ラブひな IF 〈白夜の降魔〉
悲灯 「忘却の歴史―――――前編」
(ここは……どこだ?)
何も無く、何も存在しない空虚な空間。
ただ無明の闇だけが支配するこの場所に置いて、景太郎がまず抱いた感想はそれだった。
(俺は……確か、目の前の空間を突き破って現れた【ひな】に胸を…心臓を貫かれたはずだ)
周囲の空間の確認の次に、自身の状況を整理する景太郎。しかし、貫かれたはずの部位には傷一つ無く、それどころか服が破れた形跡すらない。まるでその様なことなど無かったのではないかと思うほどに…
だが、景太郎自身は覚えている。その時の光景を、そしてひなが自分の心臓を貫いた様を。
「いや、確かに貫いたのは見たが…痛みはなかった。それとも、痛みを感じる前に死んだか、もしくは意識を失ったか……
とすると、ここは死後の世界か、はたまたあの世とこの世の境か…………」
最後にはその結論にぶつかった景太郎。だが、ここが地獄や天国といった類ではないこと感じている。
根拠はない。ただの勘と本能的なものだが、不自然なほどに外れていないと確信していた。
その時……突如として闇の中を眩い光が満たす。目眩ましの類かと警戒する中、その光は急激に修まり―――――景太郎の眼に一変した光景が飛び込んできた。
その光景とは、小春日和という言葉はそのまま当てはまる快晴に、若草や色とりどりの花が生い茂る丘であった。
(季節は春。草花の種類からおそらく日本…太陽の傾きから午後一時前後といったところか)
闇から急に変わった光景に警戒しつつも、目に見える情報から素早く場所を推測する景太郎。
それ以上何か得られる情報はないかと見回した時、丘の傾斜部分に寝そべっている青年が目に入った。
少々ザンバラな短髪だが、それでもなかなかの美丈夫だと感じる容貌。だが、それよりも景太郎が気になったのは、その青年が着ている服……神鳴流の者がよく着ている袴と、その側に無雑作に置かれている羽織、そして―――――
(……あれは!?)
羽織の上に置かれた一本の刀……見間違えようがない。その黒塗りの鞘に納められているのは、妖刀【ひな】だ。
見間違えようはない…のだが、景太郎はそれが本当に【ひな】であるのかを疑った。景太郎が知っているような邪気など微塵にも感じられない。それどころか、逆に活力溢れる力強い精気みたいなものすら感じる。
そう、【ひな】を傍らに眠る青年と同じ暖かな波動を……
(あれが本当にあの妖刀なのか?)
再度見直す景太郎。だが、何度見直そうと変わるはずもなく、逆に確信するに至った。あれは間違いなく【ひな】であると……
(なぜ神鳴流の剣士が【ひな】を……なぜ【ひな】を持つ者が神位の羽織を持っている? 一体あの剣士は何者なんだ?)
疑問ばかりが頭の中に溢れる。その時―――――
「龍斗……」
(―――――ッ!!)
後ろから聞こえる鈴を転がしたような女性の声に後ろを振り返る景太郎。いくら【ひな】の事に集中していたとはいえ、こうも簡単に背後を取られていたことに己を叱咤する。
そして振り返って声の主を見た景太郎は…再び驚くこととなった。
(成瀬川っ!?)
そこにいたのは十七・八歳ほどの女性。質素だが見事な桜色の着物を着こなし、辺りを見回しながら歩いていた。
容姿は景太郎が驚いた通りなるそのもの…唯一の違いといえば、触覚のように伸びた髪が白くなっていることぐらいだ。それ以外は、本当に瓜二つだった。
「龍斗…どこにいるの」
「ああ、此処だ」
再度呼びかける女性に応える寝ていた青年…女性の言葉通りなら龍斗…が上半身を起こしながら応える。
「どうしたんだ、雫。こんな所に来るなんて……」
「あのねぇ……」
龍斗の言葉に、雫と呼ばれた女性は両手を腰に当てて怒った顔になる。
「どうしたもこうしたもないでしょ! あんた、昼から門下生の指導しなくちゃならないのに、それをほっぼらかしてるから探しに来たのよ」
「と言ってもなぁ……」
再びゴロンと横になる龍斗。その目は青い空に流れる白い雲をぼんやりと眺めていた。
「俺が教えられることなんてなんにもないしなぁ……それに、指導するにしても俺より燕の方が何倍も上手だし。門下生達も俺の時より燕の時の方が心なし張り切ってるようなだから、燕に任せた方が良いじゃないか」
「そんなの屁理屈じゃない。まったくもう……」
しょうがないわねぇ…と言いつつ、我が侭な子供に対するような苦笑を浮かべつつ、雫は龍斗の隣にそっと座り込んだ。
どうやら、彼らには景太郎の姿は見えていないようだ。二人の男女は景太郎など存在しない空間と時を過ごしているようだ。
いや、立体映像のように映し出された二人の過ごした時を、景太郎が見ている……が、より正確かも知れない。
「そう言うところは全然変わんないんだから…龍斗には神鳴流で最高位たる〈神位〉になった! って自覚はないの?」
「そう言われてもなぁ……元々、俺は神位どころか聖位になるつもりはなかったんだぞ? それなのに……」
傍らに置いてあった【ひな】を掴み持ち上げ眺める龍斗。その顔は苦笑に満ちていた。
「こいつがあんまりにもしつこく呼ぶから、俺もついつい……それに〈神位〉になったからってそいつの本質が変わるって訳でもなし」
「今更だけど、なんで神霊器である【雛】があなたを使い手に選んだのかが不思議だわ」
「それは俺も聞きたい。よりにもよって、何で俺なんかを選んだんだろうな……」
手に持つ【雛】に本気で問いかけている龍斗を横目に、雫は顎に人さし指を当てて考え込んだ。
「そうよねぇ…面倒くさいからって仕事を妹に押し付けるような駄目兄貴を選ぶなんて」
「おいおい、そこまで言わなくても……」
「なによ、事実でしょ」
「はい、仰るとおりです……」
きつく睨んでくる雫に、龍斗は無条件降伏を示した。
じゃれあいの様なほのぼのとした雰囲気の中、急に雫が表情を曇らせる。
「だから…ちょっとは頑張って、少しくらい格好良いところを見せてよ」
「雫?」
喰らい表情の雫に、龍斗が体を起こして心配そうな顔をする。
「私が〈楔〉の役目を…心配なく運命を迎えられるよう……」
「雫!」
「私の意識がなくなる寸前でも、最後まであなたを想えるように「雫っ!!」―――――キャッ!」
言葉の途中で思い切り雫を抱きしめる龍斗。いきなりの行為に、雫は驚いて短い悲鳴を上げる。
「お前は…お前は俺が護る。絶対にだ……むざむざ〈涅槃〉なんぞにお前をくれてやるものか」
龍斗が雫の耳元で囁く。雫もまた、龍斗の背に手を回して抱擁に応えるが、表情は変わらなかった。
「無理よ……水の精霊王と契約した時の宗主でさえも、五つに裂いて封印するのがやっとだったほどの妖魔なのよ」
「だからだ。定説では、封印の綻びは五つに断たれた〈涅槃〉の欠片が互いを呼び合い、一つに戻ろうとして生じるもの……だったら、その内の一つでも滅せば共鳴は弱まり、儀式を行う時間は十分に延びるはずだ」
「そんな簡単にはいかないわ」
「そんな事はない。なにも全てを一気に倒そうというわけじゃないんだ。まず欠片の一つを滅し、稼いだ時で身体を癒し準備を整え、また一つを滅す。時間はかかるが、不可能じゃないはずだ。
浦島の宗主が『神水』を得ている上に、神鳴流では数百年ぶりに〈神位〉が二人揃っている。それに神凪では『神炎』を得ている者が居るという。浦島と神鳴流、そして神凪が合同すれば、〈涅槃〉の欠片程度さほど犠牲を出さずに倒せるさ」
「…………龍斗」
雫を抱きしめる腕に更に力を込める龍斗。そんな龍斗に、雫はおずおずと抱きしめ返す。
龍斗の言っている事は、空想や夢想の類…よく言っても机上の空論だ。欠片一つの封印を解けば、その他四つの封印も連鎖的に解ける可能性もある。
そして、欠片一つと侮ってはいるが、その欠片がどれほどの脅威を秘めているか……数百年経った今では誰も知りようはずはない。古い文献で窺い知れるだけだ。
その欠片の一つが、想像よりも弱ければ良い…だが、現実というのは往々にして甘くはない。常に最悪というのは想像の一歩斜め先を行っているのだから。
その事を、数多の退魔を行い、経験を積んできた景太郎はよく知っていた。
そして、この龍斗と呼ばれる神鳴流の剣士も知っているのだろう。だが、それすらも上回る感情…彼女を助けたい想いが、彼の思考を後押ししているのだろう。
「龍斗……」
「雫……」
お互いを抱きしめ合う。二人は元々一つだと言わんばかりに、もう離れないと言わんばかりに固く、お互いの鼓動と体温を確かめ合う。
そして、お互いを見つめ合った後、二人の距離は徐々に縮まり―――――
「兄上っ!!」
「「わあっ!!」」
突如として響いた…否、轟いた第三者の怒声に、二人は慌てて離れた。
「つ、つつつ、燕! お、お前、一体いつの間に!?」
思いっきりどもりながら龍斗は現れた第三者に向かって声をかける。
その第三者…龍斗を兄と呼び、燕と呼ばれたのは十四・五の活発そうな少女だった。腰まで伸ばした黒髪を馬の尻尾のように一つに纏め、神鳴流によく見られる袴を着込んでいる。
ただ、同年代の娘達より頭半分以上も背が低いため、二つか三つほど余計に幼く見えた。
その少女…燕は不機嫌そうな顔をすると、ジト目で龍斗と雫を見据える。
「ご安心を。お二人が更に熱い抱擁をしようとした瞬間に来て、声をおかけしましたから」
「そ、そうなのか……」
「すみませんでしたね、お邪魔して」
「そりゃあ「そ、そんなこと無いわよ! うん。全然!」……お〜い」
当たり前だと言おうとした龍斗を押しのけ、雫が大声で遮る。その雫の言葉に、今度は龍斗が不満そうな顔になった。
「雫さん? それはいくら何でも……いえ、なんでもありません」
文句を言おうとした龍斗だが、雫の一睨みにすごすごと押し黙る。
しかし、雫の顔が真っ赤になっていることから、照れ隠しであることは一目瞭然だったりする。
「それはともかく……兄上! 神鳴流で最高の位を戴く者が仕事を放り出すなど何事ですか!!」
燕が龍斗に向かってもの凄い剣幕で怒声を放つ。
龍斗は大きな声に顔を顰めながら耳を手で塞ぐと、すぐにげんなりした様子で燕を見返す。
「さっき雫にも言ったんだが…俺にはなにも教えられることはないよ。教え方が上手いお前が指導した方が何倍も伸びるだろうが。適材適所だよ」
「そんな事がありません。〈神位〉に教えを乞いたいという者が大勢います。それなのに当の兄上ときたらこんな所で昼寝など……せっかく高まっている門下生の志気を削ぐような真似はしないでください」
「お前だって〈神位〉じゃないか。志気を高めるのはお前だけで十分だろ」
燕の腰に差してある刀に目を向ける龍斗。神鳴流でたった二振りしかない神霊器の内の一つ【五龍】だ。
そんな、俺なんか居なくても……と言う表情の龍斗に、燕は顔を近づけて至近距離で睨む。
「何を仰っているのですか! 門下の人達の中には兄上に憧れて神鳴流の門を叩いた者も多数いるのですよ。そんな兄上に憧れ、日夜頑張っている人達に恥ずかしいとは思わないのですか?」
「そんなの俺には関係―――――」
「ない……とは、言いませんよね?」
言えば即座に刀を抜きかねない雰囲気を醸し出しつつ、身体からうっすらと神氣を立ち昇らせる燕に、龍斗のこめかみに一筋の汗が流れ落ちる。
「…………行ってくる」
「行ってらっしゃい」
暫しの沈黙の後、龍斗はその場から立ち上がるとそう一言だけ残して神鳴流の道場に向かって歩き出し、それを雫は微笑みながら見送った。
燕もまた龍斗の後を追いかけ、途中で振り返って雫に向かって頭を下げた。
おそらくは、邪魔をして御免なさい…という意味なのだろう。それに気付いた雫は、苦笑しながら気にしないで…と手を振り、二人を見送った。
そして……風景は徐々に色あせ始め、光度を落とし―――――再び辺りは元の暗闇の空間へと戻った。
「何なんだ、一体……〈楔〉と自らを呼ぶ〈雫〉という名の成瀬川に良く似た女。神鳴流の剣士であろう龍斗と燕。それに【ひな】が【五龍】と同じ神霊器だと? 確かに神霊器は二振り存在し、【五龍】と対になるもう一振りは遥か昔に失われたと総代から聞かされていたが……」
目の前で映し出された光景からもたらされた情報に、景太郎は少々困惑しつつも思考は順次情報を整理する。
まず、〈楔〉と呼称する成瀬川に似た女性。だが、既に〈涅槃〉は滅び、儀式自体は執り行われることはなくなった。だが、この疑問はすぐに解けた。景太郎の記憶の中に、数代前の〈楔〉に〈雫〉という名があったからだ。
同時に、【五龍】を持つ少女…〈燕〉も、鶴子の数代前の【五龍】の持ち手…神位の名前だということを思い出す。
つまり、今見た光景は、現在ではなく数百年前の出来事であるという事だ。
何故、景太郎がそんな昔の出来事を、こんな形で目の当たりにしているのか……それはうすうす察することができた。
だが、その答えが正解していたとしても、今は何の解決にもならない。
それよりも深い謎……【ひな】の事こそ、大きな疑問だった。
「【ひな】は全てが謎の刀。いつ創られたのか、いつから神鳴流が封印していたのか、それが正式な名前なのかすら伝わっていない。神鳴流そのものでも、知っている存在は総代を初めとするほんの一握り。神鳴流の歴史の闇に隠された妖刀。
だが、それも理解できるな。神鳴流で最高の霊器〈神霊器〉が妖刀となり、持ち手を狂わせて殺戮を行わせるなど、ひた隠しにするのも当然だ。
と、なると……今のは、【ひな】がまだ神霊器として機能し、妖刀として呼ばれ始める前の過去の映像という事か…………あの光景が作り物でなければ、の話だが」
確証もないのにあっさりと信じることもできない。見たからと言って全てを鵜呑みにするのは危険なことだ。だが、推理と仮定は別にして、与えられた情報は十分に思案すべき事だと景太郎は考えた。
そして、景太郎がそこまで考えたところで、またもや空間に光が満ち、別の光景が映し出され始めた。
次に現れたのは…日も沈んだ夜。夜空の暗さからそれなりに深夜のようだ。
だが、景太郎にとってそれは些細な事だった。今、映し出されているこの場所に比べれば……
「ここは…………」
低く絞り出す様な声音と共に放出される怒気と殺気。
富士五湖のある一角……忌まわしき儀式を行う為に建てられた祭壇。そして、その儀式を補助する為の浦島の分家の面々。遠くに、儀式の警護と不測の事態に対し控える神鳴流の戦士達。
間違いはない。そして、見間違えようはなかった。そこは景太郎にとって最初の人生の終わりの場所なのだから。
そして今、映し出されている光景には、一人の男が浦島水術師達の水の縄により束縛され、数名の神鳴流戦士達によって組み伏せられていた。
その男とは、神霊器【雛】の持ち主である龍斗であった。龍斗は地に組み伏せられながらも、祭壇に経った水昂覇を持つ壮年の男…浦島宗主に向かって声を張り上げていた。
「宗主、どうかお聞き届けください! 我ら神鳴流と浦島の破魔の水、そして神凪の浄化の炎が加われば〈涅槃〉の欠片を倒すことは可能…浦島の悲願を果たせましょう! それなのに、何故“水仙の儀式”を執り行うのですか!!」
その叫びに、祭壇の宗主は振り返り、祭壇の上から龍斗をきつい眼差しで見下ろす。
「巫山戯たことを言うな。儀式を止め〈涅槃〉を倒せだと? お前はそれで一体どれだけの被害が出るのか承知で言っているのか!」
「ゆえに神凪の力を借りるのです! 宗主の【神水】に神凪宗家の【神炎】があれば、犠牲は最小限で抑えられましょう。戦い方次第では……」
「黙れ知れ者がッ!!」
なおも言い返す龍斗に、宗主が激怒の表情で一喝する。
「冗談も程々にしろ!! 確かに、お前の言う通り、神凪に助力を頼めば可能かもしれん。だがしかし、神凪なんぞの力を借りるなぞ、浦島の誇りを捨てるのも同義! 到底受け入れられることではないわ!!」
その宗主の言葉に息を呑み絶句する龍斗。そして次第に唇をわななかせ、頭の中で何かが切れる音を聞いた。
「貴方はそれが解っていながら、あえて無視するというのか! 浦島の悲願であるはずの〈涅槃打倒〉よりも、自分達の面子を守ることの方が大切だというのかっ!!」
怒りの咆哮と共に龍斗の氣が爆発するように放たれ、束縛していた水の縄と取り押さえていた神鳴流の戦士達を弾き飛ばした!
「これが貴方の考えか…これが浦島の総意か! 神鳴流もそうなのか、どうなのです父上ッ!!」
龍斗は浦島の宗主から分家へ、そして弾き飛ばされた神鳴流の戦士達へを見やり、最後に宗主の傍らに立つ神鳴流総代である父親を睨む。
宗主は言うに及ばず、分家の連中は「何を馬鹿なことを…」と呟きを漏らしつつ龍斗を蔑んだ目で見ており、神鳴流の戦士達も、そういった言葉や表情こそしていないものの、否定する顔でもなかった。
そして神鳴流総代…龍斗の父親は、
「確かに、お前の案は魅力的だ。今回の儀式に対し、そういった意見が出なかったわけではない。だが、神凪の力を借り、浦島、神鳴流の全戦力を結集させたとて、被害は免れぬであろう。
そもそも、欠片一つとはいえ、その力は未知数……最悪、こちらが敗北する可能性も低くはない。そうなれば、我らは元よりこの国は滅びてしまう。
誠に心苦しいことではあるが……多大な犠牲を出すよりも、従来の封印補強の儀式を行い、犠牲者を一人に抑えた方が堅実であろう」
眉一つ動かすことなく淡々と述べる父の言葉に、龍斗は絶望と失望が入り交じった表情となる。だがそれも束の間…すぐに憤怒の形相となり、総代、ひいては宗主に吼える。
「堅実だと!? 世を乱す魔を討たずして何が神鳴る御技の使う戦士『神鳴流』か! 何が水の精霊王に祝福された『浦島』か!!」
「…………今のお前に何を言っても無駄なようだな。龍斗、一時の激情に流され大局を見失うでない。それでは総代を継がせることはできんぞ」
「そんなもの、一体いつ誰がほしがった!!」
何を言っても淡々と言葉を返す父に、龍斗が殺気を向ける。もはやこれ以上は話し合う余地はないと言わんばかりに。
そうしている間にも儀式は着々と進められている。宗主は祭壇に向き直ると水昂覇を持ち上げ、その先端に水を収束させて刃を形成、槍を作り上げる。
その刃の向けられる先を知る龍斗は、その行為を止めるべく【雛】を抜き放った。
「やめろッ!!」
喉が張り裂けんばかりに叫び疾走する龍斗。
「雫っ!」
祭壇に横たわる女性―――――雫に呼びかける龍斗。術で眠らされているため返事はないが、それでも必死に呼びかける。
「やめろ龍斗!」
「〈神位〉たる者が総代や宗主に刃を向けるのか!」
「邪魔をするなぁっ!!」
神鳴流戦士達が龍斗を取り押さえようと飛び掛かる。浦島の分家達も水術を駆使して捕縛しようとするが、膨大な氣を纏い【雛】を振るう龍斗の前に障害にすらならず、尽く斬り捨てられる。
「この…愚か者がッ!!」
「黙れ!!」
刀を抜き、龍斗の前に立ち塞がる総代。総代―――――父親を前にしても龍斗の剣は些かも鈍ることなく振るわれる。だが、
「兄上、これ以上はお止めください!!」
その刃が総代に届くよりも前に、割って入った小柄な人影―――――燕の持つ【五龍】にその一撃を受け止められた。
「どけっ!!」
「どけません!」
「だったら―――――お前を殺して押し通る!!」
「―――――ッ!!」
兄である龍斗が吐いた言葉に息を飲む燕。その隙を突き、龍斗は燕を弾き飛ばして間合いをとる。そして―――――
「秘奥義 嚆凰剣―――――朱烏!!」
〈神霊器〉及び〈聖霊器〉を得た者にしか使えぬ秘奥義、擬似聖獣の顕現を一瞬で発動させた。
(違う! 以前兄上が見せてくれた『朱烏』とはまったく違う!)
燕が以前見た龍斗の〈赤烏〉は雄々しいながらも気高く、暖かな瞳をしていた。だが今はどうだ、その姿は荒々しく獰猛、眼前に存在する敵を駆逐せんと狂気に満ちた目をしていた。
「邪魔する者を全て殺せ―――――雛ッ!」
「クッ―――――神鳴流 秘奥義 哮龍剣!!」
自分、そして背後の宗主達に向けられて放たれた〈赤烏〉に燕は一瞬思い悩んだ後、秘奥義を発動――――― 一振りにて水龍と木龍を顕現させ、迫り来る赤烏にぶつける。
一羽の神鳥と二頭の龍は衝突すると、凄まじい衝撃波を放って対消滅を起こした。
「おのれっ!!」
衝撃波によって巻き起こった土煙が視界を遮る。
龍斗はその事に構わず土煙を突っ切ろうと一歩足を踏み出した瞬間、土煙の中より現れた白き龍が〈雛〉をくわえこんで動きを封じると、更にはその長い胴体にて龍斗の身体を拘束した。
「これは―――――〈白龍〉! 総代!!」
「動くな! それ以上おかしな真似をすれば命は無いと思え!!」
総代の言葉と共に、ギリッ…と龍斗を締め付ける白龍。宣言通り、龍斗が無理に動こうとしたり、少しでも練氣すれば白龍は龍斗の身体を限界以上に締め付け、骨を砕くどころか五体バラバラにするだろう。
だが―――――
「それがどうした! 雫を助けるためなら、この命惜しくも何ともない!!」
轟ッ!!
龍斗、そして【雛】から凄まじい氣が放出される。その色は赤―――――それは火氣ではない。【雛】を通じ、龍斗の魂の色に染まった神氣を越えた【真氣】が放たれる。
その気の圧力に、白龍は龍斗を絞め殺すどころか逆に押し返される。
―――――その時、
「龍斗……」
龍斗の耳にか細い声が響く。その声を聞いた龍斗は声の主―――――祭壇の上で横たわり自分を見る、白い装束を身に纏った女性、雫に目を向けた。
「雫ッ! 待っていろ、今助ける!!」
龍斗の咆哮と共に赤い氣が爆発的に放出され、とうとう白龍は耐えきれず千切れ飛び、消滅する。そして雫の元へ駆け寄ろうとした龍斗だが、一歩踏み出すと同時に崩れ落ち、地面に倒れる。
一瞬で秘奥義を発動させる無茶な練氣、そして刀剣系 最強の聖霊器〈白龍〉の擬似聖獣を消滅させるほどの【真氣】の放出に、龍斗の身体が、そして魂が限界を迎えたのだ。
「雫! 雫!!」
必死に愛しい人の名を呼び続ける龍斗。そんな龍斗に無言で優しく微笑む雫。
そんな雫の微笑みに、龍斗もつられて微笑む。そして―――――
「さよなら」
雫の言葉に龍斗の表情が強張り―――――直後、宗主の振り下ろした水昂覇の槍が雫の胸を貫いた。
そして、突き刺された白銀色の水刃は瞬時に血の如き紅に染まり、雫の身体は一瞬にして干涸らびたミイラと化した。
「ああああああああっ!!」
愛しい人の壮絶な死に様に、龍斗は絶叫し、同時に視界が紅く染まる。
それは血……龍斗の目から流れる血の涙が、視界を紅く染めているのだ。
「龍脈の霊氣を蓄えし、大海を統べる龍神の血をもって―――――邪龍〈涅槃〉よ、封印の彼方へと眠るがいい!!」
雄々しく水昂覇を振り上げた浦島宗主は、雫の全身の血と魂を引き替えに染まった鮮血の刃を眼前の湖面に力強く突き刺した。
湖面に浮かび上がる紅い光が壮大にして緻密な図形…涅槃を封印する魔法陣を描く。その魔法陣の所々は光が弱くなり、欠けているが、それも急激に補修され、全体的に紅い光が強くなった。
この場からは分からないが、残る四つの湖の水面も同じ現象が起こっている。
これが儀式…『水仙の犠』だ。〈楔〉と呼ばれる莫大な霊力を蓄えた成瀬川一族の者を使い、〈涅槃〉の封印術式を補強する儀式。
儀式の補強に使われた魂は転生することはなく、封印の一部として存在する。意識も個我もなく永遠に……封印が破られ、消滅するその時まで……
そして…………紅い光は湖の中に染み入るように消え、それにより儀式が成功、終わりを告げたことをその場にいる全員が理解した。
「これにて『水仙の儀』は完了した。大役を完遂させた〈楔〉の遺体は丁重に葬れ。そして、そこの愚物は浦島に対する反逆罪で極刑に処す。今此処で処刑を行ってもよいが、愚物の薄汚い血で神聖の儀式の場を汚すわけにもいかん。後日、処刑を行うまで監禁しておけ」
宗主は地に倒れている龍斗を見下すように一瞥した後、その場を去った。
そして、宗主が去った後、龍斗は神鳴流の戦士達数名に連行され、神鳴流総本山に連行されていった。
その連行される龍斗の顔は、血の涙によって二条の紅に染まり、表情は死人のようであった。
燕は龍斗に声を掛けようとしたが……言葉が見つからず、その場に残された【雛】を手に、連行される龍斗の背中を見送ることしかできなかった。
再び周囲は闇へと変わる……その無明の闇の中、景太郎はただ立ち尽くしていた。
その表情は【無】―――――怒りも憎しみも、全ての激情が通り越し、凍りついた果ての顔だった。だが、握りしめられた拳から流れる血がその内情を…そして、流せぬ涙の代わりをしているようであった。
今の映像が本物とは限らない。精巧に作られた偽物である可能性もある。
しかし、景太郎にとって先程の映像はあまりにも生々しく、心の傷を深く抉りつけるものだった。もし、景太郎の心を描写することができれば、満身創痍の血塗れであろう。
そうしている間に、三度目となる周囲の変化が訪れる。
今度は先の二回と違い野外ではない。日がまったく射さない地下室であった。
崖かなにかの断崖から横穴を掘り、木の柱を等間隔に立てて作った簡素な牢獄。壁の所々に設置された台に備え付けられた幾つもの蝋燭が唯一の光源だが、それでも薄暗いことにはかわらない。
そんな不健康そうな地下牢の中に、ボロボロになった龍斗が膝を抱えて座り込んでいた。
神鳴流において、重罪にはその場にて即制裁、及び死の断罪が下る。故に、実質上ではこの地下牢は主に反省房として使われていた。
龍斗は『浦島の最重要儀式〈水仙の儀〉を妨害、及び浦島への反意あり』とされ、本来ならその場で処刑されて然るべき重罪なのだが、宗家からの処刑執行の沙汰があるまで、龍斗はこの牢獄に幽閉されることとなっていた。
龍斗がこの牢獄から出る……それは、龍斗が浦島・神鳴流の面々の前で公開処刑される時であった。
「あれから……二日か」
顔を上げ、外界と地下牢を遮る木の格子を眺めつつ、精気を感じぬ声音で呟く龍斗。幼少の頃より叩き込まれた教育と経験により、大まかな時間を計っていた。
神鳴流の戦士、それも〈神位〉の龍斗が、武器が無いとはいえ大人しく地下牢に入っているのには理由がある。
この地下牢、一見簡素でありながらその実は対術者用の呪術封じと防護の結界を十重二十重に施しており、内外問わず術で破壊することは不可能で、例え神鳴流で高位の者であろうと霊器も無しに牢を破壊することはそう簡単にはできない。
そしてもう一つ。今の龍斗は―――――
「氣は……やはり駄目か」
氣功術の行使ができないのだ。
服に隠れて見えないが、龍斗の腹部…人間の霊的中枢と呼ばれる“丹田”の位置に『封氣の印』を施されていた。それも、墨などで描かれるのではなく、焼き印によって焼き付けられて……
故に、龍斗がいかに氣を行使しようとしても、体外の放出するどころか身体の強化すら行えない。練氣自体を禁じられているのだ。
ただでさえ防護結界にて牢獄を破ることは難しいのに、練氣すら行えない龍斗にはどう足掻こうと脱出することは絶望的。強化された木の格子を傷付けることすら不可能だ。
龍斗に『封氣の印』を焼き付けるように指示したのは総代だった。龍斗が儀式の最中に見せた赤い氣がそれほど恐ろしかったのだろう。
自らが放った秘奥義を、技すら使わず破ったあの『赤い氣』……神器たる〈雛〉を持つ者しか顕せない、魂の輝きを秘めし氣、『真氣』を。
「何奴も此奴もくだらない……面子の為に戦いを拒否した浦島。それを従属する神鳴流……誰もが本来の使命から目を背け…………総代は一人の女性の犠牲を、堅実だと言い切った」
龍斗の脳裏に甦る儀式の出来事。それを確認するように呟くたびに、精気の抜けていた龍斗の表情に精気が戻り始めた。
「何が堅実だ…何がより少ない犠牲だ……」
精気の戻った顔を憤怒に染めながら、龍斗の口は呪詛の言葉を吐き続ける。
「〈涅槃〉を滅すことが浦島の悲願、命をかけて魔を討つ事が神鳴流の使命ではなかったのか……倒す手段がありながら、忌まわしき儀式を何故〈是〉とする」
そういうと、龍斗は幽鬼のように立ち上がり、右手を前方に向かって突き出した。そして―――――
「来い……【雛】」
そう唱えた瞬間、投獄される際に取り上げられたはずの【雛】が空間を突き破って現れ、龍斗の手の内に納まった。
龍斗と同様、【雛】の真の力を恐れた総代が幾重にも封印を施し、更には厳重に結界を施された場所に仕舞われていた。
それがどうだ、龍斗がたった一言呼ぶだけで【雛】は封印と結界を破壊し、果ては空間の壁を打ち破って龍斗の前に現れたのだ。
龍斗は手の内にある【雛】を見やると、些かの逡巡も無しに鞘から抜き放つ。
「ならば、俺はもう貴様等に期待はしない。何者にも頼らない。誰にも縋らない……全てを俺の手で終わらせてやる」
上着を脱ぎ捨て、上半身裸となる龍斗。そして【雛】の刃を腹部に当て、封氣の焼き印を施された部位を周囲の肉ごと削ぎ落とした。
「〈涅槃〉を滅ぼす事を放棄した浦島、使命を忘れた神鳴流などもはや無用……俺と【雛】が全てを消す」
削げ落とした腹より流れる血を、龍斗は【雛】を持たぬ手の人差し指につける。そしてそれを【雛】の刀身に這わせ、鍔元から切っ先にかけて、両面に幾つもの血文字を書く。
「だが、浦島と神鳴流を潰すことはともかく、〈涅槃〉を滅すことは人一人の身では不可能。ならば、人たる事を捨てればいい……俺は、今日より魔性に堕ちる」
刀身に書かれた血文字は紅く輝き、光が治まると同時に綺麗に消え去った。
そして龍斗は腹部の傷を氣で止血し、脱いだ上着で縛り付けると、【雛】を振るい結界と強化された木の格子をバラバラに斬り刻んだ。
遮る存在が無くなった龍斗はその足で牢屋を抜け、入り口に向かって歩く。
「な! 龍斗、貴様!」
牢屋から抜け出した龍斗を見た牢番は驚きの声を上げる。しかし次の瞬間には龍斗に斬り捨てられ、悲鳴を上げる間もなく絶命した。
地上へと出るまでに、見張りをしていた何人もの神鳴流の同胞を次々に斬り殺す龍斗。斬り裂かれて死ぬ者が増えるたび、【雛】の刀身に血の如き赤黒い光が灯り、その強さが増してゆく。
同時に、柔らかな、それでいて暖かみを感じさせていた【雛】の澄んだ紅い刀身の色合いも、急速に淀み始め、黄昏よりも暗き紅へと変貌し始めていた。
「行くぞ【ひな】…………お前に極上の血肉と魂を喰わせてやる」
その日を境に―――――龍斗は【人】を捨て、“修羅”となった。
―――――後編へ続く―――――