留学編と可奈子編の間のお話part2
注意!この作品は一応ラブひなSSですが、原作の雰囲気を著しく逸脱しておりますのでご注意ください。




とても悲しい夢を見た


朝、私は飛び起きて『はあはあはあはあ』と荒い息をつきながら、頭を振ってその残滓を振り払う。
しばらくしてからふと壁にかけたシンプルな時計を見上げ、時間に気付いてベットから下りてパジャマを脱ぐ。
そして私は身だしなみを整え高校の制服に着替えてから、そっと隣の部屋に入るのだ。
血圧が高くてキレやすい自分の性質もそのときだけは感謝する。朝、寝坊することなく起きることができるのだから。
そして小奇麗な隣の部屋にはクローゼットが一つベットが一つ本棚が一つ、そして兄が涎を垂らして眠っている。
私はベットの傍らの目覚し時計を止めてから、彼の低血圧に感謝する。いつもは必要以上にのんびりして苛つく時もあるけど、毎朝私が彼を起こすことができるのだから。
一番最初に会うことができるのだから。
そっと身体を揺すって私は『兄さん』と呼びかける。
声も動作もささやかなものなので、兄はなかなか起きない。だけど私は飽きることなく『兄さん』と繰り返す。
六回呼びかけても返事がないと、私は更に声を潜めて『お兄ちゃん』と囁くのだ。
声を潜めるのは恥ずかしくて聞かれたくないからなのに、その時に限って彼は『うーん』とうめき声を上げながら起き上がってしまう。
私はその言葉が聞かれなかったかと内心ドキドキしながら澄ました表情で『兄さん、朝ですよ』と打って変わってはっきりと告げるのだ。
兄は『おはよう』と当たり前に挨拶をする。
私も朝の挨拶を返そうとして―――ふと、言葉に詰まり天井を見上げてしまう。
『どうした?可奈子』とそんな時ばかり気付いて、心配そうな顔をして兄が聞く。

ただ、とても悲しい夢を見ただけだから
兄が私を捨てていなくなり、私はその影を追って暗殺稼業に身を染めるという、荒唐無稽な夢だった。
いくら求めても得られないというのに、いくつもの罪を重ねて遂には兄を殺してしまう、そんな夢だった。

私はそんな不安を振り払うように、彼がそこにいるという幸福をかみ締め微笑んで、返事をするのだ。

「すこし――――悲しい夢を」




そんな、カナシイ夢を見た。





ラブひな番外編

鋼の心と悲しい夢と




誰だろうが、どこの国だろうが、寝て起きれば朝はやってくる。
それは私も例外ではない。
確かにその気になれば数日は不眠(流石に不休とはいかない)で活動できるし、事実二日前と三日前は徹夜で行動していた。だが、それで訪れるのは単なる日の出であり今日の続き、朝ではない。
眠りにつき、一日の出来事を夢として整理し思い出とする。そこでようやく今日が終わる。
夢の後には、朝がやってくるのだ。



目を覚ますと、そこには薄汚れた天井があった。
私がここ一週間ほど滞在している宿だ。壁と床だけが奇妙なほどに小奇麗なタイル張りで、それで清潔にしているつもりなのかもしれない。天井は土が剥き出しで、空間に砂塵が浮いているようではとてもそうは思えないのだが。
生まれ故郷がそういうものに無縁だったからそう思えるのかもしれない。緑と土と水に溢れた健全な、あるいは鉄とコンクリートと排気ガスに囲まれた病的なまでに清潔な国。
うっすらと砂がこびりついているシーツを払い起き上がっても、窓を開ける気にはなれない、というか開けれない。外は強烈な日差しでオマケに部屋の中とは比べ物にならないほどの砂塵が渦巻いているのだ。細かすぎて、窓を閉めた程度では隙間から際限なく入り込んでくる砂塵。窓はしばらく空けた形跡もなく、ご丁寧なことに隙間にはビニールテープが何重にも張られている。
というか、この部屋も暑くなってきた。
今は――八時か。既に窓から差し込んでくる日差しは相当なもので、密閉空間と化している部屋の中はサウナの様相を呈してきている。
幸いというかなんというか、ここにはパジャマなど存在しない。私は私服のままベットから起き上がり、壁にかけてあった日差しと砂塵よけのフード付きマントを羽織った。
朝食を摂るために


外はやはり、砂塵と風と日差しに溢れていた。
土を固めて建てられ、砂塵によって風化し黄色が染み付いた建物が並んでいる。ちらほらと白い建物もあるが、いずれ砂塵は等しく全てを塗りつぶしていくだろう。
通りには人の姿は見えない。小さな露天が道の片隅に開いているのと、向こうで歩哨に立っている兵士ぐらいだ。別にこの町が小さいのではない。この国自体が今内戦の真っ只中で、しかもそれぞれの勢力が他国と同盟を結んでいて今や代理戦争の様相を呈してきているという、全く泥沼な状況にあるだけだ。
ゲリラ戦やテロが頻繁に起き、今やどこも安全とは言えなくなっている。だから通りのあちこちに二人組の歩哨が立っていたり、民衆は『人が集まる=襲撃の対象にされやすい』場所に赴くのを避け家に篭っている。状況としては末期的だ。
私はとりあえずフードで顔を隠して露天に近づいた。
露天は色とりどりの野菜や香辛料などを揃えているようだ。いくつか果物もあるが、目が飛び出るほど高価。ここでは貴重品なのだろう。

「パンと水を」

店番をしている、浅黒い肌をした彫りの深い中年男性がこちらを怪訝そうな目つきで見てきた。
無理もないだろう。フードで顔を、マントで身体を隠しているとはいえ(もしかしたらそれも原因の一つか)私は明らかにこの国の人間ではない。骨格からしてまるで違うのだ。それがこの国の公用語を流暢に使ってきたら、それは怪訝に思うだろう。
今、この国で他国の人間といったらそれぞれの勢力から派遣されてきた兵隊。あるいは傭兵や雇われテロリストだ。大使館はテロの目標とされるので真っ先に引き払っている。観光客など言わずもがなだ。
中年男性がちらりと通りの向こうを見やった。なるほど、そちらには二人組の歩哨がいる。今はなにやらお喋りしていてこちらには気付いていないようだが。

「パンと水をお願いします」

繰り返すと、中年男性は無言で露天の片隅で山積みにされているパンを荒れた手で取ってこちらに突き出した。私が受け取るとその場にしゃがんで、露天の裏側に設置されている小型タンクからプラスチックコップに水を注いだ。やはりそれも無言で突き出してくる。ここでは水が有料なのだ。私はそのコップと引き換えに幾らかの代金を払った。

「………」

コップは返すように、とやはり寡黙に言われたのでその場で立って食べる。硬くて味がしない枕のようなパンと、コップの底に僅かに砂が沈殿している黄色っぽい水。朝食としては故郷にいる時と比べて、かなり劣悪な部類に入るだろう。
だがここではそれが普通なのだ。
フードは取らないまま、通りに突っ立ってもしゃもしゃと咀嚼する。車通りなどほとんどないので轢かれることもない。喉に詰まりそうになると水で飲み下す。それで、味気ない朝食はあっさりと終わった。
コップを返却してから、もう一度露天に並んでいるものを観察した。赤いピーマンやジャガイモの他に、レーションやら缶詰まであるのが笑える。軍からの横流し品だろう。何が入っているか知れたものではないが、昼食にするのも悪くはないかもしれない。宿に持ち込むつもりで手を伸ば――――

「HEY,YOU」

そうとしたところで背後から声がかかった。
英語だ。
振り返ると、そこには二人組の歩哨がいた…さっきは遠かったし都市迷彩のヘルメットを被っているのでわかりづらかったが、よく見ると二人ともこの国の人間ではないようだ。一人は白人一人は黒人、装備から見て傭兵などではなく派遣されてきた他国の兵士だろう。
と、そこまで観察したところで白人の方がもう一度私に動作と共に声をかけてきた。黒人の方はこれ見よがしに肩にかけたライフルに手を置いている。

「お前…子供か?どこに住んでる?フードをとって顔を見せてみな」

テロには子供も使われる。
爆弾を置いてくるくらいならそれこそ子供だってできるし、子供の方が疑われにくい。幼い頃から教育していれば、子供の方が使いやすいことも多い。
そういう意味でこの兵士の行動はもっともだし、別に私はこの国のいずれかの勢力に加わっているわけでも爆弾を持っているわけでもないので
私がフードを取らない理由はなかった。
ばさりと、私の頭部が開放された。砂混じりの風が吹き付けてくる。髪の大部分はマントの中にしまっているが、それでも一部は傷ついてしまうだろう。それは残念だが仕方がない。
黒人兵士がヘルメットの下の眉をぴくりとさせ、白人兵士がオーバーアクション気味に目を丸くした。

「おう…CHINESEかよ。しかもGIRLだって?」
「……私は日本人です」
「驚いた…英語もできるんだな。んじゃ聞くが、なんでJAPANESEGIRLがこんな物騒なところにいるんだ?通りでボケッとしてたらスナイパーに撃たれる国だぜ、ここは」
「……祖母がいるので尋ねに来ました」
「へえ、あんたのGREATMOTHERはこの国の人間なのかい?だったらあんたも日系人ということになるんだが、とてもそうは見えないぜ」
「…いえ、祖母は旅行中の身です。もうすぐこの町につくそうなので、待ち合わせを」
「――あんたのGREATMOTHERはえらく元気なんだな。こんな時期にこんなところを旅行だって?」
「…それに関しては常々思い知っています」
「俺のFRIENDもなかなか変な奴なんだが、あんたのGREATMOTHERには負けるな。なにしろこいつは…」

白人兵士の話が長くなりそうな気配を見せたところで、黒人兵士が『おい』と相棒の脇腹をつついた。
助かる。さすがに私もこんなところで兵士と長話はしたくない。
白人兵士は『OK、OK』とやはり身振りつきで相棒に弁解してから、本当にすまなそうな顔をして

「あー、すまないが身分証を見せてくれ。それと身体検査をさせてもらいたいんだが」

歩哨としての義務を果たす。
ここで逆らっても仕方がない。
私は大人しく、服のポケットを探ってパスポートを取り出した。マントの隙間からそれを差し出す。白人兵士はそれを受け取ってフンフンと鼻歌交じりで開く。中の写真と私の顔を証合しているのだろう。

「Kanaco、Urasima?」
「…はい」
「OK、それで身体検査なんだが…よかったら、WACでも呼ぼうか?」
「…いえ、構いません。これでいいですか?」

バサ、とマントの前を開いた。マントの下で腕を十字に開いた格好だ。身体の方にも、砂塵交じりの風が吹き付けてくる。
着ている服は、黒を基調とした長袖のスラックスと切れ込みの入ったロングスカート。別におかしいところはない。不自然な膨らみや、銃器を吊るしたホルスターがあるわけでもない。もちろん爆弾など所持していない。
だというのに白人兵士は更に戸惑った態度で、振り向いて相棒に目線で助けを求めた。
黒人兵士は頷くと『もういい』と実に綺麗な英語で指示した――実はインテリなのかもしれない。私はそれに従ってマントを閉じ、パスポートを受け取ってフードをかぶりなおした。
白人兵士は調子を取り戻したようで、饒舌に(だがあまり綺麗とはいえない文法発音で)私への問いかけを再開した。だが、だんだんその内容が不審尋問とは違う方向に向かいつつあった。

「それであんたはどこに滞在してるんだい?」
「…そこの宿です」
「Oh、こいつはHOTELなんてシロモンじゃないぜ。造りはボロイし冷房もなにもない……ま、この辺はどこもそんなものだがな。けど、FOODすら出ねえんだから俺達のキャンプよりもヒデエぜ。こんなところじゃ、いくら不味くてもFOODだけが楽しみだからな。よかったら、チョコレートでもやろうか?ここじゃ貴重品だぜ」
「…あの」
「SORRY。俺達ずっとここで歩哨してなきゃならんから暇でな。しかもここにはBARの一つもないから、歩哨が終わってもどこにも繰り出せないんだぜ?どこで鬱憤はらせってんだ、たく。キャンプでポーカーして酒かっくらって寝るしかないなんてウンザリなんだ」
「…それで」

それでそれがどうしたというのか
歩哨の任務を果たさなくてもいいのかとも思ったのだが、黒人兵士の方は彼の後ろで真面目に周囲を警戒していた。相棒の尻拭いは自分の仕事だともう諦めているらしい。どこの世界にもこういうコンビはいるものだ。
…私は相手の意図がつかめず、ただ突っ立ってその白人兵士の一方的な問いかけを受けるだけだった。
滞在場所を把握しておきたいというのはわかるが、その建物の構造がどうだというのだろうか。
この町に酒場や盛場がないのはわかったが、それが私にどう関係してくるというのだろうか。
私にチョコレートを渡すのにどういう意味があるというのだろうか―――まあ、中身は本物のようなのでとりあえず受け取っておいたが。
用事は済んでいるだろうに、なぜさっさと歩哨に戻らないのか。
まさか―――バレている?
それで、応援を呼ぶために時間を稼いでいる?

ブロロ――――と通りの向こうから兵員輸送車がやってきた瞬間、私の身体と精神は一気に緊張した。
だから呆気なく横を通り過ぎていった後も、しばらく戦闘態勢を解くことができなかった。
何度目かの問いかけに反応して目の前の『敵』かもしれないモノを鋭く睨みつけてしまう。

「まあ、あんたもGREATMOTHERを待っているだけなら暇だろ?もしよかっ………!?」

一歩退かれた。
マズイ―――私としたことが、こんなミスを犯すなんて。疑われてないかもしれないのに、わざわざ疑いを持たれるような行動をしてしまうなんて
いや、まだフォローは可能だ。幸いにして黒人兵士はこの瞬間こちらに背中を向けている。なんとか、なんとかこの白人兵士を誤魔化せ。そうだ、今の兵員輸送車―――

「あの、なにかあったんですか?今のトラック…」
「あ、ああ。あれね。別に心配しなくてもいい。実は昨日、俺たちのキャンプで盗難があってな。テロリストの可能性もあるからこの辺一帯片っ端から捜索してるってわけだ。実は俺たちも不審人物を見つけ次第本部に連絡しなきゃいけないんだが…ま、あんたみたいなPRETTYGIRLは例外だよ。でも、あまりこの辺うろつかない方がいいぜ。どいつもこいつも俺みたいに話が通じるわけじゃないからな」
「…いったい、何が盗まれたんですか?」
「俺も詳しくは知らないんだが、どうやら向こうの研―――イテッ!わかったわかったわかったよ…すまんな、軍機なんで教えられねえんだ」

幸いなことに注意を逸らすことができた。
私が『戦争に巻き込まれないか不安であんな目つきをした』と思わせることができたようだ。
流石に、自分のミスから発した口封じのためだけに人を殺めたくはない。
それに、どうやら私に疑いがかかっているわけでもないようだ。でなければ、聞いたときにあっさりと現在の状況を答えるはずがない。
とにかく私はそれ以上ボロを出す前にさっさと退散すべきだと判断し、『あまり長時間外に立っているのも危ないのではないか』という理由で適当に食料を買って宿の中に戻った。




もちろん、昨日盗難を果たしたのは私だ。
場所はキャンプではなく、その近くの軍の研究所。そもそもこんなところに一個中隊などという戦力が配備されているのはその研究所の防衛のためなのだ。だが、研究所自体機密性が高いため治安維持という名目で(そしてそれが必要でもあるので)彼らはここに留まっている。
さすがに軍の施設というだけあって、防犯設備も警備システムも正に軍用レベルのものが用意されていたが、所詮それを扱っているのは人間なのだ。
人間の日常的な行動には必ず欠陥ができる。
私はその欠陥をすり抜けて研究所に潜入した。具体的には、定期的にやってくる整備の人間に化けた。いかに設備やシステムが優秀でも、正面から許可を得てやってくる整備士に牙を剥くことはできない。
そして私は、研究所で研究されていたものを奪取した。
関係書類やデータが詰まったコンピューターなどは焼き払ったり破壊したりしたのだが、小瓶一つ分だけ精製されていたサンプルだけは、その場で焼却するのも危険なので仕方なく持ち帰ったのだ。
それは一種の媒介物質で、バクテリアがモノを分解する速度を一気に高めるものらしい。本来は敵陣地にばら撒いて設備を腐食させてしまったり、平和利用するとしたら土地を肥沃にしたりゴミを分解したり、そういう用途のために開発されたのだが、あまりに効果が劇的過ぎて生物にすら影響が出る。つまり、ばら撒いたが最後その土地の生物は全てバクテリア単位まで分解されてしまうということだ。しかも残留するので、その土地は向こう数十年か数百年の間雑草も生えない肥沃な土地と化す、という寸法だ。
これ自体は研究所で開発されたのではなく、何かの生物の体液を研究しているうちに偶然発見精製されたもの
…らしい。
確かにこれは危険だが『取り返しのつかないモノ』であるかどうかは疑問だ。核兵器及び放射能と効果的には大差ない。
しかし任務は任務だ。
…いつものことだが、一体『当主』はどこでこういう情報を手に入れてくるのか。

――――あの二人組の兵士は知らされていなかったのだろう。奪われたものが、手の平に収まるほどの小瓶であると。知っていればもっと念入りに身体検査をしたはずだ。それだけ小さければ、隠す方法などいくらでもある。この期に及んで捜索部隊にすら目的のものを知らせていない―――そのあたりが人間組織の欠陥だ。
そしてもちろん、それは私の所属している組織にも言える。
ここでの任務はほぼ終わりだ。後は、やってくる使者にサンプルを渡して処理してもらえばそれで任務完了―――何時誰が来るのかはわからないが、少なくとも明日までには来るだろう。
だが、今回は…今回だけは
『当主』に来てもらわないと困る、話がある。
とても大事な話があるのだ。


私はその小さな部屋の唯一の調度とも言える木製の椅子に腰掛け、窓から外を眺めることで時間を潰した。
相変わらず人通りはほとんどなく、時折兵員輸送車が通りを横切り、そして歩哨の二人組が話をしながら突っ立っていた。
時々例の白人兵士がこちらを見上げてきては(言い忘れたが、この部屋は三階建ての宿の二階にある)ウインクしてくるのは『こちらをマークしている』という合図なのだろうか。判断がつかなかったし、だとしてもこの状況でうろついてボロを出す気はないので外出はしない。
そうすると部屋の中のサウナ並みの暑さに耐えなければならない。
日が完全に昇ると、故郷など比較にならないほどの暑さが牙をむく。緑がないせいだ。このあたりの国々は技術的に遅れていてエネルギー資源といったら樹木、つまり薪しかない。見渡す限りの山は刈り尽くされハゲていて、それが砂漠化を呼び寄せ更に樹木がなくなっていく。この国の戦乱もそもそもエネルギー資源の枯渇が根本的な原因であり、それは今も進行しつづけている。
そして、樹木がなくなれば命の連鎖は崩れる。世界は終わる。
思う
私が、私たちが何をしようとも無駄ではないだろうか。私には、この国のエネルギー問題は止めようがない。それは今や複雑化多様化してしまい一朝一夕では解決不可能だ。もしも解決するとしたら、それは人類の死をもってか、世界の死をもってしかありえないように思える。
世界の危機はどこにでも転がっているのだ。
それでも世界が終わっていないのなら、どこかのたくさんの誰かが世界の意志に突き動かされて世界を救っているのだろう。
わざわざ防ぎにこんなところに来ることに、どれだけの意味があるのだろうか。
…どうでもいいことか。
私は、約束さえ果たしてもらえばそれでいい。




コンコン

…まどろんで、いたようだ。
気が付くと夕日が部屋の中を照らしていた。このオレンジはどこの国でも同じだ。さすがに私は日暮がないという南極に行ったことはない。
立ち上がり、ドアの方に向き直る。気配も何もなかったが、予感がした。
感じた通り、扉の前には一人の人間が立っていた。

「ノックはしたのですが、返事がなかったので勝手に入らせてもらいました」

立て付けが悪いドアを軋ませずに、私に気配も感じさせずに、砂塵をかき混ぜることすらなしに
それは、必ずどこかにいる。
忍び寄り、必ず仕留める。
いかなる手段をもっても阻止することができない。
それに狙われるは、死の運命を約束されたも同じ。
必中の暗殺者、その名は

「――――『魔弾』」
「任務は済んでいるようですね。貴女に処分できないものを受け取りに来ました」

既に情報は集めているのだろう。表情を変えないままごく何気ない動作で『魔弾』は一歩進み出た。
その動きが、私の一言でぴたりと止まる。

「いえ、あなたには渡せません」
「…どういうことですか?まさか貴女ともあろうものが『浦島』に敵対するとでも?」
「まさか。私はただ『当主』に用事があるだけですよ。あの人が来れば渡します」
「『当主』は、現在カナダにおります。用事があるなら、そちらで赴いたらどうですか?」
「それはまた――――けど、それはお断りします。あの人を追いかけて捕まえるなんて、雲を掴むよりも困難ですから。まだ、貴女を捕らえる方が楽そうですよ」

じり、と視線を動かした。
目の前の存在の、どんな些細な行動の兆候も見逃さないように
離脱されたら、終わりだ。そのレンジでは私は『魔弾』の足元にも及ばない。
だから今この瞬間が正念場。
万一、『魔弾』が私を敵とみなしたのなら即座にこの室内で仕留めなければならない―――できなければ私が殺されるだろう。
至近戦で勝てるかどうかはまた別の話だ。
どんな兆候も見逃せず、どんな隙も見せるわけにはいかない。

―――最も緊張した一瞬が流れた。

ス、と『魔弾』が右手を胸元に入れる。敵意は―――ない。
取り出したのは小さな携帯電話だった。
…思わず、力が抜ける。
その一瞬をついてくるでもなく(不覚だ)『魔弾』は淡々と短縮の一番に入れた。

「現在呼び出し中です。後少ししたら繋がるでしょう」
「…一ついいですか?」
「なんでしょう」
「あの人には『99回の約束』と伝えてください」
「――わかりました」
「………」
「―――はい、私です。現在彼女のところにいるのですが少々問題が―――『99回の約束』という言葉に記憶は――――はい、彼女がそう言いました――――そうですか、わかりました」
「…『当主』は、なんと言ってましたか?」
「すぐこちらに向かうそうです。明日の朝にはこちらにつくそうですが」
「…地球の裏側からにしては冗談じみた早さですね、相変わらず」
「貴女がそれを言うのですか?『神速』」
「………」

『神速』
それが組織での私の二つ名だ。
由来は―――どうでもいい。ただそう呼ばれているという、それだけのことに過ぎない。
虚仮嚇しにも等しい。
実際に神の速度で動けるわけでもないのだから。
――『魔弾』が携帯電話をしまい、透明な目でこちらを見やってきた。
気付いて、私も動揺を消す――そう、確かに私は動揺していた、慣れない軽口と饒舌はそれを隠すためだ。なにしろ、長年に渡る約束がようやく果たされるかもしれないのだから。
動揺を消す。
鋼の心。それを連想する。
それは鋭く、研ぎ澄まされ、鍛えられ、如何なる一撃でもひび割れない硬度を持った心。
表情を消すと―――目の前の存在と、驚くほどよく似た顔になる。
鋼の心

「それでは、私は失礼します。次の用事がありますので」
「また『当主』のお使いですか?『魔弾』ともあろうものがご苦労なことですね」
「…知っての通り、人材不足なのです。そのあたり、貴女にも期待しているのですよ」
「………」
「なにしろ貴女は、後継者なのですから」
「――では、私はここで『当主』を待ちますので」
「滞在費用はまだ残っていますか……と聞くのは愚問のようですね」

『魔弾』が、ベットの上に無造作に置いてある半分齧ったパンを見て薄く笑った。
それが、露天の商品の中で一番安かったからだ。もちろん可能な限り金を節約するために。
私は一ヶ月以上の長期戦も覚悟していた。その覚悟を見取っての笑いだろう。
腹は立たない。
どうせ私だって、この心理状態で笑う時は似たような顔になるに違いない。
それはただ風がそういう形をとっただけの、純粋な笑みでしかないのだから。

「では」

と残して、やはり風よりも静かに『魔弾』は去っていった。
私は椅子に戻り、再び時間を潰すために外を眺めてみる。
見下ろす。
オレンジに塗りつぶされた通りに、あの二人組の兵士はもういない。
溜息をつく。暇つぶしの材料が一つ消えてしまった。
ふと連想して、私はポケットから一枚の板チョコを取り出した。ラベルは全て英語で記されている。
賞味期限は――三年先までOK?保存食の一種か。
甘いものは嫌いなのだが、流石にパンだけでは味気ない。
ひとかけ口に放り込む。
直後に―――くしゃり、と異様な感触
反射的にぺっ、と吐き出す。どうやら、銀紙まで一緒に噛んでしまったようだ。寝起きでまだ頭がぼうっとしてたのかもしれない。

口の中には、鋼の味だけが満ちていた。






私は、またカナシイ夢を見ている
今度は夢を見ていると自覚している夢。いわゆる明晰夢というものか

右手がべっとりと血で濡れている。

私はナイフを持った右手をだらんと下げて、ぼんやりと遠くを見詰めている

―――遠くを?

何故―――遠くを

それは、その人がとても遠くに行ってしまったから

その人?

その人とは―――誰だったろうか

べったりと血に濡れた右手は温かい

温かい?

血液が温かいとは―――どういうことだったろうか

私は『クク』と笑い、ナイフを落としてぺたりと顔に右手を当てた

当たり前のように、顔の右半分が朱に染まる。顔の右半分が温かくなる

そうだ、当たり前のことをつい忘れていた

血が温かいということは――――殺したばかりだということに他ならない

鋼の心

それは鋭く、研ぎ澄まされ、鍛えられ、如何なる一撃でもひび割れない硬度を持つ

右手と顔の右半分だけが温かい

冷え切った心

鋼の心

なんと素晴らしいのだろう。私は今、――殺したばかりなのに、こんなにも落ち着いている

鋼のように冷静で、微塵も動揺することはない

今、――殺したばかりなのに

だから、これから急速に冷えていく血液でさえもこれほどまでに温かい

――殺したばかりなのに

鋼の心

―を

私にはそれが必要なのだ

兄を

兄を殺してしまった私には







こんこん


――――――――ノックよりも先に、気配で目が覚めた。

静かに静かにベットから下りた。シーツをずらしたが、衣擦れの音もなかっただろう。
奇襲の原則、気付いていることに気付かれてはならない
遮蔽物がほとんどない部屋の中で、私は部屋の隅の暗がりに潜んだ。窓から月光が差し込んでいて部屋はそこそこ明るい。となると、窓の下が一番暗いということになる。
それからようやく状況を分析する。
ノック。そんな事をするからには、少なくとも人間としての常識と人間に近い形を持った生き物だろう。
ありていに言って人間だ。
そして、この部屋を訪れてきたということは私に用があるのだろう。宿主には一週間分の料金を前払いしてある。期限が切れるまで来るな、という言葉と共に。私の他には泊り客はいなかった。それはチェック済みだ。
外は、異国の名も知れない虫が静かに鳴いている。空襲警報や避難警報が鳴り響いているわけではない、ということは一般的な非常事態ではないということだ。尋ねてきた人間は、純粋に私に用がある。
そして私がここにいると知っている存在
『魔弾』か?
すぐにその考えを打ち消す。アレが気配を感じさせるなんて――――
気配を探る。ドアの前に一人、これは間違いない。『魔弾』級の伏兵が他にいない限り、相手は一人だ。

こんこん

もう一度ノック。そんなのに答える義務はない。ドアの前まで来たところで、ドア越しに撃たれるのはごめんだ。
いや、逆にこちらがドア越しに攻撃するという手もある。なにしろ相手は確実にドアの前にいるのだから。
一跳びで右の壁まで跳躍、壁を蹴って射線を避けながら突進し、隠し持ったナイフで木製のドアを貫通させ相手を串刺しにする―――ナイフでドアを貫通するのは難しいかもしれない。だが、ドアにつけている覗き窓、あそこから相手の眼球を狙えるのなら充分に勝機はある。
だが―――相手とは誰だ?
軍の人間が、遂に嗅ぎつけてきたのか…だが、それにしては一人というのは変だ。周囲を包囲しているでもない、いきなり突入してくるでもない。
『当主』では絶対に、ない。あの人がノックをするなんて、天地がひっくり返ったってありえない話だ。
敵である可能性が極めて高い。
しかし全くの未知。殺していい相手かどうかはわからない。
―――そう、つまり初めから選択肢はほとんどなかった。問答無用が無理ならば、待つか、開けるかしかないのだ。
暗がりに、息を潜める。

こんこん―――がちゃ

最後に三度目のノックを律儀に終えてから、その相手はドアを開けて入ってくる。

――――――!

驚きの声は、かろうじて抑えることができた。

英語

「GOODNIGHT。夜分遅くにすまないな」

入ってきたのは、拳銃を右手で構えたあの白人兵士だった。





照準されている。
真っ先に気にしたのはそれだった。相手の死角から奇襲する方法は潰れた。私は気配を消して潜んでいるのに、彼はごく当たり前に部屋の隅に照準を合わせている。そんなことができる相手が、ただの兵士のわけがない。
もはや潜んでいる意味はない。私はゆっくりと立ち上がりながら、彼我の距離を確認した。一歩二歩で互いの手が届いてしまうような間合い。決して銃器が有利とはいえない距離だ。ついでに時間稼ぎも兼ねて質問してみる。

「何の用ですか?」
「あんたの持っている、そのSAMPLEを譲ってほしいんだが」
「…何のことでしょう」
「とぼけても無駄だぜ。ほら、そこにかけてあるマントの、隠しポケットに入れてある小瓶だよ」
「―――確かに私はそれを持っています。ですが、返答の前にいくつか質問していいですか?」
「OK」
「では―――まず、なぜ私がサンプルを持っていると?」

それが一番聞きたかったことではある。
それは――なぜ、私が犯人だとわかったのか、なぜ一人で来たのか、という疑問に直結している気がする。この白人兵士は任務とは関係なしに、ごく個人的な理由で私を探し当てごく個人的な理由で訪ねてきた――そんな気がするのだ。
そして白人兵士の答えは突拍子もないところから始まった。

「DREAMで見たんだよ」
「……ふざけてるのですか?」
「とんでもない、大真面目さ。俺はね、未来の出来事をDREAMで見れるんだ。昨夜DREAMで見たんだよ、この場面を。だから、あんたがSAMPLEを持っていると知ることができて、ここに来たのさ」
「…サンプルがどういう効果を持つものなのか、あなたは知っているのですか?」
「知っているとも。それがかかったものは、あっという間にバクテリアに分解されてしまう、だろ?だがその程度じゃ済まない。それは単なる媒介物質だから、減らない上にごく微量でも作用する。際限なく広がっていって、しまいにはEARTHそのものを分解してしまう―――といってもバクテリアは熱には弱いから、せいぜいEARTHの表面を更地にする程度だけどな。場所さえ選べば、あんたの持っている小瓶一つでそれだけのことができる―――そこまでは知らなかっただろ?」
「―――――――何故、あなたがそんなことを?研究資料にも、そんなことは記されていなかった」
「だから、DREAMで見たのさ。EARTHが更地になっていく様子をね」

白人兵士は相変わらず、私に銃を向けながら気楽に話している―――もはや疑いようもない。この男は、予知能力者だ。
知らないはずのことを知っている、時間と空間の壁を越えて知覚する。その発動形態は様々で、効果範囲も強度も人それぞれ。多少勘が鋭い…程度から、知覚した運命をいじくる…という化け物までいる。
組織のとある魔術師は『人間の知覚能力が拡大しただけ』などと言っていたが
じり、と目だけ動かして相手を確認する。ヘルメットは脱いでいるので白っぽい金髪があらわになっているが、それ以外は昼間と同じ都市迷彩のアーミースーツ。ライフルは持っていない。その代わり腰の拳銃をこちらに向けている。この狭い室内ではライフルなどよりよほど適正武装だ。

「このDREAMを見るようになったのは二年前からでね。そのときも俺はこんなところにいた。くそったれな戦場でな。山岳地帯で敵の待ち伏せにあって、部隊は俺を残して全滅しちまった。俺はたまたま先行していて無事だったんだが、途方にくれた――そこは敵の勢力下で、下手に歩いたらたちまち見つかっちまう。トドメにCOMPASSもMAPも無くしちまって、仕方がないから俺はその辺で寝ることにした。起きた時には生きているかどうか怪しかったが、どうせ部隊は全滅しちまってるんだしな。そこで俺一人余計にくたばったところで大差ない」
「………」
「で、その時DREAMを見たのさ。起きて、日の昇る方向にひたすら歩いて、無事味方の陣地に辿り着くって夢をね。やけにリアルだったんでダメ元でその通りにやってみたら、見事に味方の陣地に辿り着いた。それから、DREAMをちょくちょく見るようになった」
「…何故、私にそんな事を話すのですか?」
「何故って?もちろん、昨日見たDREAMの中で俺があんたに話していたからだよ」
「―――」

白人兵士の言葉は実に淀みなく、まるで演劇のようにあらかじめ答えが用意されているかのような錯覚すら抱く。
いや、錯覚ではない。
彼自身が言っている、この場面を予知夢で見たと。ならば私の質問も、それに対する答えも既にわかっているということになる。まさに演劇の如し、だ。
―――疑問
しかしそこには矛盾が生ずる。

「では、ここに来たのはあなただけなのですね?」
「そうさ」
「ここに来るのを知っている者は他にいるのですか?例えば、あなたの相棒…あの黒人兵士は?」
「……奴は死んだ」
「――――――は?」
「いい奴だった。俺なんかとは違って努力していいとこの大学入って、そのくせ自分から入隊した。なんでかって聞いたら『国家を守るためだ』なんてあの顔で言う奴だ。爆笑したら、表情変えないまま歴史の講義してくるんだぜ?バカみたいに真面目で、何の因果か俺と組まされたことで時々ぼやいてた。酒もタバコも女もやらない朴念仁で『お前HOMOか?』って冗談で聞いたら演習場の外まで追っかけてくるんだ。そのくせ子供が好きで…昼間にチョコレートあげただろ?あれ、ホントは奴のいつものPATTERNなんだよ。あの後、ずっとぶすっとしてたんだぜ。それで」

そこまで陽気に饒舌に話していた白人兵士は急にそこで言葉を切った。
悼むように一瞬だけ目を閉じ――その一瞬で私は手の中に小型ナイフを隠し持ったが知っているだろう――そして打って変わって低い声で
純粋に悲しみしか含んでいない声音で

「夕方、キャンプに帰る途中で、テロリストに金渡されて爆弾持ってきた子供がいた。あいつは、その子供を庇って、爆弾を抱えて走っている途中で爆発で死んだ。臓物が二十m先まで飛び散っていたよ。俺は用意してあった袋に奴の死体を集めてキャンプに持って帰った。書類にサインして上司に引き渡した」
「―――あなたは、それを」
「知っていた。あいつと初めて会ったときからそうなることは知っていた」
「では…何故それを阻止しようと思わなかったのですか?」
「…未来は絶対に一つだ。知っているからといって、どうにもできない。いくらDREAMで見たといってもね、それはただ運命を先に見ているだけなんだよ。俺はそれに従うまでだ」

彼の青い目は、ただ透明な眼差しでこちらを見ていた。
だが―――そこに矛盾が生じていることに、彼は気付いているのだろうか。
それを確かめるために、最後の質問をする。

「あなたは、私からサンプルを手に入れた後、それをどうするつもりですか?」
「とりあえず、半分ほどこの国に撒く。SAMPLEはこの風に乗って分散し、砂と一緒に駆け巡るだろう。この風は大陸の西の方まで巡っている。一ヶ月でこの大陸は更地になるはずだ」

簡単に―――破滅の確約が返ってきた。
なるほど。確かにそれは、思いつく限りもっとも効率的な分散方法だ。
だが、何故そんな事をするのか。世界を破滅させる動機は?
その解答は、既に彼が何度も答えている。
すなわち

「―――夢で、自分がそれを為している場面を見たから、ですか?」
「YES。なにしろDREAMなんで途中憶えてないところもあるが、その後俺はハワイの活火山に残りをばら撒く。それで南半球全域にSAMPLEが広がる。その時俺自身もSAMPLEに分解されて死ぬ――それが、俺の見たDREAMの最後の場面だ」
「……それに従うと?」
「従うんじゃない。これは未来であり、運命なんだからな。初めからそうなることは決まってるんだよ」

矛盾
先程、彼は自分でサンプルの説明をした。だが、その内容は『自分が夢で言っていた』から、知っていたという。では、その内容は…本来彼が知りえないはずだったその内容はどこから入ってきたのか。
夢の中で『私が説明していた』というのならわかる。そういう可能性の未来を見て、それを改変したということだから。
彼の行動原理にも同じことが言える。『夢で見たから』行動するのに、その予知した未来自体、予知によって歪められている。それは確かに、予知が現実のものとなっている間は矛盾しない。
この白人兵士は―――

「…これから私が言うことは、全てあなたは知っているでしょうし反論もあるでしょう。ですが、敢えて言わせてもらいます」
「ああ」
「予知能力は、未来の可能性―――無数に存在する可能性の一端を提示するだけの能力に過ぎません。ですが、あなたは予知した可能性以外の、全ての可能性を切り捨ててしまっています。それによって能力は飛躍的に確実性を増し、予知というより預言の域に達していますが―――しかしあなたは能力に振り回されているだけです」
「…そう言えば、俺の質問の返答がまだだったような気がするな」
「返答は―――これも知っているのでしょう?」
「ああ、だがあんたはそれでも言う」
「はい―――サンプルは渡せません。そして浦島流『神速』の名に於いて、あなたを世界の敵と認定し、この場で殺害します」




構える

世界を崩壊に導く『敵』を討つことこそが、浦島流に課せられた使命なれば

月光が差し込む中、その淡い光を反射してナイフの表面がギラリと禍禍しい光を発した。



白人兵士は全く動揺せず――知っているのだから当たり前だ――拳銃を構え直す。その表情は困ったような、諦めたような、そんな微妙な顔だった。
思う。あの寡黙な黒人兵士が死んだ時も、こんな表情をして何もせずに横で見ていたのだろう。
それが運命だから、と

「参ったな…一応聞いておくが、GIVE UPする気はないのか?俺はこの場面は克明に覚えているから、あんたに勝ち目はないぞ?」
「その答えも、知っているのでしょう?」
「――ああ。それでもあんたは飛びかかってきて、俺に撃たれて死ぬんだ」

互いの距離は、一歩二歩進めば手が届く間合い。一呼吸で飛びかかり、戸口に棒立ちになっている彼にナイフを突き立てればいい。拳銃を向けられてはいるが、この暗さこの距離で回避運動を取りながら突進すれば反応して照準を合わせれるものではない。
常人なら
いくら壁や天井を跳ね回って回避運動を取ろうと、攻撃の時だけは隙ができる。そのタイミングで撃つつもりなのだろう。そして予知しているのなら、そのタイミングは完璧に把握しているはずだ。いや、下手をすれば回避運動をとっていようと当てられる可能性がある。
撹乱は無意味。
彼の予知形式は追体験。私がどんな行動をとろうと、それはあらかじめ体験しているはずだ。たとえ目にも止まらぬ速さで突進しようと、攻撃する軌道とタイミングが知られていては絶対に殺される。
では、あれしかない
並々ならぬ覚悟が必要だが―――その覚悟を捻り出すために私は口を開いた。


「―――――とても、カナシイ夢を、見ました」
「………」
「昨日と今日。一つはありえない現実の、もう一つはあってほしくない未来の夢でした――偶然ではありませんね?」
「そうだな。俺が近くに居たから、あんたの夢に影響したのかもしれない」
「とても、カナシイ夢でした。私の人生、私の希望、全てが否定されていました―――でも、私は涙を流さなかった。何故だかわかりますか?」
「…さあ、何故だろうな」
「――――――それが、所詮は夢に過ぎないからです」

鋼の心
それは鋭く、研ぎ澄まされ、鍛えられ、如何なる一撃でもひび割れない硬度を持つ、冷えきった
私の武器
例えば、昨日見た夢。私が、あの人と共に当たり前の兄妹として暮らしている、そういう世界。今の私そのものが、悪い夢にしかならない世界。
例えば、今日見た夢。私が、あの人を自らの手で殺めてしまう、そういう未来。今の私の延長線上に、可能性として確かに存在する未来。
だからどうしたというのだ。
そんなものを恐れていては――何も始まらない。可能性を恐れて、確定された未来にだけに従っていたら、一体何の為に
いったいなんのために、私たちは自らの意志を持って生まれてきたのか
自らの未来は、自らの意志で選ぶ。気に入らない未来があるのなら戦う。そのための武器が、鋼の心だ。
たったそれだけのことに過ぎない。
たったそれだけのことができなかった男に、私が負けるはずがない。


確信と共に、私は『たん』と床を蹴って跳躍した。

浦島流、極意、――



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ひらひらと舞い降りていく桜の花弁

あれは何時のことだったか―――既に、遠い遠い霞の彼方のように思える。

だが、その内容だけははっきりと覚えている。忘れるわけにはいかない。

その時私は、今よりずっと小さかった。今よりずっと臆病だった。今よりずっと純粋だった。今よりずっと弱かった。

そんな私が、鋼の心を持つに至ったきっかけ。


「お婆様」
「なんだい?」
「お願いが、あります」
「言ってみるといい。なんだって、言うだけならタダだからね」
「私には必要ものがあります。何をしても、どんな罪を犯しても、手に入れ、失いたくないものがあります。そのために必要なものなんです」
「―――やれやれ。まだ子供の癖に、どこでそんな言葉を覚えてきたんだい?」
「はい、重々承知です。私はそのためなら、寿命ラスト十年でも悪魔に差し出す覚悟はあります」
「可奈子、それは契約じゃ。お前にはまだ早いよ」
「………」
「ほら、ごらん。桜が綺麗じゃないか。あれはワシが生まれた時に植えられた木でね。最初はワシの方が背が高かったんじゃが、次第に向こうの方が高くなっていってねえ。その時ほど…」
「浦島の使命」
「…可奈子」
「正直興味はありません。ですが――引き受けないとなれば、お婆様も母も困るでしょう?そのために私は引き取られてきたのですから」
「お前にはまだ早いと言っておるじゃろうが」
「かもしれません。だけど私は急ぐんです。タダでさえ出遅れているんだから、これ以上もたもたしていたくないんです」
「景太郎のことかえ」
「それ以外になにが?」
「まったく、お前ときたら誰に似たんじゃかの…」
「血の繋がりはないはずですが」
「こっちの話じゃよ…それで、なにが欲しい?」
「まずは、強さ」
「『まずは』かい?強さを得るだけで一生を費やしとる奴もいるんじゃがな」
「私は、半生以上そこに費やす気はありません」
「それじゃ、明日から修行じゃな。しばらく帰れんと、かなたに電話でも…」
「それと」
「なんじゃ、まだあるのかえ?」
「この、ひなた旅館を」
「………なんじゃと?」
「兄と旅館をやるのが、夢なので…ダメなら、強くなった後力づくでもOKですが」
「ホッホッホッホ、その心意気やよし。しかし、タダでくれてやるわけにはいかんぞえ」
「条件はなんですか?」
「そうじゃの、浦島の使命を百回果たしたら、でどうじゃ?」
「百回―――」
「ま、99回でもいいぞえ。十五年はかかるじゃろうけどな。ヒョッホッホッホッホッホ…」


六年でやり遂げた

私は、任務に如何なる情も挟むことなく、最大効率最大速度であたった。

そのためには、要るものと要らないものを比べ、切り捨てていく鋼の心が不可欠だった。

そしていつしか私は『神速』と呼ばれるようになっていた。

たったそれだけ

たったそれだけの、他人が聞いたらなんと他愛もないと思うだろう、くだらないこと。

だが私にとっては、それこそ全ての希望なのだ。

サンプル奪取の任務で、99回。

そしてこれで百回。いくらあの偏屈なお婆様でも、文句はあるまい―――

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

銃声は聞こえなかった。

その男の驚きの表情も見えなかった。

撃たれる衝撃もなかった。

砂が混じった空気の匂いも感じなかった。

ただ、鋼の味だけが満ちていた。

「―――OH!?」

感覚の遊離は一瞬。一瞬以上は耐えられない。

一瞬で私は二歩進み、彼に手が届く範囲まで来ていた。即座に左手を延ばし、硝煙が上がっている銃口を横に逸らす。

白人兵士は驚きの表情で棒立ちのまま。予想――いや、予知とは違う展開に呆然としたままだ。

その胸に右手のナイフを突き刺し、真一文字に斬り裂くのはごく簡単な動作で済んだ。




「GHOST…?」

倒れた彼が、苦しそうにうめく。
だくだくと、胸からは血潮が溢れ出ている。顔色はチアノーゼを引き起こし、手足は細かく痙攣している。
致命傷だ。

「いかに完璧に近い予知能力でも、この世の理から外れた存在には力及ばない―――そういうことです」

自分の胸元を見やる。服の左胸と胸の中心にぽっかりとあいたボタン大の穴が二つ。拳銃弾が貫通した跡だが、その下の身体の方は傷ついていない―――いや、少し皮膚が切れているが致命傷ではない。
どうせ背中の方も似たような穴があいているのだろうが、それはとりあえず後で確認しよう。
かなりの賭けだったが、なんとか成功したようだ。

「は……このWORLDには、まだまだ俺の知らないMYSTERYがあるんだな…」
「予知能力者に言ってもらうなら、世界も本望でしょう」
「いや、本当に―――THANK YOU。やっとNIGHTMEREが終わった気分だよ…」
「―――悪夢?」

白人兵士は、真っ青な顔で、口からごぼりと血を吐きながらやけに晴れ晴れと笑った。
死はすぐそこ―――数分後に迫っていると兵士ならわからないはずがないのに、これから人生が始まると言わんばかりの笑顔で。

「DREAMで見るのは全て現実だ……なら、現実に起こることの方が夢じゃないと、どうして言える?」
「………」
「夢ってのは本来現実を整理して思い出にするもんだよな…だが、DREAMの中では未来のことが起きちまう。そうすると現実は、それをなぞるだけの夢としての役割しか果たさなくなっちまうんだ…」
「…あなたが予知夢に従っていた、その理由は―――」
「YES…あんたと同じ。『所詮は夢』だからさ。俺にとっては現実の方がね」
「…予知能力者の心理なんて、考えたこともありませんが―――確かにそうかもしれませんね」
「最初は、死にたくないだけだった。なにしろこういう職業だからな。DREAMに従っていれば、どんなことが起きようと死ぬことだけはない―――だが、その代わりに死ぬはずの仲間を見殺しにしなきゃならない……いつの間にかな、俺を助けてくれるはずのDREAMは、俺に罪を背負わせるNIGHTMEREになっていたのさ…」

死の間際だというのにやけに饒舌に彼は話す。
無論、呼吸もままならないため途切れ途切れだが――先程の、演劇のような話し振りよりもずっと人間らしく。
――当たり前か。
予知は破れた。これは彼にとって、ありえないはずの未来。手探りの現実。
こうして話している彼が、本来の彼ということだから

「世界を破滅させるDREAMを最初に見たのは……半年前だった。それから、三日に一度は山の上で白骨になって死んでいくDREAMを見るようになった…恐くはなかった。いよいよ俺の番かと、そう思っただけだ。逆らう気力も、世界への執着も失せていた―――THANK YOU、本当に。あんたが俺の代わりに、NIGHTMEREを打ち破ってくれた」
「…私は務めと、自分のために貴方を殺すだけです。感謝されるいわれなど微塵もありません」
「ったく、可愛げのないJAPANESEGIRLだな……それにしても、DREAMをもっと早く打ち破れたらな……ポーカーで連戦連勝できたのに。わざと負けるんじゃなかったよ…それに、あいつも死なないで済んだかもしれないのに―――まったく、惜しいことをした…」
「…言い残すことはありますか?」

驚く。
私はいったいなにを―――『敵』の遺言を聞くなんて、今までそんな事はしなかったのに
どう考えても時間の無駄
『神速』はそのようなことはしない。
だというのに、何故?
今まで99回も、似たようなことはしてきたというのに―――

「特にないな…伝える相手ももういない…ああ、眠くなってきた。これで寝ちまったら、俺はまたDREAMを見るのか…な?それは勘弁してほしいんだが…」
「おそらく―――見ないでしょう。あなたの予知夢は崩れました。見るにしてもそれはただの可能性、正真正銘ただの夢に過ぎないはずです」
「…それを聞いて…安心した。それじゃあ俺はもう寝る…」
「そうですか……おやすみなさい」
「GOODNIGHT…良い夢を。Kanaco……Urasima………」


そして

世界の敵となった、名前も知らない予知能力者の男は死んだ。

死に顔は―――寝顔は、この上ないほどに安らかだった。






誰だろうが、どこの国だろうが、寝て起きれば朝はやってくる。
それは誰でも例外はない。
夢は―――見るかもしれない。だが、それは所詮は夢だ。それ以上の意味はない。
夢は必ず覚める。それは――希望か、絶望か…まだわからない。
だけど一つだけはっきりしていることがある。
夢の後には、朝がやってくるのだ。



目を覚まして、私が最初にやったことは薄汚れた天井を見ることではなく、見ていた夢の内容を思い出そうとすることだった。なんか、凄まじく幸せというか18禁的な内容かつ非常にいいところで終わってしまったような気がしたので必死で思い出そうとするのだが
思い出せない。
10分粘って、ようやく諦めた。
夢なんて、そんなものか。自分の望む夢が見れるのなら誰だって苦労はしない。
あの白人兵士も苦労はしなかっただろう。

溜息をついて、体を起こした。
不幸なことに此処にはパジャマというものが存在しないので、私は昨日私服で寝るしかなかった。そしてあの騒ぎだ。右の袖にはべっとりと血が付着していたので破り捨ててしまった。胸元と背中には穴が二つずつ開いている。
肌の露出は幾分か多くなっているが、早くも差し込んでくる日差しで温められた部屋の空気はぬるりとし、涼しいわけがなかった。
…今思ったのだが、西に窓があるこの部屋は明らかな『ハズレ』の部屋ではないだろうか。
宿泊費を渡す際に、長期戦を想定して値切りまくったのがいけなかったのかもしれない。
まあ、今思ったところでどうにもならない。
まずは朝食を摂ろう。『当主』は朝に来るといっていたが、まだ来ていない以上それくらいはするべきだ。
昨日のパンの残りはまだベットの隅においてあるが――昨夜の運動のせいか砂塵混じりの空気のせいか、やたらと喉が渇いた。外の露店で水でも買おう。
私は外に出るために立ち上がり、壁にかけておいたフード付きマント

―――――――――が、ない


「――――――――なっ!?」

驚いてみても無いものは無い。
部屋の中を見渡す。狭い部屋の中にはベットと、椅子と、窓ぐらいしか目に付くものがない。マントはどこにもない。
マントには、サンプルが隠してあったはずなのに!!
落ち着け、落ち着け……確か昨夜、白人兵士の死体を始末――といっても、怪しまれないように街外れに運んだだけだ。問題にはなるだろうが、ゲリラの仕業だと思われるはず――したときには確かにあった。何しろ身元を隠すために着ていったのだから。
その後、部屋に戻って血痕を消した。そのとき壁にかけたはずだ。
そして私は寝た。
つまり、誰かが私の寝ている間に部屋に忍び込んでマントだけを持っていってしまった、ということか。
私に何の危害も加えずに?
寝ていたとはいえ、私に気付かれずに?
そしてサンプルを手に入れる必要があった?
……それらの条件に合う人物を、私は一人しか思いつかなかった。
唯一の疑問は、サンプルの隠し場所が何故わかったのかということだが―――昨夜の白人兵士がご丁寧にばらしてくれていた。それを聞いていたのだろう。
つまり、あの電話も全て私を油断させるフェイクだったというわけだ。ここでいくら待っていても祖母は来ない。
――――完全に、してやられた。



「まだ―――――――――――ん!!!!!!!!!!!!」





お兄ちゃん

私の夢が実現するのは、もう少し先になりそうです



おわり






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