Nside
――――――私には義妹がいる。
両親の再婚により発生した、姉妹という関係で結ばれた少女。
四つ年下で、現在高校一年生。髪をツインテールにしていて、かなり可愛い。
どこか人見知りをする娘だけど、小さい頃から私のことをお姉ちゃんと慕ってくれている。
親の再婚なんていう『よくあること』をどうしても受け入れることのできなかった私だけど
義妹と会うたびに『それもいいんじゃないか』と思うことができて
だって、とても素直で良い子である彼女と、出会うことができたんだから。
親の再婚がショックで家を飛び出してしまった私が
実家にちょくちょく顔を出して家族との繋がりを失わずに済んだのも……義妹のおかげなんだと思う。
感謝している。
「なに遠くを見て思い出に浸ってるんですか、お姉ちゃん」
っていうか……この娘ってこんな性格だっけ?
「いいんです、思春期なんですから。いろんなものから影響受けるのは当たり前でしょう」
「あの……今、私口に出してないんですけど」
「お姉ちゃんが考えてることぐらいわかります。そんなことはどうでもいいですからさっさとこの誓約書にサインを」
「……なにこれ?」
「特定の人物の半径5m内への進入を禁止する条文が書き込まれています。ストーカー裁判に使われる中でも比較的軽微なものです」
「………」
絶句
本当に何があったのだろう…というか、なんか私に対する扱いが酷いことになってる気がする。
姉に対する尊敬なんかあったもんじゃない。
だってストーカー扱いされてるんだよ?私。
「心外です。これでもお姉ちゃんのためを思ってこんなもの用意したんですよ」
「そういえば、日本でこの刑が執行されたことってあったっけ?」
「ないです、だから私の手書きの偽造文書です」
「…公文書偽造は犯罪よ」
「所詮こんなものは、契約社会を形成するために必要な紙切れです。個人の本質ではありません」
ぽいと放り投げられてひらひらと空中をすべり、ゴミ箱に滑り込む偽造文書。
なんとなく、義妹がかぶっていた猫の毛皮をゴミ箱に叩き込む映像が脳裏に浮かんだ。
ああ、なんてこと、と自分に毒づく。
こんな本性であることを今の今まで気が付かず、能天気に『いい妹』として可愛がっていたなんて
人生で二番目に、不覚だ。
「いまさら悔やんでもはじまりません。大事なのは未来、そして現在どうするかです。さあとっとと人生やり直しましょう」
「だから……メイ、そもそも何がしたいのかはっきり言ってくれない?」
この義妹は
私が大学から帰ってきて、着替えて、さあこれから出かけようという瞬間を狙ったかのように突然訪ねてきて「お姉ちゃん、自分というものをもっと大事にしてください」などと唐突なことを言う。
わけがわからない。
説明を求めると、彼女は『ふう』と呼吸を整えてから、はっきりきっぱりと
「具体的に言うなら」
「なら?」
「浦島景太郎(22)と縁を切ってほしいんです」
「………え゛?」
ますます私が混乱するようなことを言った。
自分の義妹の口から『今からお見舞いに行こうとしていた人間』の名前を聞いて
私はお世辞にも上品とはいえない声を漏らして止まってしまう。
……どういう、ことだろう?
ラブひなEX
成瀬川姉妹の関係
Mside
時間は遡る。
そのことを本格的に知ったのは、一週間前。
お姉ちゃんを尾行している時だった。
今現在ターゲットはひなた市アーケード街を北上中。ターゲットとの間合いは30m。
もちろん私は尾行に関しては素人だが、お姉ちゃんも同様に素人だ。
極端に不自然なところにまでついていかない限り、化粧カツラメガネ服装で変装した私には気付かないだろう。
おまけに隣には、やや背が低くて痩せてはいるが男の子までいるのだ。
この状況で私を成瀬川メイだと認識できる存在はそうそういない。せいぜい母さんぐらいだ。
「ねえ、メイ……こんなことやめようよ…」
「却下」
私の横で、偽装としてクレープを手にしている少年が情けない声を上げる。
大きな帽子、季節に合わないだぼっとした上着にジーンズ。ちょっと女っぽいかもしれない。
それはそうだ、女なんだから。
男装した私の友人、美奈子は一言での否定にもめげずに歩きながら泣き言を続ける。
「あの人が、メイのお姉さんでしょ?尾行なんかしないで、聞きたいことがあったら直接聞いたらいいじゃない」
「それは最後から二番目の手段よ。とにかく今は気付かれちゃダメ」
「なんで?」
「できるだけ正確な情報が欲しいの。正面から聞いたって、絶対に素直に答えてくれないから」
すたすたと、こっちはアイスクリームをかじりながら人ごみにまぎれて尾行を続ける。
会話の内容は、喧騒にまぎれてターゲットには届かない。そして、カップルなんだから話しながら歩いているべきだろう。
そういう判断に基づいて、私は美奈子が納得するようにターゲットに対して解説を加えた。
「美奈子、お姉ちゃんを見て」
「さっきから見てるけど…」
「どう見える?」
「ん〜…綺麗な人だよね。さっすがメイのお姉さん…って、血は繋がってないんだっけ?でもまあ、メイが自慢するだけのことはあるよ」
「そうじゃなくて様子……もちろん、お姉ちゃんは世界で一番いい女だけど」
「服装は女物のスーツ…バイトにでも行くのかな?」
「最終的にはそうでしょうね。でも学習塾のバイトは7:00からのはずだから、まだ三時間以上あるわ」
「……メイ」
「この前お姉ちゃんが帰ってきた時に、教えてもらっただけよ」
なんというか、まるでストーカーでも見るような目つきの親友。失礼な。
ま、尾行の時点でストーカーだと言われてしまえばそれまでだけど、これは探偵の分類に入ると思う。
探偵とストーカーの法的境界について考えながら更に続ける。
「そんな上辺だけの情報じゃなくて、もっと雰囲気で」
「え〜と……そうだね〜、なんか楽しそう、かな?友達に会いに行くのかも」
「近いけど違うと思う。あれは……………男ね」
「へ?」
「男に会いに行くのよ、多分。とりあえずその相手を確かめるのが、私の目的なの」
気付いたのは何気ないことからだった。
ある日、お姉ちゃんに入学祝いとして腕時計をプレゼントした。
その時一度着けてもらったけど、お姉ちゃんはすぐに元の時計に戻してしまった。
大事な腕時計。
お姉ちゃんや私の趣味には正直合わない、シンプルで真っ直ぐな腕時計。
その腕時計を見るお姉ちゃんの視線で直感した。
男だ、と
本人は、クリスマスプレゼントとして貰ったとしか言わなかったが、私にはわかってしまったのだ。
成瀬川なるが、恋をしているのだと。
「……というわけよ」
「あの……つまり私、そんな根拠ゼロの直感に付き合って、男のカッコなんてしてるの?」
「美奈子……私たち、親友よね?」
「なんか綺麗っぽい事言っても誤魔化されないよ」
「おとつい現国の課題写させてあげたお返しがまだだと思ったけど」
「まあ、慣れてみればこのカッコも悪くないんじゃないかな、うん」
ターゲットが花屋に入ったのを機会にこちらも小休止を取ることにした。
白々しい言葉と共にクレープを平らげた美奈子に、缶ジュースを買い与える。もちろん小道具だ。
花屋の入り口が見えるベンチに並んで座る。あまり視線を固定させないように注意しながらターゲットの様子を探る。
花を選んでいる。
ふと、疑念が浮かんだ。当たり前の前提に、実は見落としがあったんじゃないかという疑念。
「……お姉ちゃんが恋をするには、三つのパターンが存在する」
「なに?」
「一つは中学時代からの憧れである先輩に再会する。二つ目がは大学、あるいは予備校で出会う。最後がバイト先で同僚に対して」
「道でナンパされたとかは?」
「お姉ちゃんはそんなに軽い女じゃないわ。それに、それでついていくほどに異性に対して免疫があるわけじゃない」
「じゃあ…メイのお姉さんって、アパートだかで一人暮らしをしてるんだよね?同じ所に住んでるとか?」
「違うわ、お姉ちゃんが住んでるのは女子寮だもの。一度行ったことがあるけど、立地的にも出会いがあるようには思えない…はずなんだけど」
ターゲットは花を選んでいる。
ちょっと待て、おかしい。
彼女は腕時計を、クリスマスプレゼントと言った。
それが去年だとしても、彼女はまだ浪人だった。仮定3が潰れる。
仮定2も、半分潰れる。それでは予備校?可能性がないとは言えないが、極めて薄い。予備校には足繁く通っていたわけではない、と本人の口から聞いている。好きな人がいるとしたら、それはないだろう。
そして仮定1。これが一番ありそうだと、私は思っていた。それだけ当時の彼女は、私によく憧れの『瀬田先輩』について話していた。
でも、それだけはありえないと、今気付いた。
あの時腕時計を見つめていた彼女の表情、そしていま花を選んでいる彼女の表情。
絶対に、憧れではない。
あの人は、恋をしているのだ。恋と憧れは違う。
どんなに辛くても、相手を求めてしまう。持て余した自分の想いが、とても苦しいものとなる。
綺麗事じゃない。
恋とは辛く苦しいものなんだ、と、その表情で知ることができた。
……あの人はきっと、辛く苦しい恋をしている。
私は、あの人が大好きで、尊敬している。できることなら、助けてあげたい。
そのためにはまず相手のことを知るべきだと思い、私はストーカー紛いのことをしているのだ。
とりあえず、仮定が全部潰れてしまって、ますますもって尾行の必要性アリと自分を正当化しておいた。
「ねえ、メイ……マズイよ、ここは。私、昨日までここにいたんだよ?絶対顔覚えられてるって〜」
「そこまで変装してれば、誰もあなたが加藤美奈子だとはわからないと思うけど…不安ならサングラスでもつけたら?」
「余計目立つよ〜」
「それじゃ、素直に見舞いのフリをしていることね…お願い、あなたの協力が必要なの」
「……なんだかな、私って。意外とお人よしなんじゃないかって、思うときがあるよ」
「そう?」
「メイにそうやってお願いされると、引き受けたくなっちゃうのよね〜」
ターゲットを尾行して辿り着いた場所は、市内の比較的大きな病院だった。
まあ、花を買った時から薄々感づいてはいたのだが、やはり見舞いらしい。
つまり真のターゲットは入院している、ということ。
大学の講義と、塾講師のバイトの隙間を縫って見舞いに来るのだ、相手のことがかなり大切なのだろう。
お姉ちゃんは嬉しそうに、それはそれは見舞いが楽しみなようで、うきうきと廊下を歩いていく。
さすがに建物内で接近するのは危険すぎるので、私は彼女がエレベーターに乗るのを見送ることしかできなかった。
私はロビーの適当な椅子に座って、待つことにした。
その代わり、お姉ちゃんに面が割れていない美奈子に後をつけてもらっている。
たとえ同じエレベーターに乗ろうが、不自然な態度さえ取らなければ不審に思われることはない。
スーツ姿の女性の少し後ろを、おっかなびっくり歩いている変な少年を見送りながら
胸のあたりがちくりと痛むのを、私は感じていた。
お姉ちゃんは、とても楽しそうだった。
私と話す時と比べて、どちらがと言えば(本人に聞いたら困ってしまうだろうけど)間違いなく
その誰かに会いに来るという行為のほうが大事なのだ。
私はお姉ちゃんが好きだ。
お姉ちゃんと話すのは、世界で一番楽しい。
遊園地でも、ショッピングモールでも、自宅でも、電話でも、お姉ちゃんと話せればそれだけでとてもとても嬉しい。
でも、お姉ちゃんにとって私は一番じゃない。お姉ちゃんは私の知らない誰かに恋をしている。
ああ、くやしい。
そのことを恨んだことも、その相手に殺意を抱いたこともあった。
私だけのお姉ちゃんになってほしいと、願ったこともあった。
私は、私を一番に思ってくれない人に、狂おしいほどの感情を抱いている。
私は異常だろうか。
…世間一般的に見れば異常なのだろう。
それでも彼女にとって大切な存在になりたいのだ。
それでも……彼女を幸せにしてあげたいんだ。
女であるとか、妹であるとか、そんなのは些細なこと。
この感情の、カテゴライズもしたくない。
派生していく様々な思惑は、すべて瑣末ごとに過ぎない。
成瀬川メイにとって、成瀬川なるとは心の大部分を占めるほど大切な存在である、ただそれだけのこと。
それから私はロビーで一時間待って、戻ってきた美奈子の口から『浦島景太郎』という存在を知った。
変な名前だな、と思いつつ調べた。
たかが人一人の素性を調べるのが、単なる一女子高生の身にとっていかに大変か思い知りながら
ひょんなとこから見つかった知り合いの知り合いに聞き込みしながら
不完全ながら集まった情報を総合して(これがまた面倒くさい)虚実を自分なりに捨拾選択して
こいつは危険だ、と思った。
Nside
「尾行なんてしてたの!?」
「はい、まったく気付かれなかったのは幸いでしたけど、お姉ちゃんは美人なんだからこれからは少し身の回りに注意を払ってください」
「って、どの口でそういうこと言うのよ…」
「体験談です」
とりあえず、義妹が景太郎のことを知っている理由を聞いた。
調べた、らしい。
しかも私に気付かれないよう、直接の知り合いには聞かずに間接的に情報を集めたとか。
これじゃあ本当にストーカーだ。義妹の将来がちょっと心配になった。
「メイ、そんなことやっちゃダメよ」
「大丈夫です、誰彼構わずやるわけではありませんし、こうやって告白もしてます…なんなら探偵にでもなりましょうか?意外に才能があったようですし」
「だ、だから……モラル的に、ねえ」
「だったらこの世に興信所とか探偵とかいう職業があるのはなぜですか?それに……私は、他人にお姉ちゃんのことを嗅ぎ回られるのが嫌だから自分でやったまでです」
「………」
く、口で勝てない。
いや、穴はいくらでもあるんだろうけど私はそういう粗探しが苦手だし、なによりメイが心の底からある種の信念を持って言っているのだとわかってしまって
確固たる信念なんて持ってない私には、太刀打ちできない。
義妹に言い負かされるなんて、生まれて初めてだった。
……ああ、でも確かに、メイは昔から引っ込み思案で、そのくせ変に我が強いところがあった。
初対面の人とは警戒しきって話もできないのに、ある程度打ち解けてくると自分の意見をぽんぽんぶつけてきたり
かくいう私もそうだった。初めて会ったときは、そりゃもう目も合わせてもらえなかった。
それが『お姉ちゃん』と慕ってくれるつれ、私にいろんなことを聞いてきたり一緒に遊ぼうと駄々をこねたり
彼女のことをとても可愛がってた私は、ついつい我侭を聞いてしまったり、した。
そう、つまるところ私は今も、彼女の言うことを本気で怒れない。
この期に及んでまだ、成瀬川メイを『可愛い』と思っているんだから。
「そ、それで、景太郎…君のこと、どれだけ調べたの?」
「名前、住所、職業、年齢、経歴、現在の状況、そして大雑把な傾向。その程度です」
「ふ、ふ〜ん……なんだ、たいしたことわかってないじゃない」
「いえ、十分です…まず職業!彼はこの女子寮の管理人だそうですね、どういうことですか!?」
「い、いや…別に、女子寮の管理人を男がやっちゃいけないって規則はないわよ」
「規則以前に常識の問題かと私は思いますけどね」
「そういうのは婆ちゃんに言ってちょうだい…」
「いえ、きっかけはともかく『お姉ちゃんを筆頭とした住人がこの状況を受け入れている』というのが一番の問題だと思います、私は」
鋭い、鋭すぎる。
確かになし崩し的に管理人になったとはいえ、最初は凄まじいまでに反発があった。
それがいつのまにかなくなっていたというのは……まあ、人徳だろうか。
たしかに管理人になったきっかけは婆ちゃんだけど、彼がここにいるのは私たちが受け入れたからだ。
……なぜ、受け入れてしまったのだろう。
あんな、ドジで、スケベで、しょっちゅう胸とかを触ってくるような奴を
改めて考えると、どうしても納得できなかった。
「次に経歴!三浪してますね、この人」
「別に、それくらいいくらでもいるわよ」
「でも、その後に東大に合格してます……明らかに、不自然ですよね」
「そ、そう?凄いじゃない」
「……お姉ちゃん」
「なに?」
「勉強、教えてあげましたね?」
「う……いや、まあ少しは、ね」
「少しですか?三回連続受験に失敗して、偏差値も散々だった人が東大に合格できたのが、少しの勉強の成果なんですか?」
「うう……ああ、もう!そうよ、ここ一年半ぐらい、ずっと一緒に勉強してたわよ!同じ受験生同士なんだから、それくらい別にいいでしょ!」
「よくありません!!」
「なんでよ!」
「お姉ちゃん、全国模試でトップを取ったこともあったんでしょう!?あんなに勉強してたじゃないですか。なんでそんな人が受験に失敗して一年浪人なんかしたんですか?おかしいです、変です!」
「!?」
「考えられる原因は色々ありますが、一番有力なのはそれです」
……考えも、しなかった。
私が一度受験に失敗したのが、景太郎のせいだなんて
初めての受験にあたって緊張してたんじゃないか、とか、可能性はいくらでも考えられる、けど
確かに、言われてみれば納得だ。
一度目の受験の前、私は勉強時間の半分ほどもあいつへの説明に費やしていた。
他人に説明することは自分の復習にもなるなんて理屈、あれは半分嘘だ。
もう既にわかりきっている部分をいくら復習したって、進展を得られるわけがない。
そういう物理的な面だけじゃなくて、精神的な面でも
成瀬川なるはただ一人、誰にも気を置かず誰にも相談せず、約束を守るためだけの存在となっていたのに
仲間というものを得て、いろんなことに気を散らすようになってしまった。
でも、今更どうしろというのだろう。
確かに受験に落ちた当初の私だったら、逆上して景太郎の首を締めるくらいはしたかもしれないけど
そんな感情は薄れてしまったし、私はもう東大に合格することができたし
なにより、浪人生として過ごした一年は楽しかった。
――――せいぜい。ああ、そんなに前から彼の影響を受けていたんだなあ、と感心する私がいる程度で
「だから、お姉ちゃん。とっとと縁を切ってください」
私が無意識的に繋げなかった糸を、義妹はあっさりと繋げる。
その差は一体どこにあるのだろう。
私は到底割り切れない。
「その男と付き合っていくのは、お姉ちゃんの害になることが多すぎます」
そうやって割り切れたらどんなに楽だろう
でも、私は
Mside
……本当のことを言うと、それらは大して重要な事柄ではない。
もう既に女子寮管理人として収まっていることも、お姉ちゃんが東大受験に失敗したことも、全て過ぎ去ったことだ。
これまで悪影響があったのだから、これからも悪影響があるはず…なんて簡単なことはいえない。
それはまったく裏付けがない推論に過ぎない。
…けれど、それ以上に裏付けのない私の直感が囁くのだ。
その男は危険であると。
例えるならそれは渦だ。
外周部、あまり関わりがない部分では働く力はほんの僅かだけど
中心部に近ければ近いほど、働く力は強くなる。
これは別に彼に限った話ではなく、人間関係全般に言えることだろう。
ただ、彼の場合は渦の規模と強度が極端すぎる。
注意しなければ誰もが気付かないほどちっぽけな渦(調べるのには苦労した)なのに、その影響力は桁違いで、囚われたらあっという間に沈んでしまう。
たいして関わろうとしなければそれまでの人間。
だけど深く関わってしまったら、もう自力で抜け出すことすらできない。
確かに上辺だけなら、そんなブービートラップのような人間にはとても見えないのだろう。
私にはそれこそが恐ろしい。直接会う勇気がない。
目に見える特徴でなければ注意しようがないし、無害な人間に見えて簡単に騙されてしまう。
離れて調べたからこそ、見えてくるものも、ある。
ああ、もちろん浦島景太郎(22)はそんなこと意識していない、というか気が付いてすらいないはずだ。彼本人に罪などない。
今も表立っていないのは、彼が人との関わりを避けてきたからだろう。
そして意識してないということは、直すこともできないということだ。それは彼の意志とは関係ない特性なのだから。
今まで被害者は出ていなかった。それは結構なことだ。
だからこれからも、どこか知らないところで生きていてほしい。そうすれば文句など言わない。
だけど、お姉ちゃんを巻き込むのだけは許さない。
彼女が何処にも行けなくなってしまう。
成瀬川なるはもっと、ずっと、輝くべき人間なのに。
「………どうすれば、縁が切れると思う?」
ポツリと、お姉ちゃんが呟いた。
俯いているため前髪が邪魔して表情は見えない。
私は即答した。
「家に帰ってきてください。それだけで、もうほとんど会うこともなくなるはずです」
その男が、この女子寮の管理人だから。同じ場所に住んでいるから、深く関わってしまったのだ。
大学で偶然会うくらいはするかもしれないが、接する機会は桁違いに減るはずだ。
おまけに、お姉ちゃんに帰ってきてもらえれば私も嬉しい。
「………」
「………」
沈黙、沈黙、沈黙
私の方は、打つ手はもう打ち尽くしたがゆえの沈黙。
彼女の方は、何かをゆっくりと熟考するための沈黙。
そうして固化しそうな空気が二人の間に流れた後
ふと、お姉ちゃんが思いついたように顔を上げた。
「メイ」
「……なんですか?」
「心配してくれて、ありがとう。でも、私はここを出ないわ」
単純明快な否定。
私は軽いショックを受けながらも、彼女のそのきっぱりとした真摯な瞳に見惚れた。
うん――――やっぱり、綺麗だ。
でも、なんでこんなに辛そうなのだろう。
辛くて、苦しい。それだけしかない恋なんて、私は認めない。
それは恋じゃない。それは、単なる呪縛に過ぎない。
「なんで、ですか?お姉ちゃん、辛そうじゃないですか。恋をするなら、他にもマシな相手がいくらでもいるじゃないですか」
「…やっぱり、あなた達親子ね。似たようなこと言うんだから」
「母さんが?」
「メイ、私は恋なんかしていない。私は強迫観念に囚われているに過ぎないの」
「きょうはくかんねん?」
「理屈じゃない、感情でもない。心に刻まれた衝動、私は」
お姉ちゃんが言葉を切った。
声が震えている。
恐怖か、それとも――――歓喜か。
本当に、本当に、目の前の女性は綺麗だ。
まさしく、いかなる宝にも代えることができない。そんな崇高な美しさを持っている。
「全てを代償としても、私には景太郎が必要。そんな強迫観念」
……まったく、呆れた頑固さだ。
いいでしょう、徹底抗戦がお望みなのですね、お姉ちゃん。
姉妹として腹を割って話し合いたいようですね。
受けて立ちましょう。
理はこちらにあります。どう考えても、不利なのはそちらですよ。
今のうちに荷造りの準備をしておきなさい。
では、いきます。
Nside
「というかわかってるんですか?それは愛というシロモノですよ、お姉ちゃん」
「恋愛経験もない高校生がなに言ってんのよ」
「確かにないですけどね。んなものなくたって一目瞭然です。強迫観念とか難しいこといって、自分を誤魔化してるのが見え見えですよ」
「なによ、それ。私が何を誤魔化してるっていうの?」
「もちろん彼を愛している成瀬川なるです」
「愛じゃないわ」
「愛です」
「じゃあ、なんでわざわざ『強迫観念』なんて誤魔化しをしないといけないのよ」
「お姉ちゃん研究家第一人者の私から言わせてもらえば……親の再婚から、恋は冷めるもの、愛は色褪せていくものという認識があるようですね。でも、トラウマだったら変わることなく一生残り続ける」
「……傷だって癒えるわよ」
「癒そうとすれば、です。でもお姉ちゃんはほったらかしですよね?一生縛られることを、自ら望んですらいます」
「くっ…」
「歪んでますね。永遠でも望んでいるんですか?」
「でも、結局愛じゃないわよ。単に傷を負ってるに過ぎないわ」
「あえて、辛くて苦しくて痛い思いをして傷を負うなんて。原動力は相手を愛しているからでしょう」
「私はそんなマゾじゃないわ。ごく普通の人間よ」
「性癖の問題じゃありません。単にあなたがものすごく不器用で、身に刻んでおかないと安心できないだけの話です」
「……でもそれだって、結局はトラウマから来ているのよ。全部強迫観念の産物に過ぎないわ」
「間違ったものから生まれたものが、全て間違っているなんて誰が決めたんですか?そこから健全な愛が生まれたって少しも不思議じゃないですよ」
「健全な愛?それこそありえないわ。私の心は打算に満ちているもの」
「でも、そんな自分が好きではないのでしょう?それこそ健全な証です」
「なに?」
「ただ一方行に偏ってるだけの純粋愛は危険すぎます。自分で修正を加えられる愛こそ、健全で安全です」
「……メイ、あなたは私の邪魔をしたいの?それとも手助けをしたいの?」
「両方です。自分の抱いてるものを認めてください。そしてそれを別の人に注いでください。あの男に関わり続けるのは危険すぎます、自分自身を縛り付ける結果になります」
「それは無理よ。もしもあなたの言う通り愛だとするなら、相手を変えれる訳ないでしょ」
「それならさっさと振られてください。そうすれば諦めもつくでしょう?」
「ふっ……もう振られてるわよ、私は」
「……え?」
「更に言うと、あいつにはちゃんとした彼女もいるのよ…調査不足ね、メイ」
「ちょ、ちょっと待って下さい。つまりお姉ちゃんは、横恋慕して…」
「違うわ。私の抱いているものはただの強迫観念に過ぎないの」
「……そういうことですか。未練たらしいですよ、お姉ちゃん」
「知らないわ。だって私は、強迫観念に縛られてるだけだもの。仕方ないじゃない」
「誤魔化すどころか確信犯ですか…情けないですね」
「なんですって?」
「情けないと言ったんです。相手と戦おうとすらせず、逃げようとすらせず。ただコバンザメみたいにうろちょろと周囲をうろつくだけで満足してるなんて」
「………」
「無様極まりないですね、それでも私の姉ですか?」
「メイ……そこまで言うのなら、覚悟はできてるんでしょうね?内弁慶の外地蔵」
「な、なんですか、それは」
「まさにあなたを表すにぴったりの言葉よ。外に出て行く勇気もないくせに、身内に対しては傍若無人。晶さんを散々困らせたそうね」
「…いつの間に母さんと話をしたんですか?あれだけ互いに避けてたのに!」
「人は変わるもんよ…それとも、あなたが言うところの愛のおかげかもね」
「くう……」
「一時期登校拒否まで起こしてたそうじゃない。幼稚園に入る時と、小学校に上がる時。友達を連れてくることなんて一度もなかったって、晶さん泣いてたわよ」
「……母さん、後で覚えておいてくださいよ」
「親のことをそんなに悪しきざまに言っちゃいけないわよ……ああ、そうか。もしかしたらあなたの『内弁慶に外地蔵』の性質も、父親がいないことを隠すために培われたものなのかもね」
「お姉ちゃん……他人の家庭環境を馬鹿にするのはやってはいけないと習わなかったんですか?」
「あなただって言ってくれたでしょう?なにが『親の再婚から』よ。父さんの愛が色褪せてないことは実証されてるわ」
「それだって母さんの受け売りでしょう?あの人は能天気過ぎるだけです」
「だいたい、もはや他人の家庭環境じゃないわ。私とあなたは姉妹なんだから」
「そういえばそうですねえ、尊敬するお姉様」
「今ごろ気付いたの?親愛なる妹君」
くふふふふふふふ………
・
・
・
・
・
その後、メイと三時間ほど言い争った。
というより、議論の内容が様々なところに飛び火したために三時間も経ってしまった。
メイの友人の、美奈子という少女の扱いについて
景太郎の女性遍歴について
酒の飲み方、飲まれ方について
私のバイト先の男性職員の評価について
父の勤めている会社の、株価の変動について
エトセトラ、エトセトラ
もう会話というより、泥沼の意見のぶつけあいに過ぎない。
お互いに遠慮なくここまで言いたい放題言って言われる相手は、後にも先にもこの義妹しかいないだろう。
なるほど、確かにそれは他人ではできない、家族だけの特権だ。
父と喧嘩などしたことがない私は、心のどこかでこんな口喧嘩を望んでいたのかもしれない。
まさか、その相手が成瀬川メイだとは思わなかった。
あの大人しくて素直な義妹は何処に?
……それでも不快じゃない。むしろ楽しい。きっとこれが、姉妹のあるべき形の一つなのだろう。
妹、か。
義妹じゃなくて、妹。
うん、そろそろ、そう呼んでもいいのかもしれない。
幸か不幸か、わだかまりは完全に解けてしまったことだし。
部屋の壁に寄りかかって、精神的にグロッキーになってそんな事を思う。
同じく、後ろ手をついて疲労懇狽のメイを眺めながら。
ちなみに、お見舞いに行くための時間はとっくになくなっていた。
Mside
私は、世界は美しいものであると信じている。
誰が薄汚く罵ろうと、私は『いや、そんなことはない』と否定する。
なにしろ、この世界にはお姉ちゃんが存在する。
それだけで十分、美しく、正しいものなのだと信じることができる。
個人にとっての世界なんてそんなものだ。
不運ことがあれば否定され、幸運があれば肯定される。
そして私にとっては、お姉ちゃんと出逢えた事が、人生でもっとも幸運なことなのだ。
そう、私は筋金入りのシスコンだ。
SisterComplex。コンプレックスは劣等感という意味だが、それだとしっくりこない。
だから私は敢えて意訳しよう。
姉妹愛
歪んでるなんて誰にも言わせない。これだって、正しい形の一つのはずだ。
なんで私がこうなってしまったのか。
お姉ちゃんのように自己分析する趣味はないのだけど、まあ大体想像はつく。
父親がいない、母さんは能天気、お世辞にも社交的とはいえない性格が構成されていく、心の底から信頼できる人がいない、ストレスが内部に貯まっていく。
そのままだったら私は、どかんと爆発して新聞の三面記事にでも載っていたのだろう。
でもその前に、私にお姉ちゃんができた。
要するに、刷り込みだ。
心の底から信頼できる人を必要としていた私は、彼女を選んだ。そういうことだろう。
でも、それを抜きにしても、成瀬川なるという女性は信頼と尊敬に値する。
だから私は敬意を払って、彼女を『お姉ちゃん』と呼ぶのだ。
彼女がいるからこそ、私は自分を保てるのだ。
…依存していることはわかっている。だからシスコンと自認している。
そして、彼女には本当に幸せになってもらいたい。
私は、彼女の存在にとても助けられている。
世界が正しいのなら、そんな彼女は幸せにならないといけないはずだ、と思う。
そういうわけで、私は日頃のお礼も兼ねてお姉ちゃんにお節介を焼きに来たのだけど…
覚悟はしていたものの、まさかここまで手強いとは
どうやらお姉ちゃんの愛情は(本人否定しているも)結婚レベルまでいっているようだ。
正式に付き合ってるわけでもないのにそこまで行くのは、かなり凄い。
何しろ結婚というのは一緒に生活をするわけで、相手の悪いところが嫌でも浮き彫りになるわけで…
ああ、でももう既に一緒に生活してるようなもので、悪いところは嫌というほど知ってるわけか。
それでも愛情を持てるのだからこれは本物だ。
しかもそれが難儀なことに横恋慕。
日本では重婚は犯罪だが、愛人は特に規制されていない……いや、待て。それは真っ当な幸せじゃないだろう、おそらく。母さんの二の舞だ。
それに、どこか少女趣味のお姉ちゃんにはそういう関係無理だと思う。
そもそも、こういう展開に向かない人なのだ。先輩に憧れて頑張って勉強して…という単純な恋物語のほうが似合っている。私はそっちの方に仕向けようとしていた。なにしろ幸せを掴みやすい。
白状しよう。小学5年生の頃に少女向けの恋愛小説を集めてたのは、お姉ちゃんに貸すためだけだ。
私自身は恋愛に全然興味がない。というか異性を見つける気がない。能天気なことを言ってあっさりと結婚した母さんを見てるとそんな必要性がどうしても感じられない。
それに私は、お姉ちゃんがいればいい。
美奈子の言う通り、私は当分恋なんてできそうにない。
いいもん、シスコンなんだから。
さて、話を戻そう。
私としてはお姉ちゃんがストーカー行為をして捕まったり、世を儚んで自殺したり、自棄になってそこらの軽薄男の毒牙にかかったりするのは絶対に避けたい。
元凶を断つために浦島景太郎(22)を殺るか…?
正直魅力的な案だったが、知り合いにコンクリ業者がいないし、人を刺すのはもうウンザリなので却下。
それとも、いっそのことお姉ちゃんと彼との交際を手伝った方がいいのだろうか。
二人の妹として働きかけ、少しずつその性質を改善させていけば、将来的にはなんとかなるかもしれない。
彼には恋人がいるらしいが、敵は倒すものだし。
なにしろ、私にはそれくらいしか解決方法が見当たらない…いや、それすらうまくいくかどうか疑わしい。
もう現時点で彼の存在に縛られまくっているくせに
不倫関係に持ち込むのも不可能。
他のことに打ち込んで誤魔化すのも不可能。
なりふりかまわず手に入れようとするのも不可能。
憧れで済ますのも不可能。
この状況を楽しむのも不可能。
難儀な恋をしたものだ、お姉ちゃんも
まったく、シスコンの妹の立場も考えてほしい。
それにしても……ああ、くやしい。
私にその愛の1/10でも向けてくれれば、喜んで応えてあげるのに
Nside
ふらりと、メイが立ち上がった。
第二ラウンドは肉弾戦かと身構えた私に対して、彼女はくるりと背中を向ける。
誘い?
いや、そうじゃない。疲労懇狽していた脳味噌がやっと動き始める。
「今日のところはこの辺で失礼します……お姉ちゃん、これからバイトですよね」
「……そういえば、そうね」
声すら疲労で、か細いものとなっている。
忘れていた。今から塾講師なんて絶望的だ。
けれど不思議に、恨む気にはなれない。
遅刻するかもしれないけど、その責任は準社会人としてしっかりと取ることにしよう。
それだけの価値はあった。
「…ところで、勝負は私の勝ちよね」
「そんな体たらくでなにほざきやがってるんですか、お姉様。痛み分けに決まってます」
「……それも、そうね」
口喧嘩の途中から、メイが妙な『べらんめえ敬語』になっていた事に関しては敢えて触れまい。
それが彼女の本性だったりしたら、ちょっと恐いし。
「お姉ちゃん…一つだけいいですか」
「…なに」
「どうしても……割り切れないんですか?」
「え?」
「人間は経験を積み重ねていく生き物です。ほとんどの問題は、過去に誰かが経験しているはずです。なにしろ人類は、今現在で60億人、西暦は二千年に達しているのですから」
「……そうかもね」
「私たちが直面するあらゆる困難は、類似する問題として過去に既に何らかの形で解決済みのはず。そこから学ぶのは、むしろ人間として当然です」
「…要するに、人に相談しろってこと?」
「恋愛小説を読んでも、社会心理学の講義を聴いても結構です。たいていの場合、解決方法が既に考案されているはずです。お姉ちゃんのその苦しみも、割り切れるはずなんです」
「………」
たぶん、そうなんだろう。
母を知らないことも、父の再婚も、こうして強迫観念に苦しむことも、全て
何万年にも及ぶ人類の歴史、何兆と生まれてきた人間のなかのたった一人、ちっぽけな存在が縛られているのは
ありふれたことなんだろう。
……でも、なぜだろう。そんなことはわかっていたはずなのに、なぜか、とてもとても
とても、カナシイ
解決方法が必ずどこかにあるということなのに、成瀬川なるという存在がまるごと否定されたような気がして
「ほとんど、あらゆる、たいてい、はず、はず、はず………」
「……メイ?」
不意に、メイが振り返った。
やっぱりどこか疲労がにじみ出てはいたけれど
その顔にはなぜか、羨ましそうな、眩しいものを見るような、そんな笑みが浮かんでいた。
「それでも、割り切れないんですよね?凄いなあ……」
「…なにがすごいのよ」
「お姉ちゃんは、凄まじい確率の果てに自分だけのものを探し当てたんですよ?感心するのは当たり前です」
「自分だけの?」
「類似した出生、類似した経験、類似した生活パターン、類似した…人生。こうして考えると、自分は本当にこの世界でただ一人の自分なのか。自信がなくなってきませんか?なにしろ直面する全ての問題はなんらかの解決方法があって、それは過去に誰かが経験済みなんだから」
「…でも、それは人間として生まれたんだから仕方ないでしょう」
「仕方ない、と諦めることのできない人は。群集に埋没したくない人は、自分だけのまだ手付かずの何かを追い求めます。それは新たな発見だったり、新分野の開拓だったり、荒唐無稽な野望の実現だったり…」
「荒唐無稽な野望って…例えば、世界征服とか?」
「それも、そうです。誰も達成したことのない偉業でしょう?」
「確かにそうだけど…」
「でもここで一つ問題が。まだ手付かずの何かは、誰もが知らないが故に過去の教訓も生かせません。真実自分一人だけの手で、たかが数十年の寿命の内でもって解決しなければならない難関です。人類の最も有利な点を生かせないんだから、恐ろしく困難でしょうね」
「………」
「お姉ちゃんの、その想いは。解決不可能が故に、この世界でもっとも貴重なものだと、私は思います」
「…私、そんな厄介事抱えたくなかったなあ」
「今更他の人に渡すのは不可能です。お姉ちゃんだからこそ辿り着けた問題…転じてその想いは、お姉ちゃんがこの世でたった一人の『成瀬川なる』である証なんですから」
他人事だと思って、言いたい放題言ってくれる。
この世でたった一人の自分?
そんなの、毎日毎日降り積もっていく想いの重さに比べたら、ただのお題目に過ぎない。
私の気持ちも知らないで
……知りようがないか。
この想いは、他の誰とも共有できないらしいから。
このクルオシク胸の中に居座りつづける想いは、真に自分自身で解決するしかないということだから。
「綺麗ですよ、お姉ちゃん…恋は女性を綺麗にするって、本当だったのかもしれません」
去り際、メイはそんな事を言った。
「あなたは。この世の何よりも、真にこの世の如何なるものとも引き換えにできない孤高の美しさをもっているんですね」
救われない苦しみもセットですけどね、と付け足して
私はそんなもの欲しくなかった。
ただ人並みに、想いが報われてくれればそれで十分だったのに。
不倫関係に持ち込むなんてできない。
―――そんな関係じゃ中途半端に良識を持ってしまった私の神経は焼き切れる。
他のことに打ち込んで誤魔化すなんてできない。
―――私は、彼よりも大事だと信じられるものなど知らない。
なりふりかまわず手に入れようとするなんてできない。
―――どうやったって彼女には勝てないと、一度フラレている私にはわかりきっている。
憧れで済ますなんてできない。
―――今更距離を置くには、私は彼に関わり過ぎてしまった。
この状況を楽しむなんてできない。
―――つらい、つらい、つらい、私は我慢し続けることでしか今をやり過ごせていない。
なるほど、確かに私は
思いつく限りどんな手段でも割り切れていない、救われそうにない。
それが、私が類似していない証、『成瀬川なる』である証なのか。
ぜんっぜん嬉しくないけど。
ああ、それでも彼女に感謝はしよう。
少なくともこれからは、わけのわからないモヤモヤとした感情に悩まされることは減りそうだ。
あの娘は散々言いたい放題言ってくれた。
その中には、自分では気付いていなかった事実も多分に含まれていた。
でも、散々『愛』とか連呼してくれちゃって…端で聞いてるほうが恥ずかしい。
その辺、いくら本人が否定したがっていても、やっぱり晶さんの教育を受けて育ってきたんだなあと、感じた。
……メイ、どうでもいいけど最後のセリフ、レズ&ナルシストの毛があって、ちょっとアブないわよ。
Mside
「……っくしゅん!」
風邪の季節はとうに過ぎ去り、花粉の季節はまだ訪れていないというのにくしゃみが出た。
誰かが噂してると直感する。
人付き合いが悪い私としては、そんな相手はそうそう思いつかない。
母さんか、美奈子か。どっちにしたって、私にとってはろくな内容じゃないだろう。
特に母さん。いい歳して娘の写真を持ち歩き見せびらかすのはやめてください。
一人娘がグレたらどうするつもりだったんですか。
しかも最近では、お姉ちゃんと和解したのをいいことに彼女の写真まで見せびらかしているらしいですね。
お姉ちゃんの希少価値が下がってしまうじゃないですか。
そういうことやってると知り合いに頼んで呪いでもかけてもらいますよ。
…いや、いるのだ。そういうことできそうな人が
「ま、それはいいとして……」
私はくるりと振り返って、もう一度目の前の建物を眺めた。
女子寮ひなた荘、と玄関脇の看板に刻まれている。
お姉ちゃんの居場所にして敵の牙城。
この中で日々ドロドロの争奪戦が繰り広げられているのか…と思ったけど、まったくそんな気配はしない。
むしろ聖域のように清浄で、柔らかい雰囲気すら漂っている。
認めたくはない
認めたくはないが、やはり私たちが住んでいる家ではなくて
「お姉ちゃんの居場所はここなんですね……」
どちくしょう。
いっそのこと私もこっちに越してきてやろうかとも思うが、色々と面倒なことが発生しそうだし――
間違いなく、母さんは泣くだろう。
これもあんまり認めたくない事実だが、確かに私は母さんのことを気遣っている。
まあ、今はまだ、それほど事態が切迫しているわけじゃない。
そもそも具体的な解決方法が見つかっていない。
……だが、いつかは見つかるだろう。お姉ちゃんはこの程度で挫折していい人間じゃない。
こうして、今まで動かないでいた、色々なものが変わっていく。
お姉ちゃんの、母さんに対する態度
私の世界への関わり方
そして、私とお姉ちゃんの関係
変わっていく、換わっていく、代わっていく
願わくば、その変化によって、失うものよりも、得るものの方が増えますように。
世界が正しいなら、可能なはずだから。
……とりあえず、浦島景太郎(22)
お姉ちゃんを泣かすようなことがあったら、後でひゃっぺん殴る。
Nside
―――――私には妹がいる。
ちょっと見ないうちにえらく接し方が変わってしまったようだけど、それでも可愛い妹だ。
私のことを好きでいてくれる。
そんな存在がいるだけで、ちゃんとしなきゃいけないと思える。
それにしても、私と彼女はどんな関係なのだろう。
友人のように遠慮ない言い方もあり
親子のように心配されることもあり
師弟のように教え教わるときもあり
他人のように突き放した部分もあり
これだって、言葉に表せない、まだ名前もついていない、この世で最も貴重で綺麗な何かかもしれないじゃない。
それだけの価値が――――あるとは、思わない?メイ
――――――――――――なにしろ、成瀬川姉妹の関係なんだから
Fin
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