注意!これは景太郎X素子小説です。

*これは、『凍りつく月のように 宵闇の間だけでも貴方の側に』(長い!)の続きです
*途中で『こんなんしのぶじゃない!』『こんなん素子じゃない!』と感じても、とりあえず最後まで読んでみてください。

 

 

 


私は、貴方のことが好きです

幾度、胸の中で呟いたのだろう
何度、言おうと思ったのだろう
決して届かない言葉たち
私が届けないのだから、当たり前

私は子供だから
私なんか、貴方につりあわないから
私は貴方のこと、何も助けてあげられないから

貴方に告白できない理由たち
でも、それはただの言い訳
本当の理由は別にあるの
貴方には、あの人がいるから
あの人は、私よりもずっと綺麗で
あの人は、私よりもずっと大人で
あの人は、私よりもずっと貴方の側にいて
何より貴方は、あの人のことが好きだから
だから、私の想いは絶対に届かない

だけど………
いつからか、貴方とあの人の間に隙間ができていた
あの、夏休みにみんなで海に行ったときから
貴方が、あの人を避けていたから

その隙間に入れば、あるいは私の想いは届いたかもしれない
でも、私にはそれはできなかった
機会があれば、二人の関係を元に戻そうとすらしたかもしれない
貴方が、とても辛そうに見えたから
あの人と話すのが、とても苦しそうだったから
貴方が、元に戻ってくれればいいと思った

ううん……それも嘘
私が貴方に告白しなかった本当の理由は、断られるのが怖かったから
だって貴方は、あの人の事を避けていても、あの人の事をずっと好きでいたから
そんな時に告白しても、きっと断られてしまう
そうなったら、今の心地良い関係も壊れてしまう
私は、それをとても怖れていた
それくらいなら、今までと同じでいい………
そう思った

でも………
でも………
夏休みが終わって……
貴方は、少しだけ元の貴方に戻っていた。
私は最初、あの人との関係が元に戻ったのかと思っていた
でも違った
貴方は前とは少し違っていた…………それが何かは分からない
けど、確かに変わっていた
それはまるで………迷い人が、本当に安らげる場所を見つけたようで

何が………何があったんですか?浦島先輩………

心がざわめく……何か、とても不安な気分になる………

 


 

ラブひなEX

愚か者が想いを貫き 卑怯者が想いを裏切り 臆病者が想いを繋げる 夜


 

 


透き通るような青い空の所々浮かぶ、色とりどりの風船。
ゆっくりと回る『NEVERLAND』と記された観覧車。
正面にどっしりとそびえる、西洋風の巨大な城。
園内の所々にいる大きな熊のぬいぐるみと、いたるところにいるカップルたち。
そして、それらの生み出す雰囲気の中でぼぅっと佇む私。
…………
…………
…………
「素子さん………どうしたんですか?キョロキョロとして………」
「ん、いや……」
「あ、そうですよね。ここって、いろいろ面白そうなものが多いから……」
「………こういう所は初めてだからよく分からないんだが………」
「え……遊園地に来るのがですか?」
「まぁ……今までそういう機会が無かったからな……しのぶは、こういう所には慣れてるのか?」
「ええ、少しは……遊園地なら、学校の友達と何度か来たことありますよ」
「そうか………」
ふと振り返ってみると、広場でまばらに集まって話をする皆がいる。
………浦島は、なにやら男の二人組に対して文句を言っているが……
皆は一度ならずこういう所に来たことがあるのだろう。なんと言うか……慣れた感じだ。
いや、遊園地に来た回数がどうこうではなく………多人数で遊びに行く、という行動に慣れているんだろう。
私は……友人も少ないし、今まで剣一本だったからな……

そんな私が何故こんな所に来たのか……それは、浦島となる先輩が持ってきた7枚のチケットのせいだった。
「ったく、灰谷の奴もあんまりだよな………」
「まあ、いいじゃないの。おかげでチケットが人数分手に入ったんだから」
「それにしたってさ……俺だけ一万六千も払って、成瀬川にはタダって言うのはなぁ………」
つまりはそういうことらしい。
その後はあっという間に決まり、『今度の日曜日にみんなで行こう』という事に決まった。
何故か、その事が決まった時の浦島は、ひどくがっかりしていたようだが………

まあ、何だかんだと言ったが、実際皆で遊ぶのは楽しかった。
「おい、何でだよ!何でアタシだけ乗れないんだ!?」
「だから……サラちゃんは身長が足らないからなんだって」
「なにぃ!アタシの事チビって言ったな!いくら姉ちゃんでも許さないぞ!」
「しゃーないやん、ほんとにチビなんやから」
「ちょっ……!カオラ!」
「ガァーー!!」
「うわっ!…ちょっとサラちゃん!!?」
バキィ!
「キャー―!先輩!」

途中でいくつかアクシデントはあったが………
「お化け屋敷?」
「うん。最新式のSFXを駆使してあって、すっごいリアル……って、パンフに書いてあるの」
「ふーん…ま、行ってみよか。そこならみんなで入れるやろ」
「えっ、お化け屋敷ですか?………私、そういうの苦手なんですけど……」
「まーまー、みんなで行くから大丈夫やって。それに怖かったら、景太郎に堂々と抱きつけるやろ?」
「ええっ!?(赤面)」
……………
「ん?どうかしたのかサラ?足が震えてるようだが……」
「ななな何言ってんだよモトコ姉ちゃん!怖いわけなんか無いだろ!」
「そうか……(そこまでは言ってないんだが……)」
「おーい、それじゃみんな入ろうよ」






プチッ
あきゃああ%&@¥$#!!!!!!!!!
ドカバコメキガスドガガガガガガ!!!!!!
「うわぁ!!?サラちゃんが錯乱した!!」

 

 

だからこそ、皆で騒ぐこの時間は、きっといつまでも記憶に残るだろう。
「ねぇ、そろそろ昼食にしない?私、お腹すいちゃって………」
「ふむ………確かにそろそろやな。けど問題は……」
…………
「浦島先輩………大丈夫ですか?」
「ううっ……まだ少し気持ち悪い……」
「だらしないなー、けーたろ。ちょっとコーヒーカップで回っただけやん」
「へへっ。それだけあたしの腕が良かったってことだよ。そっちのモトコ姉ちゃんの方はぜんぜん平気だろ?」
「いや、モトコはこーゆーのに強いからな」
「それ以前に、他人を巻き込んで勝負などするな!」
………………
「あーーあ………だめね、あれは」
「ふーーむ……惜しかったかも知れへんな、これは」
「な、何よ……なんで私のほう見るのよ?」
「二人だけっやったらなぁ……その辺の芝生で膝枕でもしてやって、気分が良くなってから手作り弁当を開く……なんてこともできたのになぁ、なる?」
なるほど。そのようにするのか……
「だから!何で私のほう見るのよ!?……って、今何か聞こえなかった?」
「ん?だから、膝枕でも……」
「ああ、もう!!その話はもういいわよ!」



「それじゃあ2時間ぐらい後に。見終わった人から、土産物屋に集まるって事で」

浦島先輩の確認の言葉に、みんなが思い思いに返事をした。
ここに来てから3時間ぐらい経ったので、今度はたくさんある『?展』と言うのを見に行こうと思ったんだけど………
みんな、見に行きたいのがばらばらだったから、別々に見に行くことになった。
浦島先輩は『西洋のお菓子展』
なる先輩とキツネさんは『アジアの酒展』(なる先輩は、キツネさんが飲み過ぎないように監視するって言ってた)
素子さんは『幻の日本刀展』
カオラは『南国バナナ展』
サラちゃんは『土器展』
私は『ヨーロッパのぬいぐるみ展』
みんな見事に行きたいところが違ってる………私、一人じゃ少し怖いかもしれない。
あっ。そうだ、それなら………



一時間後、私は『西洋のお菓子展』にやってきていた。
『ヨーロッパのぬいぐるみ展』をざっと見て回って(凄く可愛いのが多かったから、思ったより時間がかかっちゃたけど)それからここに来た私の目的は……
「浦島先輩!」
「え、しのぶちゃん?どうしてこんな所に……?」
「えっと、私もお菓子とかに興味あるから……ぬいぐるみ展の方は早く回って、こっちに来たんです」
「へー……じゃあ、その大きな荷物は……」
「あ、ぬいぐるみです。最後に販売コーナーがあったから、つい……」
「ぬいぐるみが好きなんだ……しのぶちゃんの部屋って、ぬいぐるみいっぱいあったもんねぇ……」
「はい。こういう所に来るたび、ついお土産とかに買っちゃって………」

浦島先輩と一緒に、たくさんのショーケースの前を歩く。
その中には、いろんなお菓子………見た目にも鮮やかな、芸術作品みたいなケーキやパフェなんかが並んでいる。
私はそれを見るたびに、楽しさと同時に羨ましさが湧き上がってくる。
だって………
「ハァ………凄いな、このケーキ……すっごく綺麗なデコレーション……どうやって作るんだろ…?」
「ヘェ…凄いな。何重にもアイシングがしてある……手間かかってるなあ…」
「え!?先輩、このケーキの作り方、分かるんですか?」
「え?……うーーん、そうだなぁ……味はともかく、デコレーションなら、時間をかければできると思うけど……」
「す、凄いです、先輩!」
そう、先輩は(普通の料理もおいしいけど)お菓子作りの達人なんだ。滅多に作らないけど………
例えば、去年先輩がバレンタインの日に作ったチョコレートケーキ。
後でみんなで食べさせてもらったんだけど、デコレーションも味も、私のなんかとは比べ物にならないほど上手だった。
あれなら、ほんとにお店出しても通用すると思う。
対して私は、お菓子作りを始めてから一年ぐらいで、まだまだ先輩には遠く及ばない。
思わず、口に出してしまった。
「あーあ……私も、先輩みたいに美味しいお菓子作れるようになりたいなぁ……」
「ううん、しのぶちゃんの作ってくれるお菓子、俺のなんかよりずっと美味しいよ」
「ええ!?」
「うーん……なんて言うのかなぁ………俺は確かにお菓子作りは上手かもしれないけどさ。作るのはたいてい、自分のためだから」
「は、はい」
「でもしのぶちゃんはさ、みんなのために作ってくれるでしょ。みんなが喜んでくれるように、って『想い』をこめて………」
「先輩…………」
「お菓子とか作るのってさ、技術とかも大事だけど、そういう『想い』が一番大事なんだと思うよ」
…せ、先輩……かっこいいです…!!
「だから、しのぶちゃんの作ってくれるお菓子は俺のよりも美味しい。ね?」
「は、はい!」



気が付くと、私の足は来た道を引き返していた。
来るときにも見た、様々なお菓子が――――私には縁が無いものが
何かを私に、囁いているようにも見えた。
それを振り払うかのように、私は歩く速度を速めた。
後方で談笑しているはずの、浦島としのぶに気付かれないように気を付けながら。

あの日――――――私が浦島に『好き』と言い、浦島が私に『好き』と言った日から、2週間が過ぎていた。
ひなた荘の皆は、私と浦島が『付き合っている』事に気付いていない。
もっとも、『付き合っている』と言っても、特別何が変わったわけでもない。
浦島はいつものように勉強し、予備校に行く。
私はいつものように剣の修行をし、高校に行く。
そしていつものように、浦島が不埒な行いをしたときは叩きのめす。
傍目には、前と全く変わってないように見えるだろう。
実際、変わった事と言えば、私と浦島が前よりも良く話すようになったぐらいだ。

別に隠しているわけではないが…………わざわざ知らせるのも気恥ずかしいだけだ。






……いや、そうではないのだろう。
浦島は、折を見ては私と『恋人らしいこと』をしようとしてくれる。
朝の散歩の誘い。昼のお弁当の申し出。夜の予習復習の手伝い。そして……………時間の許す限り、傍にいること。
でも私は、様々な理由を付けては、それを断っていた。
朝の修行は一人でやりたい。弁当作りなど、男がやるものではない。予習復習なら一人で充分。そして……………浦島の負担になりたくない。
だから、私と浦島の行動は、何も変わっていなかった。
私は逃げていた。
あれだけ『浦島の傍にいたい』と思ったはずなのに、気が付くと私は逃げていた。
怖かった。
これだけ浦島のことが好きなのに、私は浦島の中の『男』が怖かったのだ。

『男』
知らないもの。
私の傍にはいなかったもの。
私とは決定的に違うもの。
私から、大好きな姉上を取りあげたもの。
『男』は怖い。
でも、浦島は好きだ。
矛盾しているのは自分でもわかっている。
考えてるうちに、何故浦島のことが好きなのか、はっきりしなくなることもある。
でも、浦島が好きだ。
その事実は、私のもっとも深いところに根付いている。
昔の私は、そんなものがなくても平気だった。一人で生きているつもりでいた。
だが私は知ってしまった。大切な人を想い、大切な人に思われる心地良さを。
もう、昔の私には戻れなかった。
もし今、浦島を失ってしまったら………きっと私は、『私でない何か』に変わってしまうだろう。

でも、『男』は怖い。
考えてみれば今回ネバーランドに来たのも、浦島にとっては私と二人で来たかったのかもしれない。
だが私はきっと、浦島と二人ではここには来なかっただろう。
皆と一緒だから私は来たのだ。

あの時、私は浦島に『好き』だと言った。
あの時、浦島も『好き』だと言ってくれた。
そして、二人は『恋人』同士になったはずだった。
だが、私は浦島の求めに一度も応えていない。そんなものが『恋人』であるはずが無かった。
だが浦島は、誘いを断りつづける私に対しても気にした様子はなかった。

『素子ちゃんが嫌ならいいんだ。気にしなくていいよ』

私は、そんな浦島の優しさに甘えていた。
もちろんそれで良いわけが無いが、私はその事からも目を逸らしていた。
今、はっきりとわかった。
先刻、笑いあう浦島としのぶを見たとき、私の胸の奥からどす黒い何かが湧き上がった。
『それ』はあっという間に私の胸の中を満たし、口から飛び出しそうになった。
私は必死でそれを抑え、あの二人から離れた。
そうしないと、何か叫びだしてしまいそうだった。

『それ』は嫉妬だった。素直に浦島と話せる、しのぶに対しての嫉妬。
『それ』は怒りだった。私ではなくしのぶと楽しそうに話す、浦島に対しての理不尽な怒り。
『それ』は恐怖だった。すなわち―――――――――私は、浦島を失ってしまうかもしれない。浦島に捨てられるかもしれない。
それはとてつもない恐怖だった。
そんな事になるぐらいなら、剣を捨てたってよかった。
浦島を失うぐらいなら、どんなことでもできると思った。








「ねえ素子ちゃん、知り合いから映画のタダ券貰ったんだけど…………」


 

 



六日後、土曜日。

「フン、フン、フフーン、フフフン、フーン………」

あ、いけない。いつのまにか鼻歌なんか歌っちゃってた。
でも楽しい気分なんだから仕方ないかもしれない。だって今日は土曜日だから早く帰れる……そうだ、今日は久しぶりにお菓子でも作ろうかな。
今日は浦島先輩は予備校に行ってないはずだから、出来たらすぐに食べてもらえるはず……
その時、私の視界に見慣れた人影が移った。それは、まさに今思い浮かべていた人………浦島先輩だった。
「先輩?どうしてこんな所に……?」
どうやら先輩はこちらには気付いていないようで、片手に単語帳を持って、さっきからしきりに時間を気にしてる。
いつのまにか私は物陰に隠れて、浦島先輩を観察していた。
傍から見るとかなり怪しいかもしれない………中学校の制服のままだし。
でも、ある事を思いついてしまった私には、そんな事どうでも良かった。
もしかして浦島先輩……なる先輩とデート?
小声で呟いてしまってからすごく後悔した………ありそう……
一瞬『帰ろう』とも思ったけど、結局その場から離れられなかった。
私はそのまま、浦島先輩の相手………なる先輩が来るのを待つことにした。

…………1時間経った。

私はそろそろ限界だった…………待つのって、結構疲れるものなんだ……
一方先輩は、私が初めに見かけたときと全く同じ様子だった。
先輩……タフだなぁ……
もしかして2時間ぐらい前から待ってるのかな?
私が『今度こそ帰ろう』と思って立ち上がったとき。
浦島先輩に近寄る女の人がみえた。
なる先輩!?
だけど、それはなる先輩ではなかった。
だって、髪は黒いし、浦島先輩より身長が高いし…………
そこまで観察したところで、私は頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
その人が誰なのか、やっと気付いたからだ。
見慣れない格好をしているし、ここにいるわけが無いと思い込んでたから、すぐには分からなかったけど………

なんで素子さんが!?

 



「すまない、浦島。少し遅れてしまった……」
「いや、俺も今来たところだから……」
浦島が笑顔で振り返り………硬直した。
おい、私はそんなに変な格好をしているのか?
ただミニスカートをはいて口紅をつけただけではないか。
…………………充分変か。
「も、素子ちゃん……わざわざ着替えたの?」
「当たり前だ。制服のままでその…映画など見に行けるか」
そんなものを高校の知り合いに見られた日には、あっという間に全校生徒の知るところになってしまう(何しろ女子高だから、噂の伝わる速度は尋常ではない)
だが、こんな格好をしていればまさか私が『あの』青山素子だとは思うまい。
……………自分で言ってて虚しいが。
「それにお化粧まで…………って、素子ちゃん口紅なんて持ってたの!?」
「買ったんだ!悪いか!?」
浦島は私の返答を聞いて、更に驚いたようだった………そこまで驚かれると、腹が立ってくるな。
まあ確かに、こういった服や化粧品はキツネさんに見立ててもらったんだが。
「前に一度見てるのだから、そんなに驚くことは無いだろう?」
「いや………まさか、もう一度着てくれるとは思わなかったから………」
「大体、お前があの時『可愛い』と言ってくれたからこんな格好をしてきたのに……」
「え?」
「あ、しまっ…………へ、変な事を言わせるな…………」
「ゴ、ゴメン………」
広場で真っ赤になって俯きあう二人は、他人の目にはどう写っただろうか。


 


広場で真っ赤になって俯きあう二人は、どう見ても恋人同士だった。
二人の会話は聞こえないけど、周囲の空間に色がついているような錯覚に陥った。
すなわち、ピンク色の。
私は必死で二人を観察する一方、いつかのキツネさんの言葉を思い出していた。

『なんやあの二人、最近よう話しとるなあ』

それは、二週間ぐらい前………二人が山ごもりから帰ってきたぐらいの日。
その時は、『二人とも少しは仲良くなったのかなぁ』とか思っただけだったけど………まさか素子さんが………

しばらくして、先輩と素子さんは歩き始めた。
私は、一瞬どうしようか迷ったけど、二人の後をつけてしまっていた。
せめて、二人がただ遊びに来ただけなのか、それとも………恋人同士なのか、確かめたかった。
でも、前のほうを連れ添って歩く二人を見ていると………やっぱり、恋人同士にしか見えない。
私の中で『二人は恋人同士』と言う言葉がぐるぐると回っていた。
その言葉は、絶対の事実として私にのしかかってこようとしていた。
が………
その時私の、絶望で真っ暗になりそうな視界に写った二人が、何かの建物の中に入っていくのが見えた。

ぎゅ、牛丼屋!?
私にのしかかっていた『二人は恋人同士』という言葉が、グラリと揺らいだ。

 



「牛丼、大盛り二つね!」
「………………」
「はい!大盛り二つ!」

浦島の注文が繰り返されて厨房に伝わっていった。
土曜日の昼時とあって、店内は家族連れや大学生、トラックの運転手などでごった返していた。
そんな中でカウンターの席を取れたのは幸運だったのかもしれない。
………………と言うより、そんなことはどうでもいい。
私はもう一度店内を見回した。
家族連れや大学生、トラックの運転手………
そんな中、隣でのほほんとしている3浪生はともかくとして、初デートのために着飾った女子高生は、完璧に浮いていた。
というか、さっきから視線が集中しているような気がしてならない。
私は押し殺した声で、隣の大馬鹿者に話かけた。
「おい、浦島………」
「どうしたの、素子ちゃん?なんか不機嫌そうだけど・………」
「……何故、食事をするのが牛丼屋なんだ?」
「何でって………お腹空いたでしょ?ちょうど近くにあったから……」
その返事を聞いて私の中の怒りメーターが、グググッ!と上昇した。別名、堪忍袋の尾。
思わず隠し持った獲物を手に取ってしまいそうになった。浦島に一撃入れたい!という衝動を必死で抑える。
「あ、もしかして素子ちゃん、ここの牛丼食べるの初めてなの?大丈夫だよ、ここのは結構いけるから。でも、どうしても口に合わないって言うんなら、どこか別のところにするけど…………」
「………………」





はあ………
普通だったら、怒鳴りつけるかパンチでも食らわせるところかもしれない(実際、なる先輩なら両方やりそうだ)
だが、ピントのずれたフォローを入れ続ける浦島を見ていたら、気が抜けてしまった。
「いや、確かにここに来るのは初めてだが…………牛丼は嫌いではないな」
「そう?良かった」
まあ、初デートで牛丼屋、というのも、浦島らしいといえば浦島らしい。
しかし私にも、どうしても譲れない部分はあった。
「だが、お前はともかくとして、何で私まで大盛りなんだ?私はそんなに大食いではないぞ!」


 


映画
デートコースとしては定番中の定番らしい………私は経験無いから良く分からないけど。
逆にいえば、二人で映画を見にきたって事は、デートなのかもしれない………
ちなみにキツネさん曰く、映画の内容はラブロマンスかホラーがいいらしい………ラブロマンスはともかく、ホラーはどうかと思うけど………
そう、浦島先輩と素子さんは、今映画を見ている…………私も、なけなしのお小遣い使って映画館に入った
けど……
浦島先輩と素子さんは前のほうで並んで座っている。結構集中しているようだ。
私は後ろのほうで、その様子を(映画の内容そっちの気で)観察している。
ただ、映画の内容はラブロマンスでもホラーでもなく………………『七人の侍』だった。
周りがおじさ…………年配の人ばかりで居心地が悪い………
どう考えても、デートの時に見るようなものじゃない………はず。
この映画を選んだのは…………素子さん?それとも浦島先輩なの?
もし素子さんだとすると…………素子さんが見たかった映画のチケットを、浦島先輩が持ってたって事かな?
それだったらデートじゃなくて、二人で映画を見に来ただけ。
でも、もし浦島先輩が選んだとしたら…………浦島先輩が、素子さんのためにチケットを買ってきたってことになる。
それだったら…………

これはデート=二人は恋人同士

ガビーーーン!!
ふにゅううううううう………
あ、でも、二人で出掛けるのとデートって、どう違うんだろう………?

と、そんな事を考えているうちに、いつのまにか映画は終わっていたみたい。
それと、浦島先輩たちも…………………





「見失っちゃった………?!!」


 


私と浦島は公園で散歩していた。
映画の後。
「それじゃ、帰ろうか」
「なに?――――――――もう帰るのか?」
「うん。映画も見たし」
「ちょっと待て、まだ……3時だぞ?まだ時間はあるんだから、どこか行かないか?」
「あ、そう?うーーーーーーんと…それじゃ……」
キョロキョロ
「じゃ、あそこなんかどう?」
「す、水族館か………」
「あ………そっか、そういえば素子ちゃん、そういうの苦手だったよね。ゴメン……」
「いや……」
「それなら、その辺を散歩でもしてみようよ」
浦島がすまなそうに謝って、私にもできそうな精一杯のことを探してくれる。
そして私は、そんな浦島の優しさに甘えることしか出来ない。

青い空
「それにしても、いくらなんでも『七人の侍』はないだろう?」
「え?何か変だった?」
白い雲
「当たり前だ!もっとこう……何とかならなかったのか?」
「でも、楽しんでたみたいだけど……」
そよぐ風
「そ、それはまあ……少しは」
「アハハ……それなら、次の時は気を付けるから」
そして、隣にいる浦島の笑顔
「次………そうか、次か………」
「な、なに?急にしんみりしちゃって」
このような日に、浦島と共に居れる事を、私は天に感謝した。
「いや、なんでもない。ただ、あまりに楽しいのでな」
「楽しい?ただ二人で歩いてるだけでしょ?」
ウジウジと悩んでいた自分が、馬鹿のようだった。

「それが楽しいんだ」
「素子ちゃん………」
「好きだよ」
「「へ!?」」
私と浦島が、ハモって間抜けな声をあげた。
よく見たら……居る居る。外灯の陰、ベンチ、遊歩道……カップルだらけだ。
しかも、ほとんどが手をつなぎ、一部が抱き合い、あまつさえ一番近くの一組はキ、キキキ、キス………
「うわ……この公園、カップルだらけだ」
半ば呆然とした浦島の声で私は我に返った。
それは同時に、隣に居る存在―――――――――浦島の事を強烈に意識する結果になった。

浦島と手をつないで歩く………それはきっと、とても嬉しいこと
浦島と抱き合う…………それはきっと、とても幸せなこと
浦島とキスをする…………それはきっと、とても――――
うらしまと………………………

強制終了

「……こち…もと……素子ちゃん!?」
「ハッ!?」
気がつくと私はベンチに座っていた。
隣には浦島の心配そうな顔。
「大丈夫?なんかいきなりボーっとして、ブツブツ何か呟きはじめたから……」
「聞こえてたのか!?」
先程の思考が脳裏でリフレインした。
あ、あんな事を呟いていたのか、私はっ!?
そんな事を浦島に聞かれていたら、恥ずかしくて顔も合わせられなくなる。
「いや、内容は聞こえなかったんだけど………」
その一言が、とりあえず証拠の隠滅(記憶の削除)をはかろうと獲物に手を伸ばした手を止めさせた。
…………命拾いをしたな、浦島……
「そうか……いつのまにか時間が経っていたんだな……もう夕方だ…………」
「あっ」
「どうかしたのか、浦島?」
「今日は一緒に行ってもらいたい所があるんだ」
グイッ!
「わっ……こら、手を……」
「こっちこっち!」

 




「ううっ…先輩たち、どこ行っちゃったんだろう……」

夕暮れで紅く染まる町を、一人でとぼとぼと歩く私。
はぁ…惨め。
私は、さっきからずっと二人を探していた…………といっても当てがあるわけじゃない。
闇雲に探してる間に、私はいつのまにか、普段は来ないような場所に来ていた。
なんて言うのか………ホテルがたくさんあった。
それと、カップルがたくさん歩いていた。
つまりは、そういうところだった。
……………帰ろう
もう探し疲れて、足が棒のようだった。

それに、二人を見つけたとして私はどうするのだろうか。
また後をつける?それとも話かける?
どっちも出来そうになかった。
それに、疲労とは違った何かが胸の奥に溜まっていた。

私が決心した瞬間――――――――私は目的の二人を見つけていた。
運命とか言うものは、どうしてこうも皮肉なんだろうか………何かの法則が働いているかのように。
その光景は、疲れきった私にとてつもない衝撃をもたらした。

浦島先輩と素子さんが走っていた。
浦島先輩が素子さんの手を引っ張っていた。
そして、浦島先輩が向かう先は…………
「イ…」
その瞬間、私の感情の防波堤が決壊していた。
イヤ――――――――――!!!
そして私は――――――――逃げ出した。


 


私は浦島に引かれて、いつのまにか通りに出ていた。
わけも分からず手を引かれてきてしまったのだが………普段、あまり来ないところのようだ。見覚えがない。
と、そこで私の頭にハンマーで殴られたような衝撃が走った。
浦島の向かっているところの看板が目に入ったからだ。

『HOTEL』

HOTEL?
ほてる………なんだっけ
火照る………いや違うな


ル……………………………………………………………………………………………………………
………………………………………………………………………………………………………………
……………………………………………………………ああ、宿泊所の事か
そうか、私と浦島は、今ホテルに向かってるんだな。

「なっ!?」

理解した瞬間、私の中から三つの感情が猛烈な勢いで湧きあがった。
『男』に対する、そして『そういった行為』に対する恐怖、嫌悪。
そして、『裏切られた』という事実に対する、瞬間的な怒り。
「や……」
私は体に染み付いた行動を取っていた。
すなわち――――――――
やめろぉ――――――――!!!
斬!!!
ドゴォォォォォォォォン!!
「ぶらぁ!?」
浦島が吹き飛び……それによって手が離れる。
「バカ――――――――!!!」

そして私は――――――――逃げ出した。


 


私は走っていた。
なんで!?
なんで!?
なんで!?
なんでですか!?センパイ……
ずっと、見てたのに…………


 


私は走っていた。
…………裏切られた…………
…………裏切られた…………
…………裏切られた…………
……浦島に、裏切られた…………
………信じてたのに………


 




「…………なんで…………」

キキィィィィィィィィ!!!!

ドンッ!!








『姉上!』
『……素子』
『姉上!何故、なんであのようなことを!』
『………』
『なんで、当主の座を捨ててまであの男と結婚なんて!!』
『すまん…ほんにすまんな……候補を降りたら素子にも迷惑かけると思うけど』
『姉上?』
『ああするしか…なかったんや』
『そんな…だからって引退なんて!行かないでください、姉上!』
『ウチな、当主なんかに向いとらんのや。人の命を預かる立場なんかには、立てへん。気付かせてくれたんは、かすみと、名取はんや…だから素子。ウチの代わり、頼めへんか?』
『そんなん無理や!!姉上、行っちゃイヤ!!』





…………『男』なんて、嫌いだ…………




「姉上………」

呟きと共に、深い所を彷徨っていた意識が覚醒する。
まぶたを薄っすらと開けると、真っ白い光が飛び込んできた。
ここは……どこだ?
「素子ちゃん!」
不意に、聞き慣れた声が私の鼓膜を叩いた。
この声は…………
目をはっきりと開けて、周りを見回してみると…………皆が、心配そうな顔で覗き込んできていた。
その中で、先程私の名を呼んだのは………すぐ横のキレイな女性。
私は夢現の状態ながら、反射的に彼女の名前を呼んだ。
「なる、先輩……?」
周囲が、わっ!と歓声に包まれた。

なる先輩の話によると、私は車に刎ねられたらしい。
らしい、というのは、今ひとつ事故前後の記憶がはっきりしないからだ。
どうやら、事故のショックで記憶が混乱しているとのこと。
現在は七時ごろで、私は二時間ほども意識を失っていたこと。
さいわい、外傷のほうは軽い打ち身程度で(とっさに受身でも取ったのだろう)明日にでも退院できるらしい。
そんな説明を、なる先輩、キツネさん、スゥ、サラから代わる代わる受けた………ベットの上で。
ふと、疑問。

「そういえば………しのぶの姿が見えないようですが………」
「うん……しのぶちゃんはどこかに行っているらしくて、連絡が取れないの………ついでにあのバカも!」
「あのバカ?」
七時になっても帰っていない(流石に学校は終わっているだろう)しのぶの事も心配だが、なる先輩の言葉の一部が引っかかった。
問い返そうとしたその時
バン!と病室のドアが開いて、誰かが入って……いや、飛び込んできた。
「ハァ、ハァ、ハァ………素子ちゃん、大丈夫?」
その男は息を荒げていた。ここまでずっと走ってきたようだ。
必死な形相。
よろめきながらも近づき、私に向かって手を伸ばし―――――――

パン!

私がその手を払う音が病室に響いた。
身も知らぬ男に触られるのは我慢ならない。
「え……?」
目の前の男は、困惑気味に私を見つめた。
もちろん、面識などない。
そして、私がなる先輩に向かって問い掛けたとき、病室の空気は凍りついた。


「なる先輩、この男は誰ですか?」

 


 
「記憶喪失!?」

あの後散々走りまわって、再び町をとぼとぼ歩いて。
二人にどういう顔して会えばいいのか分からなくて、ひなた荘に帰りづらくて。
そのうち真っ暗になって、みんなが心配しているからと自分自身を納得させて。
ようやくひなた荘に帰ってきた私を待っていたのが、その言葉だった。

「き、記憶喪失って………私は誰?ここはどこ?っていう……」
「よう知っとるなそないな事………」
私の動揺しながら出した返事はトンチンカンだったらしく、キツネさんに呆れられてしまった。
「そーやなくて………うーん、何ちゅ?のか……『記憶の一部に欠損』があってな。ある特定の事柄だけ、綺
麗さっぱり忘れてしもーた………って医者が言うとった」
「ある特定の事柄……って何ですか?」
私の当然ともいえる質問に…………キツネさんは、珍しく迷った表情をした。
キツネさんは、いつもきっぱりとした言い方をする…………私はその様子に、強い不安を覚えた。
「教えてください!素子さんは……『何』を忘れてしまったんですか!?」
「………」
「教えてください、お願いします!!」
「しのぶ…ショック受けんように覚悟しとき」
「…はい」

「景太郎の事……………全部や」







『先輩は………?』
震える声で、私が言った。
『部屋におる……今はそっとしとき』
いたわる声音で、キツネさんが言った。
確かにそうかもしれない。
私が先輩のところに行ったところで、どうにもならないだろう。
私が何を言おうと、何も変わらないだろう。
でも……
でも……
でも……
もし私だったら。
もし浦島先輩が私の事を忘れてしまったら。
きっと私はそれに耐え切れない。
きっと私はひどく傷ついて立ち直れないだろう。
だから……
だから私は、浦島先輩の部屋に向かっている。
私は浦島先輩が好きだから。
そしてきっと、浦島先輩は素子さんの事が好きだから。

「先輩…………」
「しのぶちゃん……?どうしたの、こんな時間に……」
「聞きました…………素子さんのこと、キツネさんから」
「そっか…………」
「…………」
「…………」

二人の間に沈黙が落ちた。
物音一つ無い……いつものひなた荘ではないような錯覚。
…いつからか、先輩がこのひなた荘の中心になっていた。
優しく、暖かな笑顔を浮かべることができる先輩が。
だから『ここ』は毎日がとても楽しく、居心地のいい場所になっていた。
全部浦島先輩のおかげ。
でも今は、ひなた荘全体が暗い雰囲気になっていた。
………それは先輩がひどく落ち込んでるという事。

「先輩………」
わたしは………
「素子さんと…………付き合ってたんですか?」
わたしは…………
「………知ってたの……?」
わたしは………
「今日………町で見ました」
私は………先輩のことが好きです。
「そう………恥ずかしいところ、見せちゃったかもね……」
私は、浦島先輩のことが好きです。
「………素子さんの事、好きですか?」
私は、浦島先輩の事好きです。だから……

―――支えてあげたいんです―――

「素子ちゃんは…………俺の事を好きだって言ってくれたんだ」
こんな、何も持ってない男をさ。
言葉には出ていなかったけど、浦島先輩のそんな呟きが聞こえたような気がした。
「俺は………その時、好きな人を諦めなければいけなかった。いわゆる『失恋』中だったんだ」
浦島先輩ははっきりとは言わなかったけど……それはきっとなる先輩。
そしてあるときから、浦島先輩は………なる先輩から離れていた。
それは、いつからだったのだろう。
もしかしてその時…………素子さんが浦島先輩に告白したのだろうか。
「俺はその時、『ダメだ』といった。俺はまだ好きな人を諦めきれなかったから、きっと素子ちゃんを代わりにしてしまうと思った」
『代わり』
それは―――――――――
それは、『自分』を通して他の人を見るということ。
『自分』でなくてもよいという事。
『自分』の想いが…………無視されるということ。
「その事は、素子ちゃんにも言った」
素子さんは……いったいどういう気持ちでその言葉を聞いたのだろう。
自分の想いを受け取れないと。
自分の思いが届かないと、はっきり言われたとき。
素子さんは……

「でも、素子ちゃんは『構わない』と言ってくれたんだ」

そして
その夜
私は
絶対に
彼女に
かなわない事を
知った。












素子ちゃんが事故に遭って三日経った。
記憶はまだ戻らない。



ピシッ
パシィ
ピシィ
パシン
「フゥ………」
一息ついて、私は止水を握る手を緩めた。
事故に遭ってから三日経過したが、傷―――――といっても打ち身や捻挫だが――――――の方はほぼ癒えていた。
それでも大事を取って、部活のほうは休んでいる―――――――いや、休まされているのだが………
大体、もう自分でも分からない程度の引きつりしかないのだ。体がなまって仕方ない。
まあそういう訳で、皆には黙って(一応病み上がりということになっている)屋上で剣を振っている―――――――はずだったのだが。
「あ……素子ちゃん、お疲れさま」
「また貴様か………」
誰にも言ってないはずなのに、どういうわけか毎回やってくる人影。
浦島景太郎だ。

この男は、このひなた荘の管理人をやっているらしい。
皆の話によると一年以上前からここにいるらしい。
だが、私は納得できなかった。
大体、なぜ女子寮に男の管理人がいるのだろうか。
その上軟弱でドジでスケベ………私の大嫌いなタイプだ。
それに、こいつは会って3日しか経ってないのになれなれしく話掛けてくる。
そう、3日だ。
皆が口々に言うには、私はこの浦島景太郎と以前からの知りあいらしい。
だが私はそんなことは知らない。記憶喪失、というやつらしいが……………ドラマではないし、どうにも信じがたい。
大体、私がこのような軟弱男と仲良くするなどありえない。

「素子ちゃん喉渇いてない?お茶入れてきたけど」
私の不機嫌そうな表情をものともせず、こいつはこのような事を言う。
「貴様、何で私がここにいると分かったのだ?」
毎日場所は変えているし、誰にも言ってないはずなのに。
とげとげしい声で責めるような口調で質問しても。
「なんとなくだよ……あ、わらび餅でも作ってみたんだけど、食べる?」
……………このとおりだ。
よほど鈍感なのか、私の言いたい事が分かってないらしい。
やはりこいつは、はっきり言わないと理解できないようだな。
「リハビリの邪魔だ」
わざと冷え冷えとした声で言ってやる。
「大体貴様は三浪生らしいな。菓子など作っている暇があるのか?」
「うぐっ!」
痛いところを突かれたらしく、あいつはうなだれて物干し台の出口に歩いていった。
ふん、いい気味だ。
そのまま浦島の方など放っておいて修行を再開した。
ピシィ
パシィ
ピシッ
パシッ
風が吹くたびに落ちてくる木の葉を――――――――空中で切り払う。
ピシッ
パシッ

そんな修行をしばらく続け、ふと振り返ってみると。
物干し台の出口の側に、小皿の上でラップで包まれたいくつかのわらび餅と、小振りの水筒が置いてあった。


「先輩、どうでしたか?」
「いや………『三浪生なら勉強しろ』とか言われちゃって……」
「だ、だからってそのまま戻ってきちゃったんですか?一緒に食べるはずじゃ……」
「ア、アハハ………(汗)」
「『アハハ』じゃありません!真面目にやってるんですか!?」
「う……ゴ、ゴメン」
思わず怒声を上げてしまった私に、がっくりとうなだれるように謝る浦島先輩。
ハァ……
あの夜、私に決意を語ってくれた浦島先輩はすごく立派に見えたんだけど………
……………ほんとに同一人物なんだろうか?
「ま、まあわらび餅はいっぱい作ったんだから、みんなで食べようよ」
「浦島先輩、和菓子も作れるんですね」
話をそらそうと必死の浦島先輩に、分かっていながら乗ってしまう。
だって、ほんとにこのわらび餅っておいしいんだもの。
「うーん、洋菓子とかは趣味でやってるだけで、ほんとはこっちが本領だからね」
趣味であのレベル……
浦島先輩って、お菓子作りの天才かも……
「って、素子さんが食べてくれなきゃどうにもならないと思いますけど………」
「いや、でも………いくらお菓子をうまく作れても、素子ちゃんは『男がそんな事するとは』とか言いそうなんだけど」
「何言ってるんですか!?浦島先輩の特技なんて、これくらいしかないじゃないですか!」
「ぐはっ!」

つうこんのいちげき!浦島景太郎に(精神的に)大ダメージを与えた!

「キャー、浦島先輩!いきなり座り込んで床に『の』の字なんか書かないでください!」
「おーー!ええ匂いやなしのぶ。食べてもええか、これ?」
「ちょ、ちょっと待ってカオラ。これはみんなで……先輩!隅っこに移動なんかしないでください!」


「うまい……」
はっきり言えば……かなり美味しかった。
あいつの置いていったわらび餅………市販品と区別がつかない。
あいつの言葉……『わらび餅でも作ってみた』というのを信じるなら…………
「これをあいつが………男が作ったのか?」
あいつが………

居間に集まる、なる先輩としのぶとキツネさんとスゥと私。
その真ん中にある大きなチョコレートケーキと――
『これを本当に――が作ったのか?これなら充分自慢になるぞ』
『いや、どうせダミーチョコなんだから自慢したって………』

「つくづく男らしくない奴だな………」
まあいい。残すのももったいないし、スゥにでも分けてやるか。
頭に浮かび上がりそうになった『何か』を軽く頭を振って振り払い、私は物干し台を後にした。

結局スゥは見つからなかった。代わりに台所がなにやら騒がしかった。
いつもの事だ。







四日目、今日の作戦は『ラブラブお弁当大作戦』……しのぶちゃん、このネーミングは勘弁して…

 



『カ、カワイイよ、うん!ホント』

『どうせ私は剣道一直線で!世間知らずで!カワいくない身長175cmのミニスカの似合わないデカ女だ!放
っておいてくれ!!』

『やっぱりさ、素子ちゃんはいつもの素子ちゃんのままが一番いいと思うよ』

『女らしくない女がいるんだ。男らしくない男がいてもいいのかもしれん』

 

 

 

むくり
「……………夢?」
私はいつものように、しがみついて寝ているスゥを起こさないように引き剥がした。
起き上がりながら思案にふける。
(夢というのは、過去に経験したことを再び見る事らしい)
巫女服に着替えながら――――朝の素振りをするためだ――――いつか聞いたような事を思い出す。
そうなると、先程の夢も私が経験した事、ということになる。
準備を終え、止水を持って部屋を出る。
夢の内容は……私が、なぜか女のような格好をして色々と恥ずかしい真似をするというものだった。
だが、それまでの経緯がまったく思い出せない。
更におかしな事に…………もはやはっきりとは分からないが、とにかく何かが変だった
まあ、所詮夢だ。たいした事はないだろう。
私はそう結論付けて、物干し台に向かった。


早朝、ひなた荘の台所で、私と浦島先輩は計画を発動していた。

「らん、らららら、らんらん、らららら、ららら♪」
「しのぶちゃん、やけに機嫌いいね。お弁当作るのってそんなに楽しい?」
「はい。いつも自分の分だけ一人で作ってたから、他の人と一緒にやるのは楽しいんです」
「うん、やっぱり一人より二人のほうがはかどるしね」
「はい!タコさんウインナ?出来上がり」
今日のタコさんはいつもより数が多い……何しろ、三人分のお弁当と、朝ご飯のおかずになるんだから。
浦島先輩にはから揚げをあげてもらってる。
「ほい、ほい、ほい………それにしてもしのぶちゃん偉いよね」
「えっ、えっ!?何がですか?」
「毎朝お弁当作ってるって事だよ。俺だったら3日も続かないだろうなぁ」
「そ、そんなこと無いですよ。なれちゃえばどうって事無いです」
「俺の場合、自分で作ったものを自分だけが食べるっていうのが、すごく虚しく感じるんだよ」
「それって、誰かのためになら毎日でも作れるってことですよね」
「まあ、そういうこと。でも高校のときは…そうだな。毎日弁当を作っていた時期もあったけど、あれは全然彼女なんかじゃなかったし…今考えてみれば虚しい青春だったなぁ」
「え、先輩、彼女とかいなかったんですか?」
先輩ってかっこいいし優しいから、モテると思うけど……
グサッ!!
「うう……しのぶちゃんにまで言われるとは……」
「え、先輩、もしかして気にしてたんですか?………って、そんな虚ろな目つきでから揚げひっくり返さないでください!」
う、やっぱり、あんまりかっこ良くはないかも……
「フフフ……どうせ俺は彼女イナイ暦21年(現在更新中)のダメ男さ………」
あわわ………ど、どうしよう……
と、とにかく慰めないと。
うーんと………
えーっと……
うーーーーー
「そ、そうだ!先輩、素子さんと付き合ってるんですよね!」
「素子ちゃんは忘れちゃったけどね……」
ズゥーーン
台所の空気が更に重くなった。
「だ、だから!!そのためにお弁当作ってるんです!いいかげん元に戻ってください!」

こんな風に先輩と話していると、ふと忘れそうになるときがある。
浦島先輩の想い。
素子さんの状況。

こんな風に先輩と話していると、強くなってくるものがある。
私の、想い。
胸に突き刺さった棘の痛み。

こんな風に先輩と話していると、浮かび上がってくる疑問がある。
私はどうしてここにいるのだろう。
私は何をしているのだろう。

こんな風に先輩と話していると、ときどき理不尽な想いに駆られる。
浦島先輩。貴方はとても愚かな人です。
素子さん。貴女は酷い卑怯者です。
しのぶ。あなたは最低の臆病者ね。

そう、私は臆病者です………それも最低の。
それでも…………
どんな形でもいい。傍に居られるなら。貴方を助けれるなら。
私は何でも出来るのです。
ああ、でも、そのくせ私は貴方に告白することすら出来ないのです。
そう、私は臆病者だから………それも最低の。


 

 

「はい、素子ちゃん」
「なんの真似だ?」
やけに豪華な朝食の後。
浦島景太郎が差し出した弁当箱。
この不自然な状況で、私が奴の下心を疑うのは当然だろう。
「な、なんの真似って………?」
「貴様から弁当をもらう筋合いはないんだがな」
「う……」
昨日と同じように浦島が怯み………
側で二人の会話を聞いていたらしい、しのぶのフォローが入った。
「素子さん。今日は浦島先輩と私で、みんなの分のお弁当を作ったんです。だから食べてくれると嬉しいんですけど………」
「ふむ……」
私はしぶしぶ浦島から弁当を受け取り…………
あからさまにほっとした様子の浦島としのぶに、ささやかな主張をした。
「それにしても、この弁当箱はやたらに大きいな。私はそんなに大食いに見えるのか?」

『だが、お前はともかくとして、何で私まで大盛りなんだ?私はそんなに大食いではないぞ!』

「くっ!?」
突然頭を襲った頭痛に私は顔をしかめた。
何かの場面が一瞬頭をよぎり―――――――そしてすぐに消えていった。
ただ、頭痛を感じた瞬間に起こる不快感だけが後を引いて残っている。
「ど、どうしたの?素子ちゃん」
こういうことは初めてではなかった。私が事故に遭ってから、今までにも何度かあった事。
そして、それはたいていの場合、この男と話しているときに起きる。
「貴様に心配されるほど落ちぶれてはいない………」
だから私は、この男が嫌いだ。
「気が変わった。やはり貴様の作ったものなど食べられない…………しのぶ、すまないな」
だから私は、この男と関わりたくない。
私はきびすを返して、さっさと玄関に向かう。
私は、この男が嫌いだ……………


素子さんが行ってしまった後。
私と浦島先輩は、その場でしばらく呆然としていた。
「…………(唖然)」
「………(忘我)」
「…………行っちゃいましたね」
「…………そうだね」
「………途中まではうまくいってたのに」
「………素子ちゃんホントに気にしてたんだなぁ」
「………何か『大食い』っていうので酷い目にでも遭ったのでしょうか?」
「………さあ、前言った時は大丈夫だったんだけど」
「………前?」
「そういえばしのぶちゃん、時間大丈夫?」
「え……あーー!」
ち、遅刻しちゃうーーー!!!
「せ、先輩、それじゃ!」
言葉を紡ぐのももどかしく、私はひなた荘を飛び出した。

 

 







『でも……でも、先輩はそれでいいんですか!?』

『確かに馬鹿な事かもしれないけど………あの時、俺は彼女の言葉に救われたんだ』

『だけど………もし、素子さんの記憶が戻らなかったら……』

『それでも、なんだ。俺だって、素子ちゃんに相当ひどい事したんだから』

『でも、素子さんは………先輩のこと……』

『ん……確かに今、俺は素子ちゃんに嫌われている。だけど………』

『俺は………素子ちゃんを、今でも好きだから』





 

 

あの時私は、彼女に……浦島先輩の中の素子さんに負けた……
ううん。最初から、勝負にすらなっていなかった。
私は、素子さんと同じ土俵に上がることが出来なかった。
私は臆病者だから、浦島先輩に断られるのが………拒絶されるのが、とてつもなく怖かった。
拒絶され………今の関係が壊れる、と想像してしまうと
告白なんて出来なかった。

でも、素子さんは告白した。
拒絶されるのを覚悟で先輩に告白して………
そして、拒絶された。

私だったら、その時点で先輩から逃げ出してしまうだろう。
もう二度と会えないかもしれない。
でも、素子さんは逃げなかった。
そして、自分の想いを諦めなかった。
とても苦しくて、辛かったのに違いないのに、それでも彼女は進み続けた。
そして………浦島先輩は………………





 

 


足りない。
何かが足りない。
そんな事に気付いたのは……昨日の夜だった。

いつものように食事を終え、部屋に戻った。
いつものように机につき、読みかけの本を読み、宿題を広げた。
そして、当たり前のように八時になり……………
何も起こらなかった。

それだけだ。
それだけだった。
だが私の心は、何か拍子抜け………いや、落胆したような気持ちになっていた。
あるはずのものがない………そんな感じだった。
それは『違和感』とも言えるかもしれない。
そして、いったん意識してしまえば…………その『違和感』は様々な所で見つかった。

いつも素振りをする物干し台で。
ひなた荘の前の石段で。
皆と一緒に入る露天風呂で。
入り口と露天風呂をつなぐ渡り廊下で。
ひなた荘の裏にある、滝の前の広場で。

ふと、振り向いたとき………何もない。
そんな当然の事が『違和感』となって霞のように私に付きまとっていた。
そんな、わけの分からない『違和感』が袋小路に私を追い込んでいた。

そして今日。
いつものように食事を終え、部屋に戻り。
いつものように机につき、読みかけの本を読み、宿題を机に広げ。
そして今、当たり前のように八時になろうとしている。
私は、柄にもなく緊張していた。扉のほうを、睨むように凝視している。
それはまるで、未知の強敵と勝負するようなものだった。焦りばかりが募っていく。
私は、緊張状態………触れれば弾けるような状態になっていた。

そして今

時計が、八時を示す。


 

 

コンコン
「素子ちゃん。景太郎だけど、ちょっといいかな……?」

――――その瞬間、私の中の何かが、ブチンという音を立てて切れた。
私は座った状態から一挙動で立ち上がり、怒気もあらわに扉を開いた。

 


その時私は、自分の部屋で作戦の成功を祈っていた。

何故、素子さんは浦島先輩を毛嫌いするのか。
考えてみれば、これが分からなければどうにもならない。
どう考えても、先輩がここに来たときより素子さんの態度は悪くなっている。
少なくとも、素子さんなら善意から来た行動を拒むようなことはしなかったはず。
そして、その理由を知るためには本人に直接聞くしかない。
………初めは、私が聞こうと思ったのだけど、本人の希望によって先輩が聞く事になった。
そのときはもちろん反対したのだけれど、先輩の意志は固かった……あの夜のように。
それならせめて、とお茶と買い置きのお茶菓子を用意した。

……………私にできるのはそこまでだった。
後はもう、こうして自分の部屋で一人で待っているしかない。

ぬいぐるみに囲まれた、臆病者の城。
そこで私は……破滅の知らせを待つ。
あるいは………………………

その時、物音一つない私の部屋に、何かの音が飛び込んできた。
それは、部屋の外から厚い天井を通して聞こえてくる…………
「声?」
私の部屋の上で、誰かが叫んでいた。

 


「貴様!!」

「貴様は何故、私に付きまとうのだ!!?」

「何の下心があって、私に近づくのだ!!?」

「私が世間知らずだからか!?簡単にだませると思ったからか!!?」

「私に近づくな!話かけるな!それだけで、気分が悪くなる!!」

「私は貴様の!情けないところも!図々しいところも!馬鹿なところも!」

「大嫌いだ!!!」

 

 

 

私は扉を開け、そこにいる浦島にありったけの怒声をぶつけた。
思いつく限りの、拒絶の言葉を並べた。
浦島はそれをまともに受け、呆然としていた。
よく見ると浦島は、二杯のお茶とお茶請けを持っていた。
それを見て、私の頭に更に血がのぼった。

 

 

「貴様は!!」
お前は………

「貴様は何故!!」
お前はなんで………

「これほどまでに!私の気に障ることばかりするのだ!!?」
これほどまでに、私に優しいのだ……?

「私の前からいなくなれ!」
何故か、私には……それが、とても嫌なんだ………

「浦島景太郎!!」
うらしま、けいたろう………

 

 

 

茫然自失の状態であった浦島の目に、弱々しくも理解の光が宿り―――――――
ゆっくりと、三つの言葉を紡いだ。

 

「……いままでゴメン。それに、ありがとう………さよなら」

「――――――――――っ!」



 

 

 

虫の知らせか、それとも何かを期待していたのか。
『声』(らしきもの)が聞こえなくなってすぐ、私は部屋を飛び出した。
階段を登り、素子さんの部屋を目指す。
――――そこにあった光景が閉じた扉だけだったのなら、私は安心しただろう。
――――あるいは、何かモメあう二人の姿が見えたなら、私はすぐに引き返しただろう。
だけど、実際にそこにあったのは――――――――

扉が開け放たれ、誰も居ないことが分かる部屋。
床に落下し、割れてしまった湯飲みとお茶請け。
床を流れる、湯気が立ったままのお茶。
そして、呆然と立ち尽くす浦島先輩。

その、あまりにショッキングな光景に、私は思わず立ち止まっていた。
先輩の異様な雰囲気に、それ以上近づけなかったといった方がいい。
先輩は、こちらに気付いていなかった。
先輩の視線は、開け放たれた扉の前に向けられていた。
何もない空間。
きっと、さっきまで素子さんがいたところ。

「何が………何があったんですか?浦島先輩………」






「先輩。それで、いったい何があったんですか?」
私が再びその言葉を言うことが出来たのは、床にこぼれたお茶をふき取り、散乱した湯飲みの欠片とお茶請けを片付け、ふらつく先輩を私の部屋に引きずり込んでからだった。
…………別に変な意味じゃない。あのまま放っておいたら、誰かに見つかって大騒ぎになるのは間違いなかったから。
そのため、それらの作業はすごく急いでやった。
それでも数十分経ってしまい―――――私は、その時間が致命的であるような気がしてならなかった―――――その頃には、先輩も話せる程度には回復していた。

「俺……」
なんていうか………遠い目をして、浦島先輩が語りだした。
「俺さ―――さっき素子ちゃんに色々言われて、今までの俺ってなんだったんだろう、って思ったんだ」
「………」
「それで気付いたんだ。俺は素子ちゃんに甘えてたって」
「え?」
「素子ちゃんなら、俺が好きになって想いをぶつけても、ちゃんと応えてくれる………心のどこかで、そう思ってたんだ」
「え……?」
だって、先輩と素子さんは恋人同士のはず………
恋人って……そういうものじゃないんですか………?
「でもそれは間違ってた………素子ちゃんも人間なんだ。彼女が嫌がることはしちゃいけない………考えてみれば、当たり前だよね」
「い、嫌がることって………それは、記憶がないから………」
「うん……ましてや、素子ちゃんは俺のこと、何一つ憶えていないんだ………それを俺は、自分の事だけ考えて、一方的に好意を寄せてた……」
「そ、そんな!先輩、ちゃんと素子さんのこと考えて―――――」
「……そんなのは上辺だけだった。現に俺は、素子ちゃんが嫌がっていたことすら、気付いてあげられなかったんだ」
いつのまにか、浦島先輩の目には涙が浮かんでいた。
それは……悔し涙なのかもしれない―――――自分への。

私は……
私は何も言えなくなってしまった。
私はいつもそうだった。
言いたい事はたくさんあるのに、肝心なときに何もいえなくなってしまう。
私は、今ほど自分の性格を呪ったことはなかった。
涙を流す先輩の前で、ただ俯くことしか出来ない自分を。

自己嫌悪に沈む私の心は、浦島先輩の次の言葉で急に引き上げられた。
「それでさ……俺、明日にはひなた荘を出てくから―――――」
「……はい?」
私は反射的に、間の抜けた返事をしていた。
何か今………とてつもない論理の飛躍があったような………
先輩は再び遠い目になって、語りだしていた。
「多分、今夜中に荷造りして、明日の朝には準備が済んでると思う。管理人の仕事は、はるかさんに頼んでおくから――――――」
「待って!ちょっと待ってください!!」
私の必死の呼びかけに、浦島先輩は独り言(と私は思った)を中断してこちらを見つめた。
「しのぶちゃん………」
「せ、先輩。何でいきなり出ていくなんて―――――」
「今まで色々と、ありがとう。俺、ひなた荘を出てからも東大目指すよ。ちゃんとしのぶちゃんとの約束は守るから」
「…………」
………ダメだった。私の呼びかけにも、先輩の目は現実には戻ってこなかった。
と、思ったら、いきなり立ち上がって扉に向かって歩き出す先輩。
「待って!先輩、どこに行くんですか!?」
「部屋に戻って荷造りしないと…………後、みんなに挨拶しておきたいから」
「ま、待ってください!行っちゃダメです、先輩!!」
「素子ちゃんには、しのぶちゃんから伝えておいてくれないかな?『浦島景太郎は、二度と君の前に姿を現すことはないから、安心してくれ』って……」
「ダメ――――――!!!」
先輩の言葉をさえぎって、私は後ろから先輩の背中にしがみついた。

――――もとい、しがみつこうとした。
だけど、後片付けのために色々と動き回り、話を聞くためにずっと座っていた私の足は痺れていて、力が入らなかった。
勢いだけで立ち上がった私の体は、大きくよろめいて――――――――
しがみつく場所が、強制的に変更された。
それは初めの目標だった背中より、かなり下にあるところだった。
すなわち―――――――足。
しかもよりによって、私は先輩の膝の裏あたりにしがみついていた。
フラフラとした歩き方をしていた先輩は、それによってあっさりとバランスを崩し―――――――――

ゴン!!!!

「キャー――――!?先輩!?しっかりしてください!!」


わたし……
私は…………『青山素子』と言う人間は……
いったい、なにを……
何を頼りに生きてきたのだろう………
今まで、そんな事は考えた事もなかった。今回の事がなければ、これからも考えなかっただろう。
何があっても、揺るがないと思っていた自分というものが、覚えがない記憶の断片によって、大きく揺らいでいた。
先程、ひなた荘を飛び出してから――――いや、浦島の、あの言葉を聞いた時から。
見た事のないはずの光景、聞いた事のないはずの言葉が、私の中で浮かんでは消え、浮かんでは消えていった。

 

 

 

 

「――――が、貴様が負けたときは、その軟弱な性根を叩きなおすため、我が一族に伝わる地獄の修行を――――」
         「――――れが勝てるわけない――――」

        「何?おみくじが的中して困って――――――」 
  「あ、ありがと。素子ちゃ―――――」

「―――――はここの住人だ。私は義理と礼節を重んじるのであって、特に意味はな―――――」
             「ただの材料チョコじゃな―――――」

「だからって、出会い頭に切りつけるか!?このケンドー――――――」
          「――――は、お前のような『軟弱者』は、大っ嫌いだ」

「――――の相手とは!私は認めん!認めんぞ、浦島景太郎!!」
      「はい?誰か呼んだ――――――」

 

 

 

今ならば、はっきりとわかる。どの光景にも必ず出てくる男。
浦島景太郎。
浮かんでくる言葉は全て、私と浦島の会話の中での言葉だった。
私は確かに、あの男と会っていた。あの男と話していた。
そして――――――忘れていた。
私は、何を頼りに生きてきたのだろうか?自分の記憶ですら、確かなものではなかったというのに。
それに、今でも私の記憶はあやふやだった。
いつ、あの男と出会ったのか。
何故、あの男が私に固執するのか。
いつ、私は記憶を失ったのか。
何故―――――――私は、浦島にあのような事を言ったのか。
きっと私は………大切な事を忘れている。
その忘れてしまったものは、きっととてつもなく大切なもので、その思い出が抜けてしまった私の心は、ぽっかりと大きな空洞が口を開けていた。
浮かんでくる光景や言葉は、その空洞に一瞬だけ溜まり、でもすぐに流れ出してしまって、その空洞が埋まる事はない。
そのことが……………とてもかなしい。
本当は、埋まるはずなのに。

私は待っていた。
街の中の、小さな噴水付きの広場で。ベンチに座って待っていた。
私は羽織袴のままだったので、好奇の視線を向けてくる者もいたが、時間が経って、いつのまにか周りには
誰もいなくなっていた。
ふと時計を見ると………11時を過ぎていた。もう、3時間はここに座っている事になる。
何を待っているのか、分からなかった。
いつまで待っているのか、分からなかった。
何故この場所で待っているのか、分からなかった。
ただ………約束があった。そんな気がして




いつのまにか、私はうとうとしていたらしい。
うつむいたままでは分からないが、私の前に人が立っているようだった。
私は、ゆっくりと顔を上げた。
「素子―――」

    素子ちゃん  

「―――さん」
目の前に立って、荒く息をついているのはしのぶだった。
その瞬間、私は誰を待っていたのか、何故待っていたのか『思い出した』

 

 

『え?待ち合わせって………どうせ、同じ所に住んでるんだから、一緒に出かければいいでしょ?』
『私にも、準備というものがあるんだ』
『でもさ、1回帰って来るのなら、なおさら待ち合わせなんかしなくても………』
『いいから!12時に街の広場で待っていろ………いや、私が先に行く』
『ううん、俺が先に行ってるって。どうせ暇なんだし』
『受験生が何を言ってるんだ?』
『それなら単語帳でも持ってくから……それに、俺待ってるの嫌いじゃないし』
『また呑気な事を………』
『だってデートの時に、男が女の子を待たせるなんて出来ないよ』


 


浦島先輩を引き止めるには、素子さんに言ってもらうしかない。
そう判断した私は気絶した先輩を寝かせておいて、ひなた荘を飛び出した。
素子さんの靴がなかったから……きっと街のどこかにいる、と思ったからだ。
そして、私は4日前のように素子さんの姿を探して、街を彷徨っていた。
足が棒になって、そしてふと思いついたところ………噴水のある広場。
そこに素子さんはいた。
地面をじっと見つめている彼女に私は近づき―――――――目の前に立ってから、やっと素子さんは顔を上げた。
「素子さん」
私の呼びかけに、彼女はぼぅっ、とした目つきのままで――――――虚ろに呟いた。
「なんだ、しのぶか……………」
その言葉を聞いた瞬間、私の視界が真っ赤に染まった。
この人はこんな所に座って、何を待っていたのだろう。
考えるまでもない。浦島先輩だ。
ここは……四日前、二人が待ち合わせをしていた場所だから。
この人は、浦島先輩を待っていたのだ。
この人は、浦島先輩を待っているのだ。

私はゆっくりと、それこそ素子さんの目の前まで近づいた。
そして―――――――――

バシン!!

素子さんの頬に、思いっきり平手打ちを見舞っていた。

 

 

最初はそんなつもりじゃなかった。
素子さんに、私が浦島先輩が好きな事を話し、浦島先輩が素子さんを好きな事を話し………
素子さんに、浦島先輩の事をどう思ってるのか聞き、先輩を引き止めてもらう。
そうなるはずだった
そうするはずだった。
でも……素子さんの呟きを聞いてしまって。
私は怒っていた。
14年間生きてきて、私はあまり怒らない人間なのだと思っていた………その考えを根底から覆すように、私は怒り狂っていた。
とてつもなく熱い、濁流のようなものが私の胸の中を溢れ――――――
私は、その流れに突き動かされるかのように叫んでいた。
言うはずのなかった……ずっと胸の奥に封じておいた、言ってはならない事を。

 

 

 

「卑怯者!!」
素子さん、あなたは酷い卑怯者です………

「あなたは!浦島先輩のことが好きなんじゃなかったんですか!!?」
傷ついた浦島先輩につけこんで、先輩の心を奪っておきながら

「それなのに!何で先輩を傷つけるようなことばかりするんですか!!?」
浦島先輩の心を弄ぶような事をして、挙句の果てには逃げ出して

「あなたのせいで!先輩はひなた荘を出て行くんですよ!!」
浦島先輩がどこまで自分の事を想っているのか、試すような事をして

「返して!浦島先輩を返して!!」
あの人は、そんなに強い人じゃないのに

「あの人を苦しめないでください………あの人を、助けてあげてください………」
それでも、貴女にしか、先輩を助ける事はできないから

素子さん、あなたは酷い卑怯者です………

いつのまにか、私の目から涙が溢れていた。
私は涙を流しながら、眉を吊り上げ、怒っていた。
素子さんの肩を掴み、顔を真っ赤にさせて、叫んでいた。
素子さんは私に叩かれてからずっと、呆然として宙を見つめていた。私の声が届いているかどうか怪しい。
その姿を見て、不意に気付いた。
私が何故、素子さんにこれほどまでに怒りを覚えるのかを

同族嫌悪――――――だったのだ

私には、素子さんが何故記憶を失ったのか…………なんとなくわかる。
きっと素子さんは、怖かったのだと思う。今まで、遠くから憧れるしか出来なかったものがいっぺんに手に入って、とても不安になったのだろう。
先輩がすぐ傍にいてくれる事が、とても嬉しいはずなのに実感が沸かなくて。そのくせ先輩を失ってしまうかもしれないという事が、とてつもなく恐くて。
そして素子さんはその重圧に耐え切れなくて、逃げた―――――――記憶を失う事によって。
それでは―――――――私と同じだ。いつもいつも、追い詰められると逃げ出して、問題と真正面から向き合えなかった私と。
「素子さん………」
震える声で、私は素子さんに囁いた。
「あなたはもっと強い人のはずです」
彼女の体が、ビクンと震えた。
「もし耐えられなかったとしても、相談するべき人がいるはずです」
素子さんの瞳に光が戻る。
「今のあなたは…………逃げているだけです」

沈黙

「私は……浦島に『さよなら』といわれた………」
か細い声で、行けない『理由』を告げる素子さん。
だけど私にとって、それは『逃げ道』にしか見えなかった。
「だから……なんだって言うんです……?」
そして私は、その『逃げ道』を潰した。
「そんなもの、あなたが言わせたに過ぎません!」
そして私は、素子さんの背を押すために―――――
「あの夜――――素子さんが先輩の事を忘れてしまった日に!先輩がなんて言ったか分かりますか!?」


 


あの時、俺が本当に素子ちゃんを好きなのか分からない――――――いや、まだ成瀬川のことが好きなんだと、はっきり分かっている時―――――

素子ちゃんは、俺の支えになりたい、と言ったんだ。俺が応えられるかどうかも分からないのに

そして俺は、彼女に救われた。だから今度は―――――――俺の番なんだ

 

 



私は、ひなた荘に向かって全力疾走していた。
すぐに息が上がり、スピードが落ちる。
だが、それでも私は体を無理矢理に動かし、前に進んだ。
しのぶの言葉に背中を押されて。

行って……………行きなさい!青山素子!!

 

 


「ふふ……」
誰一人いない、町の小さな広場のベンチ。
素子さんがさっきまで座っていた場所に、入れ替わるように私は居た。
さっきまで、私の中に渦巻いていた怒りはもう無い。素子さんがいなくなると同時に消えてしまった。
今、私の体を支配しているのは気だるい倦怠感。あれほどの感情の発露は今まで無かったから、きっとその反動だろう。先程までの自分が嘘みたいだ。
「とりあえず……あとしばらくはここにいよう………」
そうすれば、二人の方は決着がつくはずだから。それがどんな形であれ―――――できれば、良い方向へと進んで欲しい。
それが、私の願いだった。
この広場にある時計が、十二時を指した。





素子ちゃんの記憶がなくなってから五日目………同時に俺が、ひなた荘にいる最後の日だ。といっても、今日になってまだ数十分しか経ってないが。
俺はさっきから荷物の整理をしているのだが、予定の半分も進んでなかった。思ったより荷物の量が多いのだ。
考えてみれば、俺がひなた荘に来てからもう一年も経っているのだから、色々あるのも当たり前かもしれない。
ふと、机の上に置かれたプリクラ手帳に目が行っていた。手にとって開けてみると、プリクラが一枚だけ貼られたページ。
成瀬川
このページを開くのもずいぶん久しぶりだった。それどころか一時期は、持ち歩くのも嫌だったのに。
不思議な事に、今ではもう胸に痛みが走るような事は無かった。ただ、ひどく懐かしい気分になる。
一年と少し前、俺がひなた荘の管理人になった日の日付。ただ代わりに、胸の中にできた新しい傷が疼いた。
五日前、素子ちゃんとデートに行った日と同じ日付け。
そして、俺は五日前にもこの手帳を持っていた。
そして、その日の夜に思ったこと。
俺が、素子ちゃんとプリクラを撮ろうと思ったから、俺が素子ちゃんとデートをしたから、彼女は事故に遭った。
俺のせいで、素子ちゃんは記憶喪失になった。
その事実を認識したとき、俺は―――――こういう言い方をしたら怒るだろうが―――――責任をとる事を決めた。
彼女を支えたい。
できれば一生―――――少なくとも、彼女が記憶を取り戻すまで。
彼女の傍にいたい。彼女を好きでいたい。
きっと俺はその時、俺に告白した素子ちゃんと、同じ心境だったのだろう―――――そう思いたい。
でも、その誓いも果たせなかった。
俺のできることは、ここまでのようだった。
彼女を放り出して、二度と会えなくなる。
その事が、とても悔しい、とても悲しい、とても痛い。
それでも―――――――

『私の前からいなくなれ!浦島景太郎!!』

俺は思い返すのをやめて、作業を再開した。機械的にバッグに荷物を詰め込み、それがいっぱいになると今
度はダンボールを開く。
そして、ダンボールの中へ放り込もうとして、プリクラ手帳を手に取ったとき―――――
管理人室の扉が開いた。

「…浦島、貴様に聞かなければならない事がある」

 



「も、素子ちゃん、どうして……」
浦島の手から何かの手帳が滑り落ち、床の上に転がった。
見てみると、部屋の中はまさに荷造りをしている最中、といった感じで荷物が散乱していた。どうやら本気でここを出て行くつもりのようだ。
間に合ってよかった。
いまだ信じられないといった表情のまま固まっている浦島に近づく―――――しのぶの言葉が頭をよぎった。

『浦島先輩に、私に話した事と素子さんが思った事、全て打ち明けて、相談してください。きっと答えが見つかります』

胸の内に恐怖と不安が渦巻き、今すぐに逃げ出したくなる衝動がある。それを抑えているのは私ではなく、しのぶの言葉だった。
しのぶに言われたからこそ、今私はここにいる。
だが……

『今のあなたは……逃げているだけです』

だが、それだけではダメだ。私はこれから、自分の意志で浦島に伝えなければいけない。
震える声で……私は告げた。

「浦島………私の記憶は、戻り始めている」


 

 

 

『だが、その記憶は、私の思い出ではないんだ』

『その時見たもの、その時聞いた言葉は分かるんだ』

『だが、その時何を感じたのか、その時何を思ったのかがまるで分からない』

『まるで、私の知らない誰かが、私の体を操っているかのような記憶なんだ』

『そして、私の中には、それらの記憶が抜けてしまった跡の、大きな空洞がある』

『きっとそこには……「前の私」と、浦島との思い出があったのだと思う』

『だが、時折浮かび上がってくる記憶は、その空洞には入らない。どこかに消えてしまうんだ』

『だから、私にはそんな思い出は無い……だから、浦島を好きでいる理由はないんだ!』

 

 

「好きでいる理由はない………か……」
普通に考えたら、拒絶の言葉だ。
素子さんは、嫌われるのを、軽蔑されるのを覚悟で、この言葉を使うのだろう。
それでも
あの人は…浦島先輩は、きっと受け入れてしまうのだろう。

 

 

 

浦島先輩、あなたはとても愚かな人です。
本当は、そんなに強い人ではないのに
他人のことばかり気遣って、心配して、助けてあげて、本当は自分だって苦しいのに。
傷つけられても我慢して、噛まれて血が出ている手を差し伸べて。
きっとあなたは、彼女が一言言うだけで許してしまう。許してしまえる優しさを持った人。
浦島先輩。あなたは、本当に―――――本当に、愚かな人です。

 



「……だから私には、おまえを好きでいる理由はないんだ!」
言った。
言ってしまった。
どう考えても拒絶の言葉だ。ある意味、四時間前に私が浦島に向かって叫んだ内容よりも。
そして、次の言葉で私は浦島に軽蔑されるだろう。愛想をつかされるのが先かもしれない……それほど身勝手な事を、私はこれから言うのだ。
だがそれでも………私は、この男に全てを話したい。
「それがとても悲しい……お前とは他人だという事が、何の関係もない他人だという事が――――――悲しいんだ」
身勝手な話だ。私が『前の私』として浦島に見られるのが嫌で、あれだけ強く拒絶して。そのくせ、私はあんなところで浦島を待っていた。浦島が『前の私』を好きだという事を拠り所にして。
本当に……しのぶが言ったとおり、私は度し難い卑怯者だ………

私の思考はそこで中断させられた。
いきなり、息が苦しくなったからだ。
いきなり、顔に何かが押し付けられたからだ。
いきなり、体が暖かいものに包まれたからだ。
私は、浦島に抱きしめられていた。
すぐ近く――――――耳元で、切れ切れに囁かれる言葉。
「今まで……ゴメン」
謝罪の言葉。四時間前にも言われた言葉。
「俺は、君を見ていたいと思っていたけど、本当は何も見ちゃいなかった。独りよがりで傷つけて、君が変わっている事にも気付けなかった……本当に、ゴメン」
震える体。私が震えているのか、浦島が震えているのか、分からないほどに重なり合った二人。小刻みに震える体。
「それに……ありがとう」
感謝の言葉。四時間前にも言われた言葉。
「俺に、全部話してくれて。もう少しで俺は、また君を傷つけるところだった。何度も同じ過ちを繰り返そうとするのを止めてくれた……本当に、ありがとう」
強く抱きしめる力。強く強く、痛いほど強く。もう離さないという想いが伝わってくる。
いつしか私も背に手を回し、浦島を抱きしめていた。

そして―――――――

 

 

「はじめまして……だね。素子ちゃん」
始まりを告げる言葉。四時間前に言われた事とは正反対の言葉。
本当の私に向けての言葉だ――――――――
「うっ………これで……ぐっ……許して……くれるかな……?」
肩に触れる、ひどく――――――――ひどく、暖かい感触。
浦島の涙。
泣きながら言葉を紡ぐ浦島が、ボロボロと流す涙。
それが私の心の中に染み渡り――――ぽっかりと開いた空洞にほんの少し溜まった。
虚ろな空洞が、ほんの少しだけ埋められた。
「…っしま……うらしまぁ………」
それを切っ掛けにして、私の中で何かが切れたかのように、両目から涙が次から次へと溢れ出した。
ぼたぼたと私が涙を流すたびに、胸の奥の空洞が埋まっていった。
少しずつ、少しずつ。
「ひぐっ……わた……んぐっ……わたしの…そばに…っぐ……いて…くれ……」
「うん……すん……素子ちゃんが、いやだって言うまで………うっ……ずっといるよ……」

私は首を振る。

「うばって……んぐっ……奪ってくれ……えぐっ……私がいやだと言ったら……んぐっ……私を…浦島
の………ものにして………」
「………素子ちゃん……」
一際強く、ギュッっと抱きしめられる。
「……じゃあ、もし俺が素子ちゃん以外の人を見たら………俺を、殺してくれていい………」
「!!………浦島――――――!!」
いつのまにか二人は泣きやみ、抱きしめあうだけになっていた。
もう涙を流さなくても、私の空洞は埋まっていった。
もう私の中に、悲しさや寂しさ、虚無感や恐怖はなかった。
ただ有るのは、圧倒的な充足感――――――自分が満たされる喜び。
私は………ずっと、浦島と共に在りたい―――――――――――――――――――――――


 

 



エピローグ、あるいは素子さんが事故に遭ってから七日後

今でも時々考える。あのときの素子さんの言葉。

『だから、私にはそんな思い出は無い……だから、浦島を好きでいる理由はないんだ!』

でも、ならば何故、素子さんは先輩のことが好きだったのだろう。
何故いまだ、素子さんは先輩のことが好きなんだろうか。
思い出………とても大切なもの。私の中にもあるもの。
浦島先輩との思い出は、私の中でもっとも大切なものの1つだ。
でも、思い出と『好き』という気持ちは別だったのだ。
思い出は確かに大切だけど、本当に大事なのは、思い出を創る、という行動そのものなのだと思う。
だからこそ素子さんは、記憶を失って―――――先輩との思い出をなくしてしまっても、再び思い出を作る事によって救われたんだ。

今でも時々思い出す。私が帰ってきたときの二人の姿。

荷物が散乱した部屋の真ん中で抱き合う二人。
それだけならドラマのワンシーンかもしれないが、二人の顔が涙でくしゃくしゃでは、感動とかそういったものには結びつかなかった。ただ、涙と鼻水でくしゅくしゅになった素子さんの顔は、金輪際見れないような気がする。
それでも、二人はとても幸せそうに抱き合っていた。私が部屋に入ってきても微動だにせずに。
放っておいたら、朝まで抱き合ってたんじゃないかと思う。
その後も、二人はベタベタしてたので(私の主観だけど)部屋の片付け(引越し未遂)をやったのはほとんど私だった。
バカみたいだ。

今でも時々思う。いや、いつでも意識している、私の想い

結局のところ、私はどうしたいのだろうか?
素子さんのように、先輩と想いを交わしたいのか?元論そういった願望はある(と思う)けど、素子さんを押しのけてまで、それをやりたいとはそれほど思わない。
思うに今回の件で、私は素子さんの事を知りすぎてしまったのだと思う。
あれだけの苦労、あれだけの試練があったのだから、その分素子さんには幸せになってもらいたい。掛け値なしにそう思える。
もちろん私の、浦島先輩に対する『好き』という気持ちはなくなってはいない。話をすれば楽しいし、誉められればドキドキする。先輩には素子さんがいると分かっていてもそうなるのだ。
浦島先輩と一緒に居ることが、ただ単純に嬉しい。
でもそれはきっと、私の『好き』が憧れだからだろう。素子さんの苦しみを知った後ならよくわかる。本当の…『愛』とでも言うべきものは、もっと複雑だ。
もちろん、時間をかけていけば憧れが愛に変わる事もあるのだろう。だけど、その位置にはもう素子さんがいる。やはり、私の想いは届かないみたいだ。
それに、私は素子さんも好きだ(変な意味ではなくて)あの、『真っ直ぐな強さ』に憧れる私がいる。
要するに素子さんとも、一緒に居ることが楽しくなったのだ。

だから、三人で居るときはすごく楽しい。



「この機械、思ったよりも狭いな………」
「ほら素子ちゃん、もっと屈んで。フレームから飛び出しちゃうよ」
「あ、それじゃあ私、素子さんの前に入りますね」
「ダメだダメだ。それでは浦島としのぶがメインのようではないか」
「いいじゃないですか、そのくらい」
「まあまあ………それじゃあさ、俺と素子ちゃんが並んで、その間にしのぶちゃんが入ればいいよ」
「ふむ。しのぶの身長からすれば、妥当なところだな」
「素子さんの背が高すぎるだけですっ!」
「ちょ、ちょっとちょっと、二人ともケンカなんかしないで………フレームは、ひなた温泉でいいよね。あと、何か文字が書けるんだけど、何がいい?」
「まずは日付だな」
「先輩。一週間前の日付でいいですよ」
「OK。それじゃ10月21日っと……ホントは、この日に撮りたかったんだけどね」
「素子さんが変な勘違いなんかしたせいですね」
「知らんな、そんな事があったのか?まだ記憶が完全ではないらしい…………」
「ええっ!?素子ちゃんさっき『何があったかは全部思い出した』って……」
「だから、先輩がプリクラ撮るつもりだったって聞いて、あからさまにホッとしてたんですよね」
「細かい事は気にしないほうが身のためだぞ………これで文字が書けるのか。『景太郎と素子の初デート記念』で良いな」
「ちょっと待ってください。それじゃあ私が入っているのは変ですよ!ここは素直に『景太郎としのぶと素子で』って書けばいいんじゃないんですか?」
「しのぶは先週は居なかったんだろうが。しかも何だ、その順番は!」
「ただ単に右から並べただけです!それに、誰のおかげでこうやって先輩とプリクラが撮れるんですか?」
「ほいほいっと………よし、何とか納まった」
「「え?」」
「とりあえず、みんなの希望を汲んで俺なりに書いてみたんだ。それじゃ撮るよ?」

パシャ


―――――10月21日 ひなた荘に来て一周年記念 大切な人たちと―――――

 

Fin

 

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