ラブひな IF 〈白夜の降魔〉
第三十四灯・後編 「―――――凶眼―――――」
「邪魔をするなぁぁああっ!!」
綾乃と煉の浄化の炎、可奈子と乙姫親子の破魔の水による攻撃に、龍斗が咆哮を上げると共に反撃に移る。
「俺の憎しみを糧に全てを燃やしつくせ、漆黒の炎!!」
龍斗は景太郎の精霊感応力を介し、その強靱な意志で火の精霊を引きずり寄せ、漆黒の炎を顕現させる。
綾乃と煉の炎術師の二人は、引きずり寄せる際、そして顕現させる際に龍斗の邪気に染められた精霊達が悲痛な叫びを上げているのを聴き、表情を歪ませる。
精霊には微弱ながらも意思がある。それを負の塊とも言える邪気にその身を汚され、本来の存在とは全く逆のモノへと強引に変質させられるのだ。自己否定にも近いその行為による精霊の苦痛は並々なら無いものだろう。
炎術師である綾乃と煉…いや、精霊を友とし、共に歩む者である精霊魔術師にとって、それは決して容認すべき事ではない。
「かぁっ!!」
炎を纏わせた左手を一凪ぎする龍斗。それと同時に漆黒の炎が大波のように放たれ、既に放たれていた煉の炎を吹き飛ばし、近くにいた綾乃と可奈子に向かって襲い掛かる。
「ちっ―――――避けるわよ」
「無論」
それぞれ左右上空に跳躍して炎の津波を避ける綾乃と可奈子。その二人が居た場所を漆黒の炎が炙る。
と、同時に、漆黒の炎は急激に膨張―――――直後に二本の竜巻となり、それぞれが綾乃と可奈子に向かって襲い掛かる。。
「このっ!!」
「賢しい真似を……」
それぞれが操る精霊を収束させた二人の神器が漆黒の炎の竜巻を斬り裂き、浄化と共に破壊する。
「姉様。上ッ!!」
突如かけられる煉の言葉に、綾乃は反射的に上を見上げる。そこには、いつの間に跳び上がったのか十数メートル頭上に【ひな】を上段に構えた龍斗の姿があった。
「喝ァッ!」
「―――――ッ!!」
裂帛の気合いと共に急降下する龍斗。綾乃は慌てて炎雷覇を切り返し、水平に構えて切り落としの一撃を防御しようとする―――――が、龍斗は【ひな】を順手から逆手に持ち替え、攻撃を〈唐竹〉から〈刺突〉へと切り替えた!
「っ!?」
元来、点の攻撃である刺突は防御が難しい上に、綾乃は龍斗の虚を突かれた攻撃の切り替えに驚き、動きが一瞬停滞する。
かわすにしても今は空中―――――今の綾乃はまだ空中で移動する術を身に着けていない。
(やばい!)
防御、回避共に間にあわず―――――綾乃は為す術もなく【ひな】に脳天から貫かれる。
ガキンッ!!
はずだったが、横手から高速で飛来した蒼き風の刃が【ひな】の刀身に叩いて軌道を逸らし、被害を綾乃の髪の毛数本に変更させる。
更には、龍斗が二の太刀を振るう前に飛来する複数の風の刃に、龍斗は綾乃を殺すことを諦め、身を翻して離れた地面に降り立つ。
「そう簡単にやらせるかよ!」
「チッ―――――風術師風情が!」
蒼き風を纏い、龍斗に向かって疾走する和麻。本来なら後方支援する立場なのだが、この様な状況下において、綾乃には龍斗の相手はまだ荷が重すぎると判断し、前衛にでてきたのだろう。
「下がって仕切り直せ!」
着地した綾乃の側を通り抜け様にそう言う和麻。いつもなら反論の一つでも言うところだが、ろくな防御もなく至近距離で【ひな】の邪気に当てられ軽い衰弱状態に陥っていたのだ。
気合いでどうとでもなる程度だが、龍斗相手にはそれでも大きな隙となる。その時間を稼ぐためにも、和麻が前衛にでばったのかも知れない。
「―――――ッ!」
大地を強く踏みしめ掌打を放つ和麻。その掌打を龍斗は紙一重で避けると、お返しと言わんばかりに和麻の顎めがけて右足で突き上げる様な蹴りを繰り出す。
「その程度かよっ」
カウンターにも近い龍斗の蹴りを和麻は上体を逸らして避けた―――――次の瞬間、龍斗の二撃目となる左足の突き上げる蹴りが和麻の顎を捉え、後部上空へと蹴り飛ばした!
「和麻!?」
「兄様!!」
まともに龍斗の一撃を喰らった和麻を見て叫ぶ綾乃と煉。
龍斗は突き上げた右足に風氣を纏わせ、そのまま『大気』を足場にして固定、続いて左足で同じ突き上げる二撃目をかましたのだ。それに気づかず、完全に避けたと思いこんだ和麻は、予想外の攻撃に反応できないままに顎を蹴り上げられ、吹き飛ばされてしまったのだ。
三日月の様な体勢で空中に舞う和麻。そして龍斗は宙返りして着地すると同時に地を蹴り、その和麻に向かって一直線に跳躍する。
「煉!!」
「はい!!」
炎雷覇を振りかぶりそう言う綾乃の意図を察し、煉は龍斗に向かって手を翳す。
二人は可能な限りの精霊を一瞬で顕現と同時に収束―――――綾乃は炎雷覇を振るい刃として放ち、煉はレーザーの様に炎を放つ。
だが、引き続き風氣を纏っていた龍斗が再度『大気』を蹴り、綾乃と煉の攻撃を避ける。そして―――――和麻を一刀の元に両断した。
真っ二つに斬り裂かれる和麻。鋭すぎる刃は血管すらも潰さず切り、切断面から血が噴き出―――――でない!
それどころか、断たれたはずの和麻の身体はその形を崩し、白銀に輝く水の飛沫となって弾け散る。
「〈水影〉……浦島の秘術か」
龍斗の眼が…龍斗に操られた景太郎の眼が憎悪の色に染まる。その視線の先には、顰めっ面の和麻とその側で静かに佇む可奈子の姿があった。
「和麻、無事だったの!!」
「一応生きでるから騒ぐな……」
駆け寄り心配する綾乃にきつい言葉を返す和麻。しかし、その強気ともとれる言葉とは裏腹に、和麻の声には力が無く右手で頭を押さえていた。やはり最初の一撃は無傷では済まなかったのだろう。
「畜生…忘れてたぜ。神鳴流の【真髄】を会得した奴相手に正攻法の格闘は不利だったっけな……」
神鳴流の『五行戦氣術』は極めれば極めるほどに力が格段に増す。そして、〔木・火・土・金・水〕の五行を通じ、森羅万象を味方とする神鳴流の達人に不利な戦場というものは殆ど存在しない。
中でも龍斗が行った〈大気〉を足場にする行為など基本中の基本、位を得た者なら誰でも行える技術だ。
「チッ…俺も少し鈍ったようだな。昨夜、景太郎に注意されたのによ。無様にひっかかっちまったぜ」
「やりにくい相手ね……達人の景太郎が相手だと、尚更に……」
和麻の言葉に綾乃が渋い顔で応える。
神鳴流の技が恐ろしいのは、今まで景太郎の技を幾度と無く見てきたからそれとなく理解していたが、その当の本人が相手となると、脅威も倍増するというものだ。
「敵を目の前にして悠長に相談とはな……いいだろう、続きは黄泉で存分に行え」
淀んだ翠色の氣を纏った龍斗が地の上を滑るように疾走する。狙いは―――――先程邪魔をした可奈子だ。
「させません!!」
しかし、煉が『龍斗』の行動を阻止すべく黄金の炎を放つ。
その炎は奔流となり龍斗に迫り―――――直前に炎は四つに分かれる。そして四つの炎は短く迂回すると同時に龍斗の周囲を旋回、燃え盛る炎の陣を形成しその動きを封じ込めた。
「チィッ―――――」
地を疾る炎は煉の猛る意思を象徴するかのように燃え上がる。
意思は龍斗のものだが身体は景太郎、故に耐火能力は途轍もなく高い。だが、神凪の炎が強大な由縁は『圧倒的な熱量』と『自然ならざる存在を浄化する力』の二つ。今の龍斗にとって、“一つ目”はともかく“二つ目”はとても看過できるものではない。
それに加え、つい先程に煉の浄化の炎により受けたダメージは記憶に新しく、それが龍斗の二の足を鈍らせていた。
例え、景太郎の身体が防壁となり、浄化の力を内部まで届きにくくしているとは云え、魂の浄化は……存在を消されんばかりの恐怖は、龍斗といえど…否、邪に墜ちたからこそ尚更強いと言えた。
(ならば……)
「無駄です!」
四方を取り囲む炎から逃れんと、上空へ跳んで回避しようとする龍斗に、煉は先んじて宣告する。
その宣告は偽りではなく、上空では急速に巨大な黄金の火球が形成され、炎に取り囲まれた龍斗めがけて落下した。
周囲を取り囲む炎の壁に、蓋をするかのように落下する巨大な火球。足を止めた龍斗にもはや逃げ道はない。
と、思いきや、当の龍斗は黄金の炎越しに煉を見やり薄く笑った。
「いい手だ…だが、術者が未熟だ!」
邪炎を纏わせた【ひな】を振るう龍斗。その一撃に煉と龍斗を遮る炎の壁の一角が裂かれ、脱出口が出来上がる。
上空の火球を作り、囲む壁の制御が甘くなり容易く破られたのだ。景太郎を傷付けまいと対象限定を行い、煉の炎は全力からほど遠い代物だった故だ。
「しまっ―――――ッ!?」
驚きの声を言い終える間もなく、炎の壁を越えた龍斗が煉の眼前へと一瞬で移動する!
「死ね……」
小声だが、明確な殺意を乗せた言葉と共に、龍斗の掌打が放たれる。
(防御―――――する!)
達人である父に厳しく鍛えられた成果か、龍斗の掌打を腕を交差させて防御する煉。腕に集めた氣が龍斗の氣を乗せた掌打の威力を削る。
だがその反面、足下が疎かとなり、削りきれなかった威力と衝撃が煉を後ろへと吹き飛ばす。
そしてその先には―――――大きな庭石が鎮座していた。
衝撃により腕が痺れた煉は受け身がとれず…それ以前に、物凄いスピードで飛ばされた状態では、受け身を取ろうと背骨が砕けるか頭が砕け散ってしまう!
「水よ―――――」
突如庭石の前に現れた巨大な水の球体が、クッションのように煉の身体を優しく受け止める。
むつみの仕業だ。皆のサポートに徹しているむつみが煉を助けたのだ。先程、龍斗に蹴り飛ばされた綾乃を受け止めた時のように。
「チィ―――――生意気な!」
助かった煉に龍斗は舌打ちすると、【ひな】を持ち上げ直接止めを刺そうと疾走する。そして煉もまた、纏う炎を強め迫り来る龍斗に向かって浄化の炎で放たんとする。
だが、その二人が行動を起こすよりも早く放たれていた蒼い風の刃に、龍斗は刃を引きその場から跳び退く。
そして続いて襲い掛かる複数の風の刃を邪炎で迎撃するも、相殺の際に生じた衝撃波に吹き飛ばされ、更に後退を余儀なくされた。
「風術師風情が…また邪魔をするか」
風の刃を放った張本人たる和麻を睨む龍斗。その憎悪の視線に対し、和麻は余裕綽々と云った感じに口の端を吊り上げて笑った。
「思っていたとおりだな。やっぱりお前は弱い」
「戯れ言を…この者の炎と私の技、そして長年積み上げてきた邪気。その力を前に弱いと言うか」
「ああ、何度も言ってやる。お前は景太郎よりも弱い」
この身体の持ち主よりもはっきりと〈弱い〉と言われた龍斗は腹立たしげに歯軋りをした後、何かを言おうと口を開くが、それよりも早く再び和麻が言葉を紡いだ。
「お前の使う炎は炎術と云うにもおこがましい代物だ。ただ単純にぶつけるだけの力押し。景太郎の炎術に比べれば猿真似にすらなっちゃいねえ。炎の量こそ及第点だが、威力自体は今一。ただ単純に命を害する邪気の特製が厄介なくらいだな」
本来の景太郎が扱う炎は『破魔』の炎。浦島の血を色濃く継いだその破魔の秘力は現存する宗家の中でも極めて高い。先程の影治みたいに身体の髄から浸食したのならいざ知らず、完全な融合も遂げていない現状では破魔の炎を邪気で染めている為、量はともかく威力事態は通常よりも下がっている。
和麻が言う通り、今の龍斗の操る炎で一番厄介なのは、宗家並の炎による熱量等よりも、余波だけで命を枯らす邪気の特性の方だろう。
「まぁ、氣の扱いは元が神鳴流ってだけあってそこそこのようだが、やっぱり景太郎と比べて技術も劣っている。唯一優ってんのは、他人から搾取し続けたエネルギーの総量ぐらいなもんだな。
はっきり言って、お前が優勢に戦えてるのは此奴等がなんとかして景太郎を助けようとしているから全力で戦えない所為であって、そうじゃなかったらもっと早く片がついてるぜ」
「なんだと……」
唯一認めるのは他人からのもので、それ以外はまったく話にならない。対等に戦えてるのは景太郎という人質がいるから。そう言われた龍斗は殺意と共にドスの利いた声を発した。
「悔しいか? ならやって見せろよ。『咬龍』とか、『三壊旋律』みたいな氣功術の奥伝、『穿』や『白夜』といった必殺級の炎術をよ。言っとくが、さっき景太郎がやったような未完成の『白夜』じゃねぇぞ、本物の『白夜』をやれよ」
先程のあれは完全なものではなかったのか!? と、殆どの者が驚いた顔で和麻を見る中、綾乃と煉は顔を青ざめさせる。彼女達は見たことがあるのだ。景太郎の最大最強の炎術―――――白夜―――――を。
炎術師の最高峰たる神凪の宗家の者すらも青ざめさせるほどの威力を有した最凶最悪の術を……
「あ、あんた何を言ってんのよ! あんな反則級の術をあいつが使ったら―――――」
「心配するなって。使えやしねぇよ。絶対にな……」
龍斗を嘲りの笑みを浮かべながら見やる和麻。その和麻の笑みに腹立たしげな顔になる龍斗だが……すぐに冷笑を浮かべる。
「確かに認めよう。今の私は炎を完全に操作はできん。だが、それはこの者との融合が進めば解決することだ」
「そんなこと言ってる時点で手前には絶対に無理だな。普通の魔術と違って精霊魔術ってのは感性が結構主だからな。記憶を共有しても使えるもんじゃねぇんだよ」
この場にいる精霊術師達が和麻の言葉に心の内で同意する。同じ精霊術師で同力量であったとしても、相手と同じ事ができるとは限らない。
例えれば武術…その型、動きを見て記憶すれば、その通りに動けるとは限らない。仮に動けたとしても外見を取り繕っただけであったり、容易くボロがでるような戦いしかできない。それを戦いに用い、百%の力を発揮するためには、それ相当の訓練と努力が必要だ。
同様に、煉と景太郎が同量の精霊で【銀星精・閃】を放ったとしても、一日の長があり長い研鑽を重ねてきた景太郎には九分九厘勝てない。
そして、可奈子となつみが同条件で水を使って剣を作った場合、剣術が得意であり【剣】についてより深く理解しているなつみが高い確率で勝つだろう。
いかに龍斗が景太郎の記憶を共有し、扱える気になったとしても、所詮それは出来の良い模造品……本物には遠く及ばない贋作でしかない。
それに加え、【穿】の様な究極的な収束火球など、それこそ景太郎本人のみしかできない。
とてもではないが、普通の人間が…今は魔に堕ちても感性は人間である龍斗が辿り着ける境地ではない。精霊術師は生まれついて精霊術師―――――彼らでなければ理解し得ない〈世界〉というものがあるのだ。
「理解したか? んで、次に氣功術だが…技術は完璧に劣ってるな。見事なまでに」
「炎術は仕方がない…だが、氣の術において、俺は数百年にも及び鍛えてきた。それがたかだか十数年鍛えたコヤツに劣るだと? 巫山戯るのも「引き続き教えてやるから黙って聴け」……なに?」
親切にも教えてやるという和麻に訝しむ…否、疑う龍斗。敵にどこが劣っている点をわざわざ教えるなど普通はありえない。
だが、この場で和麻の性格を知る者は概ね納得していた。和麻が懇切丁寧に教えているのは、それを知った相手が怒ったり否定したりする無様な様を見るのが楽しいからだ。
「今まで、お前は俺とか煉に何度も素手で攻撃した。もちろん、お前は手足に氣を纏わせてはいるが、結局は殴打するだけに止まっている。だが、景太郎が本気で殺す気だったら……俺や煉、綾乃は初撃で死んでいたさ。あいつの打撃はえげつないからな、触れた瞬間にその部位を抉り削るんだからな。
それが『咬龍』…纏う氣を螺旋回転させ、触れた存在を削り穿つ技だそうだ。もし相手が景太郎でそれを使っていたら、俺や煉の頭、綾乃の腹は無くなっていただろうな」
和麻は態とらしく龍斗に蹴られた顎をさすりながらニヤッと一笑する。
そんな和麻に、龍斗も嘲る笑みを浮かべながら刀を持たぬ右手を見せつけるように目の高さまで持ち上げる。その右手には渦巻く気流が発生する。手に纏わせた氣が螺旋回転しているのだ。
「この程度の事、その気になれば容易いわ。望むのであれば、コレを貴様の頭に叩き込んでやろう」
「望んでやるからやってみな」
クイクイッと人差し指を曲げて挑発する和麻。だが、龍斗は苛立たしそうに舌打ちし、挑発には乗らない。解っているのだ。格下相手ならばともかく、高度な格闘技術を有した相手には通用しないことを。
纏う氣を、触れた存在を削り穿つほど螺旋回転させるにはそれなりの氣のコントロールを有し、ある程度の集中力が必要となる。
同格か近しい格闘技術を持った相手に、一々氣を回転させて戦うなど非効率的すぎるのだ。
おそらく和麻であれば、氣のコントロールに気を取られた龍斗に後れをとることなどありえない。むしろ、逆にやりこめられるだろう。それを理解しての挑発なのだ。
無論、景太郎もそのリスクを負い、承知している。だが、景太郎の『咬龍』は鍛練に鍛錬を重ね、完全に自分のものとしており、意識するだけで発動できるレベルにまで昇華している。
これもまた、知識だけでは為し得ない、鍛錬によって【技】にまで高めた『技術』なのだ。
「そして最後…お前も氣がついてるんだろ? 炎術…っていうか、精霊魔術と神鳴流の扱う氣功術は相性が悪い…って言うか最悪だ。なんせ同時に使うことは出来ねぇんだからな」
「え!? そうなの?」
和麻の言葉に驚いた声を上げたのは……誰であろう、景太郎の義妹である綾乃であった。その事に一同は…龍斗ですらも言葉を無くした。
「お前な…………」
「いや、だってその……知らなかったんだから仕方ないじゃない!」
全員の白い眼に耐えられなかったのか、綾乃が顔を紅くして怒鳴る。
「だって、景太郎って一緒に使ってたじゃない。勘違いしても仕方がないでしょ!」
綾乃の言葉に何人かの顔色が変わる。それは神鳴流の者だったりするが、大方が浦島の術者達だ。浦島は神鳴流との付き合いが長い。故に、同時使用ができないことを誰よりも知っているのだ。
浦島家歴代最強と言われたひなたですらできなかった。それを景太郎はできると言う……驚くなと言うこと自体が不可能だ。
「綾乃さん、本当に義兄は〈精霊魔術〉と〈五行戦氣術〉を同時に使っていたんですか?」
「うん。私も景太郎の戦いをそう見ているわけじゃないけど…確かに使っていたわ」
可奈子の確認の問い掛けに頷く綾乃。近くまで駆け寄っていた煉も同意するように頷いた。
「まぁ、確かにそうんだが…あいつだけ例外なんて事はないはずだ。なにかしらカラクリはあると考える方が普通だな。なにせ、その身体を使っている奴ができないんだからな」
揶揄するように嗤いながらそう言う和麻に、龍斗の返事は身体より邪気を立ち昇らせる事だった。
「だからどうした…同時に使えずとも問題はない。私の技は立ちはだかる者を屠り、漆黒の炎は全てを滅す。それぞれで十分貴様等を倒せる」
「その技の源は他人から搾取したもので、炎自体も景太郎の恩恵…はっ! 人の身体を間借りしているだけの寄生虫もどきが大層な言葉を吐きやがるじゃねぇか」
「ほざけ。手段を問わず復讐を遂げた貴様が言うことか。身の程を知れ!!」
「ふん、景太郎の記憶を読んだのか……否定しねぇよ。俺は復讐のためにどんな手も使った」
だからどうしたと言わんばかりに嘲笑する和麻。開き直りも此処まで来ればいっそ清々しいばかりだ。
ここまでくれば龍斗も和麻の毒舌に馴れたのだろう。いきり立つわけでもなく、冷静な表情に侮蔑の眼差しを和麻に向けながら漆黒の炎を顕現させ、【ひな】に纏わせる。
「言いたいことはそれだけか? 終わるまで待ってやる……貴様のこの世で最後の会話をな」
「んじゃ、お言葉に甘えて最後の一つ教えてやる」
勿体ぶりながらニヤァ…と笑いを浮かべる和麻に、龍斗が訝しげに眉を顰める。
「一対多数の戦いの最中にな……」
蒼い風―――――浄化の風を身に纏う和麻。龍斗は和麻からの攻撃に警戒し、黒炎を纏う【ひな】を構える。
「一人に集中してんじゃねぇよ、ばーか」
「―――――っ!?!」
言い終えると同時に二つの光の刃が和麻の身体を擦り抜け、龍斗に向かって飛翔する。
その光の刃を一目で看破した龍斗は驚きで動きが一瞬止まったものの、黒炎纏う【ひな】で斬り裂こうと振りかぶる―――――直後、和麻が放った蒼く輝く空気の圧縮弾が光の刃を追い越し【ひな】に直撃、解放した衝撃で【ひな】を大きく弾き、刀身に纏う炎を散らした。
辛うじて手放さなかったものの、完全に隙だらけとなる龍斗。そしてがら空きとなったその胴体を―――――二本の光の刃が交差に斬り裂いた!
「があああああっ!!」
魂を直接斬り裂かれたような激痛に絶叫を上げる龍斗。しかし、その身体にはかすり傷ほどの怪我も負っていない。
「追撃!!」
可奈子の号令と共に、可奈子本人と乙姫親子が白銀に輝く水流を放つ。だが、それが接触するよりも数瞬早く、龍斗が忽然と消え去り―――――遥か後方に姿を現した。
「縮地法で逃げたか。総代と鶴子さんの〈斬魔剣・弐の太刀〉をまともに喰らっても尚あんな動きができるなんて……〔青山 龍斗〕の怨讐は僕の予想なんかを遥かに絶するもののようだね」
苦渋の表情でそう呟く彰人。神鳴流で最強格の二人が放った〈斬魔剣・弐の太刀〉を同時に受けても消滅しないなど、もはや人の領域を遥かに越えている。
人はそこまで堕ちることができるのかと思う反面、彰人は人の想いが示した可能性のようなものに一種の感動すら覚える。
そして同時に、それを無念にも思っていた。もし、〈青山
龍斗〉が魔に堕ちることなく、真っ直ぐに神鳴流の戦士としての道を歩んでいれば、自分などには見ることすらも叶わない、真の天才しか到達し得ない極みに至ったかもしれないと云う可能性に。
「これは…覚悟を決める時が来たようやな」
そんな彰人の耳に、自分の伴侶の呟く声が聞こえた。
「彰人はん……」
「なんだい? 鶴子さん」
「これから、うちが一人で〈青山 龍斗〉ともう一度戦いますよって、隙ができたら眼鏡を外しておくれやす」
「な、何を言ってるんだ鶴子さん!? 一人で戦うなんて自殺行為だ、それは君だって解っているだろう?!」
「確かに。景太郎はんを助けるという前提がある今のままでは…さっきの二の舞でしょうな」
「今のままではって…まさか五龍の封印を―――――〔五門〕を解放するつもりなのかい!? そんな事をしたら鶴子さんの身体が……」
彰人の言葉に首を横に振る鶴子。それを見た彰人は顔面を蒼白にさせる。それこそ、鶴子が死んだと勘違いした時のように。
「だ、駄目だ、“あれ”も危険すぎる! 万が一のことがあれば鶴子さんは……」
「分かっておくれやす、彰人はん。道を違えた【雛】を諫めるのが同じ神霊器である【五龍】を受け継いだ者の宿命。そして、受け継ぐ時に約束したんどす。〈その時〉が来た場合、【雛】に宿った存在を止める事に協力するんを……【五龍】に宿る『燕』様と、うち自身の意思で」
変わらず微笑んだままそう言う鶴子に、彰人は言葉を失う。その口調から伝わる覚悟、その眼に宿す強き意思の光に、もはや何を言っても無駄だということを悟ったのだ。
「分かった……でも、これだけは約束して欲しい。生きて帰って…いつも通りの鶴子さんで戻ってきてくれ」
「当たり前どす。いろいろと苦労して結婚したのに、旦那一人だけ残して死ぬのはまっぴら御免どすからな」
そう言って鶴子は龍斗の方へ向かって歩を進め……十メートルほどの間合いを空けて立ち止まった。それと時を同じく、龍斗もまた乱していた息をやや強引に整え、自分を見据える鶴子を睨み付けた。
「また俺と戦うつもりか、五龍の継承者。せっかく拾った命を捨てにくるか……」
今まで以上に邪気を纏い、大量の黒炎を顕現すると共に【ひな】に纏わせる龍斗。
炎術と五行戦氣術が併用できない為、今まではいつでも切り替えられるように炎を抑えていたのだが、それをやめたようだ。
純粋な〈氣による身体強化〉と〈炎術〉の二つに戦闘方法を絞るつもりなのだろう、炎の量と勢いが今までより格段に上がっていた。
それを見越したのだろう、可奈子が鶴子に近寄り水昂覇を構える。
「鶴子さん、一人では無理です。私たちも―――――」
「…………可奈子様とそのご一同。これから少々派手に闘う故、離れていてもらいたい」
可奈子の言葉を遮り…いや、聞こえていない様子で一方的に離れるように言う鶴子。
そんな鶴子の言葉に反論するどころか鋭く息を飲んだ可奈子は、即座に踵を返し綾乃達の居るところまで迅速に退避する。
「皆の者、巻き込まれたくなければ結界を維持しつつ可能な限り下がりなさい!」
「何、一体どういうこと?!」
可奈子の指示に退避する浦島と神鳴流の者達を後目に、綾乃が戸惑った様子で問い掛ける。
「綾乃さん達も退がりましょう。此処は危険です」
「だから一体どういう事よ?」
「鶴子さんの口調が変わりました。いえ、昔に戻りました。おそらく彼女は本気を出す気です。私たちはその巻き添えを食らわないように離れます。彼女は……今の彼女は、誰が巻き込まれようと一切構わず闘うでしょうから」
「構わずって…そもそも何? あの人今まで本気を出していなかったって言うの?」
訝しげな視線で鶴子を見る綾乃に、可奈子もまた厳しい表情で鶴子を見やる。
「出していました。ただし、それは『神鳴流の剣姫』の本気です。しかも、兄さんを助けるつもりの闘い方でした。ですが、これから見せるのは昔の彼女……冷酷無比な『神鳴流の剣鬼』と呼ばれていた頃のものです」
「いまいち意味が解らないんだけど……」
同じ『ケンキ』という言葉に意味が理解できず首を傾げる綾乃だが、その頭に手を置いた和麻が(物理的)強引に押さえ付けて言葉を止める。
「細かいことはどうでもいい。あれなら景太郎を止めることができるのか?」
「それは…わかりません。ただ、あの状態に戻った鶴子さんには遠慮や手加減というものは一切存在せず、その真の実力は今の私では到底敵わないと断言していたほどです」
「史上最強の水術師と謳われる【翠流のひなた】がそこまで言うんなら、よっぽどのもんなんだろうな。おい綾乃、さっさと退がるぞ」
和麻は可奈子の言葉に納得すると、押さえ付けていた手で襟首を掴み、半ば引きずるように後ろに後退する。それに対し綾乃はもがき抗うが、引きずる力の強さに勝てず結局は引きずられる。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! あの人は一度負けたのよ!? いくら何でもまた一人で闘わせるなんて……」
「四の五の言わずに後ろに退がって黙って見とけ」
「でもね……」
「下はともかく、上の連中はお前に言われたことぐらい解らねぇほど馬鹿じゃない。それをふまえて後ろに退がって傍観決めこんでるんだ、余所者がどうこういう問題じゃねぇんだよ」
「そんなこと言ったって……」
まだ何か言い多そうな綾乃を和麻は無視すると、結界の外まで出て掴んでいた手を放す。
なにやら恨みがましそうな目で見る綾乃を再度無視すると、和麻は鶴子と龍斗に目を向ける。一緒について来ていた煉を伴って。
「和麻―――――」
「いつでも動けるように準備しとけよ」
綾乃の言葉を遮る和麻。視線は向けられてないが、それはいつでも動けるように備えている事に綾乃は気が付いた。
周囲を見ると、煉はともかくとして可奈子や乙姫親子、神鳴流の総代等が結界の外まで後退してはいるものの、いつでも動けるように備えている様子が見受けられた。だが、それは鶴子を助けたり援護する為などではなく、鶴子をいつでも止められるように備えている……様に綾乃の目には写った。
「なにか……やばい気がするぜ」
そんな真剣で重々しい和麻の言葉に、綾乃の身体は寒くもないのに鳥肌を立てた。
「何をするつもりか知らないが…引く気はないか。いいだろう、今度こそ貴様を―――――ッ?!」
言葉の途中でその場から飛び退く龍斗。鶴子との間合いを更に広げつつ、鶴子を注意深く見ながら【ひな】を構える。
(寒気…だと?)
背筋を凍らせるほどの寒気に、龍斗が鳥肌を立てる。
外気が冷えているわけでもない、むしろ邪炎の影響で『龍斗』の周囲は周囲より格段に温度が高く、寒気を感じることなど普通ありえない。
だが、異常を感じているのは龍斗だけではないようだ。結界を張っている者達、それの外で遠巻きに見ている連中、更には離れた場所に移動し戦っていた景太郎の使い魔と灰谷の使い魔達もまたその動きを止めていた。
まるで、その場の時と空間が凍りついたかのように…………
その原因と中心はすぐに知れた。
軽く俯き、長い髪に遮られその表情がろくに窺えなくなっている……青山 鶴子だ。
「なんと凄まじき“殺気”……貴様、本当に『人』か?」
当の昔に人など捨てた存在が口にするその言葉。だからこそ、その言葉は異様なまでに現実感を帯びていた。
鶴子の殺気に憎しみや怒りといった負の感情などは一片も混じっていない。ただただ純粋な殺意。全てを凍てつかせる永久凍土を連想させる、絶対零度の殺気。
成瀬川の一家やキツネ達のような殺気を明確に感じ取れない者達ですら、息苦しさを覚え突然襲う寒気に身体を震わせている。
そして―――――凍結した空間は唐突に最後を迎えた。
ただ静かに周りに浸透していた殺気が、鶴子を中心に突風となって吹き荒れる。
それと同じくして、鶴子の表情が変わる。眼球の白い部分が黒へ、逆に黒い部分が白へと反転し、表情が能面の如く人間味が無くなった。
生気が無いというわけではない、人から感情を全て抜けばこんな風になるだろう。
「貴様! その眼は―――――」
「行くぞ……」
龍斗の言葉を遮り宣言する―――――直後、鶴子の姿が瞬時にして掻き消えた!
「「消えたっ!?」」
驚いた綾乃と煉が叫ぶ。そして和麻もまた胸中で驚いていた。
(速ぇ! 目で捉えきれるもんじゃねぇぞ!!)
以前戦った赤毛の人狼に匹敵かそれ以上の高速移動に、和麻の背中に冷や汗が流れる。
そしてそれ以上に―――――誰よりも驚いたのは、
「―――――ッ!!」
瞬きする間に鶴子の姿を見失った龍斗であった。
その直後、眼下から叩きつけられる凍気にも似た殺気に龍斗が瞬時に視線を下げると、そこには既に五龍を抜き放ち、全身から冷たい殺気を放つ鶴子の姿があった。
(今の移動は―――――)
獅隼脚なら爆音が、縮地法なら踏み出す初動作が、旋駆なら木氣の残滓がある。だが、今の移動にはそのいずれもなく、一瞬で眼前へと移動した。魔術などでの移動の類では無い事は確実。
だとすれば結論は一つしかない。この者は―――――
「―――――ッ!」
下から見上げる形となった鶴子の顔は変わらず、されどその口の両端がつり上がり、三日月の形となったのを見、正気に戻る龍斗。
そして上体を逸らし―――――鶴子の跳び上がり様の斬撃を紙一重で避ける。
「くっ!」
上半身を逸らした状態からそのまま後方へと宙返りを行う龍斗。その一瞬後、着地と共に放つ鶴子の唐竹斬りが龍斗の居た空間を通り過ぎる。
(先程までとは比べものにならぬほど速い!)
最初の立ち会いの時であれば、同じ不意打ちであっても、二度とも受け止める事ができた。だが、今は違う。全て今までとは桁違いに速く、防御することすらできず回避するのが精一杯だった。
(やはりこの者は―――――)
最初の動き、そして次の斬撃に明確な確信を得た龍斗は、一気に勝負を決めんと地面に着地すると同時に右手を前方に突き出し、周囲の炎の精霊を引きずり寄せる。
「燃え尽き―――――っ!」
精霊が顕現しようとした瞬間、またも高速移動で近づいた鶴子の左飛び膝蹴りが龍斗の顔面を捉える。その一撃に龍斗の意思が乱され、顕現しようとした精霊が霧散する。
そして飛び膝蹴りの一撃に大きく仰け反った龍斗に、鶴子は空中で身を捻り、今度は右の回し蹴りで蹴り飛ばした。
「がはっ!」
蹴り飛ばされ、連続の襲撃によるダメージで受け身をとれず地面を転がる龍斗。
仰向けに倒れ、顔の痛みに耐えながら目を見開く―――――とそこには、上空から自分に向かって降下する鶴子の姿があった!
「………………」
変わらず三日月のように口を吊り上げた鶴子が、無言のまま龍斗に向かって五龍を振り下ろす。
―――――ボゴンッ!!
刀身と大地が接触した瞬間、そのあまりの威力に地面が凹み、直径五メートル近い浅いクレーターを作り上げる。
その一撃を何とか横に転がって避けた龍斗だが、その際の衝撃にまたも吹き飛ばされる。
「ちっ―――――」
吹き飛ばされるも今度は右手を地面に着け体勢を立て直し綺麗に着地する。そして即座に【ひな】を納刀、地面に膝を着いた状態で抜刀術の構えをとる。
だが―――――
「……ッ!?」
そこには既に鶴子の姿はなかった。あるのは無惨に凹んだ地面のみ。
龍斗は驚くもののすぐに半眼となり周囲の氣を探る。そして鶴子の氣は即座に見つかった。
「ククククク…………」
すぐ側―――――背後だ!
鶴子の低い笑い声と共に強大な殺気が龍斗の…景太郎の身体を貫く。
(こうも―――――簡単に背後を取られるとは!!)
「喝ッ!!」
身体を捻るように振り返る龍斗。同時に抜刀し、背後の鶴子に向かって刃を振るう。
だがその刃が斬ったのは虚空と鶴子の気配の残滓のみ。当の鶴子は数メートル離れた所で変わらずの笑みを浮かべたまま『凶眼』となった眼で龍斗を見ていた。
(これが…………なのか)
龍斗のこめかみより一筋の冷や汗が流れる。その様子を見た鶴子がそれを嘲笑う。
「どうした、先程までの余裕が無いぞ?」
「ぬかせ……」
吐き捨てるようにそう言うと龍斗は立ち上がり、そして再び納刀しながら腰を落として前傾姿勢となる。
「最速の一撃で貴様を確実に斬る」
右手を【ひな】の柄に添える龍斗。最速の攻撃である抜刀術に突進力を加え更に加速するつもりだ。それに対し、
「くくくく……やってみろ」
自然体のまま、五龍を持った右手を構えることなく垂らしたまま、低い声音で嗤いつつ挑発した。更なる殺気を撒き散らしつつ―――――
「なんなのよ、あの出鱈目な強さは……さっきまでとは全然別人じゃない」
「はい……とても強く、同時に怖いです。〈是怨〉や〈涅槃〉と相対したときとも、〈精霊喰らい〉とも違う感じの……」
洒落にもならない鶴子の圧倒的な強さに、綾乃と煉が半ば呆然と呟く。自らの身体が鳥肌を立て、僅かに震えていることを自覚せず。
「冗談じゃないわよ……こんなのと戦ったら、炎術を使う間もなく斬られて終わりじゃない」
「ま、そうだな…」
変わらぬ口調のまま綾乃に同意する和麻。そんな彼の脳裏では今の鶴子を仮想敵に何十通りも戦いをシュミレートしている。
その結果から導いた彼の結論とは……何の準備も無しに真正面からまともに戦うな、目も届かない遠距離から仕留めろ、それ以外なら即座に逃げろ……だった。
最強の風術師である彼の結論がそれなのだ。綾乃達が戦った際の結果は推して知るべし…だ。
「ち、父上、姉上のあの“眼”はなんなのですか!?」
鶴子の変貌について父に問い質す素子。口調こそ昔に戻っただけだが、両眼の変貌と桁違いの戦闘力についてはまったく知らない。
確かに、素子の記憶の中でも鶴子は圧倒的に強かったが、これは些か…いや、かなり無茶苦茶だ。龍斗ではないが、本当に人なのか? と言いたくなるほどだ。
そんな素子の問い掛けに対し、元舟は重々しく口を開ける。
「神鳴流に二つの『眼』あり……一つは〈羅紅眼〉、羅刹の如き力を発揮し敵を打ち倒す真紅の眼。そしてもう一つは〈凶眼〉、鬼神の如き力を発揮し敵を滅ぼす、漆黒の眼。
見ての通り、鶴子は〈凶眼〉を発動させておる。宿せし者に凶兆を招く災いの眼を……」
感情を押し殺した声音の元舟の言葉に、彰人が苦痛に耐えているような顔になる。
「〈羅紅眼〉の事は聞いたことがあります。五月家の血を引く傍流の者達が時折発現させる眼で、それを発現させれば〈殺鬼〉の血が活性化され、身体能力が数倍に強化される…と」
「その肉体のみで京に蔓延る数多の悪鬼を圧倒し、打ち倒したと云われる五月の初代。彼の者は常人とさほど変わらぬ身でありながら、人にあるまじき強靱な肉体を持ち得ていた。その武勲と強さ、そして畏怖を篭めて〈鬼殺し〉と呼び、本人もそれを捩って殺鬼と名乗った。
その強靱な肉体は子に、孫に受け継がれ、直系以外の者達に薄まり広がりながらもなおその“血”に宿る力は少なからず秘めている。それが発言した証が〈羅紅眼〉だ」
神鳴流に属し、ある一定以上の位や関わりのある者ならば誰しも知っている事。無論、素子も知ってはいるが、それを知らぬ成瀬川達や綾乃達が逐一頷き聞いている。
「そして〈凶眼〉もまた同じ……いや、その力は比べものにはならぬ。五月の直系筋にしか現れぬその“眼”を得た者は桁違いの力を発揮する。それは通常でも〈羅紅眼〉以上の力を有する五月の直系をも圧倒する程だ……」
生身で〈旋駆〉並の脚力を有し、氣を纏わずに岩を軽々砕く腕力を持つ五月家の者を知る者は、今の元舟の説明をただ聞いただけならば眉唾物と判断したか、半信半疑…いや、三信七疑しただろう。
だが、ああなってからの鶴子の動きを見れば、そんな気持ちなど一蹴されることだろう。
あれ程の…鬼神としか言えぬ戦い様を見れば……
「ですが、力が強まるというのならそれは良い事。それが何故『凶兆を招く眼』等と呼ばれているのですか?」
「………………」
素子の発したその質問に関し、途端に口ごもる元舟。それを訝しげに見る素子だが、元舟は一瞬苦渋の表情を見せた後、すぐに口を開いた。
「……それは分からん。古くからあの“眼”そう呼称されているのだ。おそらくは〈羅紅眼〉と同じく、顕現した者の殆どが聖位以上に成りづらいことからではないかと推測されている」
「そうなのですか……」
父の言葉に頷く素子。だが、その表情は今一納得していない様子だった。
(確かに、〈羅紅眼〉に目覚めた者の殆どは何故か『聖位』に成る事が非常に少なく、五十人に一人、もしくは百人に一人といわれている。だが、本当にそれだけなのだろうか?)
素子は父の口調から妙な違和感を感じていたが、それを口に出すことはできなかった。
そして……
(今はまだこれで良い……素子が知るにはまだ早すぎる)
素子の様子を見つつ、元舟はそう心の中で呟いた。本当の事を知れば、素子は鶴子を忌避するかも知れない。それに何より、あの事を思い出してしまう可能性もある。
最悪の事態になってしまえば両方とも…最低でも先の懸念は現実のものとなってしまう。だが、それまでは……単なる時間稼ぎやもしれぬが、父としてはその時が来ないよう、祈るしかできなかった。
〈凶眼〉……それは、五月家の初代が持っていたと言われている漆黒の瞳。彼の者の瞳が反転した時の力は凄まじいの一言に尽き、百の悪鬼の群れを素手で撲殺したと云われている。
そして彼の者は五月と名乗り、やがて神鳴流に属し……妻を娶り、子を成し、没した。
その時できた子は四人。その四人とも父より人並みはずれた強靱な肉体を受け継いだが、あの『眼』は誰にも現れなかった。そしてそれより更に時が流れ……四人の子の一人に初代と同じ『眼』が顕現した。
初代以降、実子すら持ち得なかった『眼』が現れたことに、周囲の者達はそれはもう喜んだ。強大無比な力が再び甦ったのだから。
そしてそれが―――――悲劇の始まりであった。
漆黒の『眼』を開眼すると、体細胞を変質させ、元来とは桁違いに強靱なものへとなる。見た目には殆ど変わりはないが、発揮する力が格段に上がるのはその為だ。
そこまでなら良かった……だが、やはりと言うべきか、得る力に相応した危険性が在ったのだ。
開眼したものは力が向上すると共に、興奮状態に入るのだ。無論、戦いにおいてどのような者でも多少の興奮状態になるのは当たり前だ。だが、開眼した者の興奮は普通ではなかったのだ。
殺す事への喜びしか感じられず、人を斬った際の罪悪感が快楽へと変わり、命を削るような強敵との戦いに性的興奮にも似たものを覚えるのだという。
凄まじく強烈なそれは『理性』を浸食する。それに呑み込まれれば最後、その者は殺戮の権化とも言える修羅となり、目に付くもの…妖魔であろうと人であろうと、それこそ最愛の者でも嬉々として殺害する。
最初に開眼した者もその『衝動』に呑み込まれ、百名近い神鳴流戦士達を殺戮した後、年老いた初代と時の総代の手により粛正された。
それ以降も何人もの五月家の者が〈眼〉に目覚めたが、その九割が身内である神鳴流に粛正された。多大な被害と共に……
しかし、残る一割…ほんの一握りの者は、開眼するもその強靱な精神力で制御してのけたのだ。
つまりは、凶兆の眼―――――〈凶眼〉に目覚めても、強烈な意思力があれば制御か可能だと云うことだ。
だが……それでも〈凶眼〉が危険なものであることには変わらない。開眼し制御し得たものでも発動中は常に『衝動』に抗い続けているのだ。
もし、使用中に心が弱くなることがあれば、決壊した堤防の如く、殺戮衝動に呑み込まれてしまう。故に、目覚めた者は常に己を強く律しし続けなければならない。
鶴子もまた〈凶眼〉を制御し得た者であるが、今も尚、その内では『殺戮衝動』と『強靱な意志』がその身体の支配権を巡り戦っているのだ。
もし、自分が負ければ……自分の始末を父と夫が率先して行わなければならなくなる為に。
そんな鶴子の胸中を知る故に、元舟と彰人は辛く苦しい顔にならざるをえないのだ。
だがしかし……そんな元舟の顔も、素子の次の言葉によって脆くも崩れ去ってしまった。
「しかし……五月の直系に現れる眼が、何故に青山である姉上に現れたのですか?」
「素子……お前、本気で言っているのか?」
呆れたように頭を抱える元舟。
(まったく…途中で疑問を挟まぬから理解していると思っていたが……)
「素子、お前は自分の母親がどこから嫁いできたのか忘れたのか?」
「え?」
父の言葉に思わず間の抜けた言葉を返す素子。そして言われたとおり思い出すと……母の旧姓が『五月』であることに気が付いた。
「…………」
「…………………」
重い空気が二人の間を漂う。そして素子は父に向かって深々と頭を下げた。
「も、申し訳ありません!」
「まあ良い。朔夜を知る者ほどそう思うのだからな、無理からぬ事だ」
謝る素子に、元舟は大きく溜息を吐いてそう答える。
素子と鶴子の母…元舟の妻『朔夜』は身体能力の優れる〈五月〉の息女でありながら、生来の病弱で戦闘に出る事ができないのだ。
そんな思惑を余所として―――――
戦いの場では、龍斗と鶴子の張りつめた糸の如き緊張が決壊しようとしていたところだった。
「行くぞ―――――」
またしても姿が消える鶴子。初動作すらも見切れぬ高速移動に、もはや周囲の人間に言葉も無い。
しかし、『後の先』を取るべく抜刀術の構えで全神経を張り巡らせていた龍斗の『感覚の眼』は鶴子の動きをはっきりと捉えていた。
その鶴子の動きは……何の迷いもない、自分へと向かう一直線。それを龍斗は鯉口を切り、間合いに鶴子が踏み込むその瞬間を待つ。
そして―――――鶴子の右足が龍斗の間合いに入ると同時に、〈ひな〉が鞘から抜き放たれた。
(殺った!)
龍斗は確信した。〈ひな〉は既に鞘から抜き放たれている。だが、当の鶴子に防御や避けるそぶりはない。
このタイミングでは、鶴子は〈ひな〉の刃を避けることはできない。龍斗だけではない、一部の二人の動きを把握する者達の大半も、鶴子が切り伏せられたと思っただろう。
だが、〈ひな〉の刃が斬ったのは虚空と大気―――――鶴子の服はおろか、影すらも触れることはなかった。
「―――――ッ!!」
驚きに目を見開く龍斗。だが、目を凝らそうとそこには確実に斬ったと確信していた鶴子の姿はない。
どこへ行ったのか―――――それを考える間はなかった。否、考えるまでもない、背後からの強烈な殺気を放つ存在など、鶴子以外にはいない。
龍斗は殺気を感じると共に背後を振り向く…事は叶わなかった。それよりも遥かに速く、龍斗の背中に激痛と衝撃が走ったのだ。
「ほぅ…中身はともかく身体は大したものだな。確実に斬ったと思ったのに……」
背中に斜めに走る傷を負い、前のめりに倒れる龍斗の耳に鶴子の声が聞こえる。
あろう事か、鶴子は龍斗の『居合い』より放たれた神速の刃よりも速く動き、背後に回り込んで袈裟懸けに斬りつけたのだ。
その神速を越えた速度で回避した鶴子の身体能力は、もはや人知を越えているとしか言い様がない。
そして、その背後からの一撃を…斬り裂かれるはずの鶴子の斬撃を前に倒れる事により致命傷の一歩手前にまで軽減した龍斗の勘も―――――いや、景太郎の身体に染みついた『戦闘経験』による危機回避能力もまた尋常ではない。
とはいえ―――――神霊器【五龍】で斬られたその傷は『龍斗の魂』と『景太郎の肉体』に相当のダメージを負わせたことには違いなく、龍斗は動かぬ体が倒れゆく様を薄れる意識で理解するしかなかった。
(負けた……またしても【五龍】の使い手に…しかも、今度は五龍の〔五門〕を全て開くことなく……無様に…………)
圧倒的な敗北に、龍斗は己の弱さを嘆く……何故に自分はこんなにも弱いのかと、幾度となく繰り返してきた言葉を。
原因は…判っている。景太郎だ。未だに龍斗は景太郎との融合を果たせず、更には身体すらも完全には支配しきれていないのだ。
強すぎる魂は闇の中に沈んでも尚抗い続け、融合を阻み続けている。そして身体は……その内に流れる浦島家のみに伝わる特殊な『血』により完全な支配ができないでいた。
同じ浦島の血族で血の繋がった親子でありながらも、影治と景太郎は大きく違っていたのだ。はっきり言えば、『破魔の血』が、影治のそれよりも比べものにならないほど濃いのだ。
影治の場合、多少の抵抗はあれど自ら望んだこともあり、至極容易に身体を支配することができた。無論、破魔の血の抵抗もあったが、幾度と無く【ひな】の力を使い受け入れていたことから、さほどの問題はない。
だが、景太郎はそうではない……意識はなくとも〈魂〉は今だ抗い、内に流れる『破魔の血』と十年以上鍛え続け、内を満たしてきた神氣の余波が龍斗の支配を拒んでいる。
とはいえ、もし一昼夜の時を経れば、景太郎の魂も身体も龍斗のものとなっていただろう。
しかし、そんな時間は存在しない。今現在…この場所こそ『戦場』なのだから。
(済まない〈雫〉……お前を殺した一族を根絶やしにできなかったよ。唯一の救いは『涅槃』がこの男の手によって滅んだことか……)
邪龍は既に滅んでいる…それも、今【器】となっている男の手によって。浦島と神鳴流を根絶やしにできなかったのは口惜しいが、時を費やしても弱い自分にはそれは叶わない……
己の敗北を受け入れ、このまま消えてしまおうか……そう思った矢先、
『龍斗―――――』
春の日差しの中、嬉しそうに微笑みながら自分に手を振る一人の女性の姿が龍斗の脳裏に浮かび上がる。人であった頃に…否、魔に堕ちようとも今なお愛する女性の姿を。
その女性が自分の名を呼ぶ度に、自分に向かって微笑む度に、胸に暖かな喜びと幸福感が満ちる。
だがそれは、遥か遠い昔の出来事。既に過ぎ去りし懐かしき記憶……理不尽な理由で命を奪われ、無惨な死を迎えた、女性の在りし日の姿。
そう……奪われたのだ。邪龍〈涅槃〉に…そして浦島に……それへの復讐の為に、自分は鬼となった。
(そうだ…負けて堪るか…負けてなるものか!! 思い出せ、どうして自分が魔に堕ちてまで今なお存在し続けるのかを!)
「ガァァァアアアアッ!!」
誰もが決着は着いたと思っていたその時、倒れようとしていた龍斗が雄叫びを上げながら右足を前に出し、崩れる身体を強引に支えた。そして、
「ガァッ!」
そのまま強引に身体を捻り、背後にいるはずの鶴子に向かって【ひな】を横薙ぎに振るう。その一撃を軽く地を蹴り後ろへと下がってかわす鶴子。それでも姿が霞むほど速いが、龍斗は驚くこともせず、背中から血を流しつつ鶴子に向き直り、刀を構える。
「まだ戦うか…」
呆れたような鶴子の口調。だが、その顔に広がるのは再戦の予感に興奮を隠せない笑みだった。
「当たり前だ…これしきのことで終わるものか。この程度の傷で消滅するほど、俺の憎しみは軽くはない」
「その傷でよく言う。辛うじて止血はできた様子だが、傷までは塞げないようだな」
【ひな】そして身体自身から発する邪気が背中の傷を治癒するが、鶴子の言う通り血を止める程度で傷口を塞ぐまでには至らない。ここでもまた、景太郎の『破魔の血』が邪気の力を阻害しているようだ。
「傷は深い、常人ならば即死、いかな貴様でも激痛に立っているのがやっとだろう」
「身体の痛みなど、〈雫〉を失った時の心の痛みに比べれば些細なもの……俺は、貴様ら神鳴流と浦島の人間を殺し尽くすまで止まらん! 絶対にだ!!」
龍斗の負の感情のみで形成された絶叫に、聞いている者の殆どが竦み上がる。
「ならば、この私が止めてやろう……『死』をもってな」
「死なぬ…死ぬものか!! 俺が消滅する時、それは貴様等が全て死せし時だ!!」
更なる絶叫と共に【ひな】を天に掲げるような構えをとる龍斗。それに対し、鶴子は【五龍】を鞘に収め、重心を落として居合い抜きの構えとなる。
相対する二人は元より、その場にいた者全員が理解する。この次の一撃で全てが決まる…と。
どうこう言おうとも背中の傷は致命傷一歩手前、長々と戦いを続けることはできない。故に、龍斗の次なる一手は自然と『一撃必殺』となる。
そして、それを誰より一番理解している鶴子は、長々と戦い体力を削る手もありながら、龍斗に合わせて一撃勝負に答える。その方がより楽しく、より危険な戦いになる故に。
どちらが勝とうとも、負けた方は確実に命を落とす……そして、今までを振り返るに、鶴子の勝利はほぼ確定しているようなもの。その事から既に安堵する者、確実な勝利を得るまで油断はできぬと戦々恐々する者、様々居る中、ある一人だけがこの戦いの続行を恐れていた。
いずれにせよ、次の一手で全てが決まる。景太郎の運命も……そして、鶴子の運命も……
全ての運命に決着を着ける時が…………来た。
―――――第三十五灯に続く―――――
(あとがき)
どうも、ケインです。皆さん、お久しぶりです…という言葉が使えるほど間を空けてしまい、申し訳ありません。
こんなにも期間が空いた理由は二つ…一つは、仕事上で怪我をしてしまい、一ヶ月以上もパソコンに触れなかった日々が続いたこと、そしてもう一つは感想の一つに非常に凹んでいたことです。
内容は自分の誤字、間違い、自業自得です。学もない自分の所為なので、仕方がないことなのですが…正直、凹みました。誤字脱字、意味の間違いは大変見苦しいと、私も思っています。自分でも、何度か見直しているつもりですが、やはりそれでも見過ごしたり、無知故に解らなかったりします。
それを見て不愉快になり、見苦しくて目も当てられないと思われるのなら、やめてしまった方が良いのではないか、何度か考えています。そこへ丁度怪我も重なり、止めるのなら良い機会かも知れない…と、更に思うようになっていました。
でも、とりあえずはきりの良いところまで書いた方が良いのでは…とも弟に言われ、こうして再び投稿することとなりました。
一応、浦島襲撃の話にはきりをつけるつもりです。それ以降ははっきりと未定です。
聖痕編も、せめて一巻分までは投稿したいとも思っています。
それでは、見苦しい…それも愚痴に近い後書きになってしまい、大変申し訳ありません。
誤字や間違いの多い私の作品に付き合ってくださっているかた、どうもありがとうございます。次回もよろしければ読んでやってください。ケインでした……