずいからといって、
 すべてを無かったことにすると。
 なんとも救いようの無い話さ。
 家族を救いたい一心で国に従って、国のために働きまくった結末がこれか。
 俺にも、守りたい家族がある、だから従わざるを得なかったこの作戦の裏側。
 実行したとしても、俺達もジェイの後を追わされることは間違いないだろう?
 だから、作戦が終わったらジェイのあとを追うつもりだった。
 ジェイも死に場所を探していたし、俺もそろそろ生き飽きてきたし、
 潮時だと思ったのも事実だ。
 

 だが、ここにきて、あいつは、ジェイは言ったんだ。
 あのJが、自殺行為とも言える無謀な作戦に自ら志願するようなあいつが

 「生きよう」…と。
 ただの一言のジェイの希望。
 それは明快にして単純、
 そして、アイツの口から出た初めての生への渇望。
 その因がアイツのすぐそばにいる奴なのは明確なことだが、
 それでも俺を驚かせると同時にある思いを抱かせていた。



 殺したくない

 ジェイを

 あいつを殺したくない

 戦争だからとか

 作戦だからとか

 命令だからとか

 国のためだとか

 そんな正論は関係ねえ。
 俺達が俺達だったという証を消したくない。
 俺達が生きているという証を失いたくない。
 生きているんだ。
 敵(ヒト)を殺しまくってヒトとして落ちるところまで落ちてっかもしれねえけど
 俺達は、はいつくばってでも生きてやるんだ。


 だけど、
 あいつをやらないと、俺の家族が国で縛り首になっちまう。
 軍の命令が絶対なのも事実。
 がんばったけどだめでしたなんておためごかしな理由が通じるわけもない。

 俺が原因で家族に迷惑を掛けたくねぇ。

 できるなら、家族とジェイ

 どっちも助けたい

 俺は…

 俺はどうしたらいいんだ……


  

ラブひなOSS 「サクラが咲く季節に」 那覇(大)

第14章 「Their decision…」



「クレイ…あなたはこれからどうするのですか?」


 俺に投げかけられた瑞樹の問い。
 それが何度も何度も頭の中で繰り返される。
 どちらに転んでも俺の望まない結果のみ。
 畜生!
 どうすればいいんだ。

四つんばいに地面を見つめる俺。
目の前には片足で何とか立っている瑞樹が俺を見つめているのがわかる。
出せない答え。
タイムリミットがあるというのに、俺の答えはかけらもでてこない。
いや、選択できないといったほうが正しいか。


「クレイ…今ここに一緒にいる以上、私の事はあなたが握っています。
もしこのまま置き去りにしていただいても大丈夫です」


 はっとなって頭を上げるクレイ。
 無事な右足で身体全体を支えるかのようにしてたっている瑞樹。
 その表情は、すべてにおいて俺の決断を容認しているかのうように微笑んでいた。


「もし…」


 言葉をつなぐ瑞樹の顔に浮かぶ逡巡。
 一寸の後、それは決意に変わったかのように真剣で、
 それでいて先ほどからの笑顔を保ったままだった。
 つぶやくかのような瑞樹の言葉がつながれたのは数秒の後。


「このまま、Jさんを殺しにいったとしても、いや、今私をその銃で撃ったとしても私は…」


 それは仮定の話だとしても、未来の話。
 そして、起こりうる、クレイの決断で重きをおいていた決断。
 言葉が再び途切れ、目を閉じ、うつむき気味に黙り込む瑞樹。
 勢いよく顔上げた瞬間に言葉はつながれる。


「私は、あなたを恨みません。たとえ咲さんを一緒に殺したとしても、私はあなたを恨みません。ののしりません。」


 瑞樹から述べられる未来への肯定。
 ただただ優しく微笑んだまま、クレイの目をしっかりと見つめたまま、
 クレイのすべてがわかっているわけでもなく、
 ただただクレイの置かれた状況を理解し、そして肯定した。
 死すらも覚悟した瑞樹の目にクレイは何一つ言葉を返すことができず、
 目の前の瑞樹を見つめたまま、まだ終らぬ瑞樹の言葉を待つばかりだった。


「そして、あなたが生きて罪を償うというのなら、あなたとともに生きて、そして償います…
あなたが罪の意識に耐えかねて死ぬというのなら、私もともに死にます。
たとえ、今この島で死んでしまって、私達がこの島で死んだってことが誰にもわからなかったとしても、
大事なものを抱えたままなら、それはそれで良いと思います……ただ…」


 ただ…と続けられた瑞樹の言葉。
 だんだんとクレイと合わさっていた目線が落ちていき、ついには頭をたれてしまう。
 真正面から見つめていたクレイには知る由もなかったが、
 瑞樹の真下の地面がぽつん、ぽつんと黒いしみを作っていく。


「…私は…私は死にたくないです…皆と笑っていたい。
皆ともっと話しをして、知りたい。
Jさん、ドクさんのことも知りたい。
知らないんです。あなたのこと、まだまだぜんぜん知らないんです。
知りたい。もっともっとあなたのことが知りたいんです!
私のことも、私のことも、もっともっと知ってほしい。あなたに知って欲しい。
だから…死にたくない…私は…もっと生きたいです!」


 瑞樹の言葉はすでにあふれ出す嗚咽にまみれ、
 言葉の最後は絶叫に近いぐらいの大声になっていた。
 言い終えた瑞樹はうつむき、そのままの姿勢でこみ上げる涙をこらえようとしていた。
 そうすればするほどとまらぬ涙。
 それは、堰を破って流れ込む怒涛の感情。
 瑞樹が押さえようとすればするほど、その流れは大きくなるばかりであった。
 クレイの目に飛び込んでくるのは、必死に涙をこらえようとする瑞樹の小さな身体と、
 ぎゅっと閉じられた眼、そして断続的に耳朶を揺らす嗚咽。

 二人の間に流れるのは瑞樹の嗚咽の小さな音のみ。
 あたりの静けさが、まるで二人を劇場の舞台に押し上げたかのようでもあった。

 そこに響き渡る無粋な音。
 否、まるで巨大な虫が羽音を立ててやってくるかのように、
 重く、どこまでも耳障りで、
 そして、それが二人のミライを決定付けるかのような音の大群。

 そう、空軍による爆撃がこの島に近づいてきたのだ。

 その音を耳にした瞬間、クレイはよつんばいの姿勢から地面を見つめた。
 眼を閉じること数秒、クレイの動作に何かを感じ取ったのか、
 まだ収まらぬ嗚咽の感情をそのままに、瑞樹はクレイに問いかけた。


「…クレイ…あなたは…どうしたい…ですか?」


 そう言った瑞樹の目は、彼女の希望を如実に表していた。
 胸元で祈りをささげるかのように組まれた両手。
 言葉で表さずとも、涙にぬれたその瞳があらわしていたのは、どこまでも生への渇望。
 彼女の目線が見つめる先はクレイただ一人。

 黙りこんだまま頭を下げ続けるクレイ。
 瑞樹の問いかけは、まるで反響しているかのように鳴り響いていた。


「…まったく、どいつもこいつも…」


 小さくつぶやかれたクレイの愚痴にも似た言葉。
 そのクレイの顔は目をつぶっているにもかかわらず、はっきりと微笑んでいた。
 ゆっくりと立ち上がるクレイ。
 開かれたその目にはもう、


 迷いの色はない。


「…心配すんなよ、ミズキ。」


 クレイはゆっくりと瑞樹のそばに立ち、そして彼女を優しく胸の中に抱きしめる。
 己が身で、瑞樹の涙を救うために。
 己が決意を、この身に刻み込むために。


―――泣いてほしくねぇ

―――この子には泣いていてほしくねぇ

―――笑うんだ

―――笑わせるんだ

―――誰が?

―――俺だ

―――俺が笑わせるんだ

―――家族にも迷惑かけねぇ

―――この子達にも悲しい思いはさせねぇ

―――瑞樹を

―――これ以上

―――泣かせて

―――たまっかよ!
  

だから俺は前に進むんだ


そう


そう決めたんだ


「俺達の予定表に、この島でエンドなんつうしけた終わりはねぇ…」


―――なぁ、ジェイ…


「…クレ…イ」

「さ・ん・に・んの予定表にはまだまだ先があるのさw」


―――そうだろう?


 瑞樹の耳元でおどけたせりふをつぶやくクレイ。
 いつものクレイに戻ったそれを感じて、涙ながらも瑞樹に笑顔が戻る。
 もう一度、今度は強く抱きしめあう二人。
 爆撃の轟音がこの場にとどろきつつあったが、
 支えあう二人の姿に一切の迷いはなく、ただ生きようと願う姿だけが強くあった。


「よし、行くか、ミズキ!」

「はい!」


 まるで爆撃の中にピクニックでもいくかのような感じを持った二人。
 だがしかし、一方はその足取りに強く大地を踏みしめ、前へと進み、
 一方は、その信頼する男の背中の上で、強くその行き先を見つめていた。
 その先は、緑の中に赤い炎がちりばめられ始め、だんだんとその色合いを自分のものに染めようとしている。


「さぁ、つまらんことはちゃっちゃと終らせちまおうぜ!」


 歩み始めた二人に、先ほどまでの暗い表情はすでにどこにもなかった。
 爆撃機がちらほらと見え始める真っ青な空。
 そのどこまでも突き抜けるかのような蒼い空のように、二人の表情は晴れやかだった。



******************************************




「はぁ、はぁ、はぁ…」


 僕は走っていた


「くそっ!」


 舞い散る火の粉の中を


「はぁ、はぁ、はぁ…」


 行く先は僕の荷物のある場所


「はぁ、はぁ、はぁ…」


 苦しい。
 走っている以上に胸の辺りが苦しい。
 周囲の空気は燃え盛る炎のせいでやけに息苦しい。
 そんな中を全力で走る僕が苦しいのは当たり前。
 でも、それ以上に苦しかったのは、いままでずっと共に生き抜いてきたジェイを、殺そうとしてしまったこと。
 例え、それが任務であったとしても、殺そうとしてしまったことは、変えようのない事実。

 ジェイと、自分の大事なもの、家族とか恵理さんを天秤に掛けてしまったこと。
 自分の大切なものを選んでしまったこと。

 それが当然だと思う反面、ヒトとして何か大事なものを失ってしまったように思う。
 そして、今ではそれが酷い誤りのように感じてならない。

 
 僕は幼いころから戦争だけはいやだった。
 誰かが傷つくのがすごく嫌だった。
 それは父さんから聞いた従軍医師での話が起因していると思う。
 傷病者達を診た時の話、戦地での話し、そのどれもが人のもつ価値観とはかけ離れたものだった。
 人が当たり前のように戦って、当たり前のように死んで、
 そして、誰も知られずに骸をさらすという、人としての尊厳などどこにもありはしない世界。
 聞けば、ジェイも、クレイも、そして他の隊員たちも、みんな抱えているものは同じだった。
 故郷の家族。
 そのためにみんな望まない戦争、望まない作戦、そして、望まない戦いへと進んでいった。


「はぁ…はぁ…はぁ…よし…あっ…た」


 火を避けつつ、目的の場所へ向かうこと数分。
 あの時置き去りにしたままの僕の荷物を発見した。
 電源は着いていないものの、周波数を合わせたままの通信機。
 何度か異常がないことを確認すると、そのまま目的の場所へと通信をつなげる。


「こちら、A小隊Aチーム 二頭の狼は狩り終えた」


―――ねぇ、ジェイ。ひとつ言ってなかったけど

―――この作戦でなんとなくだけどわかったような気がするんだ


「繰り返す 二頭の狼は狩り終えた」


―――ジェイとジェイクを刈り終えたらさぁ、僕たちどうなっちゃうんだろうね


「空爆を中止されたし」


―――そんな簡単なことにも気づいていなかったよ


「現在地 Fの7。繰り返す、空爆を中止されたし」
 

―――ほら、真上には爆撃機が近寄ってきて


「もう一度、繰り返す。空爆を中止されたし!」


 開かれた爆撃機の真ん中。
 まるで針の穴を縫うように落とされる一つの爆弾。
 中空でそれはぱっと花開くようにして、
 いくつもの小さな落下傘へと変わる。
 ちいさなそれは一つ一つが花開く前のちいさなつぼみ。
 きっとそれは花開けばすべてを赤く染めるそれ。
 距離にして後数秒。
 ここで僕が消えれば、少なくともジェイ達の行方を知るものはいなくなる。


―――さようなら、恵理さん…


 空を見上げたまま、その蒼い空に自分が守りたかったもの、大事なもの、仲間、
 そのひとつひとつが浮かび上がるような気がした。

 突然、右腕がものすごい力で引っ張られ、それにつられて僕自身も引きずられる。
 タイムラグはほんの数秒、あっという間にドクの荷物から遠ざかり、
 元居た場所に焼夷弾が命中する。


「うわわっっと」


 焼夷弾とはいえ、炸裂した後の爆音がドクと、そしてドクをひっぱっていったもう一人を転ばせる。
 自分の体に異常がないことを日ごろの癖か確認していたドク。
 そして、ドクは自分をこの場に、死という結末を引かせなかった張本人と目があった。


「え…り…さ…」


 名前を読んだ瞬間、右ほほに感じる鋭い痛み。
 目の前にいるその少女はぺたんと腰をおろしたまま、右手を振り下ろしていた。
 思いっきりひっぱたかれたと認識する前に、ドクがはっきりと認識できたのは、
 気弱ながらいつも笑顔であった恵理が、本気で怒っているということと、
 自分をにらんでいるその目から涙があふれていたということ。
 その目からうかがえるのは怒りそのもの。
 歯を食いしばってにらむ彼女の目からは、
 言葉には出ずとも、はっきりとドクに伝えたい気持ちをまっすぐにぶつけていた。


「ボクは…」


 ドクが言葉を返せるはずがない。
 なんで自分を置いて死のうとするのか。
 なんで自分から私を置いて死のうとしているのか。
 怒りの余韻とはちがったものが恵理の細い両肩を震わせていた。
 それは、孤独への恐怖。
 大切な仲間がいるものの、自分にとって大切なものとなってしまったドクを
 喪失する恐怖感。
 見れば、恵理は震える両肩を抱きしめるかのようにそれに耐えようとしている。
 そして、ゆっくりと口を開き、自分の思いをドクにぶつけた。


「なんで…なんで一人ですべてを背負おうとするんですかぁ!」

「…!?」


 自らの罪悪感に耐えかねて、恵理の言葉通り、すべてを背負って、
 すべてを無かったことにしようとしていたドクに返すことのできる言葉は無かった。
 もとより、恵理にはドクから返ってくる返答を期待していたわけではない。
 自分の目の前で起きている事実。
 そして、自分の中から湧き上がってくる感情。
 何よりも大切なものとなっていたドクに、
 聞いてほしかった自分の思い。


「全部無かったことにできれば、それでいいんですかぁ!
私達と出会ったことまでなかったことにするなんて、いいんですかぁ!」 

「……」

「いやですっ、私はいや!
もうこの先どうなってしまうのかなんてわからない。
死んでしまうのは怖い。
でも、自分にとって大切なものを、
目の前で失ってしまうのは…もう…嫌なんです」


―――ボクは

―――ボクはいったい…


 止めることのできない嗚咽。
 できることならすぐにでも駆け寄って、
 すぐにでも彼女が安心できるような、
 そんな優しい言葉をかけてあげたい。
 それすらも許されないボクの行動。
 言ってしまえば、きっと恵理さんを傷つけてしまうことになる。
 抱きしめてしまえば、僕自身が偽善者であることを決定付けることになる。
 だから、ジェイを殺そうとした僕が、彼を助けに戻ることはできない。
 そんなことは許されない。
 だから、ボクは僕自身にけじめをつけようとしたのに。

 それでもドクの心の中に湧き上がる思い。
 それは、目の前で泣く恵理の泣き顔をみたくないということ。
 それをほっとくことが自分にとって一番したくないことであり、
 彼女を慰め、安心させたいと思っていた。
 味方の全滅を目の当たりにしたときと同様、
 ほうっては置けないと、これ以上彼女を泣いてほしくないと、
 ドク自身が感じていた、ただ一つの真実。

 ドクの内側でせめぎ会う葛藤。
 自分のとってしまった行動を悔やむ反面、
 罪悪感に取り付かれた彼の心中がそれを阻んでいた。
 ドクにできることはただ一つ。
 泣いている恵理を目の前にして、ただそれを見つめることしかできなかった。


「…おいおい、かわいい女の子を泣かしちゃ駄目じゃねーか」


 ドクの背中側から掛けられた、陽気で軽い男の声。
 ゆっくりとその声のする方向に振り返ったドクの目に入ったのは、


「お前らしくねぇぞ、ドク」


 瑞樹を背負ったまま、いたづらっ子のような笑みを浮かべて立つクレイの姿があった。
 その表情に迷いはなく、先ほどまでの様子がうそであるかのようであった。
 目元を赤く腫らした瑞樹には、すべてをクレイにゆだねているかのように、
 彼の背中の上で安心した様子であった。


「クレイ…」


 恵理が泣きながらもドクのほうを見つめる中、
 まるでどうしたらよいかわからないといった子供のようにクレイにすがるような眼を向けるドク。
 そんなドクに返したクレイの言葉はそっけないものであった。


「お前はどうしたい、ドク?」

「ボクは…ボクは…」


 既に自分の決めていた結末を恵理によって否定され、
 なすすべも無かったドクに、クレイに答えられる言葉はない。
 そんなドクに追い討ちをかけるようにして、
 クレイはドクに背を向け、自分の目的である方向に向け、足を進めようとする。
 数歩歩んだところで立ち止まり、
 背中を向けた先にいるドクに向け、クレイは独り言のようにつぶやいた。


「俺は…俺は最後の最後まであきらめねぇ…。
こいつの…瑞樹の泣き顔なんてみたくないからな…」


 言葉の終わりは聞き取れないぐらいの小ささ。
 ただ、背中に背負っている瑞樹の顔が言葉に合わせて赤くなっていた。
 だんだんと歩み始めたクレイと遠くなっていく彼の背中。
 ドクの目線がそれを追っていくと共に、
 恵理の視線がドクの視線と交差する。
 言葉はなくとも、恵理の目が語る言葉。
 それは、ドクの決断を促しているようにも見える。
 泣きはらした恵理の顔。
 泣きやんだとはいえ、その赤く腫らせた眼と目元に残った涙の後。
 それはドクに、上陸部隊が全滅した日のことを思い起こさせる。


 あの時も、ボクは恵理さんに泣いて欲しくなかった。
 だから、抱きしめた。
 ボクのすべてで彼女を包みたかった。
 だから、抱きしめた。
 今のボクは…


「…私では、私ではあなたの役に立たないのですか?」


 逡巡するドクにかけられた恵理の言葉。
 まるで見捨てられるのがいやですがる子供のように、
 置いていかれるのがいやで誰かを頼るようにして見やる子供のように。


「私は…私には何の力もない。咲さんみたいに剣が強かったり、
瑞樹さんみたいに頭が良かったり…私には何のとりえもないです…。
でも、でもぉっ!」


 いつもおとなしいように見えた恵理が髪を振り乱して叫んでいた。
 それは今の自分自身への否定。
 悩んでいるドクを、窮地に陥っている仲間を、救うことのできない、
 無力な自分を否定する、そんな恵理の激情。


「だからって、だからってっ!…私だって、私だってぇ…」


 泣き叫ぶ恵理の声が突然途切れる。
 その代わりに、恵理の激情が伝わっていたのはドクの胸の中。
 伝わる激情を自分のものとして受け止めるドク、ドクの両腕で包みこまれるようにして泣く恵理。
 自然、ドクの目からは涙が零れ落ちた。


「なんで…こんな簡単なことができなかったのかな…」


 こんな簡単なこと。
 それは、目の前で泣いている人を慰めること。
 自分の大切な人を抱きしめること。
 自分のわだかまりなど、小さいこと。
 すべては自分がどうしたいのか。
 ジェイは言っていた。
 生きたい…と。
 自分も思った。
 共に生きたい…と。
 自分の大切なものを守るため、
 自分の次に大切なものを捨てようとした。
 ジェイは、笑って認めてくれた。
 認めていなかったのは自分自身。
 そして、大切なものを捨てなかったのも自分自身。
 ならば


「最後まで、一緒に来てくれますか、恵理さん?」


―――結果が出るまではあがいてもいいじゃないか?


 泣きはらしたまま、精一杯の笑顔でうなずく恵理。
 ドクと恵理。
 二人支えあうようにして立ち上がる。
 そして、踏み出す一歩。
 最後まで、結末という最後を見に、
 二人は歩き始めた。

  
To Be Next:No.15 sideA

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