〈白夜の降魔・風の聖痕編〉
第一部・風の聖痕
第十幕 『兄弟』
「あ〜、もしもし。『港の見える丘公園』に怪我人が居る。急いで来たほうが良いぞ」
このまま放っておけば寝覚めが悪いと思ったのか、『港が見える丘公園』の最寄りの公衆電話にて、救急車を呼びつける和麻。自分の携帯を使わないのは、足が着かないようにするためと、厳馬の為に一円たりとも使う気がないことだ。
受話器から『容態は?』『貴方は?』と問い質す声が響くが、まったく無視して受話器を元の位置に置いた。
「さてと……帰って寝るか」
電話ボックスから出た和麻は、欠伸を一つ漏らしつつ宿泊しているホテルに足を向ける。
後は放っておいても救急車が病院に運び、連絡が行った神凪が事後処理をするだろう…と考えて。
一方―――――
局地的な災害でもあったかのような惨状となった公園で、体中を切り刻まれた厳馬が一人、地に倒れ伏していた。
そんな厳馬の遥か上空……高度四十メートルの位置に、一人の男がまるで見えない床の上に立っているかのように佇んでいた。男の身に纏うフードは海からの強風に盛大にはためいているが、男自身は微動打にせずまっすぐに立ち、眼下の厳馬を見据えていた。
そして男が右手を軽く上げると、そのまま厳馬に向かって振るった。
振り下ろされた右手の軌跡に沿って放たれる風の刃。その刃は男の狙い通り、厳馬の首めがけて寸分の狂いもなく落ちてゆく。
大量の出血に意識を失っている厳馬には避けることも出来ず、ギロチンの如き刃に対して為す術はなく、風の刃は厳馬の首を切断する。
―――――寸前、突如物陰より跳び出した一匹の白き狼が、厳馬に向かって落ちる風の刃をその大きく開けた口でくわえこみ、その牙で粉々に噛み砕いた。
その噛み砕かれた風の刃は硝子のように砕け散り、虚空に溶けるように消え去る。
「グルルルル…………」
その白き狼は厳馬の前に立つと、低い唸り声をあげながら上空に居る男を睨め上げる。
対し、その男は突如現れた白い狼に戸惑っているのか、腕を振るった状態で眼下の狼に視線を向けているようだった。
それも当然…白い狼が自然界に存在している云々はともかく、あろう事か風の刃を噛み砕き、更にはその破片が消え去るような何らかの強い力を持った狼が普通の存在であろうはずはない。
だが、その戸惑いも束の間…狼もろとも厳馬を殺せばいいと判断したのか、振り下ろした右手が再び掲げ上げると、その頭上に十数個もの風の塊を作り出す。
そして手を振り下ろすと同時に風の塊を撃ち出した。
超高速で撃ち出された風の塊はその一個一個がコンクリートの壁数枚を容易くぶち抜くほどの威力を秘めており、それら全てが落下すれば、たとえ直撃しなかったとしても着弾時のその余波だけで人間や狼の身体など肉片になるだろう。
だが―――――
『ウオォォォォォォォンッ!!』
白狼は男が風の塊を撃ち出す直前、雄叫びと共に膨大な炎の精霊を喚び、即座に白銀の炎として顕現させる。そして白狼はその炎を身に纏い、白銀色に輝く【炎狼】へと変生した。
そしてその直後、風の飛礫が炎狼と厳馬を巻き込んで着弾、地盤を砕き、衝撃波で土砂を撒き散らす。まさにその様は爆撃と言っても過言ではない。
もうもうと立ちこめる粉煙。それらも海からの一陣の風に吹き散し、白銀の炎の結界に包まれた炎狼と厳馬の姿をさらけ出す。
炎狼と厳馬を含め、結界内の地面に些かの傷もないことから、完全に防ぎきったことは一目で知れる。
その炎狼は炎の結界を解除すると、結界を形成していた炎を吸収し、更に強く輝く―――――次の瞬間、強烈な閃光を放ち姿を消した。
「―――――ッ!」
男は構わず高密度の風の刃を厳馬に向かって放つ。だが、その風の刃は男と厳馬の中間で大地から上る閃光に砕かれ消滅する。
それを確認することなく男は空を蹴って後ろに下がる。直後、その男の居た空間を上空から飛来した閃光が通り過ぎた。
男はその閃光めがけて複数の風の刃を放つが、地面や木々、障害物を縦横無尽に飛び回る閃光に追いつけず、ただ悪戯に地面に切れ目をつけるのみだった。
「………………」
幾度かの攻撃の後、男は風刃を放つ行為を止めると、今度は右の掌に今までとは比べものにならない程の膨大な風の精霊を集める。
その風の量は台風を形成するに程に相当し、その風をただ一点に収束させる。
そして、男はその右の掌を閃光ではなく厳馬に向けた。その直後、地上を跳び回っていた閃光が男に向かって再び襲い掛かる。
すると男はあっさりと右手を引っ込め、代わりに自分に襲い掛かってきた閃光に向かって掌打の如く風の塊を叩き付けた!
これが狙いだったのだろう。無駄に追いかけるよりも、閃光が…否、炎狼が護っているであろう厳馬を攻撃する不利をしおびき寄せる。動きがなければそのまま放てば良いだけのことだった。
荒れ狂う暴風の塊と流星の如き一条の閃光が鎬を削り合う。
だが、純粋な力では男が勝っており、その閃光は暴風に削り取られるかのように輝きを失い、その正体…炎狼の姿がさらけ出された。
「ガァッ!!」
殆ど輝きを失いながらも、退くことなく男にその牙を突き立てんと顎を開き喰らいつく炎狼。だが、それよりも早く、男が左手に集めていた風を真正面から叩き付けられ、炎狼は粉々になって吹き飛んだ!
『オオオオォォォォン…………』
物悲しい、まるで断末魔の如き雄叫びが周囲に響き渡る中、男は炎狼の残滓―――――飛沫の如き白銀の炎の滓を見据えて口の端を吊り上げる。
そして改めて厳馬の方に振り返り、トドメの一撃を放つべく風の精霊を集めて右手を振り上げる。
その途端、辺りの空間を漂っていた白銀の炎の破片が厳馬の前に急速に移動、全ての破片が集まると同時に爆発的に増幅、再び狼の姿となって上空の男に向かって鋭い視線を向けた。
「…………ッ!」
最初の構図に戻ってしまったこの状況が腹立たしいのか、フードから覗く男の口元が忌々しそうに歪む。
―――――そんな時、
「なんだこりゃぁ…………」
既に去ったはずの男―――――和麻が、再びこの場に姿を現した。
つい先程倒し、そのまま動かず地面に伏している厳馬はまだ良いとして…和麻はその厳馬の前にいる白く巨大な狼と、それと対峙している途轍もない妖気を放つ男の存在に目を丸くした。
和麻はホテルに戻る途中、いきなり生じたバカでかい力の気配を感じ、それが先程自分が居た辺りだと気付いて来た道を大急ぎで引き返してきたのだ。
そしてそこで見たものは、とんでもない炎の気配を纏った一匹の狼と、更にそれ以上にとんでもない、風の精霊を操る男の姿だった。
(なんなんだよ、あの狼と男は…この四年の間に、本当に日本は魔界になっちまったのか?)
狼が纏う…というより、正確にはその狼から感じる炎の気配は、宗家には及ばずとも先日会った神凪の分家二人よりも強大だった。
そんな存在が深夜の公園に堂々と姿を現すことなど、どう考えても異常…それは裏の世界の常識から当てはめてもそう断言できた。
更には上空に居る男。この男も自分と同じ風術師らしいが、どこか様子が………
そこまで和麻が考えた時、男は和麻を一瞥すると、あっさりと背を向けて飛翔、わき目もふらずに逃亡した。
「―――――ッ!? 待ちやがれ……って何ぃ?!」
風を纏って逃げようとする男に向かって、和麻がその風に干渉して無効化しようとするが、男の扱う風の精霊はまったく応えず、それどころか無視される。
驚き、もう一度―――――今度はより強く干渉しようとする和麻だが、その間に男は既に視認できないほど遠くまで高速飛翔して逃げていた。
(風の精霊が俺に応えないだと? まさか昼間の…………)
「まぁいい、それよりも…」
男を取り逃がした事を胸中で舌打ちしつつ、もう一つの異常な存在に視線を向けるが、そこには地に倒れ伏したままの厳馬の姿しかなかった。
異常な存在…白狼が居たであろう空間には、狼が纏っていた精霊が厳馬の周囲に漂っていた。
おそらくは、和麻が男の風の精霊に干渉できずに驚き注意が完全に逸れた一瞬に、炎の精霊を……気配だけを残して本体は静かに、そして迅速にこの場を去ったのだろう。
神凪宗家の厳馬が居るために、炎の精霊が散り難いことが災いしたのだ。いや、もしかするとそれすらも計算内だったのかも知れない。
なんにせよ、知覚能力が非常に高い和麻を前にまんまと逃げおおせるその実力は相当なものだと推測できる。
「くそったれが…どいつもこいつもコケにしやがって」
忌々しげに口を歪め、瞳に剣呑な光を宿す和麻。そんな和麻の耳に、遠くから響いてくるサイレンの音が入ってきた。こちらに近づいていることから、先程和麻が連絡した救急車に間違いないだろう。
「ち…しょうがねぇ。ひとまず退散するか」
このまま此処に居て下手人だと思われる(実際のその通りなのだが…)と厄介だと考えた和麻は、風を纏うと高く跳び上がってこの場を後にした。
そして…ある程度離れた位置に着地した和麻は、公園で見た光景を反芻しつつホテルの前まで辿り着いた。
神凪最強の男〈神凪 厳馬〉との闘いはさすがに堪えるものがあったらしく、パッと目には判らないが少々足下がおぼつかないように見える。
和麻としては、もうこれ以上何もせずベッドに横になりたい気分だった…が、どうやら休息を取ることはまだ許されないらしい。風がホテルの前に強大な炎の気配が在ることを和麻に伝えているのだ。
(またあの狼か? …………いや、それにしては気配が穏やかすぎる。この強さから神凪宗家だろうが、敵意や殺気が感じられん。どういうことだ?)
厳馬が自分の拿捕に来たことから、神凪は自分を敵だと認識しているらしい。それなのにホテルの前で待ちかまえている神凪らしき人間からは敵意の類を感じられない。しかも、それらを抑えている様子もない。
正直言えば、万全の状態ではない現状で神凪宗家と戦うのは面倒ではあった。
だが、和麻には逃げる気はない。『敵』は奇襲するわけでもなく、ホテルの真正面・入り口で待ちかまえている。そこに向かって、和麻は足を向けて一直線に向かった。静かに、気づかれないように風の精霊を喚びつつ。
「あっ……」
その和麻の接近に気付いたのか、プランターに軽く腰掛けていた小柄な人影が和麻に顔を向けた。
夜の暗さに、ホテルの光が人影の背後から照らしているため前面が影となり、その容貌ははっきりと見えない。だが、それ故に逆にその小柄さが浮き出るような形となってよく見える。
しかし、その小さな身に宿す炎の気配は強い。綾乃程とまではいかないが、昼に出会った分家の結城と大神の二人と比べて…否、比べることもおこがましいほどに強い。あの炎狼とも比べても遥かに……
確実に、神凪宗家の人間であることは間違いない。だが……
(神凪宗家にこんな奴がいたか?)
内心首を傾げつつ記憶を掘り出す和麻に向かって、当の人影は立ち上がると無防備に和麻に歩み寄る。
そしてある程度近づき、外灯に照らし出されたその顔は和麻の想像以上に若い…いや、いっそ幼いと言っていいだろう。十か十一…それくらいの年齢だろう。
同時に、その容貌は女の子と見まごうばかりに可愛らしく、感じる雰囲気も全体的におっとりとしたもの。いかにも良家のお坊ちゃんという感じの少年だった。
(なんか、どこかで見たような……誰だ?)
未だ記憶に当たりが無い和麻だが、少年の容貌に見覚えらしきものだけは感じていた。
そんな怪訝な視線を向ける和麻に、少年は緊張した面持ちで見返した。
(なんだっけな…こう、喉元までは出てるんだが)
どうにも少年のことが思い出せない和麻。その和麻と少年が数秒間ほど見つめ合った後…その少年がゆっくりと口を開いた。
「正直、信じられない気持ちで一杯ですけど……兄様がホテルに帰ってきたということは、父様は敗れたのですね」
(兄様? 父様?)
兄様と父様。状況から当てはめれば『兄』というのが自分で、『父』というのが神凪 厳馬。
後々考えれば、本当に間抜けとしか言い様が無いことだったが、この時和麻は少年の言葉を一つ一つ確認しないと意味が解らなかった。
「ああ! お前、もしかして煉か!」
ようやく合点がいったという感じに両手を打ち合わせ、十二歳になる実の弟の名を思い出した。
(そうそう、そう言えば弟がいたんだよな)
もし口に出していたら挽回不可能な言葉を胸中のみ留め、和麻はすっきりした顔でうんうんと頷く。
「『もしかして』ってなんですか、兄様……」
「細かいことは気にするな。しかし大きくなったなぁ…十年ぶりくらいだっけか?」
「そんなわけないでしょう……」
誤魔化しつつもできるだけ大らかに言ったつもりの和麻だが、そんな苦しい言葉で騙されるわけもなく、煉は険を含んだ言葉で返した。
「そっか? でも、四年ぶりって事はないよな。出ていく時に会った記憶もないし」
「ええ。兄様は僕に何も言わずに出て行かれましたから」
「あ〜…なんだ、悪かったな」
ますます険悪な口調になる煉に、和麻は右の人さし指で頬を掻きつつ目線を逸らす。少なからず罪悪感があるという証拠だろう。
しかし、和麻が煉の事を忘れていたのは、彼が薄情だからと云うわけではない。
兄の和麻とは違い、溢れんばかりの炎術の才能を持った煉に対する厳馬の…そして母の期待は尋常なものではなく、無能が感染すると言わんばかりに和麻と煉を可能な限り会わせまいとした。
そんな和麻と煉の兄弟が会うのは半年に一度有るか無いか…同じ神凪に住みながらもそれなのだから、その徹底ぶりがうかがえようと言うものだ。
だが、そんな状況でありながらも純真に育った煉は、親の思惑とは関係なく無心に和麻を慕った。
和麻の方は、自分とは正反対な才能豊かな弟に複雑な感情を抱かずにはいられなかった……が、それに気づきもせず親愛の情を向ける煉を、和麻は憎むことができなかった。
両親にとっては不本意な事だったろうが、和麻と煉の兄弟は非常に仲睦まじい兄弟であった。
………………と、そう鑑みれば、綺麗さっぱり忘れていた和麻はやはり薄情と言うしかないかも知れない。
「んで、お前は何しに此処に来たんだ?」
気を取り直して和麻が問う。煉は和麻の問いの意味を知ってか知らずか、表情を真剣なものへと変えて真っ直ぐに兄を見つめる。
「兄様を……兄様を説得に来ました」
「ふーん……」
それだけ言うと、和麻は煉の横を通り過ぎてホテルに向かって歩き始めた。
「に、兄様?!」
「ま、とりあえず中に入ろうぜ。今日はハードな一日だったんでな、疲れてんだ……」
その疲れた理由を察し、表情を曇らせる煉。しかし、兄をなんとしても連れ帰るべく此処へ来た煉としては、ここで立ち尽くすわけにもいかず、自動扉をくぐってロビーに入ろうとしている和麻を追うべく小走りに駆けだした。
和麻の借りたホテルの部屋―――――スイートルームのリビングにて。煉と和麻はテーブルを挟んで向き合う形にソファーに座っていた。
和麻の前にはティーカップ、煉の前には蜂蜜入りのホットミルク入りのマグカップが置かれている。
しかし、二人とも自分の前に置かれた飲み物に手をつけようとせず、奇妙な緊張感の中、ただお互いの真意を窺うように視線を絡み合わせていた。
そんな中、無為に時間だけが過ぎる空間の雰囲気を払拭するかのように、和麻は軽い溜息と共に口火を切った。
「ところで、聞き直すんだが…お前はなんで此処に来ようと思ったんだ?」
「え? ですから……」
「そうじゃねぇ」
最初と同じ問いに、煉も同じ答えを返そうとしたが、それよりも早く和麻の言葉がそれを遮った。
「聞き方が悪かったな。お前の理由は聞いた…だが、なんでお前はホテルで待っていたんだ? なぜ〈神凪 厳馬〉が動いたというのに、家で待たずにこっちに来た。あの男が俺に負けるなんて、普通は考えないだろ」
神凪
厳馬が負けることなどありえない―――――それが神凪一族の常識である。神凪宗主〈紫炎の重悟〉が交通事故で片足を失い退魔から引退した以上、もう一人の神炎使い〈蒼炎の厳馬〉は事実上【神凪最強の術者】なのだ。
正確には、重悟の炎術の腕は錆びておらず、炎術師としての最強は依然として重悟なのだが…現場に出て活動する現役退魔師という意味では、紛れもなく厳馬が最強だった。
故に、今でも誰もが疑うことなく信じているだろう。厳馬が半死人となった和麻の首根っこを掴んで引きずって帰ってくることを。
「煉……お前、何を知っている」
だが、目の前にいる煉だけがそうは思わなかった。常にその父の力を肌身で感じ、実力を知るであろう息子の煉だけが……
実のところ、煉以外にも和麻が勝利する可能性を考慮している者が神凪にも二名ほどいるのだが……神ならぬ和麻、煉がそれを知ることになるのはずっと後であった。
ともかく……虚偽を許さぬと言わんばかりの和麻の鋭い視線に、煉は意を決したように真っ直ぐ、同じく鋭い視線で見返す。
「噂を聞いたんです。ヨーロッパのオカルトサイトで……」
魔術師、魔法使いという存在は山奥などの未踏の地にて、人目につかず静かに暮らしている……という考えが一般には少なからずある。
だが、現実にはその逆…使えるモノは率先して受け入れると言えばいいだろうか、様々な科学技術を取り込み、魔術と融合させる試みを幾度と無く実践していた。
その中でも、インターネットという至極便利な情報網は積極的に…むしろ一般人よりもいち早く利用していた。
中には裏とはなんの関わりもない一般人の怪しいオカルトサイトもあるだろうが、煉のアクセスしたサイトは運良く…というべきか、偶然にもハンター協会が運営する情報交換の為のサイトであった。
「【コントラクター】は年若い日本人だって……そう言っていました」
煉のその言葉に和麻の眉がピクリと微かに動く。その和麻の反応に、煉も己の推測があながち外れてはいないと感じ、興奮に拳を握りしめつつ、更に強く和麻を見つめる。
「証拠も根拠もありません……でもなんとなくわかります。歴史上で唯一実在を確認された【コントラクター】…………兄様のことなんでしょう?」
「違う」
煉の問いかけ…いや、半分以上は確認の言葉に、和麻は静かな声音で答える。
「唯一…じゃない。少なくともそう思われそうな奴がもう一人居る。それがはっきりするまでは唯一とは言えない」
「え?」
「きちんと確認した訳じゃないが、その実力の程は俺達の身をもって知らされたはずだ」
「そ、それじゃあやっぱり兄様が……」
遠回しに自分の言葉を肯定した兄を、煉は畏怖を篭めて見つめた。
「まぁ、今はそんな事はどうでもいい。本題に入ろうぜ」
とんでもない事実を『そんな事』とはっきりと言いきった和麻は前に置かれたティーカップに手を伸ばして喉を潤す。その間に煉は姿勢を正すと、少年らしい素直さで本題を切り出す。
「では伺います。ここ数日、神凪の炎術師を殺害しまわっている風術師は兄様ですか?」
「いや、違う」
一時の間もなく即答する和麻。同時に肩を竦め、やれやれと云った感じの顔になる。
「会う奴皆に言ってるんだがな、誰も信じてくれないんだよ。何でだろうな?」
戯けた感じにそう言う和麻だが、その実はそうなっている理由を察してはいた。姿を見せない襲撃者よりも、動機がはっきりとしている自分を『敵』と認識している方が落ち着くからだ。無論、全てがそうだとは和麻も思ってはいないが…襲ってくる限りはそう大差はない。
それに、神凪の連中のために自分を『精神安定の道具』にするつもりなども更々ない。
「でしたら、なんで釈明に来ないんですか?! このままじゃ神凪一族全体を敵に回すことになるんですよ!」
「なんだ、まだなっていなかったのか?」
本気で意外そうな顔になる和麻を、煉は責めるようなきつい視線を送る。
「そういや親父も似たようなことを言ってたな。色々と巫山戯たことぬかして腹が立ったから半殺しにしてやったけど……
まぁ、神凪一族といっても分家は雑魚以下だし、綾乃もあの程度なら問題じゃない。景太郎がどれほど強くなったかは知らんが…〈神凪
厳馬〉以上であるはずも無し、これも問題はない。その他の宗家は問題外。後は宗主が直接出てこない限り確実な負けはないな」
自信満々に言い放つ和麻に煉は返す言葉がない。【かの存在】である和麻には、それだけの力があることを知っているからだ。
そもそも、実質bPの厳馬が敗れたのだ。それ以下の実力者が和麻に勝てるなど思えない。
だが、それより何より…神凪全てをはっきりと敵とみなしている和麻の言葉が煉には辛く、涙ぐみそうになる。そしてそれを見た和麻が、幾分か口調を柔らかくして言葉を続ける。
「神凪の態度に腹が立ったとはいえ、俺も馬鹿な事をしたってのは分かってるよ。確かに、俺が宗主に会いに行って話をすれば、ある程度は事が納まるかもしれない……けどな、俺はもう神凪に対して一歩も退く気はないんだ」
間を取るべく残った紅茶を一気に飲み干し、空となったティーカップを受け皿に戻す和麻。陶器と陶器を打ち合わせた音が、静かな部屋に大きく響いた。
「勘違いしてほしくないから言うが、俺は今更神凪を恨んじゃいない。今の俺は、昔俺を苛めた連中全員をひっくるめても負けないほどの強い力を手にいれた。
だが、だからといってそいつらを同じように苛めて、同じところまで墜ちるつもりは更々ない。頼まれても御免だ」
自分よりも弱い存在を苛めて楽しむ輩と同列になるなど、和麻にとっては何より惨めなことだった。
だが…そこで和麻は思いだした。今も神凪に在籍している景太郎のことを。
景太郎が神凪に来た経緯は、来て暫くした後に宗主から簡単にではあるが説明してもらったことがあった。その景太郎が、今の自分と同じ様な力を手にいれたと仮定するなら、今の自分のような考えを持つだろうか。
おそらく、似て異なる思考に至るだろう。進んで殺るつもりはないが、殺る時には容赦なく殺る。そして、その境界は限りなく片寄っているだろう。後一歩で乗り越えられる程度に。
しかし、自分と景太郎には絶対かつ決定的な違いが一つある。
同じように一族から疎まれ虐待される身であった。それは共通…だが、自分の憎むべき相手は余所であったのに対し、景太郎の憎むべき存在はその一族。しかも、同じ国内…新幹線を使えばほんの数時間という距離にいる。世界から見れば目と鼻の先に憎い一族がいるのだ。
それを目の前にしながらも、景太郎は力の無さ故に…それ以外にも理由はあるかもしれないが、十年近くもただ黙って我慢しているのだ。
その十年間の想い…深く、暗く、積もりに積もった憎悪は常人の想像を遥かに超えるだろう。それこそ、気が狂わんばかりに。
やられたらやり返す…それが今の現状だろうが、いつか必ず景太郎は浦島を襲撃し、滅ぼすだろう。たとえその命と引き替えにしても。
年月の違いはあれど、多少なりとも近い感情に身を置いた今の和麻には、景太郎の心境を少なからず理解する事ができた。
「兄様?」
「ん? いや、なんでもない」
煉の言葉に、和麻は物思いに耽っていた意識を戻す。今は、景太郎のことよりも自分のことだ。
「繰り返すが、奴等のことは恨んじゃいない。だが、忘れた訳じゃない。奴等が俺にしたことを…俺に刻んだ傷を。踏みつけた奴は忘れるが、踏みつけられた者は忘れない。その痛みと屈辱を。
まぁ、神凪の理屈から言えば、あの時の俺が弱かったからだせいなんだろうな。
そんな弱い自分を克服するために、俺は神凪の姓を捨てた。だから相手が誰だろうが、なんだろうが退かない。神凪相手は特に…だ。〈八神
和麻〉の名に賭けて、絶対に退くわけにはいかない」
それは荒々しくもない、静謐な口調だった。だが、言葉に乗った揺るぎない決意と覚悟は、煉の心の奥底まで重く響いた。
だが、和麻は表情をすぐに弛めると嘲笑うように一笑してソファーに寄りかかった。
「ま、こんな事を言えるのも今の内だろうがな」
「え? それはどういう……」
意味ですか? と聞こうとした煉に、和麻は当然と云った感じに答える。
「昼間に敵の一部と思わしき物体と、つい先程その本体に出会ったんだがな。あれは綾乃の手に負える相手じゃねぇ。最大の戦力だった親父は当分戦えそうにねぇしな」
それこそ、つい先程自分の手で半殺しにしておきながら、まるで人事のように言う和麻。
「残る景太郎も…って、そういや、あいつの強さはどれくらいなんだ?」
「え? えっと…姉様の次くらいですから、三番目でしょうか。炎の強さで云えば今の僕より多少上程度だと父様が言っていました」
「ふーん…それじゃ決定的だな。今の神凪にアレと戦って勝てる奴は一人もいやしねぇ。そう遠くない内に…あの様子だと、近日中にも神凪は滅亡するな」
一つの組織の滅亡を予言する和麻に、悲壮感などは一切無い。数日中に雨が降るかもな…程度の口調だ。
そんな和麻に煉は愛らしい顔を険しくして身を乗り出す。
「なんでそんな事を言うんですか!? 兄様だって神凪の人間、家族が死んでも平気なんですか?!」
「平気だよ。所詮は他人事だからな。俺はもう神凪の人間じゃないし、家族なんていない」
煉の言葉に、一つ一つ律儀に答える和麻。それ以外の答えなど無いと言わんばかりにはっきりと。
「勘違いするなよ。俺が神凪を捨てたんじゃない、神凪が俺を捨てたんだ」
「それは……でも……」
「それでもなお、お前は俺に神凪の為に動く義務があると思うか? 風術師だという理由だけで俺を犯人扱いし、問答無用で殺そうとしている神凪に……」
そこまで言われ、煉には何も言えなかった。
和麻の言い分は何処までも正しい。一方的に捨てたのに危機だから助けろと言われ、一体誰が助けるというのか。しかも、その相手は和麻を犯人と考え、成敗しようとしているのに……
それでも、過去のことを水に流して手助けするなど、物語上の聖人君子でもない限りありえないだろう。
常識的に考えて、神凪は今更和麻に助力を超える立場ではないのだ。
しかし、煉はここで引き下がるわけにはいかなかった。ここで引き下がっては、一体何のために家を抜け出してまで此処に来た意味がない。
だが、煉は所詮十二歳の子供。人生経験も少なく、本当の苦しみも知らず暖かな家庭で育った煉には、これ以上和麻を説得する言葉が見つからなかった。
「う…ひっく……うぇ…………」
今胸の中で渦巻く感情を言葉として発することができず、代わりにと言うべきか、とうとう煉の口から嗚咽が漏れ出した。
「おいおい、なんでそこで泣くんだよ……これじゃ、俺がまるっきり悪党じゃねえか」
悪役の自覚がないのか、思いっきり己の分を弁えない言葉を吐く和麻。
しかしそれでも煉が泣きやむことはなく、和麻は苛立たしげに頭を掻いた。
「ああっ、もうくそっ!」
それが、和麻の敗北の言葉だった。一行に泣きやむ様子を見せない煉に、和麻が折れたのだ。
溜息と共にやれやれという感じの表情になった和麻は、手近にあったタオルをひっつかみ、煉に投げつけてその頭に乗せた。
「もう遅いから今日は泊まってけ。んで、それで顔を拭いたらさっさと寝ろ。明日になったら……家まで送ってやるから」
「兄様!!」
和麻のその言葉に、満面の笑みを浮かべて歓声を上げる煉。そして嬉しさのあまりテーブルを乗り越え、和麻に体当たりするかのような勢いで抱きついた。
(ああ……なんとなく、こうなる気はしてたんだよな)
無邪気にじゃれてくる煉の頭を撫でながら、和麻はぼんやりと天井を見上げた。
昔からそうなのだ。過去、和麻は煉の〈お願い〉を断れた例しがない。それがどんなに無茶で、どんなに不条理であろうとも、この愛らしい天使の笑顔でねだられ、せがまれ、ついには泣かれて結局は言われるがままに従ってしまうのが常だった。
どうやら、四年という月日が流れ、二人が成長てもそれは変わらなかったようだ。だが……
和麻はおもむろに煉の襟首を掴むと、猫の子を摘み上げるように目線まで持ち上げ、少々恨みがましい目で煉を見る。
しかし、当の煉はというと、一瞬きょとんとした顔で和麻を見た後、満面の笑みを浮かべた。
媚びている訳でなく、ただ純粋に嬉しくて堪らないのだ。それがヒシヒシと解るからこそ、和麻はとまどいを隠せず、同時に四年越しでも変わらぬ親愛の情を向けてくれる煉を眩しく思えた。
(こいつももう十二歳だろうが…こんなに可愛くて良いのか?)
兄として、弟の将来に一抹の不安を感じずにはいられない…が、その考えは途中で中断させた。あまり深く考えると、なにやら怖い未来予想図が脳裏に浮かび上がりそうだからだ。
和麻は軽く溜息を吐くと、掴み上げていた煉を元の位置に降ろした。
「ふぅ……もう寝ろ」
「え〜、でも〜」
素っ気なく言う和麻に、不満そうな表情で抗議する煉。
「なんだよ?」
「もっとお話がしたいです。せっかく久しぶりに会ったんですから……」
愛らしく上目遣いに見つめる煉に対し、先程の想像が脳裏を過ぎり、今度こそ深い溜息を吐いた。
「わかった……で、何が聞きたいんだ?」
全面降伏した和麻に、煉はおずおずと口を開いた。
「その…確認しますけど、兄様は父様に勝ったんですよね?」
「おう、ボコボコにしてやった」
煉の問いに得意満面の顔になる和麻。正確にはボコボコではなく風で切り刻んだのだが、そんな事はどうでもいいらしい。
「…………どうやったら、兄様のように強くなれますか?」
「炎術師の修行の仕方なんぞ知るか」
身も蓋もなく吐き捨てる和麻。一応、和麻も神凪を出るまでに無駄とも言えるほど炎術の修行をしていたのだが、炎の精霊と感応できないが為に最初の一歩を延々に繰り返していただけなので、本格的な修行など本当に知らないのだ。
今のぶっきらぼうな言い方も、おそらくはその苦行とも言える炎術の修行を思い出してなのだろうが、それを知らない煉は和麻の言いぐさに頬を膨らませた。
「だいたいお前は才能があるんだから、特に変わった修行なんかする必要はないだろう。そのまま成長すれば強くなれるさ」
「でも…僕はもっと早く強くなりたいんです」
「だったら、お前の師である神凪 厳馬に頼めばいいだろうが」
「一番に頼みました。でも『強くなるには地道な努力しかない、傲ることなく鍛練を重ねろ』と言われて、基礎の時間が伸びただけでした」
「あの親父が言いそうなことだな……まぁ、これ以上ない正論だけど」
先も和麻が言ったとおり、煉は炎術師としての才能がある。宗家の嫡子に相応しくその力は途方もなく強大で、おおよそ人が渇望しても決して手の届かない領域にある。
確かに一言に『才能』と言っても、その中には上下が存在する。だが、煉がこのまま年月と共に鍛錬を積み重ねれば、重悟や厳馬のような神炎使いになれるという保証はないが、神凪の歴史の中でも有数の存在になれるだけの優れた才能を秘めている。
その様な存在でありながら、なにをそんなに早く強くなる必要があるのだろうか。そもそも神凪宗家が全力で事に当たらなければならないことは、人生の内で一度有るか無いかである。
神凪史上、最低記録を樹立したと言われる前・宗主『神凪 頼道』でさえも、その力は分家とは一線を隔している。分家最強が…いや、総掛かりであったとしても、本気の頼道には勝てないのが現実なのだ。
以前記述したことがあるように、分家が宗家に従うのは伝統や格式ではない。全くの皆無というわけではないのだろうが、それはほんの数%。如何ともし難い力の差の前に、分家は宗家に逆らうことができない。
厳しい言い方だが、宗家は宗家であり、分家は所詮分家でしかないのだ。
「なら宗主はどうだ?」
「宗主も父の意見に賛成だと言って……」
「ま、そうだろうな……それじゃ、景太郎ならどうだ? 実力云々はともかく、宗主から厳しい修行を受けていたらしいから、それを教わるとか」
「もちろん頼みました。僕に修行をつけてくださいって。でも、断られました」
「なんて断られたんだ?」
「『なんでそんなに早く強くなりたい』って言われて、『姉様や父様、宗主のようになりたいんです』って答えたら、兄様のように『宗主達の言うことは正論だ、今まで通り修行を続ければ良い。君ならいずれ追いつける』って断られました」
「妥当な言葉だな。だが、景太郎の意見はもっともだ。お前なら神凪でも指折りの術者になれるさ」
「そうでしょうか……僕は、どうしても宗家の中で一番才能が無いような気がしてならないんです」
「おいおい、無能ゆえに勘当された俺はなんなんだよ」
呆れたように言う和麻に、煉が過剰に反応してキッと見つめる。
「そんな事はありません! 兄様には風術を極める才能があるじゃありませんか。それに比べたら僕は中途半端なんです。僕の【炎術】は父様や綾乃姉様、景兄様に遠く及ばないんです」
「子供のお前があいつらと比較すること自体が間違いじゃないのか?」
「でも……」
煉の顔には焦燥の色が濃く見えた。優秀すぎる身内へのコンプレックスにずっと悩んでいるのだろう。
和麻の見るところ、今の煉と四年前の綾乃に然したる差はない。ただ、綾乃には【炎雷覇】と言う強力なアドバンテージがあるため、二人の差を大きく隔てさせているのだろう。
厳馬と重悟の二人は…もう比べる以前に完全に規格外だ。【神炎使い】と優劣を論じられるのは、同じ【神炎使い】だけである。煉が劣等感を抱くのは十年早い。
ようするに、無駄な比較をしているだけ…と、言っても煉は納得しないだろうし、余計に凹むだろう。自分が比較できないほど弱いと思いこみ……
今の煉は、常日頃から感じる圧倒的な力の差を前に、未来への希望を失っているのだ。
(もうちっと他に目を向けりゃあな…あの最弱の前宗主とか、親父が煉と同じくらいだって言ってる景太郎に……って)
「ん?」
そこまで考えたところで、和麻の脳裏に疑問が過ぎった。先程の煉の言葉に、聞き慣れない言葉と聞き逃せない言葉があったのだ。
「なぁ煉。お前さっき『景兄様』って言ったよな」
「はい、言いましたけど?」
「それってもしかして…景太郎のことか?」
「はい。少なくとも、僕が兄と呼ぶのは兄様と景兄様だけです」
それを聞いて少々唖然となる和麻。和麻の記憶にある限り、煉と景太郎の間柄はおおよそ良いとは言えなかったからだ。
四年前の…正確には、神凪に来た当初から和麻が神凪を追い出されるまで、景太郎は常に他者を寄せ付けない雰囲気を周囲に漂わせていた。
父である厳馬も、ある意味似た様な他者を寄せ付けない雰囲気を漂わせている。だが、景太郎と厳馬は決定的に違う。
厳馬の厳格で堅苦しい雰囲気に後込みするのとは裏腹に、殺意にも似た気配を放つ景太郎に好き好んで近づこうとする者は少なかった。
当然、煉もその例外には洩れず、幼かった煉は景太郎を怖がって近づこうともしなかった。それはあくまで和麻の記憶にある限りなのだが…最後に見た時でさえも、煉は怖がって和麻の後ろに隠れるほどだった。
それが今ではどうだ、その景太郎は煉から『もう一人の兄』と慕われるまでになっていた。四年の空白があるとはいえ、その百八十度違う態度に和麻ならずとも驚こうと言うものだ。
「お前と景太郎の間になにがあったんだ?」
「……四年前、兄様が黙って家を出ていったと聞いて、僕は悲しくて落ち込んでいました」
和麻の疑問に、ポツリポツリと語り始める煉。
途中の『黙って』という言葉に、和麻は煉に向けていた視線を僅かに明後日の方に逸らすが、そんな兄の態度に気付くことなく煉は話を続ける。
「なにをやるにしても力が入らず、父様にも怒られて…更に落ち込んでいた時、僕を可哀想に思ってくれた景兄様が、何かと気を使ってくれたんです。それからも色々とあって……」
「へぇ…あいつがな……」
言葉と共に吐く溜息と共に遠い目をする和麻。
誰にも言うことなく家を出ていった自分。第三者から見れば勘当された、追い出されたという感じだが、和麻にしてみればそれは『逃げ』だった。そんな逃げた自分を景太郎はただ一人見送り、それからも自分の役割を代行してくれた。
あの時の景太郎を思い返せば思い返すほど信じられないが、煉の態度を見ればそれは紛れもない事実なのだろう。
理由はどうあれ、和麻は少しだけ今だ会わぬ景太郎に感謝をした。
それはともかく…聞き慣れない単語の由来を理解したところで、和麻はもう一つの『聞き逃せない言葉』について煉に問いかける。
「それはそれとして…少し話を戻すが、お前の炎と景太郎の炎はそう大差がないって言ってたよな」
「え? ああ、はい。父様はそう言っていました」
「今、お前は自分の炎術が景太郎に遠く及ばないって言ったよな。それほど技術に差があるのか?」
これは是非とも聞いておきたい事だった。煉には悪いが、このまま事が進めばそう遠くない未来に景太郎と一戦やらかす時が来るだろう。
その為にも、情報と言うべきか、敵の手の内を少しでも知っておきたいのだ。
それに、この四年間で景太郎がどれほど成長したのか…それにも興味があった。
「はい。実は僕、景兄様に断られた時、どうしてもと頼み込んだんです。そうしたら、全力で自分に向かって炎を放てと言われまして……」
「ほう…」
口調は変わらぬ気怠げだが、和麻の表情は少しだけ引き締まり、一言一句聞き逃すまいとしていた。
「色々と言ったんですけど、良いからやれと言われて、僕は全力で炎をぶつけました」
「……それで?」
「僕の放った炎は……」
その時の事を思い出しながら語る煉。
十メートルの間合いをから、全力で炎を放つ煉。質、量ともに分家とは次元違いの黄金の炎が景太郎に襲い掛かる。
だが、黄金の炎が景太郎を包み込むと思われた瞬間、一条の白銀の閃光が黄金の炎を貫き、そして蹴散らすとそのまま煉に衝突。その閃光に圧された煉は後ろに吹き飛ばされ、地面の上を転がった。
―――――と言うのが、煉の説明だった。
「僕は、正直ショックを受けました……景兄様は僕が全力で放ったよりもより少ない炎の精霊しか使ってないのに、あっさりと僕の炎を蹴散らしたんです」
「ま、そりゃショックだな……」
「景兄様が言うには、あれは努力すれば今の僕でもできる範囲だって言ってました」
「聞いた限りだと、精霊の〈収束〉に篭める〈意思力〉、威力を刹那に調節する程の〈制御力〉の三つか。精霊術師の基本だな」
「はい……」
景太郎の示したのは精霊魔術の基本の内の三つだった。基本故に、それを鍛えるのは厳馬の言葉通り『日々の弛まぬ努力』しかない。その事を、景太郎は実演をもって教え、そして解りやすく見せたのだろう。
「お前も、景太郎がやった意味を理解してんだろ。努力して基礎を鍛えろって意味を」
「はい……でも―――――」
「『でも』も『なに』もあるか。煉、本当に強くなりたいんだったらな、才能が在る無しなんて悩む問題じゃない、必死になるしかないんだよ」
「『努力に優る才能はない』とでも言うんですか?」
不満そうに口を尖らせる煉に、和麻は首を横に振って否定した。
「そうじゃない。確かに努力だけじゃ越えられない壁はある。才能のない奴には決して届かない領域もな。お前の身近に良い例があるだろうが。分家とか、俺とか…」
分家は決して宗家に敵わず、和麻は才能がない故に炎術が使えない。それはどんなに努力しようとも、決して覆ることのない現実だ。
「だがな、本気で強くなりたいと思うんならそんな事は言ってられない。無理だろうが無茶だろうが、強くなるためには本気で必死になるしかないんだよ。泥まみれになって、血反吐を吐いて倒れたとしても、意地でも起き上がってやり遂げる。死ぬ直前でも這って前に進む…必死っていうのはそういうもんなんだ。
煉、これだけは覚えておけ。自分の限界を決めるのは自分だ。中途半端に限界を決めて諦めたら、それで終わりだ」
「兄様は、そうやって強くなったんですか……」
壮絶なことをさらりと言ってのける和麻に、煉は恐怖に近いものを覚える。
「そうだな。週に一度は死にかけていた」
「そこまでして父様に……その……復讐がしたかったんですか?」
口にして更に感じる復讐という生々しさに、煉は途中で口ごもりながら問いかけると、和麻は苦笑して手を振った。
「神凪に対してそんな気はねぇよ。確かに、親父よりも強くなりたいと思ったが、別に復讐とかどうとか考えたこともなかった」
「じゃぁ、どうしてそんなに必死になったんですか?」
「まぁ……いろいろあったんだよ」
目線を逸らして言葉を濁す和麻。その頃の事は、この純真な煉に話して聞かせるようなものではない。
「いろいろって?」
「いろいろはいろいろだ……ところでな、中国の奥地で竜王なんて存在と出くわしたことがあってな……」
予想通り追求してくる煉に、和麻は話題を無理矢理変え始める。が……
「いろいろ……」
「いいから聞けよ。あれは四川省でのことだったな……」
なおも拘る煉に、和麻は強引に話を続けた。
そしていつしか和麻の話に煉は当初の疑問を忘れ、夢中になって聞き手に回った。そんな煉の様子に内心で安堵の吐息を漏らしながら、和麻は異郷の冒険を面白可笑しく語り続けた。
それから暫く後……興奮冷め止まぬ煉をようやく寝かしつけた和麻は、やっとの思いでベッドに入った。そして枕に頭を乗せた瞬間に深い眠りに入り、いきなり爆睡を始める。恐ろしいまでの寝付きの良さだ。
本当に疲れていた事もあるのだろう……が、急速の時は瞬く間に終わりを告げた。
「―――――っ?!」
凶悪な気配に叩き起こされ、和麻はベッドから飛び出す。それと同時に足下から下を何かしらドス黒いものが通り過ぎるのを感じた。
(これは!!)
小刻みに揺れ始めた床を蹴り、煉の眠る寝室へと駆け込む。
「煉、起きてるか!」
「は、はい!」
和麻が扉を蹴り破るように駆け込んだ頃には、煉は既に靴を足を通そうとしていた。幼くても神凪の術者、これほど凶悪で強大な妖気を見過ごすことはないようだ。
「一体何事ですか、これは?!」
「どっかのバカがホテルを輪切りにしやがった。急いでここから脱出するぞ!」
そう言うと和麻は、側に置いてあったジャケットに手を伸ばそうとしていた煉を問答無用で抱え上げ、そのまま窓に向かって駆け出す。
「ちょ、ちょっと兄様、まさか?!」
煉の疑問に対して、和麻は行動で答えを示した。
和麻は一陣の風で分厚い窓硝子を叩き割ると、迷わずそこを乗り越えて外に飛び出した。無論、煉を抱えたまま。
和麻の泊まっていた所はスィート・ルーム、当然高いところにあり、そこの窓から飛びだした先に何かあるわけでもなく、払暁に照らし出された地上は絶望的なまでに遠かった。
そして、これもまた当然として煉の口から恐怖が音となって迸る。
「うわああああああああああああああっ!!!!!!」
高所落下による重力加速度は、絶叫すらも置き去りにする。そんな事を漠然と理解しつつ、洒落にならない勢いで頭から落下、地上まで後僅かと迫った時点で煉は恐怖に目を瞑る。
しかし、地面に激突する寸前、風が二人を優しく抱き留めると勢いを急激に弱める。そして和麻は上手く体勢を入れ換えると、綺麗に足からの着地を決めた。
「おい、もう着いたぞ」
しがみついている煉の頭を軽く叩いて、地上への到着を教える。すると煉は恐る恐る目を開けて、周囲を見回した。
「に、兄様…僕、生きてるの?」
「安心するのはまだ早いぞ。命の危険はこれからだ」
和麻に降ろされ、自分の足で立った煉が見上げた先には信じられない光景が存在した。
(ホテルが…降ってくる?)
上から約三分の一辺りで斜めに切断されたホテルの上部が、その切断面に沿って滑り、落ちてきているのだ。
高さ二百メートルから百メートル分の建造物が落下する。それは何の力も持たぬ者達にとって、巨大隕石の落下にも等しい人知を越えた災害であった。
《どっかのバカがホテルを輪切りにしやがった》
和麻の言葉が煉の頭の中で再生された。
(これを人間が?)
その瞬間、煉の顔が先程とは別の意味で青くなる。
やるだけならば、父や宗主、おそらく目の前の兄も行えるだろう。だが、三桁以上の人の命を奪う行為を行えるという精神を煉は理解できず、恐怖したのだ。
不運にも、切断された階に宿泊していた人間が、ホテルと共に落下してくる。胴から上だけを寸断された人間のシルエットは、それが既に生命活動を停止した物体だということを煉に教える。
「動くなよ」
崩落に備え、和麻が自分達を包むように球形の風の結界を展開する。それを理解した煉は、無意識の内に和麻のジャケットの端を握る。その直後―――――
ズウウウゥゥゥゥンンン!!
大質量の塊が地面に衝突した。
ホテルの切断面が滑らかすぎたのが災いして、落下したホテルは地面と接触する瞬間までほぼ原形を保ったままだった。
切断面より上に宿泊していた人達は、悪夢の二百メートルの自由落下を逃げ場のない個室の中で存分に味わったことだろう。絶望的な恐怖に顔を引きつらせていた人影が窓に張り付いていたように見えたのは、はたして煉の錯覚だったのだろうか……
凄まじい勢いで落下したホテルがひとたまりもなく圧壊―――――その落下で得た運動エネルギーと砕けた破片を四方八方に撒き散らす。
至近距離―――――というか、その真っ直中にいた二人めがけてホテルの砕けた破片が殺到するが、大小さまざまの瓦礫の雨を和麻の風の結界が完全に防ぎきる。
生じた衝撃波に対しては無理に受け止めようとせず、逆に利用して爆風に乗って宙を舞い、衝撃を巧みに受け流しながら安全圏まで後退した。
「あ…ああ……あああ…………」
かつてホテルがあった空間を眺め、呻く煉。その目には深い絶望の色が宿っていた。
高く巻き上がった粉煙は、本来あったホテルの高さまではとどいていない。だが、煉の見上げる位置には、つい数分前まであったホテルの姿はなく、あるのはその切断面より下の切り残し部分だけだった。
(う、嘘だ…こんなの……?!)
高層ビルの哀れな姿を煉は正視できず、視線を下に逸らす。だが、そこにもとんでもない惨状が出来上がっていた。
砕けた破片により穿たれたであろうアスファルトの無数の穴。そしてその周囲に横たわる複数の人影。
早朝とはいえ、官庁にほど近いこの地域が無人であるはずはなかった。早出するサラリーマン、ジョギング中の青年、新聞配達員。その他様々な人達がコンクリートの破片を受けてのたうちまわっていた。
そして、大きな瓦礫の下から滲み出る赤い水……避けることもできず、または中にいた者達の血が少しづつ流れ出ていた。
その血と、怪我をした者達の血で地面は紅く染まって行く。
離れた所にいて運良く難を逃れた極一部の人間が駆けつけ、惨状を見て携帯電話をかけている姿が見える。だが、今から救急車が出動しても軽傷者はともかく重傷者の大半が息絶えているだろう事は、想像に難くなかった。
「派手にやったな……」
近くの低めのビルの上に降り立ち、上から苦悶に呻く人達を見ながら和麻は他人事のように呟く。
「これを…敵の風術師が?」
「そーだろ、多分」
「止められなかったんですか!? 兄様なら……」
「あ〜、それ無理。どういうわけか、俺はあいつの風には干渉できねぇんだ」
「えぇっ!?」
その言葉に驚愕と疑念の声を上げる煉。和麻が何であるかを知る煉にとって、それは到底信じられるものではなかった。
「そんなはずはないでしょう?! だって兄様は……」
「そこまでだ、煉。どうやら、噂の御本人が御登場のようだぞ」
「―――――ッ?!」
和麻が上空を見上げながら煉の言葉を途中で止める。煉もまた、和麻の視線を追って上空を見上げると、そこには一人の人間らしき存在が空中で佇んでいた。
「あれが……」
まだ辺りが薄暗いのと、対象が身に纏う外套の所為で体格や顔は見えない。が、煉が聞いた犯人の最大の特徴…途轍もない妖気を纏った風使い。操や景太郎、風牙衆からの報告そのままの存在が、今そこにいる。
疑う余地はない。あそこにいるのが、連日の神凪術者殺害事件の犯人だ。
だが…聞くと見るとでは大違い―――――あの存在は煉の想像を遥かに上回っていた。感知能力の低い部類に入る炎術師でも肌身に凍えるように感じる妖気に、煉の表情が強張って行く。
「……煉、離れていろ」
「兄様……」
離れるよう指示する和麻を、煉は不安そうな表情で見上げる。
「大丈夫だ。どうやら敵は一人だけのようだしな、お前に手を出す暇なんざ与えやしねぇよ。後で拾ってやるから、巻き添え喰らわないように離れてろ」
「……勝てますよね、兄様」
「任せとけよ、お前の兄様は無敵だぜ」
「そ、そうですよね!」
和麻の力強い言葉に表情を和らげる煉。そして強い視線で上空の犯人を見る。
「景兄様が一度は退けた相手なんです。兄様が負けるはず無いですよね」
「……当たり前だ!」
煉の言葉に若干強い口調で返すと、和麻は不敵な笑みを浮かべ、それからは脇目もふらずに風を纏って空へと舞い上がった。
今だ会わぬ、景太郎への軽い対抗心を胸に秘めつつ…………
そして、男の前まで一気に飛翔して相対した和麻は、胸中に底知れない恐怖が沸き起こるのを感じた。此程の妖気を放つ存在などこの世にあってはならない、地獄の底で繋がれておくべき存在を前に……
「よぅ、数時間ぶりだな。二回も逃げたのに良くまあ姿を現す気になったもんだな」
軽口と共に挑発しつつ、和麻は神経を集中して目の前の存在を観察する。相手の一挙手一投足…どころか、纏う雰囲気の変化さえ見逃すつもりはない。
(なるほど、そういうことかよ……)
今度こそといわんばかりに和麻は相手が纏う風に干渉を試みたが、その尽くが空振りに終わった。
だが、それもまったく無駄ではなく、和麻は何故に風の精霊が自分の意志に反した…いや、思念を聞かないのかを理解した。
(あいつら…全員“狂”ってやがる)
声に出すことなく胸中で毒づく和麻。精霊に対してではない、そうさせたであろう目の前の存在に対して…だ。
精霊には知性があり、未分化とはいえ意思もある。故に、精霊も人間のように発狂することもある。
自分の属性と相反する状況に長らく置かれた精霊…水中に放置された炎の精霊や、地中に封印された風の精霊など…が発狂する場合もあることは、既に確認された事実である。
今、目の前にいる風の精霊もまた狂っている。それが目の前の存在が故意に行っているのか、それとも纏う妖気に当てられて自然とそうなったのかは和麻は知らないが…
とにかく、狂ってしまった風の精霊は和麻の思念を聞くことができず、なおかつ感知しづらくなっていた。
その証拠に、ホテルを輪切りにされる寸前や、すぐ近くに寄ってくるまで敵の存在に気が付けなかった。
(厄介な敵だな、おい……だったら、先手必勝だっ!!)
和麻は相手が身構える前に、手加減抜きの風の刃を連発で叩き込む。
いかに強大かつ異常な存在であろうとも、この戦いは負けるわけにはいかない。この場での敗北は自分の死だけではなく、遥か後ろで自分を見ている煉の身にも危険が及ぶということだからだ。
容赦はしない、する余裕もない。絶対勝利―――――それだけが和麻の欲する結果だ。
だが、突然風の手応えが変わった。
凶悪な予感に従い和麻は全力で横に飛ぶ。その直後、今まで自分が居た空間を黒い風が通りすぎた。その衝撃波に吹き飛ばされながらも、和麻は巧みに体制を整えて男に向き直る。
「くそったれ!」
自分が手加減抜きで放った風刃数発を敵は防御するどころか逆に風を放って風刃を砕き、そのまま自分を攻撃してきたのだ。
しかも、その黒い風は風刃を真正面から打ち砕きながらも、些かも衰えていなかった。
間違いなく、敵の操る風は今の和麻を上回っていた。
(こいつを退けただと? 景太郎の奴、一体どんなイカサマを使いやがったんだ!?)
いかに攻撃力では風より炎が優っているとはいえ、煉と同程度…もしくは少々上程度の炎でこの存在の風を打ち破れるはずはない。たとえ技術が優れていようとも不可能…この風の前に吹き散らされてしまうだろう。
実は、景太郎は退けたわけではなく相手が勝手に退いただけなのだが…煉の言葉を真に受けた和麻が知るはずもなく、ただ焦りが生じるだけだった。
「これなら―――――どうだ!!」
一閃する和麻の右手。その軌跡に沿って発生した風の刃が敵に向かって飛翔する。量より質を取ったのか、その風の刃は先よりも格段に精霊と意志が込められている。
だが、その風刃も敵の前に発生した黒い風に急激に威力を削られ、到達するよりも先に妖気に侵され逆に取り込まれる。
その結果に、和麻の顔に更なる焦り…は無い!
(くたばれっ!)
左右から、男の首もとめがけて襲い掛かる二条の風の刃。
先のは囮、直後に放った本命の二つの風刃が大きく弧を描き、音すらも切り裂いて敵に迫る。
だが―――――それを見越していたのか、それとも音無き風の刃を感じていたのか、敵は前方の黒い風をそのまま自分の周囲に渦巻かせると、和麻の放った風の刃を先と同じく妖気で侵して取り込んだ。
(チッ―――――普通の風じゃ埒が明かねぇようだな。あんま目立つところで使いたくはなかったんだが…どうせ煉にはバレてるんだ。こうなったら本気で……)
覚悟を決め、己が持てる力を解放しようとしたその時、和麻の耳に煉の悲鳴が聞こえた。
「うわぁ! に、兄様っ! 兄―――――」
「煉!?」
断ち切れた煉の悲鳴に和麻の集中が乱れる。その瞬間―――――
「くっ!!」
その隙を逃さず、和麻の首もとめがけて黒い風が疾るが、間一髪で避ける。数瞬でも我に返るのが遅かったら、首と胴が泣き別れていたところだ。
(馬鹿な、もう一人いただと?! そんな気配は何処にも―――――そうか!!)
和麻は失念していた。目の前の存在が操る風は干渉できないだけではなく、妖気に侵されながらもその気になれば自分から存在を悟らせないようにできることを。
目の前の存在が遠隔操作していた風なのか、それとも同じ様な存在がもう一人居たのかまでは判らないが、取り返しもつかない油断であることだけははっきりしている。
そして、黒い風に身を隠していた伏兵は、気絶した煉を抱えて速やかに撤退を始めている様を、和麻は風の精霊越しに感じ取ってた。
だが、和麻はそれを追うことができない。これ以上、ほんの僅かでも目の前の化け物から注意を逸らせば、次の瞬間…もしくは数手で自分は死ぬ。それが解っているため、迂闊に動くことができなかった。
「くそ…煉、死ぬなよ」
状況にやむを得ず、和麻は一時的に意識から煉を閉め出し、敵を倒すことだけに集中、全神経を研ぎ澄ませる。
(まず目の前の此奴を倒す、次に煉を助ける。これで問題無しだ!)
和麻の周りを渦巻く風が蒼い輝きを帯び始める。その蒼い風は静かに渦巻きながらも何処か力強く、その輝きを厭うかのように黒い風は後退する。
あの和麻の風刃を貪るように侵し、取り込んでいた黒い風が…だ。
「速攻で―――――ぶっ潰す!!」
その蒼い風をまとめ上げ、風刃として放つ和麻。敵もまた黒い風をまとめて風刃として放つ。黒と蒼の刃は両者の中間で衝突し―――――双方とも砕け散って消滅する。
一見すれば相打ち…だが、消滅した際の衝撃波は一方的に和麻とは反対側に押し寄せる。和麻の風刃の方が威力が優っている証拠か、それとも蒼い風の特性か。
ともかく、その衝撃波に今まで翻りもしなかった敵の外套が大きくはためき、頭部を覆っていた部分がはがされ、その顔を露わにする。
その現れた顔は男の顔…それも二十代のものであろうが、特徴すべきはその眼。長きに渡って憎悪の炎を灯し、焼き付けばこうなるのではないかと思わせるほど壮絶な眼だ。
だが、和麻にとってそんな事など知ったことではなく、即座に先以上の蒼い風を顕現し、今度こそケリをつけんと一つに纏め上げる―――――が、その様子を男は口を吊り上げた笑みを浮かべつつ、ただ黙って見ているだけだった。
(…………なんだ?)
訝しげに男を見る和麻。男の意味ありげな態度に警戒を強める―――――次の瞬間、男の身体が霞んで消えた!
「しまった!!」
和麻は急いで空を見上げる。周囲の風の動きで男が高速で上昇したことは解ったが、それまでだった。視認はおろか、追うことも風に跡を付けさせることもできない。
男を警戒して動きが止まった一瞬を突かれ、見事に撤退された。和麻にとっては腹立たしい限りだ。しかも、既に煉の気配も感じられない。
「完全に……してやられたな…………」
怒りのあまり、和麻の言葉は酷く抑揚がなかった。
「待ってろよ、煉。絶対に助け出してやるからな…………」
地面におり、踵を返して歩き出す和麻。
和麻は、戦場の如く荒れ果てたホテルの跡を後目に、真っ直ぐ目的地に向かって歩き始めた。
(何処の何奴かわからねぇが……いつまでも出し抜かれているほどあの二人は間抜けじゃねぇはずだ。締め上げてでも情報を聞き出してやる)
険しい目つきに荒々しい空気を纏った和麻の姿は、野次馬に集まり始めた人混みの中に紛れ、見えなくなった。
―――――十一幕に続く―――――
(あとがき)
どうも、ケインです。
今回の話は厳馬襲撃を受ける…と、後半が和麻襲撃され、煉さらわれる。でした。
原作をお知りの方はお気づきでしょうが、前半がオリジナルです。そして、シリウス再登場。バリバリ活躍しています。結果は負けですけど。
炎獣形態で勝負していましたが、純粋な力勝負では敵の方が圧倒的に上です。
そして後半、今度は和麻が襲撃され、煉が浚われました。ややオリジナル的な部分もありますが、大筋は原作と一緒です。
オリジナル部分といえば、煉と景太郎の関係、そして敵と和麻の闘いが増えているという事ぐらいでしょうか。アニメではここで綾乃が来ていて、ホテルの落下に巻き込まれましたが…これは小説がベースですので。
さて…次回は―――――和麻、神凪を来訪する―――――です。
一触即発な和麻と神凪がどんな対応をするか……ありありと解りますね。
それでは、次回もよろしければ読んでやってください。ケインでした。