〈白夜の降魔・風の聖痕編〉

 

第一部・風の聖痕

 

 

第四幕   『疑惑』

 

 

 

 

 

「一晩掛けて出た答えがそれかっ!!」

 

 事件の翌朝―――――神凪の術者の一人が罵声を吐きながら兵衛を殴り飛ばした。

 それを兵衛は避ける素振りを見せないように、なすがままに殴られた。

 

「申し訳ありません」

 

 兵衛は殴られた拍子に口内を切ったのか、唇の端から一筋の血を流しながら謝罪する。

 

「ですが、昨夜から風の精霊が取り乱しておりまして、これ以上は何とも………」

「だからといって犯人が風牙衆以上の強力な風の使い手としかわからぬとは、貴様等は遊んでいたのか。それだけが貴様等の取り柄だろうが!!」

 

 術者は兵衛を思いきり罵倒し、公然と風牙衆を侮辱する。それを諫めようとする者はいない。この場には兵衛以外には神凪の術者しか居ないからだ。

 もっとも、神凪の連中がそれ以外の者の諫めの言葉を聞くとは思えない。
 そして、神凪でも風牙衆を擁護する者である景太郎がこの場にいれば、この術者もこんな口はきかなかっただろうが、不幸ながら景太郎は所用でこの場には居なかった。いや、居なかったからこそ、普段の鬱憤を晴らすように怒鳴っているのかもしれない。

 

「これだけ時間を掛けておきながら…この無能者が!」

 

 術者の怒りの声が兵衛に遠慮無く吐きかけられる。

 事件が発覚した後、神凪は自体の究明のために風牙衆を緊急召集した。そして長である兵衛が馳せ参じ、事件現場にて手ずから風の精霊に呼びかけて情報を集めていたのだ。

 だが、兵衛が言ったとおり風の精霊が取り乱しており、思ったように情報が集まらず時間が掛かったあげく、その情報も現場を見れば一目瞭然のものばかりであった。
 他の術者も兵衛に任せきりではなく、呼びかけがあってこの場に集まった後、少ない手がかりを元に方々に散って犯人を捜し回っている。
 それはこの場の風の精霊を見て、得られる情報は少ないと判断した兵衛が命令したことだった。こうなることを予想して……

 そして、当の神凪の術者といえば、風牙衆を夜通し働かせておいて、一部の者以外は何もせずのうのうと屋敷の中でふんぞり返っているだけであった。

 

「一体何のために貴様等を飼っていると思っている。こんな事もできない貴様等に価値があると思って―――――」

「やめんか」

 

 更に罵倒し続ける術者を重悟が有無を言わせぬ一言で抑えた。

 術者は重悟の言葉に慌てて頭を下げると、速やかにその場から去り、他にいる者達の中へと紛れた。

 

「兵衛、ご苦労だったな。もう下がって休んでも良いそ、お主も疲れておろう」

「は、ありがとうございます」

 

 重悟の労いの言葉に兵衛は頭を下げる。

 

「ところで兵衛。息子の流也の具合はどうだ?」

「は?」

 

 重悟が…神凪のトップが風牙衆の長の子とはいえ気にかけているのが以外だったのか、重悟の言葉に兵衛は一瞬の沈黙の後、うろたえた様子で再び頭を下げた。

 

「あ、いえ……安静にしていれば支障はございません。ですが、神凪一族のお役に立てるくらいに回復することはもう……不甲斐ない息子で申し訳ありません」

「病気では仕方があるまい。その代わりと言っては何だが、陸渡は幼い身ながら良くやってくれている様ではないか。景太郎がとても感謝していたぞ」

「それを聞けば、陸渡も大変喜ぶことでしょう」

 

 兵衛はひれ伏して感謝の意を示した。

 

「では、私はこれにて失礼いたします…部下に指示を出さねばならないので」

「よろしく頼む。期待しているぞ、兵衛」

 

 その言葉に、兵衛はただただ無言で頭を下げた。

 

 

 


 

 

 昨夜の犯人は風の使い手―――――つまり風術師。残虐なその手口から、神凪に深い恨みを持つ者。

 その報告を聞いたとき、誰もが…重悟ですら、同じ名前を思い浮かべた。絶妙なタイミングで帰ってきた男の名前を。

 

「和麻じゃ! ヤツは復讐のために力をつけ、日本に帰ってきたのじゃ! 重悟よ、裏切り者の和麻を殺せ、一刻も早く見つけだして抹殺するのじゃ!!」

 

 重悟に対して金切り声で喚き散らす一人の老人。この者は神凪の先代宗主『神凪 頼道』である。
 現役を引退してもなお、先代宗主としての威光を嵩に我が侭勝手に振る舞っている困った老人だ。それ以外に色々と理由があって一族全員から嫌われているが、本人だけはそれに気が付いていない。

 今もまた、昨夜の襲撃事件の結果を聞き、重悟の元ヘと現れて捲し立てている最中だった。

 

「父上、先走りすぎです。和麻がやったという証拠はないのですぞ」

「手ぬるいぞ重悟! 和麻以外に誰がやったというのじゃ!!」

 

 重悟は頼道の暴走を諫めようとするが、聞く耳をまったく持とうとしない。まるで自分こそ神凪の総意、神凪そのものであると言わんばかりに。

 

「先代、少し黙っていていただきたい。あなたが口を開くと話が進みません」

 

 そんな頼道に、厳馬が口を出す。その目に浮かぶ侮蔑と嫌悪の色を些かも隠そうとせず、冷淡に。

 

 

 大した実力もないくせに、謀略の才と一族内のパワーバランスによって宗主となった頼道の事を、厳馬は心の底から軽蔑していた。

 頼道が宗主となって三十余年間、神凪の力は史上最低と言われていた。
 神凪の象徴にして至高の宝剣『炎雷覇』を制御できず、さりとて最強の呪法具を他人に……息子にすら委ねる器量も持たなかった矮小な男。
 その結果、『炎雷覇』は重悟が宗主を継ぐまで倉庫の中で死蔵されていたのだ。

 

 厳馬は思う。これ以上に愚かなことはない…と。

 

 宗主の地位は『最強の炎術師が継ぐ』というのが厳馬の信念だった。それ故に、重悟が宗主に選ばれたことを厳馬は塵ほども恨んではいない。自分の力が及ばなかっただけ…と、納得している。

 宗家の者であるゆえに、自分の息子を次代の宗主に就かせようとした時も、謀略などといった下らぬ小細工など労せず、それに相応しい術者に育てるべく厳しく修行させた。

 だが、頼道に信念はない。あるのは権力欲のみ。厳馬はそう思い、事実そうでもあった。そして、そうした考えを隠そうともしない厳馬に、頼道もまた厳馬を激しく憎悪していた。
 叔父と甥…そんな近しい関係が、二人の憎悪に拍車をかける要因ともなっていたのである。

 だから、二人がお互いに掛ける言葉は、日常から全てに至るまで全て嫌悪にまみれていた。

 

 

「厳馬よ。よもや貴様、和麻を庇おうとしておるのではあるまいな? いや、むしろこれは全て貴様の企みなのだな? 和麻を勘当に見せかけ外に出し、邪悪な異国の術を学ばせて重悟と綾乃を抹殺、煉を宗主の座に就けることが目的だな? 他の者は騙せても、私は騙されんぞ!」

 

 頼道はまたもや勝手に話を自己展開させ、悪意に凝り固まった言葉を叩きつける。

 

「それは下衆の勘繰りというもの」

 

  それを平然と返す厳馬。一瞬、景太郎の名前はないのか? と思ったが、この男がアレの孫を認めるはずがないと考え、結局は何も言わない。だが、

 

「父上、いい加減になされよ!」

 

 重悟の方がこの暴言を聞き捨てする事が出来ず、強い叱責の声を上げた。

 

「先代はお疲れのご様子だ。自室に下がって頂け」

 

 襖のすぐ前に控えていた重悟の側近が静かに室内に入り、頼道の荷物のように両脇を抱えて運ばれる。

 

「待て、待たぬか重悟! 厳馬の事を信用してはならんぞ、儂の言うことを聞かねば後で後悔することになるぞ! 放せ、放さぬか! 儂を誰だと……………」

 

 最後まで金切り声を上げていたが、遠ざかるたびにその声も小さくなっていった。

 

「父の暴言、誠に申し訳ない。私の顔に免じて許して欲しい」

「いえ、先代も神凪一族を愛すればこその発言だったのでしょう。気になさることではありません」

 

 二人はそう言うとお互いに顔を見合わせ、「この話はここまで…」という、暗黙の了解で実際の打ち合わせに思考を切り替えた。

 頼道が居なくなり、この場には重悟と厳馬しかいない。本来なら分家の当主も居るべきなのだが、今回は居ない。重悟が解散を命じたのだ。全員が全員、犯人を和麻と判断した途端、安堵というか白け、素直に解散したのだ。
 一応、名目上は『宗家の判断待ち』ではあるが、遠からずこの事件が『和麻の捕縛、もしくは抹殺』という結末を迎えると信じていた。

 

 その時……

 

「景太郎、参りました」

「うむ、入れ」

 

 景太郎の声が襖越しに届き、重悟の了承に静かに入室する。

 まるで頼道が居なくなるのを見計らったかのようなタイミングだが、厳馬は何も言わない。自分が景太郎でも、間違いなくそうしていたからだ。

 

「さて……早速で悪いのだが、昨夜の事件に関してお前の見たことを話してもらいたい」

「はっ……」

 

 宗家の重鎮二人を前に、景太郎は臆することなく一礼して受け答えする。

 

「昨夜、氣の修練をしていた時の事です。帰宅している操さんの氣を感じていたのですが、門の前辺りで突如消え去ったのです。穏行をした様子でもなく、嫌な予感がしたため迎えに出たところ、あの現場に……」

「そうなのか。それで、犯人と戦ったのは操からの報告から聞いたが、相手の顔は見たのか?」

「いえ、フードを目深に被っていたため顔は見えませんでした」

「うむ、操も同じ事を言っていたが、お前でも確認できなかったか……」

「ただ、服の上からですが、あの体格からして男である可能性は高いと思われます」

「そうか……」

 

 顎に手を当ててどうしたものかと思案する重悟。期待していた景太郎からの情報は、操からの報告とさほど違いはなく、ますます和麻が犯人だと思われるものばかりだった。

 ただでさえ、頼道の扇動の元、一族内で『和麻抹殺』の声が上がっているのだ。この場に分家の者を召集しなかったことは正解だったといえた。

 

「景太郎、単刀直入に訪ねる。直に見て、直に戦ったお前から見て、件の犯人は和麻だと思うか?」

 

 手元にある情報が不足し明確な答えが出ない中、重悟は景太郎に問いかける。これが他の者なら問いかけはしない。景太郎だからこその問いだ。

 その問いに景太郎は……首を横に振って否定した。

 

「いえ、あれは人間の放てる妖気ではありません。むしろ、人型の妖魔の襲撃と考えるべきかと」

「和麻が強力な妖魔…例えば上級妖魔と契約したという可能性はないか?」

「その可能性は極低いと思います」

「ほう、なぜだ?」

「理由は二つ……一つは、昨夜の敵が高い理性があったこと。あれだけの妖気を放つ存在に成り果てたら、どのような人間であろうと魂が持ちません。一瞬でも正気を保てれば良い方でしょう。
 二つ目は、敵が和麻さんだと仮定して、あまりにも計画がずさんすぎることです。分家数人程度を殺したところで、和麻さんには損はあっても得は無く、こちらに警戒心を持たせるだけです。挑戦状代わりという考えもありますが…和麻さんなら、少なくとも四年前の時点でも、それほど考え無しではありません」

「そうだな。それには私も同意見だ」

 

 四年前の時点でもそこまで馬鹿ではなかった。と、頷く重悟。

 もし和麻なら、色々なところで矛盾があるのだ。もっともなのは昨日の退魔だ。復讐が目的であれば、自分の手の内を僅かに見せたのはもちろん、自分の存在が知られることを嫌うはず。
 逆に、無能と蔑まれた自分程度に神凪は警戒しない…現状のように…と、考えているかもしれないが、そこまで考えればきりがない。もっとも、重悟と景太郎は聞いた和麻の昨日の態度からその可能性は低いと推測してはいる。

 

「ですが、タイミングが良すぎることもまた事実。一度呼び出して話を問い質しておくべきでしょう」

 

 今まで黙って聞いていた厳馬が口を開く。発した言葉とは裏腹に、やや剣呑な声で。

 

「和麻は素直に来てくれるかな?」

「来なければ、力ずくで従わせればいいだけのこと。少々痛めつけて引きずってくればいいのです。少々力を付けたところで所詮は和麻。二、三人ほど向かわせれば、容易く捕らえられましょう」

「その様な野蛮なこと・・・・・をせずとも、こちらから出向けば良いではないですか」

 

 厳馬の言葉に異を唱える景太郎。それと同時に、重悟が疲れたような顔をして溜息を吐いた。

 案の定、景太郎と厳馬の間に剣呑な雰囲気が漂い出す。

 

「たかが和麻如きに会うだけのために、我ら宗家が動けと言うのか」

「厳馬殿、貴方が仰ったことでしょう。『和麻さんはもう神凪とは縁無き者』と。他人に対し用事があればこちらが出向くというのが筋でしょう。特に、神凪が行ったことを考えれば殊更に」

 

 厳馬の強烈な眼光を平然と受け流しつつ応える景太郎。売り言葉に買い言葉、言い争いが始まった。

 

「ならば言い直そう。たかが一介の風術師如きの為に、我ら神凪一族の宗家が平身低頭で会いに行けと言うのか」

「誰もそこまで言ってないでしょう。礼には礼で返したくなるのが人というもの。礼節を無くした者に誰が快く対応すると言うのですか」

 

お互い意見は平行線……決して交わることはない。

 

 

(どうしてこの二人はこうなのか……)

 

 やはり分家の者達を解散させて正解だったと心の底から思う重悟。

 この二人が会えば九割方こうなる為、分家の術者の中には二人が近づいただけで回れ右して逃げ出す者もいる。
 そして、逃げ出したくてもできない状況…こんな会議の場となると、緊張感と心労で倒れる者も出る始末だ。

 ちなみに、〈景太郎と厳馬〉は〈頼道と厳馬〉のようにお互いを嫌いあっているわけではない。二人の相容れない信念、性分がぶつかり合っているだけなのだ。

 

 一見、それだけをとれば利など無いように見えるが、もしそうなら宗主である重悟がほうっておくはずが無い。何らかの対処をとる。だが、本気でそれを行うことはない。いつも最後で…もしくは一線を越える前に止めるだけだ。

 それはなぜか……実は、二人の対立が影で良い効果を上げているからだ。

 二人が言い争う事で一番多いのは『風牙衆』の扱いだ。厳馬は神凪優勢を唱え、景太郎が風牙衆を擁護する。
 その結果、厳馬…ひいては宗家に分家の信望を集めることとなり、逆に景太郎には風牙衆の強い信頼と忠誠心が集まっている。
 良い例が兵衛の二番目の子供、陸渡だ。陸渡は景太郎の事を熱く信頼し尊敬している。下手をすれば身内である風牙衆よりも……

 宗家―――――そのトップの宗主を差し置いて下部組織『風牙衆』の信望を集めているのもなんだが、彼らを冷遇している一族のトップにそれをどうこう言う資格がないことは、当の重悟も理解している。

 無論、景太郎は解らないが、厳馬にそこまでの考えはない…と、重悟は思っている。自分の従兄弟は心底『神凪の体現』なのだ。それが当然と考え、それ以上の意図はない。

 

 

「ふん。アレに礼儀など必要無い。そもそもヤツは容疑者、下手に出る必要など無い」

「よくいますね、『容疑者』と『犯人』を間違えている人が。貴方もそうですか?」

「何だと!!」

「そもそも分家が『宗主、綾乃様がお帰りになりました』

「おお、そうか!」

 

 景太郎の言葉を遮る報告に、重悟は叱ることなく嬉々として返事をする。

 愛娘の帰宅の知らせに重悟の顔が緩む様子を、厳馬と景太郎が一様に冷めた目で見ていた。特に景太郎など、帰ってきたら即座に知らせろと命令してたな……と言わんばかりに。

 それはともかく、待つと言うほどの時間をかけることなく、綾乃が襖を勢いよく開いて現れた。

 

「ただいま帰りました、お父様! …………って、どうしたの?」

 

 勢い良く現れたのは良いが、場の重苦しい雰囲気に首を傾げる綾乃。その傾げた首に合わせて腰まで届く綺麗な黒髪が波打った。どうやら、未だに昨夜のことを聞いていないらしい。

 

 彼女は『神凪 綾乃』―――――重悟の愛娘にして、景太郎の義理の妹。炎雷覇の継承者にして次期宗主を約束されし人物。
 宗家の力を体現したような存在で、身に纏う霊氣は不浄な者を払い清め、太陽の如き霊威が邪なる者は触れるどころか、直視することもし難いであろう。

 

 綾乃の行動に勢いを殺がれたのか、厳馬と景太郎はとりあえず口を噤んだ。そして重悟も緩んでいた表情を引き締め、不作法に現れた綾乃を窘める。

 

「身内しか居らぬとはいえ、礼節を忘れるな」

 

 娘の前では誇れる父親でありたい。それが重悟の信念であった。

 

「失礼しました」

 

 綾乃も敬愛する父の軽い叱責にその場で正座をすると、礼儀に則り頭を下げて直ちに詫びた。

 

「解ればよい。で、報告を聞こうか」

「はい。世に解き放たれし妖魔、完全に滅殺いたしました」

「うむ、良くやった」

 

 神凪所属の退魔師としての報告に、褒めながら頷く重悟。思いっきり手順を省いた報告だが、綾乃も重悟も気にしない。気にするのは、他に被害を出していないかと心配する、景太郎を初めとした経理の者達だ。

 そんなことはつゆ知らず、綾乃は面を上げると無邪気に先程の質問を繰り返した。

 

 そして…………

 

「ふ〜ん、目と鼻の先で三人が殺され、一人は外傷がないものの精神的ダメージがあり…ね。それで、それに気がついたのは景太郎だけ。確かに一大事よね、色々と」

 

 遠縁とはいえ、身内が殺されたことを聞いても眉を潜める程度ですませる綾乃。裏に関わる術者としての心構えがそうさせているのか、それともさして親しくない者達だったからか……

 ちなみに、綾乃が一大事と言っているのは景太郎しか気が付かなかったことだ。屋敷の警備の者が誰一人として気が付かず、やや奥にある宗家の屋敷にいた景太郎のみが気が付いた。警備体制の甘さを指摘させられる出来事だ。
 もっとも、偉そうなことを言っている綾乃だが、彼女も家に居たとすれば気が付けたのか? と問われれば、出来ないとしか言えない。なにせ、武術の達人で気配に聡い厳馬ですら気が付かなかったのだから。

 

「それで、景太郎。犯人は倒したの?」

 

 義理の兄に向かって問いかける綾乃。どう考えても兄に対する口振りではないが、重悟が口を出さない事から、これが常なのだろう。

 当の景太郎も気にした様子もなく、綾乃の問いかけに首を横に振った。

 

「いえ、一瞬気が逸れた隙に逃走されました」

「なにそれ、戦ってすらもないわけ?」

「二、三手ほど戦いました。氣を乗せた打撃を当てましたけど、平然としていました」

「ふ〜ん…まぁ、『氣』云々は大したもんでもないし、どうでもいいけど…景太郎からまんまと逃げたのよね。風使いだからって事もあるでしょうけど、そこそこの実力者みたいね」

 

 犯人の逃走を許した景太郎を別段責める訳でもなく、綾乃は犯人の実力の程を思案し始める。

 景太郎の退魔依頼達成率は『99,9%』 残る0,1%は景太郎が駆け出しだった頃のものなので、一人前となってからは実質『100%』といえる。無論、実力に裏打ちされた数字だ。難易度もピンキリで、依頼で海外に大物妖魔を狩りに行ったこともあった。

 そのような経歴もあり、敬愛する父からの信頼と信任の厚い景太郎を、綾乃は分家の連中と違いちゃんと認めていた。

 

「それで、もう犯人は見つかったんでしょう?」

「いや、まだだ。どこの誰かすら判明してはおらん」

「まだ!? 結構時間が経っているのにまだ?!」

「ああ。だが、疑わしいのが一人いる……………和麻だ」

「誰それ?」

 

 重々しく言った重悟の言葉に、綾乃は間髪入れず返す。あまりにも身も蓋もない返事に、重悟はこめかみを押さえる。

 

再従兄はとこの名前ぐらい憶えておけ。『継承の儀』で最後まで炎雷覇を賭けて争った相手だろうが」

再従兄はとこって……もしかして、四年前に“家出”した和麻さんだっけ? それより、あれってそもそも争ったっていうの?」

 

 歯に布を着せない綾乃の言葉に、重悟は厳馬の表情を盗み見る。しかし厳馬の表情は何の感情の揺らぎも見られない。内心はどうだか判らないが……

 ちなみに、和麻は“家出”したのではない。家を“追放”されたのだ。実の親の手によって。

 

「確か…どっかの外国に行ったって聞いたけど、そこで風術師になって帰ってきたってこと?」

「そのようだ。名はそのままだが姓を『八神』と変え、殺された慎治とつい先日、退魔の現場でぶつかり合ったらしい。話を聞いたところ、手も足も出ずに負けたと言うことだ。この四年間で相当努力したようだな」

「そっか、和麻さんか……確かに、不自然はないわよね。あたし達の事、恨んでるでしょうし」

 

 ようやく思い出してきたのか、綾乃は遠い目をして昔の記憶を思いだし、眉を潜めた。敬愛する父が炎術の修行などで景太郎になにかと構っていた不快な記憶まで思い出して。

 

「だからといって、おとなしく殺されてやるわけにはいかん。万が一、和麻が行ったというのであれば、あ奴の命を以て贖わせる」

「万が一……ね」

 

 綾乃はちらりと厳馬を向け、それを厳馬は眉一つ動かすことなく受け止めた。和麻を追い出した張本人と、その原因となった者が視線を交わす。ある意味、今回の一件の関係者、要因とも言える二人だ、何か含むところもあるだろう。

 しかし、先に目を逸らしたのは綾乃だった。術者云々と言うより、人生経験で圧倒的に負けているのだ。正直、腹のさぐり合い…もしくは気迫で綾乃が厳馬に勝てるはずもない。

 重悟も、そんな二人の様子をやれやれと言わんばかりで見ていた。

 ゆえに、気が付かなかった。自分の発言に景太郎の気配が一瞬揺らいだことに。その揺らぎが、動揺などで弱くなるのではなく、怒気による一瞬の跳ね上がりだったことに……

 

 

「どうします、早速討ちますか?」

「和麻はあくまで容疑者、犯人と断定したわけではない。まず、会って話をしてみる。判断はそれからだ」

 

 淡々と物騒なことを言う娘に、重悟は危険なものを感じた。

 炎雷覇という圧倒的な法具チカラを幼き頃に受け継いだ所為か、それとも強い力を得た人間の性か、綾乃は何事も力ずくで解決しようとする傾向があった。
 現・当主としては、綾乃に次期宗主としての自覚を持ち、高い視点で物事を見極め、必要に応じた柔軟な思考をして欲しいと、常々思っていた。

 そして父としては、義兄である景太郎を少しは見習って欲しかった。今現在、炎術はともかくその他において景太郎は綾乃を圧倒している。
 二人が実の兄妹なら綾乃ももう少し景太郎を敬い、見習い、手本としただろうか。景太郎も、綾乃を一歩も二歩も引いた状態ではなく、教え導いてくれたのではないか……と。

 景太郎が実の息子であれば……重悟は、景太郎を引き取ってから数え切れないほどそう思っていた。

 

「……綾乃」

「はい、何でしょう」

「お前が炎雷覇を受け継いだのは、神凪の使命を受け継ぐのと同義。全てを力でねじ伏せて良いという免罪符などではない。強力な力を持つ者は相応の自覚と責任を持たなければならぬ。それが出来ぬ内は軽々と力を振るうな。そしてそのようなことを口にするな。良いな」

「…………はい」

 

 重悟の言葉に、綾乃は畳に両手をついて平伏する。しかし、態度はともかくその声音からありありと不満が伝わった。

 

「解ったのであればよい。お前は一仕事終えたばかりだ、今日は下がって休みなさい」

「………わかりました」

 

 綾乃は作法通り一礼すると静かに襖を開閉し、部屋を辞した。その際に重悟と目を合わせない辺り、彼女の不満が如実に表れていた。

 

「我が侭娘が……」

 

 溜息混じりに呟く重悟。しかし、苦しげな口調をもってしても、娘への溢れんばかりの愛情は隠し切れるものではなかった。

 

 

 

 


 

 

 

「では、お兄さまが和麻様をお迎えに参ることになったのですか?」

「ああ、そう言うことになった」(正確には、捕まえに行く…だがな)

 

 自室にて、布団で横になっている操の問いに、兄である武哉たけやが苦笑混じりに頷いた。

 昨夜の事件の被害者である操は、外傷こそ無いものの精神的に衰弱していることを理由に自室で静養中であった。そこを、操の実兄である『大神 武哉』が見舞いがてらにこれから行う仕事の話をしていたのである。
 本来なら守秘義務云々があるが、そこまで深刻な仕事でもないし、操は関係者の一人であるのでかまわない……と、武哉が話をしたのだ。

 

「しかし、本当にその方が犯人なのでしょうか。あれほどの妖気を放つ人間が、この世に存在するとは思えません。いえ、人の身では無理だと思います」

「それを確かめる為に、和麻を連れに行くのさ」

 

 操には荒事を知られたくはない。武哉はそう考え、言葉を慎重に選びつつ話した。宗主の考えはともかく、神凪では『和麻抹殺』の意志がもっとも高い。おそらく反対の者はほんの数名足らずだろう。

 

「そんなことより、怪我がなかったとはいえ、かなり衰弱しているんだ。今はゆっくりと静養して体調を戻せ」

「はい、十分に解っております。せっかく景太郎様に助けて頂いたのです。それを無にするような行為だけはいたしません」

 

 そう言う操が微笑むと同時に、頬が微かに朱く染まる。

 それを見た武哉はと言うと、意地の悪い顔になって『にやっ』と笑う。

 

「景太郎様…か。本当にお前はあいつに“ぞっこん”なんだな」

「な、何を仰っているのですか、お兄さま!?」

 

 頬の朱が瞬く間に顔全体に広がる。そんな操に、武哉が今度は愉快そうに笑い始めた。

 

「はははは、そんな顔をして隠しているつもりか。そもそも、普段からあんな態度なのに、俺達家族にばれていないとでも思っていたのか?」

 

 武哉の言葉に操の表情が凍りつく。ただし、顔は真っ赤に染まったままだ。そしていくらか時が過ぎ…操はおずおずと兄に問いかけた。

 

「お、お兄さま……もしかして、武志はお父様達もですか?」

「親父はどうかは知らん。何も言わないから知らないんだろうが、あんなのはどうでもいい。が、叔父貴は気付いているだろうな、もちろん、武志もな」

 

 兄どころか弟まで自分の気持ちを知っていることに、操は掛け布団を引き寄せて己の顔を隠した。

 あまり顔を合わせない叔父はともかく、普段から接している兄弟が揃って自分の気持ちを知りつつ知らん顔をしていたのだ。恥ずかしさもひとしお……更に言えば、性質たちが悪いことこの上なかった。

 

「クックックッ、そう恥ずかしがるな。俺は賛成だぞ、お前があの男と一緒になるのはな。まぁ武志の方は『俺の姉さんが〜』とか言っていじけてたけどな」

 

 その時の顔でも思い出したのだろう、武哉は口元を抑えて笑いを堪えた。

 

「まぁなんだ、あいつもそろそろ姉離れしなくちゃならんだろうしな。お前が輿入れすることが丁度良い切欠になるかもしれん」

「お、お兄さま!!」

 

 なにやら真剣に考えだした武哉に、布団からようやく顔を出した操が鋭く声を飛ばした。

 

 武哉自身、可愛い妹が恋愛結婚をして幸せになってくれることを純粋に願っている。宗家はともかく、分家は血が薄まることを嫌い、同じ分家から“嫁”ないし“婿”を貰うのが半ば『暗黙の了解』となっている節がある。そんな中でも、やはり好きになった者と一緒になって幸せになって欲しいと願うのが家族の愛だった。

 しかし、その反面で宗家に匹敵する実力を持つ景太郎と結ばれることにより、自分の身内が宗家の一員に加わる利点は大いに魅力的だった。
 さらには、操と景太郎の間に産まれた子供。その子供はかなりの可能性で高い炎術の才を持っているだろう。その子供と自分の子供が一緒になれば、大神家の力は他の分家よりも遙かに宗家に近しい立場に立てるだろう。

 無論、宗家の法則…宗家の者が他に嫁いだ場合、二代目、三代目になると炎が分家と変わらなくなる…の懸念もあるが、景太郎の血が持つ力『破魔の秘力』は確実に受け継がれるだろう。
 その場合、炎の色は確実に『白銀ぎん』になるだろうが、武哉にはまったく問題はない。神凪の浄化の秘力こそ最高であると思っている父『大神 雅之まさゆき』などは烈火の如く怒り狂うであろうが、そんなものクソ食らえだ。

 分家が『黄金きんの炎』を失ってから久しい今、薄まるに薄まって殆ど無いに等しい浄化の力に固執するよりも、魔に対しては『浄化』以上に威力を発揮する『破魔』の力を得た方がよっぽど得。
 今は、景太郎が余所者だからその力から目を背けているが、身内が破魔の炎を使い成果を上げれば、否が応でも直視せざるをえないだろう。リスクはそれなりにあるが、それから得られるモノはそれ以上に見合うものとなる…と、武哉は確信していた。

 そう言う点においては、武哉は昔からの伝統や格式に拘わり縛られぬ、現実主義者といえた。

 

 

「ははは、俺もそうだが、なんだかんだ言っても武志もお前のことを応援している。それだけは忘れないでくれ。それじゃ、そろそろ行ってくる。あまり待たせ過ぎると、伸吾の奴が怒るからな」

「行ってらっしゃいませ、お兄さま。それと、くれぐれもお気をつけください。昨夜のあの者は私達分家など相手にもならないほどの力の持ち主でした……どうか……」

「解っている、大丈夫だ。俺と伸吾が組めば宗家の次ぐらいに強いんだ、心配することはない」

「お兄さま、本当に危険なのです! お兄さま!!」

 

 操を安堵させるべく笑いながら出ていった武哉に、操は注意すべく呼び止めたが、武哉が戻ってくることはなかった。

 昨夜の後遺症でろくに体も動かせぬ操に出来ることは、兄の身に何も起こらないことを祈るだけしかなかった。

 

 

 

 

 

「遅いぞ武哉!」

「すまんすまん」

 

 大神家の屋敷前―――――やっと姿を現した武哉に、和麻の元に向かう為の相方『慎吾』が怒鳴り散らす。

 彼の名は『結城 慎吾』―――――姓から解るだろうが、先日の一件によって殺された『結城 慎治』の兄だ。今回、武哉はこの慎吾と組んで和麻を宗主の元へ連れて行く任を、厳馬直々に命じられたのであった。

 この二人は、現在の神凪分家の中で特に強い力を持つ術者である。性格は正反対だがその割には相性が良く、二人が組めば宗家以外に敵はない…とまで言われているほどの手練。分家の若手現役のツートップで、分家全体の順位でも同率二位と言ったところだ。

 

 厳馬からすれば、手持ちの手札から動かせる最強の手札を二枚出したのだろう。だが、これは明らかにミスだった。弟を殺された慎吾は、犯人(本当は容疑者)である和麻を連れてくる気など毛頭なかったのだ。

 本当なら、景太郎を向かわせれば問題はかなり無くなるのだが、景太郎も宗家の一員、奴のために動かすことはないと厳馬が強く申し出て、宗主がそれを押し切られる形で了解してしまったのだ。それ故に、反論しようとしていた景太郎は、口を噤む以外に出来ることは無かった。

 

 

「和麻の野郎、ぶち殺してやる!!」

「おいおい、殺しちゃ拙いだろうが。厳馬様の命令は『和麻を連れてこい』なんだから」

 

 早くも理性を失いかけている慎吾を見て、武哉は半ばウンザリした様子で溜息を吐いた。

 弟が殺されたことによって怒り狂う。それは弟や妹を持つ身である武哉にも理解できる。だが、それとこれとは話が別だ。神凪の術者として宗家である厳馬に任務として命令された以上、私情は切り離して事に当たらなければならないのだ。

 だがしかし―――――

 

「うるせえ! 何で慎治を殺した奴をいちいち此処に連れてくる必要があるんだ! 呼び出して確認する必要はねぇ、絶対に俺の炎でぶっ殺してやる!」

 

 もはや、人の話など聞いていない慎吾を、武哉はどうしたものかと頭を掻きながら思案する。そんな時―――――

 

「それはいけませんね。事の真偽がはっきりしない内からそんなことでは……」

 

 宗家の屋敷がある方から歩み寄る景太郎が二人に…特に慎吾に向かって静かな声をかけた。

 

手前てめぇか……」

 

 頭に血が上っていても景太郎の声が聞こえたようだ。慎吾はドスの利いた声で、穏やかな顔ですぐ前まで近づいた景太郎を睨み付けた。

 

「厳馬殿のめいは『和麻を宗主と私の前まで連れてこい』のはずですが?」

「ああ、それに加えて『従わぬ場合は少々痛めつけてでも強引に引きずってこい』だけどな」

 

 景太郎の言葉に補足するように返答する武哉。その言葉に目を細めつつ、肯定するように頷いた。

 

「確かに厳馬殿はそう言いました。ですが、宗主は出来る限り穏便に……と言ったはず。その意向を無視した行動をとるというのは、些か暴挙というものでは?」

 

 先の言葉を肯定しつつ、宗主の言葉こそ絶対…遠回しに和麻と敵対行動をとるまねをするな…と言っている景太郎に、慎吾は地面に唾を吐き捨てながら更に睨み付ける。

 

「けっ…余所者なんぞに説教される謂われはねぇ。宗家に命令でも、納得できねぇもんはできねぇんだよ!」

 

 慎吾の言葉に肝を冷やす武哉。確かに景太郎は余所者…宗家どころか神凪の血族者ですらない。だが、それでも景太郎は宗家の一員であることは事実で、さらには宗主の『懐刀ふところがたな』と呼ばれている存在。
 そんな景太郎に向かって言って良い言葉ではない。

 

 だが、景太郎にとってそんな事は昔から言われ続けたこと。今更睨み付けガンつけられながら言われたからといって気にするほどのことでもなく、穏やかな顔を崩さず聞き流す。
 それを勘違いしたのか、調子に乗った慎吾は厭らしい笑みを浮かべる。

 

「あんまりガタガタ言うようなら、和麻の前にまず手前てめぇから「馬鹿ッ!!」

 

 顔を真っ青にした武哉が慌てて慎吾の言葉を遮る。だが、そんな事をしなくとも、慎吾の言葉はそこで止まっていた。

 

「どうかしましたか? 話を続けてください」

「いや……なんでも……ない」

 

 あくまで穏やかな表情のままの景太郎の催促に、慎吾は武哉と同じく顔を青くしながら目を逸らす。

 表情を変えないまま放つ景太郎の冷たい威圧感に呑み込まれたのだ。直接向けられてはない、その隣にいるだけの武哉でさえ、瞬きすることすら恐れ、腰が引けていた。瞬きすれば…その間に殺されるかもしれない。そんな恐怖を二人とも感じているのだ。

 

「言いたいことは最後まで言ってください。後味が悪いでしょう?」

「す、すまない。こいつは弟を殺されて気が立っていたんだ。宗家の命令に背く気なんか欠片もない。なっ?」

「あ、ああ……」

 

 武哉の必至のフォローに、意気消沈した慎吾がどもりながら言葉少なく同意する。それを聞いた景太郎は威圧をやめると、武哉に視線を向けた。

 

「武哉さん。操さんのお見舞いに来たのですけど…かまいませんか?」

「あ、ああ……自室で休んでいる。きっと喜ぶはずだ、行ってやってくれ」

「ええ、ありがとうございます」

 

 二人の背後にある大神の屋敷―――――その玄関に向かう景太郎。そのすれ違い様……

 

「宗家はともかく、宗主の機嫌だけは損ねない方がいいですよ」

 

 二人にそう言い残し、屋敷の中に入っていった。

 

 

「………慎吾、行こうぜ」

「ああ」

 

 暫し佇んでいた後、最初に我に戻った武哉が慎吾に声をかける。慎吾はそれに頷くと、ようやく身体を動かし始めた。

 昨夜の事件の容疑者である『八神 和麻』の捕獲に向かって………

 

 

 


 

 

「操さん、景太郎ですが……今、大丈夫ですか?」

「え!? しょ、少々お待ちください」

 

 襖越しに聞こえた声に、操は慌てて身だしなみを整える。大して乱れているほどではなかったが…そこはそれ、好きな男性の前では、というやつだ。

 

「………どうぞ、お入りください」

「では、失礼します」

 

 操の了承を得て、景太郎は静かに襖を開閉して部屋に入った。

 

「体の調子は大丈夫ですか? 気分も悪くはないですか?」

 

 部屋に入るなり、操の顔を見ながら問いかける景太郎。まるで医者か何かのようだが、これが景太郎なりの心配だと知っている操は嬉しそうな顔になる。

 これが他の分家の者なら、見舞いどころか心配すらしないことを知っているので、その喜びはひとしおだった。

 

「はい、おかげさまで外傷もありませんし、体内に妖気も残っていませんので、後少しばかり静養すれば大丈夫だそうです」

「それは良かった」

 

 その言葉と共に穏やかに微笑む景太郎。

 それを見て身も心も温かくなる操。今の操にとって、景太郎の言葉と笑みが何よりの良薬のようだ。

 

「そういえば……景太郎様。これをお返しします」

 

 操は枕元に置いてあった一本のボールペンを手に取ると、景太郎に差し出す。それは昨夜、景太郎の手の内で一枚の毛布へと変じたペンであった。

 

「毛布を脱いだ後、このような形になってしまったのですが……」

「気にしないでください、それで正常なんです。これはこの形が基本ベースになっているんです」

 

 景太郎が差し出されたボールペンを受け取りつつにこやかにそう言うと、操は驚きに目を白黒させながら問い返した。

 

基本ベース……ですか?」

「ええ。そういえば、操さんは見たことが無いんでしたね」

 

 微苦笑を浮かべる景太郎。コレの事は風牙衆を除いて神凪内では誰も…養父である宗主ですら知らず、操が一番最初に知った人物であったりする。

 神凪にとって炎術こそ最高で至高の呪法具。一部の例外(炎雷覇などの武具)を除き、安易に呪法具や他の術に頼るのは弱者の証明…と言うのは言い過ぎだが、嫌煙され、悪目立ちするため景太郎は色々と黙っているのだ。

 

「これは『心繰器』といって、持ち主のイメージと霊氣を汲み取り、変幻自在に形を変える魔導具なんです」

「そうなのですか……そのようなもの、聞いたこともありませんでした。景太郎様は珍しい物を持っていらっしゃるのですね」

 

 納得したように頷く操。普通なら入手方法とか聞くのだろうが、そう言った事を景太郎はあまり語りたがらないことを理解しているので、深く訊くことはない。

 

「色々と便利なんで重宝しています。昨日も役に立ちましたし」

「そ、そうですわね」

 

 心繰器が役に立った場面……つまり、毛布に変えて自分に掛けてくれた時の事を思い出して顔を真っ赤にする操。あの時、自分は襲撃犯の手により裸になっていたのだ。
 景太郎に裸を見られて恥ずかしい気持ちと、景太郎以外に見られていない安堵の気持ちが混ざり合い、何とも言えない気持ちだった。

 

 そして……あの時から言えなかった言葉を思い出し、景太郎に深々と頭を下げた。

 

「景太郎様。御礼が遅れて申し訳御座いません。助けて頂いた事、誠にありがとうございます」

「本当に気にしないでください。結局のところ、犯人は逃がしてしまったのですから」

 

 改まった操の丁寧な態度に、景太郎は苦笑してそう応える。

 

「ところで操さん。昨日の襲撃犯ですが……あれは人間だと思いますか?」

 

 話を切り替え、昨日の事を問いかける景太郎。操にとっては辛い出来事かも知れないが、操の意見を是非とも聞いておきたかったのだ。

 ある意味、自分よりも長く相対していた操の意見を。

 真剣な顔で質問する景太郎に、操も表情を改め、昨夜の事を……辱めを受けた恐怖を抑えつけつつ、思い返す。

 

「正直、わかりません。あの妖気の強さは、もはや人が人でいられる域を遙かに超えていました」

「ええ、それは俺も感じました」

「ですが、あの行動には明確な意志を感じました。それから推測すると、上位の妖魔と契約を交わしたか……『夜の眷属』である可能性もある……と、思います」

「そうですね」

 

 前者は、上位の妖魔と契約し、その力の一部ないしその眷属を授かって仮初めの力を得るという方法。後者は、吸血鬼ヴァンパイア等に代表される『夜魔の一族』に魔術などを使い転生する方法。

 共に人を超えた力を容易に手に入れることができる。代償として、人を捨てなければならないのも共通だが……

 

「兄から聞きました。四年前に出て行かれた和麻様が容疑者と……」

「神凪では犯人だと思われているようです」

「私は、襲撃者の素顔を見たわけでもありませんし、今の和麻様と会っていませんから判断がつきませんが……景太郎様は『違う』と思われているようですね」

「………よくわかりましたね」

「なんとなくですけど……わかったんです」

 

 ちょっと頬を赤く染めつつそう応える操。
 いつも見ているから、些細な反応でなんとなく解る…とでも言えば、二人の関係は変わっているのだろうが、生憎と奥ゆかしすぎる操には言えない言葉であった。

 

「この際ですから、操さんにだけは話しておこうと思うんですが……」

「何でしょうか?」

 

 操さんにだけ……そう言うからには、おそらく宗主にすら話していないのだろう。そんな事を自分にだけ教えると言う景太郎に対する喜びと、宗主に対する申し訳なさを感じつつ、操はしかと耳を傾ける。

 

「今から告げることは、決して公にしないでください。おそらく……いえ、絶対に色々と問題が起こりますから」

「解りました。教えて頂いた事は、全て私の胸の内に秘めることを御約束いたします」

「ありがとうございます。実は、和麻さんは――――――――――」

 

「それはまことなのですか!?!」

「高い確率で……ほぼ間違いないでしょう」

 

 景太郎からもたらされた情報に、操は絶句してしまう……それが本当なら、事態は大変なことになりかねない。もしも兄が和麻に喧嘩を売るような事をすれば……そら恐ろしいことだと言わざるをえない。

 

「今回の件……一筋縄には終わらないかも知れませんね」

 

 その景太郎の呟きに、操は不安を感じることを禁じ得なかった。

 

 

 

―――――第五幕に続く―――――

 

 

【あとがき】

 

 どうも、ケインです。風の聖痕編・第四幕でした。

 何というか、幕間というか…事後処理編と次回への布石みたいになってしまいましたね。前半は神凪の動向…そして、後半は操たち家族の動向(?)みたいに。

 前半はともかく、後半は本編には書かれていないところに焦点を当ててみました。といっても、もし操がいなければ書いてなかった可能性は高いでしょうけど。

 

 さて…次回は、後半部分で出た慎吾と武哉の動向と、綾乃の退魔編です。風の聖痕キャラが焦点ですから、景太郎の出番はないでしょう。彼は裏でいろいろと動くキャラですから……

 

 では、次回―――――『巫女姫』―――――よろしければ読んでやってください。ケインでした。

 

 

 

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