ずっと待ってる。

あなたの帰る場所はここしかないから。

 

平気だよ、と笑顔で手を振った。

心配しないで、と笑ったあなたの顔が閉じていくドアに遮られる。

たった数メートル。

それが京都と東京、私とお兄ちゃんの果てしない距離を表してるように思えた。

 

発車ベルが鳴り響く。

タイムリミットまであと数秒といったところだろうか。

鼻の奥からツン、と水っぽいものが込みあがってくる。

 

早く行ってほしい、こんな涙は見られたくないから。

行ってほしくない、いつまでも側にいてほしい。

 

心配そうに私を見る顔に、私なりの精一杯の笑顔を作って送り出す。

ここに来る前からそう決めていたのに。

なんて私は弱いんだろうと思う。

 

閉じられた扉。

鳴り止んだ発車ベル。

ホームへ響くアナウンス。

 

 

『イカナイデ』、と

 

 

知られたくはないけど、声にはならなかったけど、唇の動きだけでもあなたに届くように……

 

 

 

 

 

 

 

大人になるための空白 Vol.7

 

 

 

 

 

 

 

家を出てから、もうどれくらい経つだろうか?

左手の腕時計に目を落として見ると、見送ってくれた両親に手を振ってからまだ20分程しか経過していない。

もうあれから2、3時間は経っているような錯覚を感じているというのに。

 

 

隣を歩く可奈子は何故かいつもより無口で、俯いて落ちた視線はずっと足元を見続けている。

車道を走る車の音がうるさくて、時折する会話も途切れがちになる。

陰りの見えるその横顔は、まるで背中を丸めた子供のように頼りなく見えた。

 

こんなにいい天気なのに、旅立ちには絶好の日なのに。

可奈子にも笑って見送ってほしいのに。

俺の心に霧でもかかっているような、そんな感覚を感じていた。

 

 

 

今日はいよいよ俺が東京へと向かう日だ。

だけど俺の格好はといえば、いつもと変わらないジーンズとYシャツ。

持ち物は鞄一つだけ。

普段と変わらない自分の格好を知人が見たら、今日が特別な日だなんて誰が思うだろう。

 

ひなた荘からこの京都へ戻ってきて数日。

みんなとの別れなんて惜しむ暇もなく、あっというまに過ぎてしまった。

初恋の人にも会えるっていう小さいけれど嬉しいこともあったし、俺としてはそれなりに充実した時間だったと思う。

 

だからこそ別れの時も爽やかに、なんて青写真を描いていたんだけど世の中やっぱりそんな上手くいく訳もなく。

やっぱりマンガや小説のように上手くはいかないもんだなあなんてぼんやりと思いながら、

トボトボと、そしてゆっくりと隣を歩く妹の横顔をチラチラ気にしながら駅へ向かう歩道を歩き続ける。

 

決して近くはない家から駅の間をバスも使わずにこうして歩いているのは可奈子の提案だったのだけれど、

俯きながら歩く可奈子に、やはり疲れてしまったのだろうかと思って声をかけても、

 

「だいじょうぶ」

 

って軽く笑って返すだけ。

だからと言って「じゃあどうしたの」なんて聞ける雰囲気でもなくて、俺もただ笑って「そう」と簡潔に返すことしかできなくなる。

人間どうしようもなくなると笑うしかなくなるんだなあなんて、そんな意味のないことを実感してしまった。

 

 

 


 

 

 

意味の無い会話に私はただ頷くだけ。

私はお兄ちゃんとそんな話をしたいわけじゃないのに。

痛む胸と裏腹の、苛立ちすら覚えるような感情が私の中で爆発しそうになっている。

 

顔を見たら泣き出してしまいそうな気がして、私はお兄ちゃんの顔を見ることができない。

時折隠すようにつくため息に気付いてほしくても、お兄ちゃんは「疲れたの?」なんて的外れなことを聞いてくるだけで。

別れが近づいてることなんてもう二年も前から実感していた筈なのに、それが上辺だけだったと気付かされたのはつい最近のことだった。

 

そばにいたい、とそれだけのことが言えない。

それがこんなにも辛く、もどかしいことだったなんて知らないまま。

 

私は小さい頃に両親を亡くし、その両親の遠縁に当たる浦島家の養子となった。

といっても記憶にないくらい小さい頃のことなので、両親の顔は覚えていないし悲しかったという感情の記憶はない。

 

小雨が降りしきる両親のお墓の前で、泣きだした私。

あの頃の私は目の前の現実が理解できなかったのだろうと思う。

秋の風が強くなってきた雨を真横に流し、顔を叩く雨が痛くて。

何が悲しくて泣き出したのかも分からなくて、未熟な心では持て余すほどの大きな感情を知ってしまったあの日。

泣きじゃくる私の頭を、ゆっくりゆっくり撫でてくれた貴方の少し困ったような顔が私の一番最初の記憶。

 

 

 

 

「ホントに行っちゃうんですね……」

 

やっと出てきた言葉がこんな気弱な言葉だなんて自分でも意外だった。

意図的に足を進めるスピードを緩めながら、少しでもこの大切な時間を引き延ばそうとしてる。

お兄ちゃんは少し驚いた顔をしていた。

 

「俺ってそんなに心配に見えるかなぁ?」

「……ハイ」

「あはは、そんなにハッキリ言われるとキツイなあ」

 

違う、こんなことを話したい訳じゃないの。

苦笑いを顔に浮かべて頬をポリポリと掻きながら歩む足を止めようとしないお兄ちゃん。

また次第に募る想いに胸が苦しくなってきている私には、その見慣れた顔が憎らしくすら思う。

 

義理とはいえ兄妹という変えようのない関係がいつも私の言葉を押し止めてしまう。

 

身分違いの恋。

少し違う気もするけれど、時代が時代ならばそんな表現が適切なのだろうか。

そんなロミオとジュリエットのような劇的な悲劇を感じているのはたぶん私だけなのだろうけど。

 

「身体に気をつけて下さいね」

「うん」

「風邪なんか引いちゃダメですよ」

「気をつけるよ」

「たまには帰ってきてくださいね」

「またすぐに帰ってくるよ」

 

そんなお約束の会話にお約束の返事。

本当にこれでしばらく会うこともできなくなってしまうというのに、私の口から出てくるのはそんなセリフばかりで。

自分の感情と言葉が一致しないのは昔からの私の悪いクセだと母は言う。

感情なんて表に出さなければ誰も気付いてなんかくれはしない、と。

 

 

 


 

 

 

発車時間を示した電光掲示板と自分の腕時計を見比べているお兄ちゃん。

新幹線の時間までは後30分程。

掲示板を真上に見上げられる通路の真ん中に立ち止まった私達は、自然に人の流れに押し流されそうになる。

そのままお兄ちゃんがどこかへ流れていってしまわないように、ギュッと掴んだシャツの裾を握る手が自然といつもより強くなった。

 

「えっと、俺は時間までこの辺に居るからさ……可奈子、無理に見送る必要はないからね」

 

暗に『帰ってもいいよ』、と言っているのだろう。

恐らく私に気を使っての言葉なのだろうけど、今の私にとってこんなに残酷に聞こえる言葉はない。

そんなお兄ちゃんの言葉に軽く首を左右に振って、

 

「ちゃんと見送ります」

 

と、痛む胸を必死で隠しながら私の震える唇から出た搾り出すような言葉。

なんだかとても鼻の奥の方が湿っぽかった。

 

 

 

 

人の数もまばらな待合室。

味気ない色のベンチに腰掛ける私に、自動販売機から戻ってきたお兄ちゃんがホットコーヒーを手渡してくれる。

そのまま私の隣にゆっくりと腰掛けるお兄ちゃんに気付かれないように、少しだけ腰を浮かせて二人の距離を縮めてみた。

何気ない話題に私の知らないお兄ちゃんが垣間見えて、痛む胸が少しづつ加速していく。

 

「今はひなた荘って女子寮になっててさ」

 

私の知らない事を話す彼方の言葉。

 

「こないだウチに来た鶴子さんの妹さんも住んでるんだって。すごい偶然だよね」

 

少しずつ痛みを増していく小さな胸。

 

「まあ俺ははるかさんの所に住むから、そんなに会う機会なんかも無いと思うんだけど」

 

他の人の話なんかしないで。

ただ私だけを見て。

そう口に出して言えたら、どんなに楽になれるだろう。

宛名の無いラブレターのように届くことのない想いを胸に秘めながら、いつまで私はこの苦しさに耐えなければいけないのだろう。

東京へ行ってしまえば、私のコトやこの街のコトを思いだす時間は当然減ってくる。

どんどん思考がネガティブになっているのは自分でも分かってるけど、どうしても止める事ができなかった。

 

 

待合室のざわめきの中、少しづつお兄ちゃんの話が途切れがちになってきた。

空になった缶コーヒーを床に置いて、ずっと俯いている私を心配そうに見ている。

お兄ちゃんがもう一度腕時計を確認するのと、出発が近いことを告げるアナウンスが鳴り響いたのはほとんど同時だった。

もう今さら元気に振舞うコトなんて出来そうにはないけど、せめて涙だけは見せないように我慢しなきゃ……

そう思った途端、目頭が熱くなった自分がなんだか悔しくて情けなかった。

 

 

 


 

 

 

ホームへと向かうエスカレーターに乗れば、自分の意思で足を進めなくても、少しづつ近づく別れの場所。

エスカレーターの味気ない電子音が聞こえるくらい、会話の少なくなった私達を不思議なほどの静寂が私達を包む。

少しづつ上へと登りながら、段々と姿を表す眩しい午後の日差しにお兄ちゃんは眼を細めている。

 

もうホームには新幹線が到着しているようで、独特の口調のアナウンスが何度もホームへと響いている。

一番先頭の自由席の車両まで歩きながら、私はずっと俯いていた。

それじゃあね、とホームから飛び乗るお兄ちゃん。

それでもまだ俯いて声を出せない私の頭に、ふと懐かしくて暖かい感触が舞い降りてきたように感じた。

ハッとして顔を上げてみればお兄ちゃんの手が、ゆっくりと私の頭を撫でてくれていた。

 

 

「私から……会いに行ってもいいですか」

 

 

もう完全に鼻声になった声と、こらえきれなくなった涙に乗せてやっと搾り出した言葉。

少しだけ驚いた顔をしたお兄ちゃんだったけど、やがて満面の笑みで首を縦に振ってくれた。

 

もう一度声を掛ける前に、ベルが鳴り止んだと同時に新幹線の扉が閉まる。

そして、ゆっくりと走り出す新幹線。

 

 

さよならを言う事はできなかったけれど、一番言いたい事は言えなかったけど、

今はただ、私の事を忘れて欲しくなかったから、これでよかったんだと思う。

 

でも今は、いつか私がお兄ちゃんを追いかける事ができるようになるその日まで、

どうかお兄ちゃんが誰かの物にならないようにと願わずにはいられないのだけれど……

 

 


 

 

 

京都から東京に向かう新幹線の中は、人波で溢れている。

俺は運良く座ることができた窓際の席に座りながら、窓辺に頬杖をついていた。

 

それにしても別れ際の可奈子の涙には驚いた。

今日一日暗かったのはやっぱり何かあったせいなんだと思って、新幹線の車内から母さんに電話してみたんだけど

 

「バカ」

 

の一言で電話を切られてしまった。

一体どういう意味なんだろう?

 

 

それにしても、ずいぶん遅くなっちゃったな。

もう辺りはすっかり闇に包まれていて、時折見える大きな都市のネオンが闇夜に綺麗に映えている。

家を出てくる前にはるかさんに電話してきた方がよかったかなぁ。

今日帰るコトだけはしっかり伝えてるハズだから問題は無いんだけど、まさか朝から駅でずっと待っててくれてるなんてコトは無いよな……たぶん。

 

 

 

 

 

to be continued...

 

 

 

 

 

 

 

あぁ……ずいぶんと間を空けてしまいました。

これがVol.7という事なんですが、この話を仕上げるのにどんだけ時間掛かってんスかねぇ…自分。

そんなちょっとした自己嫌悪に陥っておりますが、とりあえずなんとか形にするコトが出来て良かったですよ。

 

このお話も一応まだまだ続く予定なんで、生暖かく見守っていただければと思います。

感想や指摘等もガンガン受け付けておりますので、ちょっとでも気に入ってもらえたなら何か一言でも頂けると嬉しいです。

 

それではまた次回作でお会いしましょう。

黒鋼でした。

 

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