〈白夜の降魔・風の聖痕編〉
第一部・風の聖痕
第三幕 『惨劇』
「うわぁぁぁぁぁぁっ! な、なんだ、なんなんだお前はぁぁぁッ!?!」
深夜―――――神凪本邸前にて、慎治は混乱したように絶叫していた。その慎治の周りには二つの生首と、かつてそれと繋がっていた胴体が転がっている。そして眼前には黒い何かがいた。
黒い何か…慎治はいくら目を凝らそうと、ソレが纏う濃い妖気の所為ではっきりと視認することができない。かろうじて人のような形をしているのは判ったが、その者が身に纏う妖気は到底“人”という存在が持ちうるものではなかった。
普通なら、慎治の絶叫が響いて何人かの控えている者が駆けつけるのだが、その様子はまるでない。
それもそうだろう、慎治は気が付きもしかったが、彼の存在は現れると同時に神凪本邸前を中心に結界を張り、外と内を隔絶していたのだ。
そしてアレは、慎治と門番の計三人を結界に取り込んだ後、如何なる方法か慎治以外の二人の首を一瞬に斬り飛ばしたのだ。門番二人と話をしていた慎治は、二人の首が冗談のように勢いよく飛んだ瞬間を目撃した……否、目撃させられた。
そう、目撃させられたのだ。この三人の中で慎治だけが生き残ったのは、他の二人よりも何かが優れていたわけでも、立っていた位置に違いもない。さりとて、偶然というわけではない……つまり、故意だ。
この人型の悪魔は、慎治が感じた恐怖と絶望を喰らい、楽しんでいるのだ。じわじわと、不可視の刃がその身を少しずつ削り取られている肉体的、追いつめられている精神的の二重の恐怖に。
「何なんだよ! 俺が一体何をしたって言うんだよ!!」
慎治が叫ぶように問いかけるが、黒い悪魔は何も答えない。それどころか、慎治に向かって足音一つたてずに歩み寄ってくる。
いや、その表現は些か不適切だ。この悪魔は現れた瞬間から、何一つとして音を立てていない。物音一つ立てずに不可視の刃を放ち、二人の首を刎ねた時でさえ無音だった。
現に転がっている二人の首が浮かべる表情は、自分が死んだことにすら気が付かず、門番という立場を忘れて酒を飲み、酔いに身を委ねて緩みきった笑みを浮かべていた。
それをどうやって行ったのか…慎治は意外にもその正体に気が付いていた。それは風の刃…下部組織である風牙衆が使う風術の一つ。身近な存在ゆえに、慎治は気が付くことができた。同時に、風牙衆にはそんな真似ができるほど力が強くないことも理解している。
しかし、慎治はそれができる人物を知っていた。それもつい数時間前にあったばかり。更に言えば、その人物には自分達を殺す動機があった。
「か、和麻か? 和麻なんだろ? 許してくれ、俺が悪かった。この通り、反省しているから許してくれよ、なっ?」
恐怖のあまり、完全に裏返った声で眼前の和麻と思っている悪魔に許しを乞う慎治。それに対しての悪魔の返答は―――――風刃の一閃だった。高密度の風で構成された刃は肉と骨を豆腐のように斬り裂き、慎治の右腕を付け根から切断した。
「うわぁぁぁああああああっ!」
あまりの鋭さに痛みは無い。だが、間欠泉のように吹き出る血に、慎治は死にたくない一心で炎術を起動させる。
その炎の色は『黄金』―――――いつもの赤い炎ではなく、最高位の浄化の炎『黄金の炎』だ。慎治の生存本能が『死』を前にして、二十五年の人生で最高の力を発揮させたのだろう。
だが当の慎治はその事に気が付く余裕すら無く、ただ無我夢中に炎を彼の存在にぶつけた。
「は、はは……や、やった、やったぞ!」
巨大な黄金の松明となる黒き悪魔。その光が周囲の暗闇を払拭し、明るく照らす。
慎治は勝利を確信して笑みを浮かべる―――――が、悪魔が動き出したのを見て、その笑みもすぐに引きつった。その悪魔は手を持ち上げると胸の辺りを鷲掴み、衣服を剥ぎ取るかのように腕を振るった。
しかし、正確には剥ぎ取られたのではなく引き剥がした……モノは衣服などではなく『黄金の炎』だ。引き剥がされた黄金の炎は散り散りとなり消え去った。そして炎の中から現れた悪魔は、ある意味予想通り無傷だった。身体はおろか服にさえ焦げ後一つ付いていない。せいぜいできたのは身に纏う妖気を払拭し、黙認できるようにしたことぐらいだ。
だが、今はその事が逆に慎治を追いつめる。渾身の炎を放ったのに傷一つ付いていないという事実を目の当たりにさせられたのだから。
「そ、そんな……そんな馬鹿なことがあって堪るかーーーーーっ!!」
遙か昔に分家から失われし『浄化の黄金』を発現させた炎…これで宗家にも匹敵すると勘違いした自分の炎を容易く打ち破られたのを直視し、慎治は体中の傷の痛みを……失った右腕のことすら忘れ、後数歩の所まで迫った悪魔に残った左手で殴りかかった。
浴びせかけて無駄なら直接―――――という単純な発想だろう。
才能が開花したのか、それとも蝋燭の消える間際なのか、再度黄金の炎を発現させた慎治はその全てを左腕の拳の一点に収束し、悪魔の顔面に向かって殴りつける。
―――――はずだったが、悪魔はその拳を事も無げに右手で受け止めた。そしてそのまま拳を掴み、自らの腕を捻る。この悪魔からすればただ単純に相手の拳を捻っただけかもしれない。だが、その考えに人間を遙かに超えた力が加わると……
グジュッ! ブチィッ!!
やたら瑞々しい音を立てながら、慎治の腕がねじ切られた。その一拍後―――――
「ぐぎぃやああぁぁあああっ!!」
激痛に慎治が絶叫を上げながら地面に倒れる。関節を力ずくに破壊され、肉を潰され引き千切られた激痛に耐えられる者などいない。
対し、悪魔は慎治からもぎ取ったソレを見た後、ゴミを捨てるかのように後方に放り投げた。そして、そのまま足下でつつかれた芋虫のように地面の上をのたうち回っている慎治を見下す。
しかし、それもつかの間の事……突如、慎治は動きを止めると、
「ひ、ひひ…ひひひひひひひっ、きゃははははあははあはははは!!」
虚空を見ながら奇妙な声で笑い出した。あまりの恐怖と痛みに、精神の均衡が崩れたのだ。
悪魔はそんな慎治を見て嬲る気すら失せたのか、右の掌を慎治に向けた―――――その時、何を思ったのか悪魔は後方に向かって音もなく跳ぶ。
その瞬間、門とは反対側から走った一条の赤い閃光が、先程まで悪魔が居た空間のど真ん中を通り過ぎた。
「…………」
悪魔はゆっくりと閃光が飛んできた方向に視線を向ける。
そこには着物姿の二十歳前後の娘がいた。その娘は自分の周囲に、直系十p程の赤い光球を十数個ほど漂わせながら、鋭い視線を悪魔に向け、凛然と悪魔に言い放つ。
「そこまでです、狼藉者の妖魔よ! 神凪の門前にての此の所行、まったくもって許し難し。よって、汝に断罪の炎を下す!」
時は少し遡り―――――神凪門前に惨状が出来上がるより数分前。
あの場よりも離れた所に、着物を見事に着こなした二十歳前後の女性が、少し早歩きになりながら帰路を急いでいた。
彼女の名は『大神 操』 神凪分家の一つ『大神家』の三人兄妹の長女。彼女は所用で出掛けており、予想外に長引いてしまって帰りがこのような時間帯になってしまったのだ。
「すぐに戻る予定でしたのに…すっかり遅くなりすぎましたね」
誰にともなく呟く操。当然、暗い夜道に一人歩く彼女のその呟きに応える者はいない。
暗い夜道の女性の一人歩きはとても危険なのは古今東西の共通。最近では女子供関係無しだが……しかし、最強の炎術師として名を馳せる神凪一族の術者である操がその程度で怯えることはない。
しかし、操も炎術師である前に一人の女性。深夜の暗闇は決して気分の良いものではない。
そんな時、操は気分を紛らわせるためにいつも“あること”に想いをはせる。
(あの方は…今頃、夢の中なのでしょうか……)
心の中に一人の青年を思い浮かべながら操は微笑を浮かべる。端から見ればおかしな行動に見られるだろう。が、今は深夜…気にとめる者は誰一人いない。
(もしかして、私が帰ってくるのを寝ずに待っていたりして……流石にそれはないですわね)
操は思い浮かべた想像を即座にかき消す。自分とその青年は一族内では親しい部類だが、そこまで極親しいわけではないことは、誰よりも自分が解っているからだ。
それでも、微かに期待を残している辺りが恋する乙女の可愛いところか。
(こんな事では駄目ですね…もっと自分を強くもたないと。あの方のように……景太郎様のように)
心に浮かべた青年の名を呼び、頬を仄かに赤く染める操。
彼女の中での景太郎は、常に凛と佇み、強靱なる意志で清澄なる白銀の炎を精妙な技術で操る。絶対である宗家に連なる完璧な存在。
(お父様や他の方々は景太郎様を余所者と蔑むけれど、私にとっては景太郎様は『神凪』の名に相応しき御方。
炎術のみにならず、様々な術方に優れ、氣功を交えた武術においては厳馬様すら凌駕する。それほどの御方をなぜにお父様は理解してくださらないのかしら……)
まるで自慢するように景太郎を讃美しながら、父達の頑ななまでの評価を非難する。
操自身、何時から景太郎のことをここまで強く意識しだしたのか良く覚えていない。だが、そのきっかけは鮮烈に記憶に残っている。
幼き頃…なぜか同じ分家の子供の一人が自分に向かって凄い形相で炎を放った。本当になぜそんな状況になったのか、まるで記憶にはない。ただ憶えているのは自分がそこから引けない何らかの理由があったということだけ。
その炎はそのまま自分に当たる―――――直前、景太郎が間に割り込んで自分を助けた。庭にある池の水が壁となって炎を防いだのだ。
分家の子供は自分の炎が水術(に見えた気功術)に防がれたのが感に触ったのか、その場の全員に命令し、一斉に景太郎一人にめがけて炎術を仕掛けてきた。
だが、今度は景太郎はその炎全てを己の支配下に置き、周囲の精霊すら取り上げて分家の炎術を完全に封じてしまった。
その時、操は初めて見たのだ。景太郎の制御下に置かれた炎が、世にも美しい…宗家の黄金に勝るとも劣らない白銀の色へと変じる様を。幼い操には、芋虫が蝶に変わるぐらいの変化に感じた。
分家の子供達は炎術を同じ炎術で…より強い力に封じられたことに恐怖し、蜘蛛の子を散らしたようにその場から逃げ去った。
後に操が景太郎に訊いたところ、最初の水術もどきは『氣』の属性変換…水氣を使って水と呼応し、防御壁を張ったらしい。神凪といえど未熟な分家の子供…ろくな制御もされていない炎だったからこそ防げたらしい。
これがもし本気であれば、なんの霊器(増幅器)も使わず、池の水を使ったとしても素手の水氣で防げるほど甘くはない。相反する言い方ながら、子供でもさすがは神凪。
だからこそ、後の大量の炎を氣功術ではなく、同じ炎術で対処した……という事らしい。
そうは言っても、その時炎を放ったのは十代半ばの者。かなり炎は強かったはず。それを氣功術で咄嗟に防いだ景太郎に、操は強い衝撃に近いものを受けた。
(それから、私はいつも見てきた……あの方が重ねた、血の滲むような苦行の数々を。そしていつしか思った。私もあの方のようになりたいと……)
彼女にとって景太郎は宗家と同じ……いや、景太郎個人に向ける想いを考えればそれ以上の存在だった。
「私はあの方の……………あら?」
自分の気持ちを口にしようとした時、操は奇妙な違和感を感じた。何も無いはずなのに、まるで温い水面を通過した様な感触を受けたのだ。
「今のは……―――――ッ!?!」
先の事を思考しようとした矢先、道の先から感じる気配に操の身体が強張る。それと同時に、凄まじく鼻を刺激する大量の血の臭いを風が運んできた。
「この先は神凪の屋敷しかないはず。一体何が……」
胸の奥から沸き上がる嫌な予感に、操は即座に駆けだした。
そして―――――辿り着いた先には、首を切断された二つの死体に、地面を転がりながら切れた笑い声を上げる慎治。その前に佇む奇妙な男が居た。
操は状況を把握するよりも先に、炎術を起動させる。その男の放つ底なしの凶悪な妖気を感じたからだ。
発生したのは複数の赤い光球。顕現させた炎を凝縮して作り上げた火球だ。操はその中の一つを、謎の男に向かって解き放った。
そして―――――時間は戻る。
高らかに口上を述べた後、操は慎治を発狂するまで痛めつけた悪魔の姿を注意深く見る。
男…と思わしき体格に黒いフードを頭からすっぽり被っている。そのフードの所為で表情はおろか顔すら見えない。唯一見えるのは、口元の部分のみだ。
そして何より、男の発する妖気が凄まじい。取り巻く妖気の風に触れればたちどころに腐るか、精気を失うかしそうなほどだ。
(これは……勝てませんわね)
男の妖気に気圧されながらも、操の思考は冷静に相手との力の差を分析していた。
その時、男の口の端がつり上がって笑みの形を取った。
操はそれを見た瞬間、火球を全面に移動させて精神を集中させる。
「炎星精・〈結〉!」
火球同士が光の線で結ばれ、結合した火球の面に赤いガラスのような結界が発生した―――――直後、
―――――ギリィィイイイイイイッ!!
金属が擦れ合うような嫌な音が辺りに響いた。
男は慎治達を襲った時と同様、音もなく風刃を放ったのだ。偶然にも男が笑ったのを見た操は、直感で攻撃が来ると思い、間一髪で防御を間に合わせたのだ。
しかし―――――
「はぁ、はぁ、はぁ………」
防ぎきったまでは良いが、風刃の凄まじき威力に操は結界と共に精神力をすり減らし、肩で大きく息を吐く。
そんな操の様子に、男のつり上がった口元が愉快そうに歪んだ。容易く壊れると思っていた玩具が、実は思いのほか頑丈だったことが嬉しいようだ。
少なくとも、先程まで嬲っていた慎治よりかは楽しめると踏んだのだろう、その興味が慎治から操に完全に移ったのがありありとわかった。
(やはり強い……今の一撃で解ったのは、相手の底なしの強さと恐ろしさだけなんて……)
勝機が薄い…否、はっきり言って『無い』と断言するしかない。操の退魔師としての経験と勘が如実にそう語っていた。同時に、逃走の不可能、結界によって気配や音が遮断されているため助けも絶望的であることも。
(しかし…私は諦めはしない。何時如何なる時も)
「集い束なり一つとなれ―――――炎星精・〈束〉」
操は両手を前方に突き出し、そこへ全ての火球を収束、一つにする。
男はその始終を変わらぬ笑みを浮かべたまま見ている。さぁ、今度は何を見せてくれる? と、言わんばかりに。
「炎星精―――――〈閃〉!!」
一点に収束された炎の全エネルギーを、男に向かって解き放つ。その一撃はレーザーの如く大気を灼きながら突き進む。
その光景は最初の一撃と同じだが、内包するエネルギーは桁違いだ。
「…………」
男は自分に向かう赤い閃光に向かって右手を掲げ―――――まともに受け止めた!
しかし、受け止めたその手は高熱という言葉すら生温い超高熱に晒されながらも焼かれることなく、大波を阻む堤防の如く全てを受けきった。
「そんな……」
男は受け止めきり、右手に集まった炎を操に見せつけるように突き出し…握りつぶした。
今の自分に出来る最強の技による最高の一撃…それをいとも容易く、本領である風を使わず防いだのだ。操の衝撃は計り知れない。
そんな操に向かい、男は閉じていた掌を広げる。それを見た操は―――――
「炎星精・〈結〉!!」
一気に複数の火球を形成、全面に多角形の防御結界を展開する。
―――――が、直後に放たれた…態とそう放った風刃に防御結界は薄紙のように無惨に斬り裂かれ、その後ろの操も同じ運命を辿った。
「―――――ッ!?」
確かに操は風刃に斬り裂かれた。ただし、肉体ではなくそれを包む布―――――着物を。
結界を斬った風刃は操の着ていた着物の胸元を切り裂き、二つの双丘を外気にさらけ出させた。
「…………ッ!!」
ありったけの自制心で悲鳴を抑え込む操。上げても誰も助けには来ないし、何より相手を喜ばせるだけだ。
操は羞恥に顔を赤く染め、両腕で露わになった部分を隠しながら再度結界を張り、気丈にも男を睨み付ける。男はその操の気勢を面白そうに見つつ、二発の風刃を放って結界ごと着物を更に斬り裂く。これで操の上半身を覆うものがなくなった。
それでも操は泣くことも叫ぶこともせず、必至に炎術を起動させて防御結界を展開するが、やはり何の抵抗もなく何度も斬り裂かれ、その度に着物を斬り裂き、殆ど裸の状態となってしまった。
その頃には操は地に蹲り、我が身を抱き抱えるしかできていない。晩秋の冷たい夜風が裸同然の身体を責め立て、風刃に含まれる妖気が操の精神を侵し始めているのだ。
さらには、度重なる全力の炎術防御結界の展開による精神的疲労に操はすでに限界に近い。もはや体も満足に動かせない状態だった。
そんな操の状態を察したのか、それとも頃合いと見たのか…抵抗も見せなくなった操の前に男が歩み寄る。
強烈な妖気が近づく圧迫感に、操はうつ伏せていた顔を上げる。その表情は羞恥に顔を赤く染め、瞳からは滂沱の如く涙が流れている。
男はその顔を見せ更に笑うと、裸の操に向かって手を伸ばす。
それを見た操の表情にこれ以上ないくらいの怯えが走る。殺すのなら、先程までの風刃で事足りる。だが、それをしようとせず手を伸ばす理由は…女としての本能が、これから我が身に何が起こるのかを教えていた。
「い……いや………」
恐怖のあまり、呂律がまわらない操が必至に拒絶を示す。そこには最初の気勢など微塵も見られなかった。
男はそんな操の表情すらも楽しそうに笑っている。だが、その笑みは情欲に染まった笑みではない。ただただ人の恐怖と絶望に叩き込まれた醜態に愉悦を感じているのだ。そして相手が女性ならば、一体どんな方法が効果的なのか…男はよく解っていた。
(助けて―――――景太郎様ッ!)
目を瞑り、祈るように助けを求める操。今までの生涯で何よりも必至に祈った―――――その時、男の手が止まり、門の方向へと顔を向けた。
男は己の知覚範囲内に、こちらに向かって一直線に向かってくる炎の気配に気付いた。場所は門の向こう…神凪邸の方だ。
正確には少し前から気が付いていた。結界に遮られ、こちらの様子など知り得るはず無い。只の偶然…もしくは、急ぎの用で門を通って外に出ようとしている。それぐらいだと思っていた。
その炎の気配は目の前にいる操よりも小さいため、ある程度近づいた時点で結界内に取り込み、始末しようと考えていた。
だがしかし、その気配が…精霊術師としての気配が結界まで後少しと迫った時、急激に―――――それこそ爆発したように力の波動が増大したのだ。
なにげに近づいてきた蛍が、実は地上に光臨した新星だったかのように。
「…………」
僅かな逡巡の後、男はこれ以上の長居は不要と判断したのか、伸ばした手から風刃を放つべく風を集めた―――――その瞬間!
「ガァァッ!!」
淡い月明かりに作られた操の影から突如として白銀狼が現れ、突き出している男の腕めがけて食らいつく。
男は咄嗟に集めた風を膨張させ、狼を…そして自分を弾き飛ばし、噛み付かれることを避けた。そして男は三メートルほど後方に着地し―――――更に後方から感じた気配に振り返る。
そこには前足を大きく振り上げた白い馬の姿があった。その馬は振り上げた蹄を男の頭部目掛けて振り下ろした。
男はすぐさま風の結界を張り、振り下ろされる蹄を受け止めるのではなく軌道を逸らして防御する。先の狼の攻撃を回避するために風を使ったため、防御できるだけの風がなかったのだ。
軌道を逸らされた一撃は地を穿ち、舗装されていた地面を大きく陥没させた。
「………」
馬の一撃をいなした男は、即座に風を集めて風刃で馬を切り捨てようとする。が、その時またもや思わぬ邪魔が入った。
神凪の門を貫き現れた三条の白銀の閃光が、男に向かって虚空を走る。
放たれたのは門の向こう側―――――結界の外より放たれたもの。その三条の閃光は風の結界を貫き、破壊して男に襲いかかる。
対し、男は放とうとしていた風刃で三条の閃光を一刀のもとに切り裂き、霧散させる。
それとほぼ同時に、三つの小さな穴があいた門が爆発四散し、周囲一帯に轟音を響き渡らせた。ついで、もうもうと舞い上がる土煙の中から眼鏡をかけた一人の青年が飛び出て、男に向かって疾走する。
その男とは景太郎。そして男が感じていた巨大な力の持ち主だ。
景太郎は一直線に男に向かって疾走する。男は迎撃の風刃を放つが、景太郎は不可視の風刃をまるで見えているかのように、失速することなく流れるような動作でかわす。そして、男との間合いを後一歩の位置まで詰め―――――左の掌底を突き出した。
「黒破―――――」
掌底より放たれた土氣の弾丸が男の腹部に直撃する。それと同時に更に一歩踏みだし、
「―――――金剛」
氣弾が直撃した部位を、右の拳がピンポイントで叩き込まれた!
先の土氣が後の金氣の力を『相生の理』により増幅、従来のソレを遙かに超えた威力を引き出す。そして―――――
「凶断・壱式―――――」
神氣を蓄積させた左の掌底を男の胸…心臓の辺りに添え、
「―――――爆ッ!」
景太郎の掌より放たれる眩いほどの氣の爆光が、男が轟音と共に遙か後方へと吹き飛ばした。
「三つの破壊が“死”を奏でる……奥伝〈三壊旋律〉」
最初の一人相生攻撃に、神氣の止め…氣の属性変換、収束率が桁外れでなければ出来ない三連撃。まさに奥伝と言うに相応しい連撃だ。
その攻撃に確かな手応えを感じつつ、景太郎は遠くで倒れ伏した男から注意を逸らすことなく、顔を涙に濡らした操の元へと駆け寄った。
頭を切り落とされた門番二人は元より、慎治の元に向かうつもりはない。すでに、景太郎がこの場に現れた時点で、慎治は顔に狂った笑みを浮かべたまま事切れていたからだ。
「け…景太郎……様……」
絶体絶命の所を助けてくれた景太郎の名を途切れ途切れに呼びながら安堵の表情となる操。その表情の中には喜びの感情が満ち溢れていた。
景太郎はその操の露わな状況を見て微かに顔を顰めると、胸のポケットに刺してあったペンを引き抜き、指先で一回転させる。するとどうか、ペンは一瞬で大きな純白の毛布へと姿を変化させた。
「助けに来るのが遅れてすみません。気付いてからすぐに駆けつけたつもりだったんですけど……」
純白の毛布を操にかけながら謝罪する景太郎。それに対し、操は『そんなことはない』と言わんばかりに首を振る。
本当なら、ちゃんとした言葉にしたかったのだが、先程までのショックによって身体が強張り、上手く口が動かなかったのだ。
「後は俺に任せて、ここでじっとしてください。〈シリウス〉〈フレイ〉、操さんを頼むぞ。万が一にはアレも許可する」
《御意―――――》
《承知―――――》
それぞれ言葉は違うものの、同時に了承の意を示して狼…シリウスは操の右前に。左前には影から現れた白い馬〈フレイ〉が現れ、護るように立ち塞がった。
それを見た景太郎は操に背を向けると、未だ倒れたままの男に向かって慎重に歩み寄る。
その景太郎の後ろ姿を見ながら、操は早合点と解っていても安堵の息を吐いた。
(温かい……)
強張っていた身体が、毛布の温もりによって溶かされてゆくのを感じる操。よく見れば毛布は淡い白光を纏っている。
それは景太郎の神氣…操のために篭められた神氣が、体温だけではなく妖気によって蝕まれた身体を柔らかく解きほぐし、温かく浄化していた。
一方―――――景太郎は男との間合いを五メートルほど空けながら、ピクリともしない…胸すら上下させていない男に冷たい視線と共に言葉を投げかけた。
「態とらしい真似をせずさっさと起きろ。他はどうか知らんが、寝たふりで油断するほど俺は甘くないぞ」
景太郎の言葉に男は騙す事は不可能と感じたのか、無言で立ち上がる。近づいたところを…もしくは攻撃を仕掛けてくる一瞬の隙をつこうと考えていたのだろうが、そこまで景太郎は甘くはない。
そもそも、発する氣がまったく弱まらず、風を集めていたらばれない方がおかしいと言うものだ。
ただ、おそらく神凪術者の大半は気が付かないだろうが、景太郎には通用しない。
「…………」
男は衣服に付いた土埃を軽く払うと、膨大な風を纏いながら景太郎に向かって凄みのある笑みを浮かべる。
景太郎もまた膨大な量の炎の精霊を召還し、顕現させて己が身体に纏わせた。
交差する視線―――――フードの影となって目は見えないが、景太郎ははっきりと自分に向けられる視線を感じていた。同時に、相手の纏う風の強さも……
(洒落抜きで強い……このまま戦り合えば、俺は確実に殺される)
男の力の強大さを初見で見抜いた景太郎の頭脳が、冷静にこの戦いの結果をはじき出す。
膨大な量の風…しかも、おそらく全力ではない…を扱う純粋な能力、それを掌に全てを集める収束率。何より、下級妖魔なら余裕で滅する奥伝をまともに喰らいながらも、平然としているそのタフネスさ。そのどれ一つとっても尋常ではない。
(出来れば使いたくはなかったが……こいつは、今此処で殺す)
景太郎は予定を変更し、“奥の手”を使う覚悟を決める。今、目の前の男を逃せば、後々の驚異となる…そう直感して。
「行くぞ………」
景太郎の身体から極限まで練り上げられた氣……神氣が立ち上る。白い粒子のように輝くそれは―――――
「こっちだ、こっちの方で凄い音が聞こえたぞ」
「正門の方だと? 一体何が起こったというのだ」
「急げ、何かあった時の対応が遅れれば、宗主のお叱りを受けるぞ」
……合おうとしたその時、破壊された門の向こうから複数の声が聞こえてきた。
景太郎は舌打ちしながらそちらに気を取られ、一瞬注意を向ける。そしてすぐに戻したが……すでにそこには男の姿はなかった。 あるのは一陣の旋風と妖気の残滓のみ。
景太郎の注意がそれた一瞬の隙をつき、音も気配もなくこの場から瞬時に撤退したのだ。
胸中で己を叱責する景太郎。元々、この騒ぎを教えるために扉をわざと派手に砕いたのだが、その所為であっさりと逃げられてしまうと、ただただ自分が間抜けにしか思えない。
「〈フレイ〉、ヤツはどう逃げた」
《風を纏い飛翔した。まるで消えるように高速で……見事な速さであった》
「〈アルタイル〉、追えるか?」
《悔しい事に無理じゃ。見事にまで消えよった。風の精霊に訊こうとも戸惑うばかりで答えてくれん》
「風が? そうか…〈シリウス〉、お前は?」
《無理。風で消したのか、臭いが続いていない……それに、ヤツの濃い妖気に鼻が馬鹿になった》
鼻を動かしてはくしゃみを繰り返すシリウス。効かない鼻で何とか手がかりになる臭いがないか嗅いでいるのだろうが、やはり思わしくはない。
それに、景太郎自身も強くは期待していない。あそこまで見事な消え方なのだ。追跡できるような手がかりを残す真似はしていないだろうと予測していたのだ。
「もういい。ありがとう〈シリウス〉。〈フレイ〉もな。人が来るから戻ってくれ」
景太郎の言葉に二匹は頷くと、閃光となって景太郎の影の中に飛び込んで姿を消した。
「操さん、二匹のことは……」
「はい、存じております」
〈シリウス〉と〈フレイ〉を含めた四匹の使い魔を知っている操は、景太郎のいつもの頼みに一も二もなく頷き、了解の意を示した。
それと時を同じくして、夜番の術師達と轟音に飛び起きたであろう厳馬率いる他の術師達が門の前に姿を現した。
―――――四幕に続く―――――
【あとがき】
どうも、ケインです。聖痕編の三幕を送ります。
四人目の被害者……それは操でした。所用で外出し、帰ったところで被害にあったのですが……何とも、運が悪いとしか言い様がありません。
そして、操が景太郎を意識し始めた時の事も朧気にでました。
実は、風の聖痕(原作)上ではもっと昔……と、思われます…なんですが、これは約十年前にしました。読んでいてこれに疑問を感じた人、貴方は鋭いです。
まぁ、それで操も本編では忘れていたんですが、十歳前後という事で朧気にでも覚えていたんです。強烈な印象があったところのみですが。
追記として…本編でも書いていますが、子供の景太郎は水氣で炎を防いだのは、相手が子供で更に手を抜いていたからです。今現在でも、なんの霊器(補助)無しでは分家のトップの炎を何とか捌くのが限界です。宗家は絶対に無理です。
以前、浦島分家『森』の宗主の攻撃を防いだのは、相手が現役から退いて長く、加えて景太郎を舐めきり、嬲り殺そうとしていたからです。だから、素手の景太郎でも防げたんです。もっとも、手はずたずただったんですけどね。
五行相生・相剋は有利となっても、万能ではありません。意外と勘違いされているかも知れないので、ここらで書いておこうかと……
それはともかく……景太郎くん。出番は最後の方で、いきなり一戦交えました。思いも寄らぬ強さに、景太郎はいきなり切り札を切ろうとしました……が、逃げられました。見逃された…とも見られます。相手は景太郎がいきなり切り札を出すほどなんです。
加えて、いきなり使い魔を使用するほどですからね……シリウスにフレイ。アルタイルは声のみですが……
さて…次回は神凪内部の混乱、対策会議の様子です。原作の流れそのままが主ですが…そこに、景太郎がどう加わるか、道話が変わるかが難しいところで、面白いところです。
それでは、次回もよろしければ読んでやってください。ケインでした。