エピローグ
三年後。
「…………ん」
ふと、目を覚ました。
随分昔の夢を見ていた気がする。私と浦島が越えてきた出来事の中でも、最大に位置する危機。私が何も選べずに、全てを失い去った時、それでもお前はいてくれた。
「素子、時間やで」
「はい、姉上」
障子越しに声を掛けてきた女性に答えて、鏡の前から立ち上がる。一人にしてくれと頼んだのは自分だが、だからといって居眠りまでしていたとは。我がことながら大した図太さ、あるいは落ち着きぶりだと思う。
焦りも、迷いも、今の私にはなかった。
ただ、今日という日を迎えられたことに対する充実が、この胸の中に満ちている。
独り時間を過ごしていた居間を出る。襖を開けた拍子に、身に纏った衣装が風を受けてふわりと膨らんだ。純白の衣装。廊下で待っていた姉上が、感嘆を漏らす。
「ほお……一世一代の晴れ衣装。洋物とはいえ見事なもんやな、素子」
「姉上は神前式でしたか? 思えば私は、姉上の式にさえ出ておりませんでしたね」
「はは、ウチ等は式など上げとらん。色々あって籍だけ入れて済ませたからな。旦那にも少し甲斐性があれば、そのうち呼ぶわ」
「はい。楽しみにさせていただきます」
「ほな、行こか。えすこーと、言うんやったかな、これは」
「はい」
今日、この良き日に
私は、浦島と結婚する。
姉上に付き添われて、寮の廊下を進む。式場は中庭に設けられている。私たちが出逢い、同じ時と想いを育んだこの場所で、永遠を誓う。私はこの日を生涯忘れない。
既に皆、式場の方で待っているのだろう。寮の中に私たち以外の人影はなかった。さらり、さらりと僅かな衣擦れの音を立てながら、ウェディングドレスの裾を靡かせて。私は姉上のエスコートと共に、ヴァージンロードを目指す。
しかしどうやら、それより先に通らねばならない道があるらしかった。
「…………」
「可奈子か」
中庭に続く廊下の終端に立つ、幽鬼のような影一つ。この良き日の不吉と不徳を全て一身に集めたような、気配を纏う女。
そこで待っていたのは、私と浦島の婚約が正式に決まってから、ずっと行方を眩ませていた、浦島可奈子その人だった。
一歩、歩調を早めて姉上のエスコートから抜ける。一切の言葉無くとも、既にやるべきこと果たすべきことは両者の間で伝心していた。
「使い」
「はい」
気を利かせて姉上の放ったひなを、後ろ手で受け取って腰に添えた。抜刀はせず、居合腰の姿勢。それにしても、妖刀を構える花嫁とは一体どんな取り合わせなのだ。内心苦笑しながら、歩調は変えず、僅かな早足。見る見るうちに彼我の距離が詰まっていく。
可奈子は動かない。壁によらず、視線すらも下に向けてこちらを見もせず、ただその場に立ち塞がっている。纏うは私と対称の、上から下まで黒に染まった襤褸のような衣服。だらりと下げた両手には何も握られてはいない。この数ヶ月、何をしてきたのか、何を越えてきたのか、何を失ってきたのか、見当も付かない。
ただ一つ分かることは、可奈子はこの場に、決着をつけに現れた、ということのみ。そして今この場ではそれで充分。
純白が進む。漆黒が待つ。
進む。
待つ。
進む。
待つ。
間合いが重なった。
斬ッ!
「…………お兄ちゃんを不幸にしたら……赦しません」
「ああ、任せろ」
そうして、私は、ヴァージンロードに辿り着いた。
「素子ちゃん、綺麗だよ」
「馬鹿。行くぞ」
やけに普段通りの、そんな言葉を交わして。浦島の腕を取り、その道を歩き出した。
左右から拍手の祝福を受けながら私は。あの日の誓いから、此処に辿り着くまでの間に取り零したものがないか、思い返してみる。
神鳴流の継承者となり
東大法学部へ合格し
書き続けた小説で賞を取り
こうして皆に祝福され
浦島と結婚する。
取り零しは、ない。一つ一つが多大な艱難辛苦を伴う達成ではあったが。あの日の誓い通り、私は何も諦めず、できるはずだと証明した。
前を向いたまま、隣を歩く浦島にその旨を確認してみる。
「浦島、お前は幸せか?」
「素子ちゃんと同じぐらいには」
「馬鹿。そんなもの、どうやってわかるというんだ」
「わかるよ。これ以上はちょっと想像がつかないから」
「――――そうか」
私の胸も、既に一杯だったから。その言葉は素直に実感できる。これ以上は無い。今が終わるのが怖いぐらいだと。
だが、だからといって今が永遠に続けば良いとは思わない。それは逃げだ。それは惰弱だ。何より私は知っている。可能性は、いつでも開かれているということを、知っている。
「では、明日はもっと幸せになるぞ。覚悟しておけ浦島」
「うん。素子ちゃんで良かった」
「それは私の台詞だ」
お前で良かった。
お前が居てくれて、良かった。
私とお前の縁は、本来強固なものではない、少しでも道が違ったのなら、こうして此処にいることは無かっただろう。それはこれからもそうだ。私とお前の絆は、互いに想うこと以上ではない。絶対ではない。永遠でもない。
だからこそ、この日この時お前が此処に居ることを、尊く思う、感謝する。過去の自分に誇りを持てる。想うことに意味はあるのだと信じることが出来る。
ならば、この行程も道半ば。
私達は、もっともっと、幸せになれる。
「汝、新郎は
健やかなる時も、病める時も
喜びの時も、悲しみの時も
富める時も、貧しき時も
これを愛しこれを敬い
これを慰めこれを助け
死が二人を別つまで
共に生きる事を、誓いますか?」
「はい、誓います」
――――――
牧師によって厳かに述べられた、誓詞に
一切の迷い無く、だけどありったけの覚悟を込めて
浦島景太郎は、私と添うことを、誓約した。
…………
ならば私も誓おう。私の持ち得る全てに賭けて。この日この時この場所で、誰にも恥じる事なき誓約を立てよう。
「汝、新婦は」
「誓います」
意気込みのあまり先走った。
あまつさえ、空白を埋めようとする剣士の本能が更に口を滑らせた。
「遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ。我が青山素子の名に於いて、私はこの男を夫とし、誰よりも幸せになって見せる。何一つとして諦めぬ。無理だと言うなら掛かって来い!」
参列している姉上が天を仰ぎ、片手で両目を覆った。
沈黙。一拍置いて爆笑。中庭の式場を、時ならぬ笑いの渦が支配した。瞬時、私は真っ赤になって振り返る。大笑いしている参列者(寮人含む)に踊りこんで片端からなぎ倒してやろうかと発作し掛けたが
「ありがとう、素子ちゃん。俺も浦島景太郎の名に賭けて、この女性を娶ることを望む! 文句がある奴は前に出ろ。片っ端から相手になるぞ!」
浦島が私の背後でそんなことを大声で宣告した。同時に男性陣から盛大なやっかみとブーイング。私は即座に振り返って、新郎の胸倉を掴み上げた。
「式の途中だぞ浦島! 貴様は女にとって一生に一度の晴れ舞台をなんと心得る!?」
どこからか『先にやらかしたのはどっちだ』『新郎に食って掛かる花嫁ってのもどうなんだ』とかいう声が聞こえたような気もするが黙殺する。対して浦島は、がくがくと揺すられながらも一切気にした様子も無くぬけぬけと
「じゃあ、式の続きをしよう、素子ちゃん」
「……なに?」
牧師は呆気に取られて職務を放棄しているが、ともあれ誓いは述べられた。ならば後は証を立てるのみ。私が私の名に於いたように、この誓いを立てるべきものは
それまでの経過を全て忘れて、私が瞼を閉じるのと、浦島が顔を寄せるのと、どちらが先だったことだろう。
時ならぬ盛り上がりを見せていた参列者は、そんな私達に気付くと同時誰もが口を閉じていた。
そうしてその日、青山素子は
その口付けに、誓いを立てて
浦島景太郎と結婚した。
「素子ちゃん」
「もう、ちゃん付けはよせ、浦島」
「そっちこそ。もう同じ浦島だろ」
「そうか、そうだな」
二人抱き合ったまま、笑った。今このときだけ、周囲の一切を忘れ。夫と妻として最初の睦言を交わした。
「愛してるよ、素子」
「私もだ。愛してるぞ、景太郎」
・
・
・
「「って何を書いてるんですかあなたはーーーー!」」
「ぐはっ!?」
どっかーん
「って何をするのだ可奈子にしのぶ! ああ、せっかく良いところだったのに」
「あれだけ大騒ぎをして立ち去って、半日経たずに帰ってきたと思ったら何でそんなに脳が沸いてるんですか! どうしようかと本気で後悔しちゃった私の立場は一体!?」
「心配をかけたな、問題は解決した。これからもよろしく頼む、しのぶ」
「ぬけぬけと!?」
「それにしても……何ですかこの原稿用紙の内容は」
「ただの未来予想図だが」
「あまりに都合の良すぎる展開ですね、私がこうもあっさり諦めてるあたりも。敢えて力技で行くのなら、祖母を撃ち殺して浦島流総力をぶつける程度はしますよ」
「心配するな、可奈子」
「なんですか、その勝ち誇った目つきは」
「子供は抱かせてやる。義姉と呼んでくれても構わんぞ」
「今なんと言ったぁーーー!」
「ひいっ!?」
『あー、可奈子様見事に襲い掛かりましたね。これが噂の、強敵と書いて友と読む間柄でしょうか』
『まあ何というか、結局のところ同類故に放っておけないんだろうねえ、お互いに。しのぶ君はさっさと逃げて正解だね』
『というか他人様の上にちゃっかり避難してくるんじゃないわよ鳥型!』
『おや、ひなさんおりましたか。とんと気付きませんでした』
『しゃあしゃあと嘘ついてんじゃないわよこの新参! その三年足らずの構成乗っ取ってあげましょうか!』
『年ばかり経ておられる大先輩はこれだから。編まれた想いと使命で比すなら、貴女に破れる道理はございません。加えて火行鳥類が金行剣類に勝るのは自明の理ですわ』
『反克してやるわこのインスタント! 道半ばで紙切れに戻れ!』
『いや、あの、素朴な疑問として何故君等は初対面でそこまで仲が悪いんだ。同じ主人に仕える身じゃないか』
『元々私は希望を持たない概念存在が嫌いなの。それになんとなく、こういう女と遺恨があるような気がすんのよね』
『同じくですわ。元はといえば貴女の後継のせいで、私の本体も酷い目に遭っておりますし』
『あんな女なんて知るかっ! 二重の意味で!』
『だから君達、せめて派生元を追求するのは不毛すぎるから止めようよ』
「素子ちゃん、電話で成瀬川が帰ってくるって言ってたから……何してるの、二人とも」
「おお、浦島」
「ちょうど良いところに来ました兄さん! この腐った目つきをした能天気と一体何があったのか是非情報を求みます」
「え、いや、その(照れ照れ)」
「はっはっは。野暮なことを聞くな可奈子。馬に蹴られたくはないだろう」
「く、う、あ、くかああああああああっ!!」
「おお、錯乱した。一体何を想像したのやら」
「か、可奈子っ!? って素子ちゃんも冷静に見てないで止めてよお願いだから!」
「くえっ」
『本当に、飽きない方々ですわねえ』
『奇人変人の巣ようこそ、相応しい新参。徹底的にこういう場所に落ち着く運命のあるみたいだわ、私は』
『あのね君達。昔から、類は友を呼ぶ、人のフリ見て我がフリ直せ、というコトワザがあってだね……』
「むう、そうだ。ブーケを渡すのはなる先輩にしよう。あの人には幸せになってもらわねばな(書き書き)」
「き、があああああっ!(破壊活動)」
「ちょ、待てやめろやめて可奈子! 素子ちゃんも暢気に小説なんて書いてないで!(必死)」
「くええー」
終