注意!これは景太郎×素子小説です。
*みんなで海に行った時の、『西遊記』の部分、原作5巻から始まります。
*途中で『こんなん素子じゃない!』と感じても、とりあえず最後まで読んでみてください。

 




――――――――ピタッ
と、素子ちゃんの顔に瀬田さんの拳が突きつけられ、二人の動きが停まる。

「その年にしては、なかなかの功夫だね、沙悟浄」

そして素子ちゃんが、がっくりと膝をつく。
俺は、自分の眼で見たモノが信じられなかった。
そんな……素子ちゃんが負けるなんて……
毎日毎日剣の修行をしていて、ついでに何度も吹っ飛ばされて、俺は彼女の強さを骨身に染みて知っている。
それだけに、衝撃が大きかった。
と、瀬田さんが呆然としている俺の方に向き直った。ニコニコと笑っている。
……なんだか、すごく嫌な予感が

「さ――――て、次は孫悟空かな」
「わ――――――!!!!」
「さあ」
「ま、待って下さいよ!素子ちゃんに勝てる人間に、僕がかなう訳ないでしょ!!」

思わず絶叫(というか悲鳴)をあげてしてしまう。
何を考えてるんだ、この人は!?


 

何を考えてるのだ、あの男は!? 浦島が相手になるわけがないだろう!!
私は、床に膝をついたまま思った。
現に、本人もそう言っている。が、男にやめる気は全くなさそうだ。
ニコニコと、不気味なまでの笑顔でそう語っている(そう言えばこの男は勝負の最中も笑っていた)

「ここまで来て、そういう訳にはいかないよ、孫悟空君」
「キャー!? ちょっと何すんのよ! キツネー!」
「悟空と牛魔王、勝った者にやるでー」

その時、なる先輩が、上から吊されてきた。その……半裸で両手を吊り下げられた、あられもない格好で
キツネさん……悪のりしすぎだ。
さらに、キツネさんが浦島に、なにやら耳打ちをする……と、いきなり浦島の表情が変化した。
今までに見たことのない顔に

「ほう……やるかい?」
「わかりました。僕も男です」

ゆっくりと棍を構える。
やめろ浦島!怪我ではすまないかもしれない!
私の、心の叫びは届かない。
浦島が、劇のセリフを言っているのか、それとも自分の心を話しているのか、それすらわからなかった。

「お師匠様は、この悟空が命にかえてもお守ります!」
「行くぞ!景太郎君!!」
「はいっ!!」


――――打ッ!


左肩が重い。
最初にぶつかった瞬間、弾き飛ばされ、何が起こったか分からなかった。
恐らく、肩を打たれたんだろう。痛みとかはないけど、重い。素人ながら殴られ慣れた身として。成瀬川や素子ちゃんよりもずっと強いんだな、と実感する。
まあ一度目の受験に失敗した時よりは、はるかにマシだ、と自分に言い聞かせる。
俺は、動きにくい腕を無理矢理動かして、瀬田さんに打ちかかった。

――――打打打ッ!

浦島は善戦してると言えた。
肩を狙って突き、膝を狙って払い。思ったよりも筋はいい。
だが、当然全てかわされ、受けられ、逆に幾度も打たれる。
それでも、あいつは痛みをこらえて打ちかかる。
浦島……なぜ、そこまでやるのだ……


――――合ッ!

 

また、弾き飛ばされた。
体勢を整えようとする途中、視界の隅に、矢のようにこちらに向かってくる瀬田さんの姿が見えた。
急いで息を整える。体が自然に、肩に棒を乗せるような構えをとった。
瀬田さんの勢いに合わせて、間合いに入った瞬間横薙ぎに振るう……が、大きく跳んで避けられてしまう。
また開いた間合いで、瀬田さんがいつもの笑顔で言ってくる。

「うーん、孫悟空の太刀筋は沙悟浄にそっくりだねえ」

俺が?素子ちゃんに?
苦笑
もし俺に、彼女のような強さがあれば……きっと、違う道を歩んでいただろう。
こんな、こんな馬鹿な真似を……していなかっただろう。

今のは……斬鉄閃!? 確かに今、一瞬だけ気の刃が発生した。
私は混乱する。なぜ、あいつが、と。浦島は神鳴の徒ではない。断じてない。
まさか……何度も喰らっているうちに、体で憶えたとでも言うのか?
と、そこまで考えたところで、再び気を感じて我に返る。
浦島が大上段に構えた棍に、大量の気が集まっていくのを感じて、私は声にならない悲鳴を上げた!
やめろ浦島! 見様見真似の素人がそんなに大量の気を一度に放出したら――――
――――死んでしまう!!


体中が痛い。
ずいぶん打たれたからなあ、と他人事のように考えながら、棍を上段に振り上げる。
端を両手で握って、両手剣を扱うように構えた。
呼吸を整える。
余力からいって。きっと、これが最後の攻撃だ。

「いきます」
「ああ、来なさい」

さっきとは逆の問答
やけに熱い体で、駆ける。
右足を踏み出し、全力で――――――振り下ろした!

ばん

斬岩剣―――――――気を刀身の一点に集中、爆発的な剣圧で全てを両断する、神鳴流の奥義。
気の方向を一方向に集中しているため、白羽取りは有効。浦島自身も、その方法で防いだことがある。
だが浦島の放った一撃は(収束がまったくできていないのか)全方位に気を放っている、という代物だった。
当然そんなモノを白羽取りすれば、自分の手が傷つく。
あの男も、そんなことは分かっていたと思うが。

それでも男は、やったのだ。

「ハッ!!」
バキィィィィ!!

白羽取りした棍を男がひねる。白木を裂く音と共に、浦島の得物が砕け散る。
バタン、と
そのまま浦島は、前のめりに床に倒れた。
浦島!
あの男は「ハッハッハ、ちょっとやり過ぎたかな?」と苦笑。
皆が慌てて駆け寄る。一番近くにいた私は、浦島を仰向けにし、呼吸を確認
……大丈夫、息はある。ただの気絶だ。
あれだけ大量の気を、一気に放出したのだ。体調に異常が出ていてもおかしくないのだが。
まあいい。とにかく、浦島は無事なのだ……

「ちょっと景太郎、大丈夫なの!?」
「先輩! 先輩!」
「ケータロ、どうしたんや?」
「オイ、コイツ気絶してるぞ!」
「とにかく仮眠室に運べ、確か救急箱があったはずだ!」
「そ、そやな。じゃあ、そっち持ってくれへんか?」

……ワアアアアアアア!!

「すげーぞ牛魔王」
「孫悟空も格好良かったぞ」
「はっはっは。ありがとうありがとう」
「少しは加減しろ、この馬鹿!」
「ぐほっ!?」








ラブひなEX

凍りつく月のように、宵闇の間だけでも貴方の傍に



昼下がりの物干し台
あのお芝居から一週間が経ち、皆がひなた荘に戻ってきていた。
彼女は瀬田さんに負けた雪辱を晴らすため、ひなた荘で訓練に明け暮れていた。

 

夕日が赤い。
私はミニスカートという格好で、風に吹かれながら涙ぐんでいた。
ああ……これはあの時だ。
浦島に女らしくしてみろ、と言われたとき……

「素子ちゃん!」

後ろに、浦島達の来る気配
先程、自室でとんでもない失態を演じてしまった私を追いかけてきたのだろう。
私を慰めるために?
……そんなの、惨めに過ぎる。

「あの……」
「来るなっ!」
「ゴ、ゴメン…………みんなもさっきは、バカにして笑った訳じゃなくて、素子ちゃんがあまりにおかし……いや、カワいかったからつい……」
「うるさい!! どうせ私は剣道一直線で! 世間知らずで! カワいくない身長175cmのミニスカの似合わないデカ女だ! 放っておいてくれ!!」

あの時、気が付くとそう叫んでいた。
自分の悩みを
なる先輩やしのぶと暮らすうちに知らず知らず鬱積していた、私が『かわいくない』という事実。
……今思えば、その程度のことでずいぶんと思い詰めていた。

「素子ちゃん……」
「触るな!」
パシッ
「え……?」

浦島の間の抜けた声。

「素子ちゃん……泣いてるの?」

そう、私は泣いていた。
浦島に『男らしく』と言っておきながら、自分は全く『女らしく』できなかったことが悔しくて。
皆に、自分の無様な姿をさらしたことが恥ずかしくて。
わざわざ慰めに来てもらった自分が、とても惨めで。
そんな自分をよりによって浦島に見られてしまったことが、なぜかとても悲しくて。

「み、見るな!バカ!」
「いや、あの、その…」

しばらく口ごもった後、背中を見せている私に向かって、浦島が言った。

「さっきは、『女らしくしろ』なんて言っちゃったけど……こんなつもりじゃなかったんだ。ゴメン、謝るよ。やっぱりさ、素子ちゃんはいつもの素子ちゃんのままが、一番いいと思うよ」
「え……」
「ね」

振り向いた私の目を見つめながら、浦島が笑う。
その笑顔で、心を覆っていた暗雲が、見る見るうちに晴れていった。
女らしく、男らしくなんてこだわる必要はない。
背が高いことも、剣も、私が私であるために必要なモノ

「そうか……そうだな……その通りだな、浦島。『私は私』だ。 こんな事でくよくよして、どうするよな」
「うん」

そしてその時、私は初めてこの言葉を使ったんだ。

――ありがとう、浦島――

振り返って、涙をぬぐって、笑顔を作って
感謝の言葉を言おうとした瞬間
ぼろ…
浦島の体が色を失い、灰のように崩れた。
笑顔を作ろうとして呆然としたままの私を残して――――零れて、いく
さら、さら……
浦島の半身が既に我に風に溶けた状態でようやく我に帰った私は悲鳴を――

 

 

 

「うらしまぁぁぁぁ!!!」

 

 

 

自分の声で目が覚めた。
どうやら、素振り2000回の後、少し休んでいる間にうたた寝をしていたようだ。
それにしてもなんだったのだろう、今の夢は。
浦島が夢にでてくる事は、よくある……それ自体凄まじい不覚だが。
だがこんな夢は初めてだ。なんだか、ひどく、ひどく、しんぱ……

「どうしたの、素子ちゃん。うなされてたみたいだけど」

反射的に抜刀、斬鉄閃。

ドガァァァァァァァァァァァ!!!
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「貴様ぁ!私をどこまで心配させれば、気が済むのだ!!」

追撃をかけながら、私は思いだしていた。
浦島が倒れた、あの夜のことを。


とりあえず子供達は瀬田さんとはるかさんに任せて、浦島の様子を見に行くことにした。
この『浜茶屋ひなた』には、奥に仮眠室があって泊まることもできるようになっている……まあ、普段は使われてないが。
案の定、一つのベッドの周りに、皆が集まっていた。
なる先輩としのぶは、打ち身等の手当をしている。
スゥは、意識を失ったままの浦島に話しかけている……手当の邪魔だけはするなよ。
キツネさんは、なんだかひどく落ち込んでいるようだ。浦島の顔を見つめて、俯いてる。
サラは……私に気付くとこちらに来た。
気が立っているのか、いつにもまして乱暴な言葉遣いで聞いてくる。

「おい、パパはどうしたんだ?」
「子供達の相手をしてもらっている」

私が答えると、走っていってしまった。

「なぁなぁモトコ、ケータロ大丈夫なんか?」

スゥの問いに応えて、浦島の状態を確認。体中に打撲……だが、浦島ならこの程度すぐに治るはず。
呼吸も整っている。体力が回復してきている証拠だ。これなら

「大丈夫だ。これなら一晩寝れば、目が覚める」
「はあ……よかったです」
「ったく、心配かけすぎよ」
「じゃ、何でケータロはぼろべろなんや? モトコは元気やのに。ケータロが弱いからか?」

……何故だろう?
少なくとも、強さは関係ない。最初から勝てないことは、分かっていた。
なのに、何でこいつは『参った』と言わなかったのだろう?

「すまんかった、みんな」
「キツネ?」
「ウチが、ケータロをけしかけたんや」
「キツネさん……」
「なんて言うたかは……ケータロの事やから、言えんけど……もし、ケータロや瀬田を責めるつもりやったら、ウチを責めてくれ」
「…………」
「…………」
「キツネ、別に責めようだなんて思ってないわよ。私たちは、この馬鹿が何であんなに頑張ったのか、知りたかっただけだから」
「それに謝るんだったら、先輩に謝るべきですよ」
「どーせこいつのことだから、責めるなんて思いもしてないでしょうけどね」

なる先輩がクスリと笑い、私たちもうなずく
きょとんとしたキツネさんの表情は、少しだけ珍しいと言えた。


結局今日は、仮眠室に泊まることになった。気絶したままの浦島を、放っておくことはできない。
なる先輩、しのぶが料理、他の人たちが買い出しに行っている間、私は瀬田さんに『話がある』と呼び出されていた。

「素子ちゃん、景太郎君に生命エネルギーの増幅法を……?」
「いえ、教えてません……信じ難い話ですが、体で覚えたのでしょう」
「なるほど。だから、あんなに不安定だったんだね」
「……はい」
「そうすると、景太郎君は今、非常に危険な位置に立っている、と言うことになるね」

そう、気の制御が未熟なので、いつ暴走してしまうか分からない。
下手をすれば、生命を放出しすぎて死んでしまうかもしれないのだ。

「はい。早急に、気の制御方法を叩き込む必要があります。指導役をつけて」
「じゃあ、景太郎君のこと、頼むよ」
「…………はい?」
「ん? 君に景太郎君の先生になってもらいたいんだけど」
「いえ、瀬田さんの方が適任では? 私よりもずっと強いですし、何より……私は、浦島に嫌われているでしょうから」
「いや、僕は明後日から出張なんだ」
「は!?」
「それに、別に、景太郎君は君のこと嫌ってなんかいないと思うよ。むしろ好きなんだろうし、君だって彼のことは好きだろう?」

………………え?

瀬田さんの『好き』の意味に思い当たるまで、私は固まっていたらしく
気が付くと、瀬田さんの姿はなかった。
次の日、瀬田さんは出張に向かってしまい、なし崩し的に
私が、浦島の指導をすることになってしまった。


 

 

 

「ねえ素子ちゃん。俺、海で遊んでた分勉強しておきたいんだけど」
「こちらの方が大事だ」

なんだかなぁ……
『話がある』で呼び出されて、ベランダで座禅を組まされてる身としては
何でこんな事するの?と、これぐらいは聞きたいところだ。
だけど、刀を手にして俺の前に立つ素子ちゃんは、なんだか落ち着かない様子で。
そして、いきなり脈絡のないことを話し始めた。

「いいか浦島、私の剣はマンガなどで言うところの気を使っている」
「は、はあ……気?」
「私たち神鳴流の、最大の特徴である式……それが操気だ。生命を編みこみ、増幅し、人間の力だけで、人外にして人害たる魔を討つための手段」
「…………?」
「そして浦島。お前はこの前の瀬田さんとの勝負において、操気を行った」
「……へ?」

「ちょちょちょ、ちょっと待ってよ、なにかの間違いじゃ!?」
「残念ながら、事実だ。私の剣を受けている間に、体で覚えたのだろう」
「確かに素子ちゃんには数え切れないほど吹き飛ばされたけど……」
「お前は……なんというかな。まず、真の意味ではないだろうが不死身だ。その理由は知らないが」
「まあ、そうだね。小さい頃から母さんに殴られてきたせいじゃないかと思うんだけど」
「いや、そういう次元の話でもないのだが……まあいい。とにかく、お前は常人より遥かに自分に無理を掛けることができるということを自覚しろ。この前など自分の命を、生き続けるのに必要な量を割り込むところだったのだぞ?」
「それって危険なことなの?」
「生兵法は怪我の元というだろうが。人間の命というのは微妙なバランスの上に成り立っているんだ。一度大きく崩れてしまえば立ち直す暇もなく……その」
「その?」
「……前のように気絶してしまったら困るだろうが」
「それは……そうだね」

あの時は、みんなに心配をかけてしまった。
キツネさんには、その後、謝られたりもしたけど。今の話を聞く限り、やっぱり俺が悪いみたいだ。

「だから私が、操気のを教えてやろうというのだ。体で覚えている以上、つい使ってしまうかもしれないからな」
「うん……ありがとう、素子ちゃん」
「わ、私は別に、瀬田さんに頼まれたからやっているだけだ! お前に礼を言われる筋合いはない!」

なんだか、真っ赤になった素子ちゃんは……いつもより少しだけ可愛かった。

「それでどうすればいいの?」
「まずは、集中力を高めるための座禅だ」
「それをどれくらいやればいいの?」
「今日は、とりあえず夕食までだ」
「ええっ!? まだ昼じゃないか! そんなに座ってないといけないの!?」
「座ってるんじゃない、座禅だ! 生命の量は天分だが、その制御は強き意志と精神によって行う、それを研ぎ澄ますための訓練だ!」
「今日は、成瀬川と勉強をする約束してたんだけど……」
「こちらの方が大事だ、なる先輩には私から言っておく……それと、私も訓練をしないといけない」
「素子ちゃんも?」

素子ちゃんの強さなら、別に今更特訓なんてする必要ないんじゃ……って、瀬田さんに負けたままなんだっけ。

「だから、お前を見ているわけにはいかない。まあ、座禅くらいなら、一人でも大丈夫だろう?」
「うん、素子ちゃんも頑張ってね」
「…………」

素子ちゃんは、何も言わずに行ってしまった。
それにしても、顔が赤かったような……夏風邪かな?
それにしても、あの時のお芝居が、そんなことになっていたとは。
座禅を組みながら、いろいろ考えてみる。
次の日は最終日だったけど、大事をとって休んでたんだよな。
そう言えば、成瀬川に旅館のこと、謝ってなかったんだよな。
あの後、色々あったんで、うやむやになってたけど……
ドドドドドドドドドドドド×2
ん……?
何か……振動が……

「オーッス!ケータロ!」
「手伝え、バカ!」
ドカバキィ!!
「ぱごっっ!!」

俺は座禅を組んでた所に二連続の蹴りを喰らって、見事なまでに吹き飛ばされた。
見えないけど、見事な足型が二つ、頬に刻まれているんだろう。
確かにこんな環境じゃ、不死身じゃないとやってられない……
誰がやったかというと、当然

「だから、人のこと蹴っちゃダメだっていっただろ、スゥちゃん!」
「えー、でも、チビはケータロの事、よく蹴ってるやろ」
「チビ言うな、インド!」
「サラちゃんもダメだよ!」

そう、この二人だ。
最近は、二人で遊んでることが多いみたいだ。騒ぎも2倍になっている気がするけど。
サラちゃんも、ここに馴染んできたなあ、と嬉しく思ったりする。

「何ニヤニヤしてるんだよ、バカ!」
バキィ!
「すぐに蹴るのは止めようね。それで、どうしたの?二人とも」
「いや、このインドが」
「そや、タマを探して欲しいんや」
「タマちゃんを? って、まさか、食べるんじゃないよね?」
「ちゃうちゃう。ちょいメカタマゴの設計に……っと、これはまだ秘密やった」
「へ?」
「いや、何でもあらへん。ちょいサイズを計りたいだけや」
「ちょっと気になるけど…まあ、それならいいか。なら、手伝うよ」
「さっさとしろ、バカ!」


タマちゃんは、すぐに見つかったけど、スゥちゃんにあまり近づきたがらず、俺の頭の上に乗っているので
結局、測定までつきあうことになってしまった。
我ながらちょっと付き合い良すぎるなあ、と思ったり。
そして、タマちゃんを温泉に入れた後、物干し台に戻って座禅の続きをやる。
つもりだったんだけど……

「これならどや! 南米特産、バナナの発酵酒や!」

ドン!と目の前にビンを置かれる。
……キツネさんの部屋の前を通りがかったとき、問答無用で引きずり込まれたのだ。
んで、さっきから酒を勧めまくられて困っている。
周りには、南米旅行のおみやげ、とやらが、ずらりと並べられていた。
そのほとんどが、お酒というのがいかにも……
俺は、自分で冷や汗をかいてるだろうな…と気付きながら謹んで遠慮した。

「あ、あの……そ、そうだ!俺、今日料理当番ですから夕食の支度しないと!」
「なはは。そんなんしのぶがやってくれるって。あ、飲んでみ。結構、いけるもんやで」
「キツネさん、真っ昼間から酔っぱらって……飲み過ぎですよ!
「いやー、最近暇でな。飲むくらいしかやることがないんや」
「だったら、本でも読んだらどうです?」
「本?」

キツネさんの動きが、ぴたりと止まった。
おお!適当に言ったんだけど、意外と効果があったようだ。

「そうですよ、この際だから、長編小説でもどうですか?」
「ケータロは、どんな本読むん?」
「へ?」
「やっぱ、参考書なんかか?」
「え、ええ……高校のときは色々読んでましたけど、ここ2,3年はそればっかですね」
「他には……Hな本とか?」
「ええっ!?」
「ケータロ、エッチやな〜♪」
「キ、キツネさん!ちょっと待って! 近づいてる近づいてる!」
「まあ、しゃーないわな。女ばっかりの所に居るんなら、そーゆーもんも必要やな」
「って、何でのし掛かって来るんですか!? うわ、酒臭い…酔ってる!絶対酔ってるよ!!」
「ウチが、慰めたろうっちゅうんや」
「ひぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?」
「なはははははは」

俺は、何とかキツネさんを振り払って、台所に来ていた。
別にさっきキツネさんに言ったことは嘘でもなんでもなく、本当に料理当番なのだ。
メチャクチャに追い詰められるまですっかり忘れ去っていたけど
でもあんまり時間無いなぁ
もう夕方だ。キツネさんに捕まって、だいぶ時間を食ってしまった。
仕方ない……手伝ってもらおう。

「ごめんね、しのぶちゃん。無理言って」
「いえ、いいんです。別に暇でしたし

笑顔でそう言ってくれる、しのぶちゃん。やっぱり、いい子だよなぁ。
ちなみに、今日の献立はハンバーグとポテトサラダ。
しのぶちゃんにはポテトサラダを作ってもらってるんだけど……さすがに手際がいいな。
こっちも急いで作らないと、とハンバーグを握る。
しのぶちゃんのは小さめの薄味、スゥちゃんとサラちゃんのは大きめ。
キツネさんのは濃い味付けにして、素子ちゃんのは……
ん? 素子ちゃん?
何か大事なことを忘れてるような……なんだっけ?

「先輩、そっちも手伝いましょうか?」
「いや、大丈夫だよ。ありがとう、しのぶちゃん」
「そうですか。じゃあ私、お皿の用意しますね」
「ありがとう。今度しのぶちゃんの番は……明日か。手伝うよ」
「あの……先輩は勉強忙しいでしょうから別に……」
「いいよいいよ。別に、料理は好きだから」
「ほほぉー、今日はしのぶとケータロの合作か。こりゃ、期待大やな」

キツネさんが来て、嬉しそうに笑った。俺の料理の腕は、ひなた荘で二番って所だ。
成瀬川のは、味は良いんだけど見た目がアレだし……総合的には、俺の方が上らしい。
そんなことを話してる間に、スゥちゃんとサラちゃんがやってくる。

「しのぶ、うまそーやな。もう食ってええんか?」
「ダメだよ、カオラ。つまみ食いしちゃ」
モグモグ…
「サラちゃんも。つまみ食いはダメだよ」
「ふふへー、はは(うるせー、バカ!)」

そんなことをやってる間に成瀬川も来て、ちょうど夕食の時間になる。
と、成瀬川が俺の方を見て、不思議そうな顔をした。

「あんた、何でこんな所にいるの?」
「ヘ…?」
「素子ちゃんと、夕食まで一緒に訓練してるんじゃなかったの?」

…………………………………………
あああっ、そうだったぁ!!
ガラリ
その時、絶妙の間合いで襖が開いた。
そこには―――――――

 

 

「う・ら・し・ま〜〜〜〜〜!!」

 

 

 

鬼がいた。
正確に言うと、抜刀し、鬼気を纏わせた素子ちゃんが居た。
ススス
俺と素子ちゃんの間にあったテーブルが、速やかに片づけられた。その辺の手際はもう馴れまくっている。
広くなった空間を前に、俺は恐怖のあまり思わず一歩退いて
斬!!!
ドゴォォォォォォォン!

 

 

 

「……いたたた」

俺は食堂の外まで一気に吹き飛ばされた。
まいったな…素子ちゃんにどうやって謝ろう。
そんなことを木の枝に引っかかりながら考えてると…
ガラッ
窓を開ける音。

「浦島……覚悟はいいか……」

うわっ、追って来たっ!!
俺は、慌てて木から降りると(落ちたとも言う)逃げ出した。
落ちても平気な自分の不死身度に感謝する気にもなれない。
俺と素子ちゃんの、壮絶な追いかけっこが始まった。

「ま〜〜て〜〜〜、う〜〜ら〜〜し〜〜ま〜〜〜」
「ひええええええ〜〜!!」
「貴様!座禅の一つもできないのか!?」
「ゴ、ゴメン!つい離れちゃって」

玄関の前を通り過ぎる。

「今まで、私がどれほど探したと思っている!」
「だから、悪かったって!」

新館の側を、回り込むようにして走る。

「だいたい、今まで何をしていた!」
「きょ、今日は料理当番だったんだよ」

裏庭の、滝の所まで来た。

「それなら私がやろうと思っていた!!」
「素子ちゃん、料理なんてできたの!?」

思わず聞き返してしまった。
プチ
あ……やばい。俺がいくら不死身でも死ぬかもしんない予感。

「秘剣、斬空閃!!」

ズガァァァァァァァ!
俺のバカァァァァァァァ!!
吹き飛ばされ、岩に叩きつけながら、つくづくそう思った。
素子ちゃんは激昂してる…もしかして気にしてたんだろうか。

「貴様ぁ! いつ死ぬか分からないなら、今、私が殺してやる!!」
「え……ちょっと待って! 『いつ死ぬか分からない』ってどういうこと!?」

正直、目の前の素子ちゃんからは、かなり本気で命の危機を感じていたが、今の言葉の方が引っかかった。
うっ、と言葉に詰まる素子ちゃん。何か、言ってはいけないことを言ってしまった、という感じだ。
もしかして、俺は素子ちゃんに殴られるより、危険な状態にあるのか?
以前に素子ちゃんが言いいそびれたことは、そのことだろうか。

「頼む、教えてくれないか? 自分のことぐらい、知っておきたいんだ」

目を見ながら真剣に頼むと、ポツリ、ポツリと言った感じで素子ちゃんは話してくれた。
気という生命エネルギーを放出しすぎると死んでしまうこと。
気のコントロール方法を身につけないと、いつ暴走するか分からないこと。
そっか……だから素子ちゃん、あんなに怒ったのか。
好意を踏みにじるようなことをしてしまった自分に、腹が立つ。とりあえずその事を謝ると、素子ちゃんは首を振った。

「いや、元はと言えば、浦島を斬ってばかりいた私の責任だ…………隠していて、すまなかった」
「ちょ、ちょっと素子ちゃん、頭を上げてよ」
「しかし……」
「隠してたって言うのも俺のためなんだろ?だったら謝る必要なんて無いよ。それに、俺が殴られるって言うのも、ほとんど俺が悪いんだからさ。やっぱり謝る必要なんて無いじゃないか」
「浦島……」

ようやっと、頭を上げてくれる。
確かに『死ぬかもしれない』て言われて、少しショックだけど。素子ちゃんが助けてくれるって言うんなら、どうってこと無い。
素子ちゃんは、みんなのこと考えてくれる、すごくしっかりした娘だから。なんだかんだ言っても、ちゃんと助けてくれる。
ただ、責任感が強すぎて、すぐに自分のせいだと思ってしまうのが問題だけど。
だからこういう時は、ちゃんと『素子ちゃんが悪い訳じゃない』ということを言ってあげないといけないんだ。

「浦島……お前は、私を……」
「え? 何?」
「……いや、なんでもない」
「そう? ならいいけど…」



 


翌日のひなた荘。
なかなかに、風が強い日だった。

「ひあああああああああ!!」

いつものように、ひなた荘に悲鳴が響く。
ただ、今日は悲鳴の発せられる場所が、いつもとは違っていた。
普段の限界より少々高い。

「のわ〜〜〜〜〜〜〜!!」

私は屋根の上に立ち、空を見上げていた。
今日は少々風が強いが、文句なしの晴天だった。
だが、その青空にあまり似つかわしくないモノが一つ、舞っていた。

「ひえ〜〜〜〜〜〜〜!!」
「おいスゥ、あれは何だ?」

私は溜息をつくと、『巨大な凧に張り付いて空を飛んでいる浦島』を指さしながら、隣で怪しい機械をいじっているスゥに訪ねた。

「ウチの新発明、アショバ君の作動テストや」
「それがあの凧か。スゥにしてはやけに日本的な発明だな」
「こないだ、テレビでやってたの見て、作ってみたんや」
「そんなことだろうと思ったよ」
「はわ〜〜〜〜〜〜〜!!」
「おっと、忘れていた」

風向きが変わる度に振り回される浦島――――意識を失わないのは大したモノだが、その分苦しみ続けている――――は、そろそろ限界だろう。

「スゥ、浦島は少々やることがあるんだ。そろそろ降ろしてやってくれないか?」
「素子がそう言うんやったら、ええで」

脳天気に返事をして、怪しげな赤いスイッチを押すスゥ。
即座に、ウィィィィィィィィィィィンと、糸が巻き取られていく。
これで良いだろう、と私が(恐らく浦島も)一息ついた時
ヒュウ!!
ひときわ強い風が吹いて
ブチ!
凧の糸が、あっさりと切れて

「あ〜〜〜〜〜〜れ〜〜〜〜〜〜〜!!」
ドボ―――――――ン!!
「う〜〜〜ん、人を運ぶには、糸の強度が足らんかったか」

浦島が、グルグルと回転しながら、落下していった
派手な水音と、スゥの深刻(そう)な声を聞きながら
私は今日、三度目のため息を吐いていた。


「浦島、山に行く気はないか?」
「やま?」

浦島が怪訝そうな顔をする。いきなりこんな事を言われれば、当たり前なのだが。
昨日、今日で気付いたことがある(というほど大げさではない。当然を再認識しただけなのだが)
浦島が訓練をしようとすると、必ず邪魔が入るのだ。
たとえばそれは、酔ったキツネさんの相手だったり、サラの遊び相手だったり、しのぶの物干しの手伝いだったり、そして今回のような、スゥの発明品だったりする。
これには、浦島の性格が災いしている。
生来のお人好しのせいで頼まれると断れず、困っていたなら手伝ってしまうのだ。ただ、何故かなる先輩とは、そういったことはないようだが。
とにかく、これでは座禅にすら集中できない。
そこで山だ。誰も訪れない山奥なら、何の邪魔もなく修行に打ち込めるだろう。

「山って……ひなた荘の裏山?」
「いや、そんなところではなくてもっと山奥だ。私も時々いくが、山はいいぞ、心が研ぎ澄まされる」
「ヘー、それじゃあ、お弁当でも作ってみんなで行ってみようか?」
「……??」
「そういえば、みんなでピクニックなんて初めてじゃないかな? じゃあ、夕食の時にでもみんなに都合を聞いて……」
「これは修行だ! 行くのは、私とお前だけだ!!」
「えっ!!?」

……気付くのが遅すぎるぞ、浦島。
ここでこいつの気弱さでも、お人好しでも何でも利用して連れて行かないと操気など一生、身に付かない気がする。

「ちょっと待って、勉強は?それにバイトも……」
「勉強なら向こうでもできる。瀬田さんは出張中だから、バイトは休みだろう。そもそもこの件は瀬田さんから頼まれたことだ」
「そりゃそうだけど……」
「いいか浦島、これはお前のためなんだ。命がかかっているんだぞ、山で修行をした方がいい」
「う、うん。わかったよ……」
「よし、では明日には出発するからな。準備しておけ」
「明日!?」
「そうだ、善は急げと言うだろう。それと、準備ができたら私の部屋まで来てくれ、渡しておきたい物がある」

私は最後にそれだけ一方的に言って立ち上がった。
さあ、部屋に戻って修行の準備をしよう!

 

 

 


俺は、やけに足取り軽く去っていく素子ちゃんを見送りながら、しばらく呆然としていた。
山に篭って修行……
今更ながらに、その意味が染み込んでくる。
まさか、俺がそんなことをする羽目になるとは思わなかった。
その修行って、以前やらされそうになった『地獄の特訓』ではないだろうか? 『気のコントロール方法を身につける』だけなんだよね!?
……でも素子ちゃんが言うのなら、それが必要なことなんだろうし……うーん。
まあ、とにかく準備しないと。なにしろ素子ちゃんのことだから、俺がなんと言おうと引きずってでも連れてくだろうし。
俺は部屋に戻って、荷物の中からナップサックを引きずり出した。
さて……山籠もりなんだよな。ってことは、日持ちのする食料に、中華鍋、寝袋、着替えは……まあ、下着だけでいいか。
素子ちゃんは『山で修行』としか言わなかったけど、どんな物が必要なんだろうな。
そんなことをゴソゴソやってると、上から成瀬川の声が降ってきた。

「あのさ、景太郎。勉強でも……って何やってるの?」
「あ……えーと。明日、山に行くんだよ」

荷物をまとめながら答える。
……本当のことは秘密にしておいたほうがいいのだろう。命がかかってる、なんて言っても、信じてくれるかどうか分からないし、何よりみんなに心配かけちゃうし。

「旅行? あんた、夏に海行って遊んだ分取り戻すって言ってなかった? その旅行って勉強より大事なの?」
「別に、旅行先でも勉強するよ」
「勉強もするって……それって、あの眼鏡コンビと行くって事?」
「ううん、素子ちゃんと一緒だよ」
「え……!!?」

ピシリと、顔がこわばる雰囲気。あれ? 俺、なんかまずいこと言ったかな?

「素子ちゃんと二人で何しに……ううん、何でもない」
ガタッ

穴を塞いでいる板を、元に戻した音。
なんだか…また誤解されちゃった気がするなぁ……
ただ、何を誤解されたのか、サッパリ分からない。
だからといって、全部説明すると心配かけちゃうし。
仕方ない、修行が終わってから、話すことにしよう。

 


「素子ちゃん、入るよ」
「ああ、いいぞ」
ガラッ

素子ちゃんの部屋に入るのは二回目だけど、やっぱり女の子の部屋って感じじゃない。まあ、これ以上ないぐらい、素子ちゃんらしい部屋なんだけど。
それにしても、テレビの一つもないとは……っていうか武者鎧が無造作に置いてあるのは凄まじいなあ。

「何をキョロキョロしている?」
「あ、なんでもないよ。それより素子ちゃん、用事って……何?」

彼女は、棒状の『何か』を、何本も抱えている。
??????
ガチャガチャッ!っと目の前に細長い物がいくつも置かれる……って、まさか!!

「も、素子ちゃん! これってもしかして、日本刀!?」
「私の集めた物だ。家から持ってきた物もあるがな」

んな、あっさり言われても。
素子ちゃんが刀剣類を集めていても驚きはしないけど、こんなにたくさん持ってたなんて……許可は得ているんだろうか?
この無造作さが、明らかに無免許っぽいんだけけど。

「浦島、今回の修行にあたり、お前に一振り譲ろう」
「え……こんなものを? なんで?
「修行に必要だからだ」
「いや、だって、修行って言っても生命エネルギーの操作とかで……剣の修行じゃないんだよね?」
「浦島」
「違うんだよね? 違うって言ってくれるとすんごく嬉しいんだけど」
「私は、神鳴流という『剣』で、操気を学んだ。だから私は、『剣』を通じてしか、お前を指導することができないんだ。わかるな?」
「そ、んなことを沈痛な表情で言われても……」
「まあ気にするな。なにしろお前は不死身なんだから多少の無理は利くだろう。神鳴流の基礎を五年分ほど一気にやるぞ」
「ちょ、ちょっと! 俺に剣なんてできる訳ないって! だったら別の方法で」
「他に方法を知らないのだ、諦めろ! ……安心していいぞ、死なない程度にやるから」
「そんなぁ……」

その時、俺はよっぽど情けない顔をしていたのだろう。
不意に、素子ちゃんが

「プッ……ククッ……ククク……アハハハハハ!」
「ヘ?」
「ハハ……あんまり情けない顔をするな。冗談だよ、浦島」
「……本当?」
「ククク……悪い悪い、あまりに取り乱すものだから、ついからかってみたくなってな」
「ひどいよ、素子ちゃん」
「だが、剣をもって教えるというのは本当だ。実際の所、私が一番手っ取り早く教えられるものだからな」

……なるほど、素子ちゃんは自分にできることを、精一杯果たそうとしてるんだな。
だったら、俺に文句を言う権利なんてない。
むしろ素子ちゃんを見習って、自分にできることをやるべきなんだろうな。
そんなことを考え込んでいると、彼女がなぜか、申し訳なさそうに聞いてきた。

「浦島、怒っているのか……?」
「いや、そんなことないよ。ただ」
「ただ……なんだ?」

不安そうな様子
ここで、『素子ちゃんを見習わないといけない、と思っていた』なんて言うのは気恥ずかしいので、とっさに思いついたことを口にする。

「いや、素子ちゃんがこういう冗談を言うとは思わなかったから」
「…………」
「ど、どうしたの?素子ちゃん」
「……やはり、私がそんなことを言うのは変か?」
「え?」
「冗談などあまり言ったことがないので、思いついたことを口にしただけなんだが……やはりおかしかったか?」
「いや、別におかしくなんかないよ。ただ、素子ちゃんにも、冗談言って笑うような、女の子らしいところがあったんだなぁ、って驚いただけで……」
「私はれっきとした女だ!」

弾かれたように顔を上げる素子ちゃん。怒りのせいか、頬が紅潮している。
もしかしたら、あまりフォローになってなかったかも……いや、もしかしなくても。

「い、いや、だから、そういうところを見せてくれて嬉しいとか、素子ちゃんは笑ってた方が可愛いとか……」
「な……!? 貴様にそんなことを言われる筋合いはない!!」
ドゴッ!!
「みきれっ!!」

俺は床の上で悶絶しながら、口は災いの元という格言を噛みしめていた。
やっといつもの素子ちゃんに戻ったことに、小さな安堵を感じながら。


何とか復活してからしばらく後。
俺は彼女の話を聞いていた。

「この刀の銘は『回天』といって、二つで一組の双刀だ。小太刀という種類の短い刀で、古くは代々江戸城御庭番に伝えられ……」

いや、正確に言うと、彼女の話を聞かされていた。さっきから、一本一本刀を選んでは、由来を聞かせてくれる素子ちゃん――今は一つの鞘に二本の刀が入ったものを解説している――は、非常に楽しそうだった。
もしかして、素子ちゃんって刀剣マニア?
ちょっと確かめるために、床に転がっている刀の一本を拾って由来を訊ねてみる。ちなみに、鞘から鍔から柄まで真っ赤な刀だ。

「ねえ、これはどんな刀なの?」
「ああ、それは『鬼哭』という銘の、家族を殺され復讐に走った挙句殺人鬼と化した男の怨念が宿った刀だ。下手に抜くと祟られるぞ」
「ひ、ひえっ!? そ、そんな危ない物、無造作に置かないでよ!」
「そうだな、こちらもかなりの業物だぞ。抜いてみろ」

と、彼女は、俺の文句なんかどこ吹く風、といった感じで一本の刀を拾い上げて俺に渡した。
それは、素子ちゃんの使っている刀のように鍔がなく、柄と鞘が木で作られたものだった。おっかなびっくり、抜いてみる。
スラリ……と、そんな感じで刀身が半ば勝手に抜けた。

「うわ」

思わず、感嘆の声を上げてしまう。
刀身は細身ながら使い込んであり、あちこちに傷が付いている。鏡のように研ぎ澄まされているでもなく、美しいわけでもない。だけど、氷のような鋭さは損なわれていない。
何度も何度も実戦に耐えうるだけの強靭さ、それでも刀を折ることのない剣士の腕があいまって

「銘は『凍月』。魔物と戦う、孤独な剣士が携えたという刀だ」
「いてづき……」

半ば呆然と、彼女の説明の中にあった、刀の名を呟いた。
その名の通り、凍てつくような刃。
刀剣の類に疎い俺でも分かる。これは……業物だ。

「少し前に手に入れた物だが、鞘と柄はあまりに痛んでいたので、新調してある。ふむ、気に入ったか」
「気に入ったと言うより……」

魅せられた
この刀の、どこか悲しい雰囲気に。

「よし、これでお前の使う刀が決まったな」
「……って、素子ちゃん!俺、こんな危ないもの使えないよ!」
「その刀はお前の相棒になった。別に、人を斬れなどというわけではない。武器というのは自分の体の一部ではないから、どうしても気が通いにくい。だが、それが自分の肉体と同様に信頼できる相手なら話は別だ」
「信頼って」
「この『止水』は子供の頃、姉上から譲り受けて以来、ずっと私の相棒だ。もはや、手足のようなものだな」
「だからあんなにすぐに抜刀するんだね……はぐっ!」
「まあ長くなったが、神鳴流古来の修行に於いて、相棒というものは欠かせないということだ。それが一目で気に入ったというなら、願ってもないことだな」
「……そういうことなら、修行の間だけは借りておくけど」
「私が持っていても時々手入れをする程度なのだ。修行とはいえ実際に使ってもらったほうが刀も嬉しかろう。ああ、それと浦島」
「ん、なに?」
「自分の相棒のことは、ちゃんと名前で呼んでやれよ」
「……まあ、それもそうだよね」

よろしく頼む、『凍月』。

うん

 

その後、素子ちゃんから刀の扱い方、手入れの仕方について教えてもらった後――――まさか、寝るときも風呂にはいるときも一緒とは。錆びないのだろうか――――さっきの部屋でのことを話してみる。

「それでさ、死ぬかもしれないなんて知ったら、みんなが心配するから。修行に行くって事は言わないで欲しいんだ」
「まあ、浦島がそう言うのなら別に構わないが……皆にはなんと言うのだ?」
「旅行って事でいいんじゃないかな?」
「なるほど、確かにそれなら誰も修行などとは思わない……」

と、そこまで言ったところで、ウンウンと納得していた素子ちゃんの動きが、ピタリと止まった。
ギギギギギギギ、とでも聞こえてきそうな動きで顔を上げる。なんだか声も震えていた。

「う、浦島、旅行以外の理由にしてくれないか?」
「え? 他の理由で何日も出かけるなんて不自然だし……それに、もう成瀬川に言っちゃったから」
「な、なる先輩に!? ……ぐはっ」
「ど、どうしたの、素子ちゃん!?」
「…………別に、なんでもない……」

いや、虚ろな目をして、んなこと言われても……
なんだか調子が悪いみたいだから、そろそろ退出しよう。

「それじゃあはるかさんに、俺の留守の間の管理人の仕事を頼んでくるよ」
「待てっ!!」
ガバッ!ガシッ!!
「はるかさんには私から言っておく、心配するな。それと、これ以上この事を人に話すな。分かったな?」
「え……? って、素子ちゃんなんか目つきが恐い上になんで抜刀してるの?」
「と・に・か・く!これ以上他人に話すのではないぞ!」
「そ、そう? それじゃ、明日の準備の続きをやるね」









修行 一日目

二人は、修行場に向かっていた。


「鬱蒼と茂る木立、周り中から聞こえてくるような蝉の声、昼なお暗い山道……」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「なんだ?」

モノローグを中断された私は、少し機嫌が悪くなりながらも振り返った。
私の少し後をついてきているはずの浦島が、だいぶ後ろで息を荒げている。
まったく、軟弱な奴だ。たかが30kmほど歩いただけでこれほど息を切らすとは

「運動不足だな、浦島」
「はぁはぁ……受験生に、運動する、時間は、ないよ……はぁはぁ」
「だいたいお前は荷物が多すぎるんだ。出る際にも言っただろう?」

 

時間は遡って、早朝。
私は、まだ誰も起きていないひなた荘の廊下を歩いていた。夏とはいえ、この時間は空気が肌寒い。修行の出立としては最適だろう。
昨日は、さんざん悩んだ。
『私と浦島が旅行に行く』などということになったら、皆にあらぬ誤解を与えてしまうのではないだろうか。
たとえば……その……私と浦島が……こ、恋人だとか……
ええい! 心臓に悪い!
そんな誤解を招いたら、なる先輩としのぶに申し訳が立たない。
結局、はるかさんには全部話して、あの人から皆に話してくれるように頼んでおいた。はるかさんが、皆にどのように話すのか、非常に不安だが。
おっと、もう管理人室に着いたか。

「おい、浦島!起きてるか?」
ガラッ
「ZZZZZZZZZZ………」

やはり寝ていたか。
ただし、昨日の言いつけ通りちゃんと凍月を枕元に置いてある。うむ、感心
まあそれはそれとして、私は浦島の耳元で怒鳴った。

「おい! 浦島、起きろ!」
「うへっ!?」
「起きたか」
「も、素子ちゃん? どうしたの?こんな朝から」
「寝ぼけているのか? 今日出発すると言っただろう?」
「えっ……って、5時!?」
「そうだ、今から出発だ。早く準備しろ」
「う……分かったから、ちょっと外に……」
「いいから、早く起きろ!!」
バサッ!!「あっ!!」「ヘ?」

左から順に、私が布団をはぎ取る音、浦島の焦ったような声、私の呆気にとられた声。
浦島は寝間着を着ていなかった。シャツとトランクスだけを着ている。
まあ、昨日は特に蒸し暑かったから仕方ないだろう。それは別にいい。
だが、その下着のところが――――――――

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
バサッ!ガスッ!

気が付くと私は、浦島に布団をかぶせ、蹴りを叩き込んでいた。
踏み蹴りという奴を。
我に返り、(多分)布団の中でうずくまっているだろう浦島に駆け寄る……さすがに怒っているだろう。

「す、すまん、浦島。大丈夫か?」
「う…素子ちゃん、悪いけど、ちょっと部屋の外に出ててくれないかな?」
「あ、ああ」

慌てて外に出る。と、部屋の中でゴソゴソと、着替えている気配がする。
またやってしまった。
あんなもの初めて見たから、つい動揺してしまった。あ、思い出したら、また顔が熱くなってきた。ううう。
その後、浦島から説明を受けた。(曰く、『男の朝の生理現象』らしい)
てっきり怒っているかと思ったが、あまりそうではなく、どちらかというと、浦島も恥ずかしかったようだ。

「すまなかった。浦島は別に悪くなかった……」
「ううん、別にいいよ。こっちこそ、変な所見せちゃって……ゴメン」
「……」
「……」
「そ、それで浦島、出発の準備はできたのか?」
「うん、荷物の準備はできてるから」
「む、浦島。その荷物は少し多くないか? 山道を歩くんだ、荷物は少ない方がいいぞ」

浦島の背負う、いかにも『詰め込んだ』という感じに膨らんだリュック。
ちなみに私は、いつもの羽織袴に編み笠、という格好にズタ袋一つだ。

「でも、山に行くって言ったら色々必要だし……それに勉強道具とか入れると、これぐらいになっちゃうんだよ」
「そう言えば、お前にはそういうものもあったな。まあ、それなら仕方がないかもしれないが、途中で弱音を吐くなよ」
「うん。まあ、努力はするよ」

 

「とか言ってたのはどうしたんだ?」
「ハァハァそんな、こと、言ったって……ハァハァ」
「すでに息も絶え絶えだな。まあ、これも修行の一環と思えば……
「……素子ちゃん、なんか非道いこと考えてない?」
「なんのことだ?」

そんな雑談を行いながら歩いていると、不意に視界が開けた。
そこは両側が崖になっている小さな川だった。流れは緩やかな方だ。
もちろん行き止まりというわけではなく、小さな吊り橋が架かっている。ただし、かなり老朽化が進んでいるが。
まあ、落ちたとしても精々4メートル。深さもかなりあるようだし、問題はないだろう。

「素子ちゃん、この橋、大丈夫なの?」
「多分な」
「多分って……」
「心配するな、まず私から渡る。お前は後から来ればいい」

尻込みする浦島を残して、さっさと橋を渡る。
ギシッ……ギシッ……
足を踏み出すごとに木がきしむ音が響くが、足下に注意して進めばどうということもない。
橋もあまり長くないので、すぐに向こう岸に着く。
振り返ると、少しは安心したのか、浦島も渡り始めていた。
そういえば一カ所腐りかけていたところがあったな。注意しておこう。

「おい、浦島」
「え、何?」

と、返事をした瞬間―――――

バキン!

浦島の右足が、板を踏み抜いた。
あそこは別に、踏んでも平気だったはずだが――――と、ここまで考えたところで思い当たる。
私と浦島では元々の体重が違う上に、荷物の重さもあった。

「うわぁ!!」

バランスを崩した浦島は、両腕を前のめりに着き
浦島は、とことん浦島であるらしかった。
あいつの運の悪さは、筋金入りだ。
となれば『手を着いたところの板が腐っていた』というのも、当然だったと言える。
バキバキッ!!

「ぁぁぁぁぁぁぁぁ…!」

ドボ――――ン
と、派手な水音を立てて、浦島は川の中に沈んだ。有体に言って落ちた。

「ったく、あのバカは…」

まぁ流れも緩いし、泳げさえすれば大丈夫だろう。
泳げさえすれば……

『あいつ、泳げないのよ』
「っ!」

不意に、この前の海水浴場でのなる先輩の声が蘇った。冗談めかした声。
記憶の中の声は可笑しそうだったが、この状況では洒落になっていなかった。
水面を見る。浦島はまだあがってこない!
私は荷物を腰に固定し、川に飛び込んだ!

ドボォォォ……ン

 

 

 

 

冷たい。
いかに八月とはいえ、山の水だ。冷たいに決まっている。
暗い視界の中で左右に視線を走らせる。
浦島は……いた!!
意識を失っているらしく、少し先で水の中に浮かんで。いや、流されている。
まとわりつく羽織袴に邪魔されながらも必死に泳ぎ、何とか追いつく。
浦島を抱えて水面に上がろうとするが……
重い!!
浦島の背負うリュックに、私まで川の底に引きずり込まれそうになる。
私はとっさに止水を半分ほど抜いて、左肩のストラップを切断していた。
片方が支えを失い、右肩の方は自然に離れる。
リュックが沈んでいくのとは逆に、私は浦島を抱えて全力で浮上していった。
バシャッ!
プハッ
大きく息を吸い、辺りを見回してみる。
川幅が広くなり左右は河原になっている。
とにかく早く、浦島の様子を見なくてはならない。
私は河原を目指し、浦島の腕を掴んで泳ぎだした。

河原に着くとすぐに浦島の上半身を川から引っぱり出し、寝かして状態確認。
……まずい!呼吸が止まっている!
即座に気道を確保し、鼻をつまんで――――
一瞬、躊躇する。
だが、やらなければ浦島は死ぬ。
ええい!!
大きく息を吸って――――――

「ぶはっ!! げほっ!げほっ……!」




 





『たとえば…それが、『東大に入る』なんて、バッカみたいな約束だったとしてもね』

『ある人と約束したんだ。絶対、東大に合格してやるって』

『お前が東大目指してた理由って…この人…なの?』
『…うん』

『せ…瀬田先輩…』

『俺…俺、成瀬川のこと、その…好きだけど…』
『俺、成瀬川のこと応援するよ!!瀬田さんとうまくいくように!!』


 

 

 

「う……」

背中にゴツゴツとした堅い感触
パチパチと、木がはぜる音
目を開けると、星空が見えた。

「目が覚めたか?」

素子ちゃんの声。
素子ちゃんは俺の反対側で、焚火にあたっている。
俺は着ているものを脱がされ(下着以外)毛布にくるまっていた。
あれ? 俺、確か川の中に落ちて、それから……

「素子ちゃんが……助けてくれたの?」
「まあな……それより体は大丈夫か? 一応、水は吐かせておいたが」
「うん、大丈夫みたいだ……素子ちゃんは?」
「お前とは鍛え方が違う。服を着て泳ぐ訓練ぐらいしてある。まあ、流石に羽織袴はきつかったがな」

そこで会話が途切れた。
辺りを見回してみると、ここが河原だということが分かる。たき火の周りに荷物が渇かしてあって、その中には俺の荷物や服もある。
その後しばらく、二人無言で焚火に当たって、俺は服が乾いてから着替えた。

 

 



グツグツグツ……
水の沸騰する音が河原に響く。

「そろそろいいはずなんだけど…」
「よし、それでは降ろすぞ」

と、素子ちゃんは湯を張った鍋を降ろした。
中から注意深く、二つのレトルトの袋を取り出す(このレトルトと鍋は、俺の持ってきた物だ。荷物の中から鍋をとりだしたときは、さすがに呆れ
ていた)
それを別に、素子ちゃんが用意してあった椀にあける。

「ほら。熱いぞ、気を付けろ」
「うん…あちっ」

ちなみに、レトルトの中身は五目雑炊。気を付けたんだけど、舌を少し火傷してしまった。

「気を付けろ、と言っただろう?」
「何か…かき混ぜる物があれば良いんだけど……」
「そういえば箸ならあるぞ」
「ありがと」

ハフハフ……
箸を受け取って、しばらく雑炊を食べるのに専念する。と言ってもあまり量はないから、もう食べ終わるけど。
ああ、体が温まるなぁ。
食事が終わり、食器を洗ってしまうと、やることもなくなってしまう。

「浦島、そろそろ寝たらどうだ?」
「うん、良いけど。素子ちゃんは?」
「私は火の番をしている。心配するな、別に寝ない訳じゃない。途中で代わってもらうさ」
「分かった。それじゃ、おやすみ」

交代するのか……良かった。素子ちゃん『一晩中起きている』なんて言いかねないからな。
俺は寝袋にくるまるとあっという間に、夢も見ない眠りに落ちていった。


……しま
ゆさゆさ
う〜〜〜ん
……らしま
ゆさゆさゆさ
後、二分だけ……

「起きろ、浦島!」
ゆさゆさゆさゆさゆさゆさ
「う……ん?」
「いい加減に起きろ!」

その声に押されて、身を起こそうとする……が、体が動かない!!
か、金縛り!?
しばらくもがいてから、ふと気付いた。
そういえば、寝袋で寝てたんだっけ……
寝袋のチャックを降ろして、身を起こす。
う、寒い!!
空気ももちろん冷えているけど、素子ちゃんの冷たい視線(呆れたようにも見える)も身に染みた。

「浦島、それでは交代だ。明日は早く行動したいから、夜が明けたら起こしてくれ」

 


パチパチ……
焚火に小枝を放り込みながら考える。
俺が川に落ちた後、素子ちゃんは大変だったらしい。
俺の後を追って自分も川に飛び込み、意識を失った俺を河原まで引きずり出す。人工呼吸が必要な状態まで追い詰められていたらしいが、俺は直前で意識を取り戻したのこと。
そして河原の流木を拾い集め、火をおこす。
それから俺の服をひっぺがして乾かし、さらに川底に転がっていた俺の荷物を引き上げて、それも渇かす。
それだけのことを一人で、しかも濡れた体でやったのだから、相当疲れたんだと思う。
俺の向かい側で寝息を立てている――――そもそも普段だったら、俺と二人きりで寝たりなどしないだろう―――――素子ちゃんは正真正銘、命の恩人なわけだ。
そういえば、成瀬川やスゥちゃんの寝顔は見たことはあるけど、素子ちゃんの寝顔なんて見るのは初めてだな。
起きてる時は少しおっかないけど……寝顔はカワいいんだよな……
って、こんな事考えてるって知られたら、それこそ吹っ飛ばされるな。
せっかく明かりがあるんだから、勉強でもしよう。
俺は焚火の周りに転がっている単語帳を拾い上げた
ちなみに、参考書その他はほぼ全滅だったけど、この耐水性単語帳だけは無傷だった。
時々焚火に枝を放り込みながら、英単語のチェックをする。
そんなことをして、夜が明けるまで過ごしていった。


 

 


この日の朝、どこかで

「なーなー、素子とケータロ、何してるんやろか?」
「バーカ、男と女が旅に出るって言うんなら、一つしかねーじゃんか……まあ、あのバカとケンドーじゃ、かなり無理があるけどな
「おー、なるほど、『こんぜんりょこう』ってヤツやな」
「カ、カオラ! 何言ってるの!」
「なんや、しのぶ。気になるんか? ほんなら……見に行ってみよか?」
「ちょ、ちょっと、キツネ! 何言ってんのよ!?」
「別にええやろ? ちょっと見に行くだけや。お邪魔みたいやったら、すぐ帰ればいいやん」
「おっしゃ! またみんなで旅行やなー!」
「ちょっ……」
「よーし、それじゃ準備しよーぜ!!」


修行二日目

夜が明けて。

「ご馳走さま」
「お粗末さまでした」

朝食――――と言っても、缶詰に手を加えた程度だったけど――――をとって。

「準備はできたか?」
「うん……よいしょっと」

火の始末も終わり、荷物を詰め込んで。

「それでは出発だな」
「うん、行こうか」
「……」
「……」
「……」
「どうしたの?」
「実は浦島に言わなければいけないことがある」
「えっ?」
「昨日から薄々勘付いていたが……明るくなって、ハッキリした」
「な、何が?」
「迷った」
「……」
「……」
「えーと…もしかして俺のせい?」
「意外と流されたようだからな」
「……」
「……」
「ゴメン」
「まあ、過ぎたことは仕方がない」
「地図とか……ないの?」
「残念ながら持ってきてない……行き帰りの道筋は頭に入っていたので……つい、な」

沈黙
もしかして俺は、こんなところで朽ち果てるのか?
俺の脳裏に、新聞の三面記事が浮かんだ。
見出しは、『女子寮管理人、女子高生と共に山で遭難。遺体で発見される』

「嫌だ! 死にたくない!!」
「当たり前だ。私もこんな所に骨を埋める気はない」
「うん……」
「そうと決まったら行くぞ! まずは元の道に戻ること」
「ってことは川に沿って進むと言うことで当然……坂を登るんだね。ハァ」

こんな事なら、泳げるようになっておけば良かった。
自分のカナヅチを、今までで一番恨みながら、とりあえず……とりあえずは、一歩目を踏み出した。
だけどそれが、さらなる困難の始まりだった。


「行き止まり……」
「浦島、この崖を登れるか?」
「できる訳ないよっ!!」
「そうか、では迂回だな」
「……(一人なら登れるの?)」

「木が多くなってきたね」
「ふむ……足下に気を付けろよ」
「え…うわぁ!!」
ビタン!!
「蔓や木の根に、足を引っかけないように……と言おうと思ったんだが」
「……遅いよ」

ボトッ
「うえっ!?」
「む……浦島、動くな! 蛇だ」
「へ、蛇!?こ、この、首の後ろにのっかってるのが!?」
「動くなよ……ハッ!!」
バシン!
「うわぁ!!」
「もう大丈夫だぞ、蛇は弾き飛ばした」
「ひ、人の首すれすれで刀を振り回さないでよ!!」
「助かったから良いだろう? それにそのくらい、いつもの事ではないか」
「……(確かに)」

「浦島、着いたぞ」

その言葉を聞いたときはすでに夕方だった。
やっとか……
ここまで来るのに、本当に色々あったけど……遂に辿り着いたんだな。
体中の筋肉が、これ以上動けないと悲鳴を上げていた。それに……
ぐ〜〜〜〜

「浦島、腹が鳴っているぞ」
「そりゃそうだよ。朝に、簡単に食べただけだったから……素子ちゃんだって、お腹減ってるでしょ?」
「まあ、少しはな……」
「じゃあ少し休んだら、夕食作るからさ」
ガラッ
「飯なら出来とるでー」
「お帰りなさい、先輩」
「遅いで、二人とも!」
「素子ちゃん、どうしてたの?」
「よし! それじゃ食おうぜ!」
「な…………! 何でみんながここに!?」

素子ちゃんは言葉もないらしく、俺の横で硬直してる。
と、キツネさんが片手に紙切れ(A4サイズくらいで、結構痛んでいる)を持ってヒラヒラさせながら、お気楽な調子で事情を話してくれた。

「いや、はるかさんがな、『二人はここに行った。気になるんなら行ってみればいい』って」
「それで、みんなで見に来たんです」
「私は嫌だって言ったのに……」
「そ、それは緊急連絡用に、はるかさんに渡しておいた地図」
「……なるほど」
「おい、早く飯にしよーぜ! 腹減ったぞ!」

一応納得がいったので(一部納得してない人もいたけど)サラちゃんの意見により、夕食となった。

「なー、このスープってなんて言うんだ?」
「これはね、『豚汁』と言って……」
「にゃははははは、うまいでー、これ!」
「こら、スゥ! 一人二杯までや!」
「しのぶちゃん、調味料は何を持ってきた? 俺は塩胡椒に醤油と……」
「えーと、私は、お味噌にみりんを少しと……」
「……」

ここはひなた荘から随分離れた山奥だけど、いつも通りの食事風景が展開されていた。
何か……安心するなぁ。


「ああ、ダメやな。ブタや」
「……ワンペア」
「どうだ、フラッシュ!」
「甘いで!フルハウスや!!」

……
何故私は、こんな事をしているのだろう……
部屋の隅をちらりと見る…と、浦島、なる先輩、しのぶの三人が勉強をしている。
つまり、それ以外のメンバーが、ここでポーカーをやっているわけだ。
もう一度思う。何故私まで?

「おーし、もう一勝負や。配るでぇ」

だが、親をやっているのがキツネさん(しかも酒が入っている)では、そんなこと私が言い出せるわけがない。
……私は、こんな事をやっていて良いのだろうか?
根本的な疑問が頭の中をぐるぐると回る。
食事の後、今までの事情を洗いざらい話して(浦島が危険な状態にあると知ったとき、皆一様に驚き、心配していた)これが修行であると納得させなければいけなかった。
その後皆で相談して、『修行の邪魔にならないよう、私たちは明日にでも帰る』と言う結論になったのだが……
結局、キツネさんがあくびを漏らしながらその言葉を発したのは、どのくらいの勝負を繰り返した後だったのだろうか。
山で心を研ぎ澄まし、浦島といっしょに修行をするために来たはずだったのだが。

夜。
夢の中にあった意識が浮かび上がる。
ふと目を開けると、暗闇の向こうに薄汚れた梁が見える。
私は同じ布団に入っているスゥの体を、起こさぬように引き剥がし立ち上がった。布団の数が足りなかったため、一つの布団に二人が寝ているのだ。
部屋の中を静かに横切り、戸口にて寝袋で寝ている浦島をまたいでそっと戸を開ける。

激しく降りしきる雨
横殴りの風
時折視界が白く塗りつぶされ、次の瞬間轟音が鳴り響く。

「嵐か……」

人知れず、私は呟いていた。
これは……厄介なことになるかもしれない。





「……嵐は過ぎたようだな」
「姐さん、ボイラー周りの整備、いつでも再開できますぜ」
「よし、始めてくれ。私は一般公開禁止を知らせておく。そっちは頼んだぞ」
「うっす」
「みゅーーーー!」
「どうした、タマ?」
サラサラ……
「えーと、何々……温泉に入りたいのか?大丈夫だ。ボイラーが使えないだけだから入れるぞ。ただ」
「みゅっ?」
「水温が25度だから、かなり冷たいかもな」
「みゅ――――――――――!!」


修行、三日目

戸を開けて小屋の中に入ると、なる先輩とキツネさんが待っていた。

「お帰りなさい、素子ちゃん、スゥちゃん」
「どうやった? 帰れそうか?」
「無理みたいですね、あちこち増水してて……」
「崩れてるところもいっぱいあったでー」

朝から私とスゥは、ふもとまで戻れるか、途中まで調べに行ったのだが……
昨日の台風の影響は、思った以上に強かったようだ。

「そんなら2,3日は、ここで生活せにゃあかんっちゅーことやな」
「ちょっと待って、2,3日って言ったって……」

意外と冷静にキツネさんが判断した。なる先輩がギョッとする。
そこに、しのぶといっしょに荷物のチェックをしていた浦島の声が掛かる。

「素子ちゃん、残りの食料だけど、あと一日分ぐらいしかないよ」
「まあ、こんなところに持ってこれる荷物の量は知れているからな」
「7人もいますし……私たちのせいですよね……」
「別に、しのぶちゃんが気にするようなことじゃないって」
「先輩……でも」
「浦島の言うとおりだ、気にする必要はない……それに、人数が多いのなら食料を集めればいい」
「集めるって?」

なる先輩の疑問が出たところで、小屋の裏の物置を探っていたサラが戻ってきた。

「おーい、役に立ちそうなモンがあったぞ」

 




くじの結果……景太郎+成瀬川+キツネ+サラ=山菜取り  素子+しのぶ+スゥ=釣り

 

 

 

 

 

 

というわけで俺は再び林の中に足を踏み入れていた。

「おーい、早く来いよー!」

昨日は酷い目に遭ったよなぁ……

「サラちゃーん、あんまり先に行っちゃだめよー」

足元に注意してないとすぐ転ぶし……

「子供は元気やなー」

それにしても

「何で俺が全員の分の籠を持ってるんですか!?」
「まーいいやろ、男なんやから……お、この辺にしよか!」

あっさり流されてるし。
それはそれとして、俺は籠をその場に下ろした。キツネさんが珍しく年長者らしいところを見せてみんなを仕切っているんだから水を差すこともない。

「一応確認しとくけど……山菜とか薬草の見分けはできるか? ちなみにウチはできるで」
「あたしはできるぜ、パパに習ったからな」
「俺も一応できます」
「……ちょっと待って。それじゃ、出来ないのは私だけ?」
「そーゆー事やな……ぷぷ」
「なによ、その笑いは」
「ま、安心してええで。経験不足のなるちゃんには、ケータロを付けてやるからな」
「な……!!」
「おっし、それじゃいくでサラ」
「おー」
「…………!」
「な、成瀬川?」
「な……」
「な?」
「何が『経験不足のなるちゃん』よ!! あったま来た!!」
「な、なるせがわさん?」
「景太郎!!」
「は、はい!」
「絶対に、キツネよりもたくさん取るわよ!」

オーラが……成瀬川の周りに怒りの波動が見える。
あまりの迫力に頷くことしか出来なかったが、頭の片隅で思ったことがある。
成瀬川……絶対キツネさんの思い通りになってるよ。

「あ、そこの草は食べられるよ。これは葉っぱだけじゃなくて、茎も食べれるから…」
「わかった」

鬱蒼と茂った森の中、木の間を這うようにして進んだ後、良さそうなポイントを見つけた。
その場に背中合わせにしゃがみこんで、しばらくは黙々と山菜を取る。

「ねぇ景太郎…」
「何?」
「何でこんなこと知ってるの?」
「山菜取りのこと?」 
「普通、山菜の種類見分けるなんてあんまりできないわよ…多分」
「そーだなぁ…小さいころからね、商売柄、食べ物のことは一通り父さんに仕込まれてたから…」
「商売柄?」
「実家が和菓子屋なんだ」
「ああ…そっか。それで…」
「なに?」
「凄いよね、景太郎」
「え!?」

今俺から、一番遠い言葉を聞いた気がする。  
だって俺は三浪でドジで彼女イナイ暦20年の……

「確かに三浪でドジで馬鹿でおっちょこちょいかもしれないけどさ」
グサグサ!!
「うう…どうせ…」
「でもいろんな事知ってるし…料理もうまいしね…」
「え…」
「私なんて不器用だから結構長く料理作ってるけどなかなか上達しないしね…」 

成瀬川…
確かに成瀬川の料理はちょっと形が悪いけど…

「そんなことないよ」
「……え?
「そんなことないよ、成瀬川の料理…」

俺は好きだよ
そう言おうとした。
けど…
       
夕闇の時刻。
物干し台で向かい合う影。
立ち尽くす俺と成瀬川
『俺、成瀬川の事その…好き…だけど…』

「みんな、成瀬川の料理、気に入ってると思うよ」
「ん…ありがと…景太郎」

そう、俺の保証なんか何の役にも立たない。俺は瀬田さんじゃない。俺は彼女の『トクベツ』じゃない。
痛い。
胸が痛い。抜けない棘が刺さっている。
彼女と話すたびに、彼女が笑うたびに、棘の存在を感じる。

「ちっ…ケータロの根性なしめ」
「え…?」

今、声が聞こえたような…
なんとなく、少し前にある茂みに呼びかけてみた。

「キツネさん?」

と…
成瀬川と、(隠れていた)キツネさんとサラちゃんがギョッとして立ち上がった。

「キ、キツネ!何やってんのよ!!」
「何って…ウチはただ二人を見守ってやろうかと…」
「よーするに覗きだろ…」
「あんたは!また性懲りもなく!!」

跳びかかる成瀬川と逃げ回るキツネさんを見ながら、俺はさっきまでの気分が消えていることに少し安心した。
体力では負けているが、地の利を生かして逃げ回るキツネさんと、意地になって追いかける成瀬川…しばらく続くだろう。

「おい」
「何?サラちゃん」
「あのさ、向こうでいいモン見つけたんだよ。でも道具がなくてさ…」
「いいもの?そりゃ手伝うけど…でも、俺だって道具なんて持ってないよ」
「それだよ、それ」
「え??」

サラちゃんはあっさりと俺の腰に差してある刀…『凍月』を指差した。

 

 


「ただいまー」
「お帰りなさい、皆さん」
「ご苦労だったな、浦島…首尾はどうだった?」

小屋に戻ると、すでに素子ちゃんとしのぶちゃんが食事の準備をしていた。
とりあえず、みんなの籠を囲炉裏の横に置く。

「素子…この辺に体洗えるとこないか?」
「ど、どうしたのですか、二人とも?」
「ちょっと転んじゃってね…」

素子ちゃんがドロドロのキツネさんと成瀬川を見て驚く。
情けなさそうに成瀬川。
そりゃまあ、『頭に血がのぼってて、嵐の後の森にいる事を忘れてた』なんて言えないよなあ…サラちゃんは、必死で笑いをこらえてるけど…

「右の道をまっすぐ行った所に川があります…スゥがまだ泳いでる筈ですが…」
「分かった、ありがと」
「ケータロ、来たらあかんでー」
ぶっ!
「行きませんって!」

と叫んだときには、二人とも消えていた。
残された者たちの間に微妙な空気が漂う…のも一瞬で

「なーなー、あたしたち凄いもん取ってきたんだぜ」
「そ、そうそう。サラちゃんが見つけたんだよ」
「じゃーん。タケノコだぜ」
「わー、すっごーい!!」
「まだまだあるぜ」
「ほお凄いな…しかしこれだけの数、よく掘り出せたな…」
「へへへ、道具を使ったんだ」

素子ちゃんは感心している…ってそれ以上はマズイ!
だが、俺が口を開くより早く、サラちゃんは言ってしまった。

「あいつが持ってた剣を使ったんだ」

素子ちゃんの表情が凍りつく。

「も、素子ちゃん、落ち着いて…ひっ!!」
「浦島…己の相棒をタケノコ掘り出すのに使うとは…武士の風上にも置けぬ…」

素子ちゃんが座ったまま抜刀し、俺の首に刀を突きつけていた。
この状況で『俺は武士じゃない』などと言うほど、俺は無謀ではなかった。
素子ちゃんの目が『キュピーン』と光る。

「おまえには今一度、今度は体に教え込む必要がありそうだな」

それから夕飯まで、刀の扱い方をスパルタ式で復習させられた。

体中が痛い…


 

 


「見たか素子!今のが神鳴流奥義『斬魔剣弐の太刀』や」
「前面の人を傷つけず、背後の魔を断つ!!」
「これぞ人を守り、魔を討つために生まれた神鳴流の真髄!!」


 

 


 

修行、四日目

ドドドドドドドドドドドドドドドドド……
とてつもない量の水が、私のすぐ側を流れ落ちてゆく。
私は崖の先端に立ち、静かに待っていた。
かすかな風切り音が複数。

ザン!!

身体が半ば自動的に抜刀。”気”の届く範囲内にある丸太をすべて切断してから納刀する。
それはすべて刹那の行動。神鳴流極意『止水』への道。
普通の精神状態では、まず出来ないだろう。
だが逆にいえば、それが出来るということは…

「ふむ…やはり山は良い。心が研ぎ澄まされるようだ」

そうして、下を覗き込んで大声で叫ぶ。

「うらしま!!調子はどうだ!!」
「今、なんか降ってきたよぉ!!」

同じく浦島の叫び声(そうしないと滝のせいで聞こえないのだ)が返ってくる。

「気にするな、ただの流木だ!!」
「気にする!!危うく当たりそうになった!!」

実は浦島はこの下で、精神統一の訓練をしている。
さすがに滝に直接打たれるわけにはいかないので、いかだの上で座禅を組んでいる(はずだ)。

「当たりそうになったら避けろ!かすめる程度では気にしてはいかん!!」
「死ぬよ!!!!」

まあ命綱が括り付けられているので、たとえいかだがひっくり返っても、流されることはないだろうが…
泳げない浦島には、相当なプレッシャーだろう。

「どうだ、そろそろ慣れたか!!?」
「それどころじゃないよ!!!」

だが、”気”のコントロールには強靭な意思力と、何事にも動じない精神強度が重要だ(どちらも浦島には足りないものだ)

「このくらい平気にならないと、”気”のコントロールは出来ないぞ!!」
「俺が泳げないこと知ってるだろ!鬼ぃぃぃぃぃー!!!」

ヒュウ
ザシャシャシャシャ!!
次は滝壷に叩き込んでやろうか。
そんなことを頭のどこかで考えながら、落下してきた岩を細切れにする。
今度は『小石が降ってきた』などと言うのだろうか。
何故か、久しぶりに…楽しい気分になった。含み笑いが漏れる。

「ふふ…」

 

 


この修行が始まる前に、素子ちゃんから受けた説明を思い出す。
『生命のコントロールには意思力と精神強度が必要だ。例えで言うなら、意思力が刀の鯉口の固さ、精神強度が鞘の強さになる』
非常に素子ちゃんらしい喩えだと思った。
『意思力が弱ければ刀は簡単に抜かれてしまうし、精神強度が弱ければ、いつ刀が鞘を破壊して持ち主を傷つけるか分からない』
そうしてから、俺の顔をじっと見つめてくる。
『正直、おまえはどちらも弱い。優柔不断だし、落ち込みやすいし…』
ぐ、ぐぐぐぐ…
『いくら不死身とはいえ、それは完全ではない。何故これほどまでに自分の命に対して無用心なのか信じられないくらいだ』
悪かったな!性格なんだから仕方がないだろ。
『そこでまず、そういった軟弱なところから変えていこうかと思う』
え……?

「それでこれとは…」

ため息の一つも吐きたくなるってモンだ。
揺れるいかだの上で座禅を組み直す。
さっき気付いた事だけど、滝と言うのは水の量が一定なのでバランスを取るのはそう難しくない(上下に大きく揺れるのと、水浸しになるのを我慢すれば)
ただ問題は、時折落ちてくるものだった。
さっきは小石の雨(と言っても、握り拳ぐらいあったが)その前がいくつかの流木。
どちらも直撃はしなかったが、バランスを崩すには十分だった。
その度にいかだがひっくり返りそうになったり、いかだから落ちそうになるのを防がないといけなかった。
ああ…俺は無事に帰れるのだろうか…
脳裏に、食料集めをしているみんなの姿が浮かんだ。
ゴメンみんな。今日の料理当番は俺だけど、夕飯は作れないかもしれ…

「危ない、浦島!!」

突然聞こえた素子ちゃんの声に反応して上を見上げる。
壮大な滝と青空という景色の中の、一点の染み。それがぐんぐん大きくなる
岩だ。
人ぐらいの大きさの岩。
それが降って来る。
直撃コース……避けられない!
呆然として何の反応もできなかった俺は
死ぬかなー…と、そんな事を一瞬だけ思った。

ドゴォォォォォォォォォン!!!

次の瞬間、轟音とともに岩は俺の目の前で粉々になった。
破片がいくつも飛んできて身体を掠める。傷だらけになる。
だけど運がいいことに、直撃弾は一つもなかった。
俺は衝撃と激しい痛みに打ちのめされ、半壊したいかだの上で意識を失った。

 

 

 

 


「いや、すまなかったな浦島。一つ取りこぼしてしまったんだ」
「素子ちゃん…岩を砕いてくれたのには感謝するけど…危うく死ぬところだったんだよ」

浦島の手当てをしながら謝罪をする。が、どうも納得してないようだ。
本人の言葉を表すように、浦島の身体は包帯だらけになっている。
だがまあ、ほとんどの怪我が浅い裂傷だったから、動くには支障がないはず。

「まあ良いじゃないか、たいした怪我がなくて。おまえだったらすぐに治るだろう」
「そりゃそうだけど…素子ちゃんが言う?」
「誉めているんだよ」

浦島が拗ねたように口を尖らせた。
それが少しおかしくて、私は喉の奥だけで笑った。
他に誰もいない小屋の中。
浦島が動けるようになるまでの間、他愛もない話をして過ごした。
今まで知らなかった、浦島の意外な面が分かる。 
今まで自分でも気づかなかった、私の意外な面が明らかになる。
今まで出来なかった、自然な会話が二人の間にある。
自然…そう、自然だ。
今まで、クラスメートやひなた荘のみんな、両親と話すときでさえ、どこか肩肘を張っていた。
心のどこかに、『青山素子』としての理想像があり、それに合わせて人生を過ごしてきた。
だが浦島の前では、それが消える。
『青山素子』ではなく、『私』が出てくる。それはとても心が安らぐことで。
まるで……

まるで、姉上と話しているようだ……

 

 


「素子ちゃん、言われた通り付けたけど…」

俺はあぐらをかいて額にキョンシーみたいなお札をつけているという格好で素子ちゃんに問い掛けた。
さっき話をしている途中で急に素子ちゃんが黙ってしまい、ようやく言ったのが『修行を始めるぞ』という言葉。
俺にお札を渡してから、今度は自分の荷物から(妖しげな)粉薬を取り出して調合している。
と、調合し終わったようだ。粉薬を紙の上に載せて…

「出来たぞ浦島。飲め」

…なんとなく予想してたけど…やっぱり俺が飲むのか…
手渡された粉薬(ちなみに真っ黒だ)と水を交互に見ながら一応聞いてみる。

「これ…飲まないとだめ?」
「駄目だ」

…即答だった。
もう半分やけになって、薬を一気に口の中に注ぎ込む。
苦い!!
なんだこれ!!?今まで一度も感じたことのない…超絶的な苦さ!!
まさか母さんの料理よりも酷い味がこの世にあったなんて…!
やばい、いしきが、とおく…な…


目を開けると何もなかった。
!!??
瞬間的にパニックになりそうになるのを、無理やり押さえ込んだ。
………
そうしてあたりを見回してみるが、やはり何もない。灰色の大地と、やはり灰色の空が、地平線で繋がってる。
いや…はるか遠くに、小さな点が見える。
そして、逆方向の彼方にも小さな点が見える。
俺はとりあえずため息を吐いた。
素子ちゃん…どうしろって言うんだよ…

とりあえず最初に見つけたほうの点に向かって歩くことにする。
歩く…
……
……
歩く……
……
……
……
歩く……
……
……
喉が乾いた……
……
……
足が痛い……
……
……
……
……
……
……
……
……
もうどれだけ歩いただろうか……
……
……
……
……
……
……
……
……
……
……
……
……
……
……

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…」

俺は歩き続けていた。
ある程度まで近づくと、外見が分かってくる。そして、それが何かは既に分かっていた。
最近は見慣れてきた建造物…
あれは……東大だ。

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…」

だが、どうしても辿り着けない。
外観は分かるのに、それ以上はどれだけ歩いても近くならない。
砂漠で蜃気楼を追いかけているようなものだ。
既に足は棒のようになっている。全身に疲れが溜まって、今にも倒れそうになる。
だけど、止まってはいけない。あそこに行かないといけない。そんな気がする。
その思いは、俺の一番深いところから生まれてきていた。
そうすることが、俺に、何も持っていない俺に許された、唯一の道のように思える。
いや、あそこに行かなければ、俺には何も始められない…

『止まれ、浦島』

不意に聞こえた声に、思わず足を止めてしまう。
勢い余って、その場に転倒する。

「あ………」

起き上がろうとする。あそこに行かなければならない
…と、どことも知れぬ空間から、声が響いてきた。

『もういいから止まるんだ、浦島』

その声は…どこか後悔と慈愛を含んでいた。
俺は止まった。

『この世界は、おまえの心だ』

地面に転がって、灰色の空を見ながら、素子ちゃんの説明を聞く。

『いわばお前は、夢を見ているようなものだ』

それはなんとなく分かっていた。こうやって歩き続けたのは、きっと1度だけじゃないから。

『歩きつづけても決して追いつけない…それはお前の”夢”だ。生きる上での目標だ』

それは…おれの…ゆいいつの…

『これは、意思力を鍛えるための訓練だ。心の中に入り込んで、自分の壁と向かい合うんだ』
「かべ…?」
『ああ、だが”夢”には消して追いつけない。倒れるまで進むしかない……すまなかったな、浦島。もう終わりだ』

まだ…まだ行かないといけないところがある。
素子ちゃんの声を無視するように立ち上がる。

『浦島?』

東大とは逆の方向を向く。小さな点が見える。
あそこに行きたいと…いや、戻りたいと願う。
一歩を踏み出す…次の瞬間。
ザァ…
俺はひなた荘の前に立っていた。

『浦島…これ以上進むと、きっと辛い思いをするぞ』
「分かってる…けど、行かなきゃ」

長い石段を登りながら、素子ちゃんと話をする。
何が起こるかは、大体予想がつく。
素子ちゃんは気付かなかったみたいだけど、階段を登る前、プリクラを取る二人組の姿が見えた…一瞬で消えたけど。
階段を登りきると、玄関が見える。
桜吹雪が視界を埋め尽くす。
その中を制服姿の少女が歩き…消えた。

『浦島…』
「………」

無言で玄関に入る。居間に向かう。
白衣を着た男とピンクのドレスを着た少女。
男が顔を近づけて何かを言うと、少女の顔が真っ赤になる。
消える。
階段を上がると、すぐ側に管理人室がある。
管理人室に入る。誰もいない。
窓際によって外を眺めてみる。下のほうに、小さな公園が見えた。
ブランコに乗る二人。重さに耐え切れず、ブランコが壊れる。
しばらく何かを言い合ったあと、静かに言葉を交わす。
公園ごと消える。
空を見上げてみると、いつのまにか灰色の空から星空に変わっていた。
管理人室を出る。
階段を登って”彼女”の部屋の前に立つ。
戸をそっと開けて、中を覗き込む。
炬燵を間にはさんで、勉強をする二人。
二人が消える。
俺はきびすを返して、物干し台に向かった。

『浦島!これ以上は…』

この先にあるものを素子ちゃんは知っていた。もちろん俺も知っている。

「俺は…ずっと逃げていた」

階段を登りながら呟く。

「思い出すのが、痛くて苦しくて、そんな風に感じるのが嫌なんだ」

階段を折り返す。

「その中に大切な思い出があるはずなのに…」

物干し台の上に出る。

「だから俺は…向かい合わないといけない」

視線の先に、青年と少女。
青年が小さな声で呟いたあと、泣きながら叫ぶ。
それは告白と決別
二人の姿が、消えた。

 

 

 

 

 

物干し台で仰向けに転がって、空を見上げる。
星の少ない夜空。
夜明けはこない。
俺を照らしてくれた少女は、無くなってしまった。
いや、俺が自分で手放した。
夜が続く世界。

「俺……強くなったのかな……」

何気なく呟くと、素子ちゃんの声が聞こえてくる。

『お前は…初めから強かった』

深い悲しみに彩られた声

『傷を負って…それを表に出さず…普段どおりに振舞っていた』

きっと素子ちゃんは泣いているのだろう…そんな気がする。

『そして自分の痛みに向かい合い、大切なものに変えようとしている』

周りの光景がグニャリと歪む。

『お前は…私なんかより、よほど強い』

落ちていく意識の中で、成瀬川が笑う。
予備校で笑う成瀬川
試験場で笑う成瀬川
フェリーの上で笑う成瀬川。
桟橋の上で笑う成瀬川
公園で笑う成瀬川
素子ちゃん…俺はやっぱり弱いんだよ。
だって、まだこんなに胸が痛いんだから。

俺はまだ、成瀬川のことが好きなんだよ。

 

 

意識が浮かび上がる。
五感が完全に戻ってから、俺はゆっくりと目を開けた。
すぐに目の前にあるのは、小刻みに震えるつややかな黒い川。
素子ちゃんが俺の肩にすがり付いて…泣いていた。
ぼろぼろと涙をこぼして、時々しゃくりあげて
俺ははじめて見る、素子ちゃんが子供みたいに泣く姿に動揺しながら(実際、想像したこともなかった)彼女の身体を、そっと抱きしめる。
素子ちゃんが身体をビクリと強張らせる。
素子ちゃんの頭をそっと撫でる。

「ゴメンね素子ちゃん…俺のせいで、悲しい思いさせちゃって」

子供をあやすように、頭と背中をゆっくりと撫でてあげる。
フルフル
素子ちゃんが、俺の腕の中で頭を振るのが感じられる。

「どうしたの?」
「うらしまは…わるくない」

小さな声
聞き逃してしまいそうなほどの小さな声だったけど
それは陳腐な慰めかもしれないけど
俺にとって、今まで聞いたどんな言葉よりも心に染みた。
だから、泣きつづける素子ちゃんの耳に囁く。

「ありがとう」

と。
結局、素子ちゃんが泣き疲れて眠ってしまうまで、俺は彼女を撫でつづけていた。
ゆっくりと、ゆっくりと


 

 


カタン…
何かの音で目が覚めた…
真っ暗の静かな部屋…
目が覚めた?眠っていたのか?私は…
そうだ、浦島の心に接触していて、そのまま浦島の悲しみを感じてしまって
それで…浦島に泣きついて…
カァ…
思い出す、子供のように泣いてしまったこと
思い出す、浦島に子供のようにあやされたこと。
思い出す、浦島に言った言葉と言われた言葉。
あ……
顔が火照る、頭が熱くなる…
うう…
駄目だ、寝ていられない……頭を冷やそう。
私は布団をはがして起き上がった。

外に出た私は、とりあえず辺りを散策することにした。
山の夜風は心地よく、私の火照った顔を冷やしてくれる。

「今宵はいい月夜だ…これから修行でも始めようか…」

などと、私が半ば本気で呟いたとき。

「素子…ちゃん?」

すぐ横の、茂みの向こうから声。
この声は…
ガサ…
私が茂みをかき分けると、そこは丘になっていて…
月をバックに、なる先輩が座っていた。

 

 

 

 

「なる先輩…」

風が吹くたびになびく髪、月に照らされて輝く微笑み
素直に綺麗だと思った。
美しい人だ。
私などとは比べ物にならないほどに――

「こんばんわ、素子ちゃん」
「はい。こんばんわ、なる先輩」

普段だったら場違いに感じるだろう挨拶も、この場にあってはごく自然に思えた。

「隣、良いですか?」
「ええ、どうぞ」

二人で隣り合って座る。

「………」
「………」

無言
二人で、ただ風を感じ夜空を眺める。
ここで、『どうかしたんですか?』などと聞くのも無粋に思える。
おそらく、ここでは黙っているのが一番合うのだろう。
だが…

「素子ちゃん……」

沈黙を破ったのはなる先輩だった。
無言で、なる先輩へ視線を向ける
なる先輩の顔は強張っていた。まるで…
これから、良くないことでも聞くかのように

「景太郎……何かあったの?」
「え……?」

浦島に何か?
そういえば…私は眠ってしまってから何が起きたのか…知らない。
私の表情を読み取ってくれたのか、なる先輩が説明してくれた。

「そうよね、素子ちゃんは眠ってたんだから分からないよね。あいつね、なんだか様子が変なのよ…」
ドクン…
「普通に振舞ってるつもりでも、なんだか無理してるみたいで…」
ドクン、ドクン…
「それで、『何かあったの?』って聞いても、目を逸らして『なんでもない』って言うだけで」
ドクンドクンドクン…

分かっている。なる先輩は悪くない。
なる先輩は、浦島の想いを知らない。その悲しみを
浦島は決して口にしないだろう。なる先輩への想いを
だから…なる先輩は悪くない。
だから……なる先輩は悪くないと、自分に言い聞かせる。
だが…そのとき。
私の中の『私』が囁いた。
心の中の、真っ暗な所にいる、黒くて汚くて小さな、それでいて本当の『私』が囁いた。
『本当にそう?』

『彼女に彼の事を教えてあげないの?彼女なら、彼のことを癒せるはずよ』
浦島が何も言わなかったのだ。私にそれを教える権利はない。

『彼女はきっと彼のことが好きよ。知る権利はあるはず』
駄目だ。なる先輩が浦島の痛みなんだ。浦島はきっと、そんなことは望んでいない。

『それじゃあ彼はどうなるの?心に痛みを抱えたままで』
……浦島は強い。一人で乗り越えられるはずだ。

『じゃあ、その後は?彼の心を見たでしょう?いくら彼でも、心が暗闇に閉ざされたままじゃ、笑えない』
きっと……いつか、良い女性に逢えるはずだ。その女性に…

『それまで、彼の心はずっと閉ざされているの?それに彼は、そんなことを簡単に話したりしないわ』
…………

『貴女は?』
な…に…?

『貴女ならどう?今、一番彼の傍にいるわ。それに、彼の苦しみを知っている。何より……』
私…わたしは……

『貴女、彼のことが好きなんでしょ』

浦島は、なる先輩のことが好きであり
なる先輩は、浦島のことが好きである
ずっと前から、分かっていた。
浦島の表情、行動、態度。
なる先輩の口調、しぐさ、雰囲気。
本人たちは気づかれていないつもりだったかもしれないが、周りから見れば一目瞭然だった。
二人は好きあっている。
そんなことは分かっていた。分かっていたはずなのに
私は…浦島を好きになってしまったのだ。
浦島の笑顔、優しさ、誠実さ。
同じところで暮らしていれば分かってしまう、色々な癖、色々な表情、色々な思いやり。
何より…私のことを、身長や剣のことを知ってながら、普通の女の子として扱ってくれるところ。
私は、浦島に、どうしようもなく惹かれていた。

「一応あんな奴でも受験生だからさ、何かあったらまずいとおもって…」

私が自問自答してる間、なる先輩はずっと話し続けていたようだ。
既に、”いつもの言い訳”の部分になっている。
少し悪いと思う。
そして私は、なる先輩にとっては些細な―――――しかし、私にとっては重要な意味を持つ問いかけを発した。

「なる先輩」

 

 


だが私は、この想いを認めるわけには行かなかった。
今までの私には、剣しかなかった。そんな私に、この気持ちをどうしろと言うのだろう。
それに…この想いは、決して届かない。
私が浦島を好きなように、浦島にはなる先輩がいた。
私のこの想いは、誰にも知られることなく、私の中に沈み続けるはずだった。
そのはずだった。

浦島が、なる先輩のことを諦めたりしなければ
浦島のことを諦めることができたのに

「ずいぶんと、浦島のことを気にかけるんですね…」
「な、なに言ってんのよ!あんな奴のこと、心配なんかしてないわよ!!」

そのときの私の表情は、きっと幽鬼のようだったろう。
だが暗いせいか、なる先輩は私の表情に気付かなかったようだ。
慌てて言う、”いつもの言葉”
それは単純な照れ隠し。
なる先輩の、浦島に対するポーズ。
それは分かっている。
だが、自分の気持ちを認めてしまった『私』は、別の意味に取る。

『それなら…』
「なる先輩は、浦島のことが好きなのですか?」

分かっている。なる先輩がどう答えるかは
それは、素直でないが故の照れ隠し。
他愛もない強がり。
だが、それでも

「別に好きじゃないわよ、あんな奴」
『なる先輩、それなら…』

私の中の、黒くて小さな本当の『私』がさっきと同じように呟いた。
違うところは、その『私』が、もう暗いところにいなかったこと。

 

 

 

それなら私が、浦島の傍にいても良いですよね


 

 

 

「姉上すごいなァ。ウチにも出来るやろか?ウチにも教えてぇ」
「ハハハ、素子にはまだまだ無理やな。まずは、『今』の『流れ』を感じる事を知らな」
「イマー?ナガレ??何やソレ?」
「ま、大きゅうなったら教えたるから、今は修行きばりや!!」

 

 

 

 


修行、五日目

「ハァッ!!!」
ズバァァァァァ!!!

素子ちゃんの放った一撃が、手前に置いてあった丸太ごと、岩を真っ二つにしていた。
…が、素子ちゃんはその結果に満足してないようだった。
刀を振り下ろした体勢のままで、息も荒いというのに次を促す。

「ハァ、ハァ、ハァ……浦島、次を頼む」
「ちょっと…素子ちゃん、少し休んだほうが良いよ」

素子ちゃんはさっきから、いくつもの岩相手に全力で剣を振っていた。
相当、消耗しているはずだ。
だが素子ちゃんは、押えつけようとする俺の腕をすり抜けて、再び刀を構えた。

「心配させてすまない…だが、もう少し続けたいんだ、頼む」
「……わかったよ」

俺はしぶしぶ、脇に置いてあった丸太を、近くの岩の前に立てかけた。
それから、素子ちゃんの後ろに下がる。

今朝、俺と素子ちゃんを除くみんながひなた荘に帰った後、素子ちゃんは『私の修行に付き合ってほしい』と言い出した。
話によると、ある技を習得したいらしい。気をコントロールして目標のみを切り裂く技、だとか。
当然、断る理由もなかったし、何より普段あまり頼ってくれない素子ちゃんの申し出とあって、俺は二つ返事で引き受けた。
だが、それがまさかこんな修行とは……

「斬岩剣!!」
ザシャァァ!!!

地を疾った気の刃が、岩を両断する。
だが、両断されたのは岩だけではなく、丸太も同様だった。
これで、丸太に傷がつかなければ成功らしいのだが……
まあ、とにかく俺は今度こそ素子ちゃんを休ませるべく、彼女の肩に手をかけた。 

「素子ちゃん、まだ時間はあるんだからそんなに焦らなくても……ん??」

言ってる途中で俺は気付いた。
反応がない。
無視してるとかそういうことじゃなくて、なんと言うか…肩を叩いたときの、手ごたえすらないのだ。
と思ったら、素子ちゃんはぐらりと揺れて…
ドサッ
膝から崩れ落ちた。

「も、素子ちゃん!!」

慌てて彼女を抱き起こす。
素子ちゃんは……気絶していた。
た、大変だ!!
きゅ、救急車を呼ばないと……いや、こんな所に来れるはずがない。ヘリか何かを頼んで…って、ここには電話すらない!それじゃあ近くの病院まで…駄目だ!ここからは遠すぎる!
一通りパニクった後、俺は当たり前の結論にたどり着いた。
とにかく、休めるところに運ばないといけない。
もちろん、そんなところは一つしかなかった。

とりあえず布団を敷いて、素子ちゃんをその上に寝かす。
高校の頃に習った応急手当のやり方を思い出しながら、脈拍と呼吸を確認する。
…大丈夫。両方しっかりしてる。これなら…
裏の井戸から汲んでおいた水をタオルに含ませて、素子ちゃんの額に乗せた。
その頃には素子ちゃんの呼吸も穏やかになっていた。

「これで大丈夫かな…」

今は何か夢を見ているらしい彼女の顔を見ながら、俺はふとある事に気付いた。
安らかな、あどけない、子供のような寝顔。
素子ちゃんって……こんなに可愛かったんだな…
それは、以前感じたものと、近くて遠い思い。

前に素子ちゃんが女装(この言い方は失礼だけど)したときも思ったこと。
けどあの時は、驚きとうれしさがほとんどだったと思う。
妹の意外なかわいらしさに驚き、そして喜ぶ兄。
感覚としては、そんな感じだったんだろう。
可奈子やしのぶちゃんとはまた違った感覚の
”兄”と”妹”
いくら刀を振り回して追いかけてても、やっぱり素子ちゃんは年下の女の子なのだ。
『勝気で怒りっぽい妹』というのが、俺のこれまでの認識の仕方だったし、これからもずっとそうだと思っていた。
思っていた。
けど…今、感じた気持ちは……
今感じた『可愛い』という気持ちは

『うらしまは…わるくない』
「くそっ…」

俺は素子ちゃんの顔から目を逸らした。
俺は……俺は、素子ちゃんを好きになりかけている自分に気がついた。
それは、”兄”と”妹”ではなく、”男”が”女”に対して抱く想い。
だが俺は同時に、それがとても許されない想いだという事に気付いていた。

俺が素子ちゃんにこんな気持ちを抱くのは、『今』だからだろう。
成瀬川という太陽を失い、心が弱くなっている『今』だから。
俺は…『今』、素子ちゃんが優しくしてくれる、という理由だけで、彼女にすがるわけにはいかない。
すがってしまったら俺は…きっと、素子ちゃんを成瀬川の『代わり』にしてしまうから
それは、とても…とても心が傷つくことだから。
俺はそのことを良く知っている。
俺は、一時の安息なんかのために彼女を…大切な『仲間』を失いたくない。
『今』の俺の唯一の理解者を、そんなつまらない事で傷つけたくなかった。

俺は食事の支度を始める事にした。
じっとしてるから、変な事を考えてしまうのだろう。
幸い食料は、キツネさんたちが取っておいてくれたものがまだ残っている。
素子ちゃんが早く回復するように、少し多めに作ることにする。
俺が調理にかかろうとした時、素子ちゃんが寝言を言った。

「あねうえ……わたしには…わかりません…」

 

 



少し前に目を覚ました素子ちゃんと、言葉少なに食事を取った。

「………」
「………」

部屋の中に、食事を咀嚼する音だけが響く。
……
……
……
気まずい
俺はさっきのことがあって、素子ちゃんに話かけれなかった。
素子ちゃんになんていえば良いのか、分からなくて。
部屋の中に、沈んだ雰囲気が溜まっていた。
……
……
……

食事が終わる頃、素子ちゃんがポツリと呟いた。

「浦島。色々と、すまなかったな」
「いや、俺は別にいいけど…素子ちゃん、身体は大丈夫?」
「……大丈夫だ」
「良かった…でも、今度からあんな無茶しないでよね?」
「ああ…」

あまり元気はなかったが、素子ちゃんは約束してくれた。これで一安心だ。
何しろ素子ちゃんだから、約束を破るようなことは絶対にしないだろう。
俺は会話のきっかけを逃さないよう、もう一つの疑問を口にした。

「でも、何で倒れるまで修行なんて…」

今考えればすぐ分かるが、あの時剣を振るっていた素子ちゃんは、普通ではなかった。
いつもの、澄んだ表情ではなく……何かを、思い詰めたようなところがあった。
あの時気付いていれば、倒れるようなことにはならなかったかもしれない。
そう思うと逆に、なぜあんな表情で剣を振るうかが気になっていた。
………
しばらくの沈黙の後、素子ちゃんはゆっくりと話し出した。

「浦島…私の習得しようとしている技は…『弐之太刀』だ」

 

 

 


「『前面の人を傷つけず、背後の魔を断つ』『極意流水と極意止水への道』『これぞ人を守り、魔を討つために生まれた神鳴流の真髄』…」

素子ちゃんの口調はまるで、自分ではない誰かの台詞をなぞっているようで

「だがな…斬れるのは、岩だけじゃないんだ」
「え…?」
「実体のない『魔』や…人と人との『繋がり』、人の『想い』ですら…斬ることが出来るんだ…」
「……そんなものまで」
「そして……なあ、浦島。私は、お前の『想い』を斬ろうと思ったんだ」
「!!!!!!!!」
「正確には、『お前の、なる先輩への想い』をだ」

驚愕して固まった俺に、素子ちゃんは言い直してくれた。
だけど、その内容はさらに驚くべきものだった。
俺の……『想い』を…?
何でそんな事を……いや、それより、それよりも

「じゃあ…斬られた『想い』は、どうなるの?」
「消える」

震える俺の声とは対照的に、素子ちゃんの声は恐いほどに冷静だった。

「記憶が消えるわけではない。だが、その『想い』の根本的な部分が消える………もう、なる先輩と話しても苦しくなることはない」

『成瀬川と話をしても、苦しくなくなる』
それは、とても甘美な誘惑だった。
『成瀬川といっしょにいても、痛みを感じることはなくなる』
それは今、俺が一番渇望していることだった。
『成瀬川と過ごした時の気持ちがなくなる』
でも、それは………

 

 

 

 

 

「ありがとう、素子ちゃん」

俺は改めて、目の前の――――――俯いている素子ちゃんを見つめた。
よく見たら、膝の上で握りしめられた彼女の拳は、小刻みに震えていた。

「素子ちゃんの気持ちはうれしいけど…そんなこと、しなくてもいいんだよ」

これじゃまるで、告白を断っているみたいだな…と自嘲した。
まあ、生まれてこのかた、そんなもの受けたことはないんだけど。
慣れないことながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「確かに『想い』がなくなれば、苦しみや痛みはなくなるけど…」

子供にするように、優しく諭す。
素子ちゃんの様子が、何かに怯えているように見えたから
そんな彼女を放っておくことなんてできない。

「でも…でもさ、あいつと一緒に居たときの気持ちをなくすのは、もっと辛いから」

ああ、素子ちゃん。俺、今気付いたよ。
俺の中にはまだ、成瀬川の事をあきらめきれずにいる『俺』がいる。
どんな言い方をしても、それが真実。
滑稽だよ。口では偉そうな事言って、なんでもないような顔してても、俺はとても弱いんだ。
俺はもう知っているのに、『俺』は『成瀬川の事を好きでいられない』という事実を認めていないんだ。
なんて、こと。

「お前は、それでいいのか?」

俺の思考を読んだような素子ちゃんの言葉。
内心の思いを隠し、『いつもの俺』らしく振舞う。

「ん…まあ、大丈夫だよ。失恋の傷は時間が癒してくれるって言うし」

素子ちゃんを安心させるため、明るくおどけたように言う。
そんなものは嘘だと、自分でも嫌というほどわかっているけど。

「浦島…私にまで、嘘をつかないでくれ」

ドクン!
素子ちゃんの悲しそうな、何もかも悟ったような声に、心臓が跳ねた。

「私は、お前の心の中を見た」

そうだ、自分の痛みと向かい合ったとき、素子ちゃんもそれを見ていた。
素子ちゃんは俺の痛みを知っている。だから隠し事は無駄なはずなのに。

「お前の心は、暗闇に閉ざされていて、ずっと夜が続いていた」

俺はそれを知っていた。素子ちゃんを、唯一の理解者だと思っていた。
そして『俺』は彼女に隠し事をしようとした。遠ざけようとした。

「そしてお前には、いくつもの枷がはめられていた………なる先輩への『想い』が」

やっぱり俺は素子ちゃんを意識している。
素子ちゃんを、理解者ではなく一人の異性として求め始めている。

「お前を、そこから解き放ってやりたかった」

『俺』は、優しくしてくれる一人の女性として、素子ちゃんを求め始めている。
でもそれは、とても許されない『想い』で……

「そして、お前の…太陽になりたかった」


 

その言葉を言ったとき、浦島は何かを考え込んでいたようだ。
不意をつかれ、唖然とした顔の浦島に向かって、私は言い直した。
先ほどよりも少し強い意志を込めて。

「いや、太陽でなくてもいい。お前が立ち直るまで、お前を支えられるのなら……それで、いいんだ」

それは、私の初めての告白。
私の気持ちを、私の想いを、浦島に伝えた初めての瞬間。
だが、普段こういった事に関してすぐに波打ってしまう私の心は、自分でも驚くほど静かだった。
浦島の表情のほうが、よほど変化があった。
一瞬呆然とし、次いで真っ赤となり、最後に…何か、思い詰めたような顔になった。

「駄目だよ、素子ちゃん」

浦島の声と表情は固かった。
それは、いつもの浦島ではなかった。
私は初めて、浦島の中にも他人を拒絶する部分があるという事を知った。

「駄目だよ素子ちゃん、そんな事を言っちゃいけない」
「何故だ?」

対照的に、私の声はいつものままだった。
ある意味で、いつも通りだとも言えた。

「俺は素子ちゃんが好きになるような人間じゃない、どうしようもない浪人生だ」
「そうでもない。少なくとも、私が逢った男の中では一番マシだ」

浦島は外見こそ冷静に見えたが、この上ないほど揺れていた。
対して私は、冗談めかした言い方をする余裕すらある。

「買いかぶりだ。俺は、素子ちゃんに対して何もしてやれない」
「私の事を理解して、女の子として扱ってくれるのはお前だけだ」

二人で問答を繰り返す。
浦島にとっては説得なのかもしれないが、私にとっては自分の想いを再確認する行為に過ぎなかった。

「素子ちゃんが世間知らずなだけだ。君を好きになってくれる奴なんて世の中にいくらでもいる」
「その中にはお前はいない」

確かに私は世間というものに疎い。
だが、今目の前にいる浦島に対する想いは本物だ。

「それはただの異性への憧れだ。もっとたくさんの人と会えばきっと本当の恋が出来る」
「私は、浦島の傍にいたいんだ。恋でも憧れでも、どちらでもかまわない」

もちろんそのことは考えた。何度も自問した。自分の想いがただの憧れではないかと。
結局答えは出なかったが…やりたいことがあるなら、別に当てはめる必要もない。
『私らしく』すればいい。

「俺は……まだ、成瀬川のことが好きだ」

血を吐くような叫び
流石に身体が震えた。
それこそが、浦島を苦しめている元凶。
だが……

「知っている」

私は、こともなげに言った。
私の、望みを。

「別に、なる先輩の代わりでもかまわない」

 

その言葉を聞いたときの浦島の変化は劇的だった。
無表情という仮面がボロボロと崩れ、泣いているような、怒っているような、笑っているような顔になる。

「駄目だよ、素子ちゃん」

さっきと同じ言葉。
だが、言葉に込められた感情は決定的に違う。
私の言葉が原因なのだろう。だが、何故それがきっかけになったのかが分からない。

「駄目なんだ」

笑っていた。
いつもの、情けなく見えるが暖かい笑みではなく。
自分に自信が持てない。自分が好きになれない、自分が嫌いな者の笑い。

「誰かの代わりにされるっていうのは、自分の全てを否定される、ってことだから」

怒っていた。
馬鹿な事を言い出した私のために。
自分のために怒っていた先程と違って、それは浦島にとってごく自然な怒りだった。

「それは凄く痛いんだ。その人のことが好きなら、なおさら」

泣いていた。
涙こそ流してなかったが、浦島は確かに泣いていた。
自分がその痛みを体験したかのように、その痛みを思い出しているかのように。

「俺もさ、素子ちゃんのことが好きだよ」

その言葉はごく自然に浦島の口から発せられ、ごく自然に私の耳に入ってきた。
あまりに自然だったので、その意味を理解するのに数秒かかった。
そして、それより先に浦島は言葉を続ける。

「だから、素子ちゃんを否定なんかしたくないんだ」

浦島は無表情に戻っていた。
声には感情がこもってなく、淡々としている。

「でも俺は弱いから……きっと、素子ちゃんを成瀬川の代わりにしてしまう…それは嫌だから」

そしてまた表情を見せる。
自虐的な笑い。
弱い自分を、嘲笑うかのように。

「だから…さ、こんな情けない男の事は、忘れて欲しいんだ…」

私は答えられなかった。
色々なものが胸の中でぐるぐると回っていて、何を言えばいいのか分からなかった。
浦島はそんな私をしばらく見つめた後、『もう寝よう』と言った。



 

 

「うん、がんばる!でも、ホンマにホンマ?ウチにもできるゥ?」
「ウチも、大きゅうなったら姉上のように…」



 

 

修行六日目

夢を見た。
幼い頃の夢だった。
姉上がまだいた頃の
私が捨てられていなかった時の

 



俺は寝袋の中で目を覚ました。
最近は早寝早起きが基本だったため、自然と早く目が覚めてしまった。
素子ちゃん曰く、『修行は朝早くから始めるものだ』と言うわけで、そんな癖がついてしまったのだ。
一瞬、昨日の事が頭をよぎり、彼女にどう接すればいいのか分からなくなるが
『いつも通りでいい筈だ』と自分に言い聞かせてから
とりあえず、朝の挨拶をしようと思ったら…
素子ちゃんの姿は見えなかった。

 


姉上は、私の理想だった。
私は、姉上のようになろうとしていた。
いつも正しく、頼れる、揺るぎない姉上のように

 


『修行に行く』
書置きに書かれてあったのはそれだけだった。
それで俺は、どうしたらいいんだろうか?
小屋の中で、しばらく途方に暮れてみる。
一人で修行をするっていうのも無理だし……
まあ、やる事がないのなら勉強でもしようか。
俺は荷物の中から、参考書を取り出した。

 

 

私は仮面をかぶっていたのだろう。
いつも正しいということは、常に真面目であり。
頼れる存在という事は、誰も頼れないという事であり。
心の中は、揺るぎないとはとても言えなかったが、表面上はそうあろうとしていた。
あまりに長い間仮面をつけていたため、私もその仮面を『私自身』だと思っていた。
そして、奴と出逢った。

 

 

はぁ………
俺はため息をついて、三時間前から1ページも進んでいない参考書を放り出した。
そして、ついに素子ちゃんの事を気にしている自分を認めた。
やっぱり昨夜のことなんだろうな……
考えてみれば昨夜は、勢いに任せてえらい事を言った気がして
少し思い返してみる。
………
……
まるきり、告白合戦だった。
ただし、告白という言葉から連想されるような、甘いものではなかったが。
結局、素子ちゃんの想いを、俺が拒んだということだろう。
それもかなり手ひどく。
…まあ、これで大丈夫だろう。
なにが?
きっと、もう俺のことを好きなんて言わないはず。
人に好意を示されることを否定するなんて、いつから俺はそんな人間になったんだ?
だって、身代わりで構わないなんて、そんなの絶対に間違っている。誰もが傷つくだけだから。
あそこまで彼女を手ひどく傷つけておいて、そんな偽善に満ちたことを言うのか?
………

 


最初は、へらへらした軟弱者だと思った。
奴は、皆に笑いかけていた。
目の敵にしていた私にでさえ、自然に。
しばらくしてから、喜怒哀楽の激しい奴だと思った。
些細なことで喜び、理不尽なことに怒り、すぐに落ち込み、そして皆と一緒に笑う。
姉上に、少し似ていると思った。
何故そう思ったかは分からない

 


床に仰向けになりながら、色々な事を考える。
いや、それは考え事というより、さまざまな疑問だった。
何故、素子ちゃんはあんな事を言い出したのか。
何故、俺はあんな事を言ってしまったのか。
素子ちゃんはどこに行ったのだろうか。
そして、俺はどうしたいのか。
どの疑問も、解けそうになかった。
このまま、ここに居たのでは。

 


奴は、皆に様々な影響を与えていた。
それは、揺るぎなくあろうとしていた私でさえ、例外ではなかった。
いや、あるいは私が一番影響を受けていたのかもしれない。
奴と話していると、調子が狂った。
いつもの私でいられなかった。
私が、『私自身』だと思っていた仮面が、ボロボロと崩れていったのだ。
まるで、私が仮面をつける前のように。
姉上と、話しているかのように。

 


素子ちゃんに会わないといけない。
俺はそんな衝動に突き動かされ、山道を歩いていた。
心当たりなんて、ないのなら探すまでだ。
一週間ほど過ごした山の中を、あてもなく進む。
もう、自問自答はしていない。
彼女に会わないと、きっと俺が知りたい答えは出ない。

 


何故、姉上と奴が似ていると思ったのか。
奴は、いつも正しいとはとても言えず。
あいつには、頼れるところなどほとんどなく。
奴の心は、揺るぎないどころか、常に揺れていた。
私の知っている……私の理想とする姉上とは正反対なのに。
なぜだろう。
私は知りたかった。
そのとき、耳を圧する轟音の中で、浦島の声が聞こえた。

 

 

 

 

 

「見つけた…」

 

 

 

 

 

俺は思わず呟いていた。
素子ちゃんは、滝の近くの崖―――――2日前の修行のときと、同じ場所に立っていた。
彼女は俺のほうを振り向き、透明な眼差しでこちらをじっと見つめている。
もう一度口を開こうとして、俺は素子ちゃんに、何を言うのか、何も考えていなかったことに気付いた。
どうしようもなくなり、彼女の目を見返す。

「……」
「……」
ドドドドドドドドドドドド……
「……」
「……」
ジャキン

二人の間に、刀の鯉口を切る音が響いた。

「浦島」

刀をゆっくりと俺に突きつけながら、素子ちゃんは今回で3回目の言葉を発した。

「勝負だ」

その声には前のような怒りは感じられず、ただ静かだった…内容は、静かでもなんでもなかったが。
俺は動けなかった。
いつもだったら、勢いよく反論していただろう。
だが、彼女の目が俺を金縛りにしていた。

「負けたほうは、勝った方の言う事を一つだけ聞くんだ」

条件は以前とほぼ同じ。
だが、状況は以前とはまるで違っていた。
まるで、今の二人の関係を表すかのように。
促されて俺は『凍月』を抜いた。

 



「秘剣、斬空閃!!」

素子ちゃんが放った気の刃――俺の目には空気が渦巻いているように見える――が、一直線に飛んでくる。
かなりのスピードのそれを、意識を集中して条件反射的に『凍月』で受け止める。
ズン!!
刀を取り落とすほどの衝撃が全身に走り、吹き飛ばされそうになるが

「あああ!!!」

掛け声と共に気合を込めると、かかっていた圧力が消失した。
攻撃を防いで一息つく。
だが、安心するのはまだ早かった。
地面を駆ける音を耳にし、素子ちゃんのほうに顔を向けると、彼女は意外と近くにいた。
既に、刀の届く間合いに入っている。
そこから彼女は、連続して斬撃を放ってきた。
一撃目。胴を薙いできたのを、飛びすさってかわす。
二撃目。逆袈裟の攻撃を紙一重で避ける。刀のまとった気で、服が裂けた。さらに、体勢が崩れる。
三撃目。上段からの一撃。避けきれないと悟った俺は『凍月』を掲げて受け止めた。
ギィンと金属音が鳴り響き、俺が手にした刀が半ば勝手に爆発的な構成を編み出して

バシン!!

気と気がぶつかり合い、その衝撃が俺と素子ちゃんを吹き飛ばした。

「くっ!」
「うわっ!!」

地面をごろんごろんと転がってから、何とか受身をとって膝をつく。
なんとか戦えている。だけど、素子ちゃんと戦う気はなかった。戦う理由がない。
ただ……
少し離れたところで立ち上がる素子ちゃんを見る。
その、苦しみに満ちた瞳を。
ただ、彼女の苦しみを少しでも取り除きたいだけだった。

 

 

 

なら、手伝ってあげる

 

 

 

――――――――!?
どこからか聞こえてきた声に驚く暇もなく、俺の意識は闇に沈んでいた。

 

 


 

 

 

 

辺りの空気がピンと張り詰めた。
反射的に浦島のほうを向き……私は絶句した。
浦島の身体が地面から浮き上がり、無表情になっていた。
(悪霊に憑かれたのか!?)
とっさに私が思い浮かべたのはそれだった。
前に姉上から、こんな症状になると聞いたことがある。
だが、浦島の持つ刀…『凍月』が、私の考えを否定した。
異様な気を放っている。
妖刀。
数多の神刀、霊剣の中に、そんな種類があった事を思い出す。
そして、妖刀の中には所有者を操り、殺戮に走らせるものもある、ということも。
気がつくと、背中が冷や汗でべっとりと濡れていた。
私だ、私の責任だ。浦島にあんな刀を渡した、私の。
浦島を助けないといけない。
助けないと
私は止水を握り締め…駆け出した。

 

 


灰色の空と、灰色の地平線。
そこは、俺が二日前に来た場所だった。
ってことは、ここは俺の心の中ということか。

「またか……」

あの声の主はいったいどこにいるのだろう。
俺は多分無駄だと思いつつ、前と同じように周囲を見回した。
地平線に小さな点、反対側にも小さな女の子と遥か彼方の黒い……
小さな女の子!!!???!?!!?
俺は唖然として目の前の女の子―――10歳ぐらいで、腰まである黒髪にワンピース、そして何故かウサギの耳(飾り物)をつけている少女を見詰めた。
見覚えはない。
見覚えはないはずなのだが…なぜか、俺はこの少女を知っているような気がする。
その女の子は、屈託のない様子で俺に向かって挨拶をしてきた。

「こんにちわ」
「う、うん。こんにちわ…それで、君……誰だい?」

なんて言い方だろう。だけど、これしか思いつかなかったんだからしょうがない。
すると少女はくすくす笑いながら、あっさりと

「うんとね、お兄ちゃんやお姉ちゃんは私のこと、『いてづき』って呼んでたよ」

俺は再度絶句した。


 

 

 

予兆はなかった。
もちろん何も見えなかったし、気の流れも感じなかった。
だが、浦島が無造作に刀を振り下ろしたとき、悪寒が体中を貫いた。
浦島に向かって駆けていた私は、とっさに身体を横に投げ出し
風が、疾った。

スザアアアアア!!

瞬間、それまで私のいた所に幾重にも衝撃が走る。
慌てて振り向くと、地面が大きな亀裂によって深々と抉られていた。
不可視の真空波!?
浦島が、今度は刀を持ってない方の腕をこちらに向かって突き出すのを見て、とっさに身体を庇うように止水を両手で構え目一杯の気を編みこんで防御態勢をとる!

ズドッ!
「く、うっ!」

止水の中ほどに凄まじい衝撃が走り、後方に吹き飛ばされそうになる。実際に体が数センチ下がった。
だがなんとか、なんとかこらえ、浦島の方に一歩踏み出した。
刀が届くには、まだ遠い間合い。
だが、ここからなら手がある。

「秘剣」

地面をこするような軌道で止水を振り上げる。
イメージするものは、噴きだす水。

「百花繚乱!!」

ドン!!
地面から噴出した気と土煙が、浦島の姿を飲み込む。
手加減したからたいした威力はないはずだが、少なくとも転倒はしているはず。
煙が晴れたら、跳びかかって刀を叩き折る、私はそのつもりで身構えた。
ザア……
風が吹いて、煙が散る。
そこには

「なっ!?」

先程と寸分変わらず立っている浦島の姿があった。
腕が突き出されると同時に右胸に衝撃。
至近距離から不可視の一撃を喰らい、私は成す術もなく吹き飛ばされ――――

 

 


「なるほどね……」

俺は先程から少女の説明を聞いていた。
説明…と言うよりはお喋りに近く、話があちこちに跳んだり分かりづらい部分もあったが、まあ何とか理解できていた。
少女の本体が『凍月』に宿った想いである事。
強い力を持った女剣士が『凍月』を使い続けることによって、彼女の力と記憶の一部が刀に宿った、らしい。
そして、何故俺がこんな所にいるかというと

「君が引きずり込んだんだね……」
「だって、こうしないとお兄ちゃんと話せないんだもん」
「はあ…」
「あのね、わたし、お兄ちゃんとお姉ちゃんのこと、ずっと見てたんだよ」
「まあ、ずっと俺が君を持っていたわけだから…」
「ううん、それだけじゃないよ。私、心の中が読めるから」 
「え!?」
「私に触れていれば、強く思ったことならわかるの。お兄ちゃんはもちろん、お姉ちゃんも時々私には触れてたから」
「…って、そういえばここは心の中なんだよね…別に不思議じゃないかもしれないけど」
「それでね、お兄ちゃんもお姉ちゃんもお互いのことが好きなのに、どうして悲しいのかな……って思ったの」
「いや、だからそれは…」
「何でお兄ちゃんは一人で泣いてるの?何でお兄ちゃんと一緒じゃいけないの?」

彼女を…彼女を傷つけたくないから。
だが、それすらも彼女を傷つける結果にしかならなかった。
結局俺は、どうあっても彼女を傷つけてしまうんだ。
そのとき突然、彼女が叫んだ。

「分かってない!お兄ちゃん、何にも分かってないよ!!」

 

 

 

 

 


がは、と血反吐混じりの唾を吐く。
先程の一撃、相手も咄嗟だったためかたいした威力もなく、私はまだ生きている。
人外の攻撃をまともに受けて肋骨が折れる程度で済んだなら、それは僥倖と言う他ない。
だが、状況の方は致命的だった。
浦島を助けるためには、奴の持つ『凍月』を破壊しなければならないのに、その方法がない。
接近して直接刀だけを攻撃しようとしても、不可視の攻撃によって、刀の届く範囲まで近づけない。
遠距離からでは正確な狙いが出来ない。
あまりに威力が高ければ浦島まで傷つけてしまうし、手加減すれば完全に打ち消される。
斬空斬鉄斬魔斬岩竜破雷鳴百花風塵、私の使える全ての技がそのような作業に向いていない。
(万事休す、か)
だがそのとき、ある考えが天啓のごとく頭に浮かんだ。
あの技なら
神鳴流の真髄たるあの技なら。
私は頭を振って、その考えを打ち消そうとした。
確かにそれなら可能だろう……成功すれば。
だが、今まで幾度となく試しても一度も成功しなかったのだ。
失敗すれば浦島は確実に死ぬ。
危険すぎる。
私の理性が、やるべきではないと声高に訴える。
だが
(浦島、なにがあっても…)
私が浦島にできるのは、これしかなかった。

「お前を、助ける」

命を賭けてでも。




突然の少女の大声にあっけに取られていると、彼女は更なる勢いでまくし立てた。

「お姉ちゃん、お兄ちゃんの事ずっと好きだったんだよ?ずっと見てたんだよ!」

俺は少女の勢いに、何も答えられなかった。

「お兄ちゃんの強いところも、弱いところも、誰が好きなのかも、何が必要なのかも、全部知ってたんだよ!!」

子供らしい激情のままに叫ぶ少女。

「それで『傷つけたくない』!?お姉ちゃんが、どんな想いで告白したと思ってるの!?お兄ちゃんなら、傷つけられてもいいって思ってたんだよ!!」

いつのまにか、彼女は泣いていた。
涙をボロボロと流して、嗚咽混じりに叫んでいた。

「ひどいよぉ……お姉ちゃん、かわいそうだよぉ」

……
俺は、少女の頭を撫でながら一言呟いた。

「ゴメンよ」

俺は知らない間に、こんな小さな子まで傷つけてたんだな……
少女が、涙に濡れた顔を上げる。

「ぐすっ…言う相手が、違うよぉ」
「うん、そうかもね」

 



私は浦島に向かって再度駆けた。
技を仕掛けるにしても、できるだけ接近したほうが成功率は高い。
目標地点まで後十歩というところで、浦島が腕を振る。
腕の方向から衝撃波の向きを予想して身をひねる。
ドン!と音がして、足元が数十mに渡って抉れ、私はそれを飛び越えた。。
続けて『凍月』を横なぎに振るってくる。私は走りながら、思い切り身をかがめる。
頭上を真空波が掠めて通り過ぎ、髪が何本か音もなく切断され宙に舞った。
地面に左手を一瞬だけつき、その反動で態勢を立て直す。
残り、三歩
浦島が、足元の地面に向かって刀を振るう。
いぶかる暇も無く地面が弾け―――――岩の散弾が私に降り注ぐ。
その時
その時私は、確かに『今』の『流れ』を感じた。
このままでは私に当たる岩の欠片が八個。その内二個が致命傷になる、と判断する。
最小限の動きで止水を繰り出してその二つを弾き、他は当たるに任せる。
腕に、足に、頬に、脇腹に岩が掠めて血が吹き出る。左肩に、右足に岩が直撃し、骨にヒビがはいるのが感じられた。
それでも勢いがついている私の身体は後退しない。骨がみしみしと音を立てて壊れていくのにも構わず、踏み出して一瞬を稼ぐ。
残り一歩
浦島が私の頭に向かって左腕を突き出した。認識はできたのだが体捌きが間に合わず頭に衝撃が走り

『大事なんは、「力」でも「速さ」でも、ましてや「技」でもない』
「破ッ!!」

気合を込めて気を集中し、衝撃波を打ち消す。余波で額が割れるのにも構わずに最後の一歩を踏み出す。

『流れるように!「今」を感じるんや!』
『凍月』に意識を集中する―――――――――のではなく

(姉上……今こそ、わかりました)

浦島を傷つけないよう……浦島の笑顔を守りたい、失いたくないと、強く想う。

神鳴流奥義!

そして、その想いこそが

斬魔剣、弐之太刀!!

 

斬!



 

 

 

 

「あっ!」
「どうしたの?」

おとなしく俺に撫でられていた少女が、不意に声を上げた。
顔を覗き込んでみると、少女は初めに会ったときのような笑顔に戻っていた。
だが俺は、少しだけ……その中に寂しさを感じていた。

「依代が壊されちゃった……もう行かなきゃ」
「え…?」

彼女がふわり、と浮き上がる。

「お兄ちゃん、さよなら」
「な…ちょっと待って!!」

ここで俺はようやく、彼女がいなくなろうとしているのを理解した。
必死で少女の手を掴もうとするが、すり抜けてしまう。

「行くってどこに!?」
「そんなに慌てなくても大丈夫。私は、元の所に帰るだけだから」

話している間も、少女は上昇してゆく。
そして、ちょっとだけ可笑しそうに笑う。

「お姉ちゃんに謝っておいてね。もう一人の私が、少し乱暴なことしちゃったから」
「何を…」

俺は聞き返そうとして、大事な事に気付いた。
俺は彼女の名前を知らない。大事な事を教えてくれた少女の

「待って!君の……君の本当の名前を教えてくれ!」
「わたし?…わたしは……」

もう5メートルほどの高さに達した少女は少し考え込んだ。
そして笑顔で……心から嬉しそうな笑顔で言った。

「昔は『魔物』だった…でも、今は『希望』なの。いい名前でしょ?」

そして、意識が浮かび上がる。




私は、なる先輩の身代わりで構わないと、浦島に言った。
それは私が傷つくだけだと、あいつは断ったが―――それがどうしたと言うのだろう。
私は、浦島景太郎を苦しみから救いたいと願っている。心の底から願っている。
そのために、私が傷つく?……たかがその程度でいいのなら、いくらでも傷ついてやる。
命を投げ出したって構わない。どうせ私などにたいした価値はないのだ。
例えどんな形でも、浦島を救えたのなら―――これほど嬉しいことはない。
浦島の身代わりとして私が命を失ったなら…その時は、私の命も少しはマシな使い方ができたのだと、満足して死ねるだろう。
だから浦島
あんまり見当違いなことを言って、私を困らせないでくれ。

 

 

 


「………」

目を開けると、視界いっぱいに夕焼けが広がっていた。
地面に転がったまま、綺麗だな…などと、ぼんやりと思う。
姉上…世界は、こんなにも美しかったのですね。
気付くのは遅かったけれど、気付けたこと自体が嬉しかった。
と、赤一色の視界の中に、人影が写る。

「大丈夫?素子ちゃん」
「浦島か…」

いつも通りの浦島。
心配そうな、こちらを気遣う声。
そんな当たり前のことが、かけがえの無いものに思える。

「元に戻ったか…よかった…」
「うーん、なんか知らないけど、心配かけてごめん」
「そうか…覚えてないのか…それならそれでいい…」

私はもう、助からないはずだから

先程の戦いで、私は体のあちこちに出血を伴う傷を負った。
その状態のまま、数時間が経過したのだ。
まだ意識があること自体、奇跡だった。
だが、ここにはろくな医療設備が無い。
輸血もなにもできない以上、私が生き残る術はない。

「気にするな…お前のせいではない…」
「ちょっと……どうしちゃったんだよ、素子ちゃん」

私の弛緩しきった体を、浦島が抱え起こす。
そうだな…浦島の腕の中で死ぬのも悪くないかもしれない…
いや…思いつく限り、最高の死に場所かもしれないな…

「私はここで終わりだが…お前は、私の分まで生きてくれ…」
「な…やめてよ!縁起でもない!」

『愛している』と言おうと思ったがやめた。
それは浦島にとって重荷になるかもしれない。
私は浦島を縛り付けたくはない。
ただ、どんな形であれ浦島を救うことができた―――それだけで充分だ。

「浦島……もっとよく顔を見せてくれ…」

だが、せめてこのくらいは
出血多量のせいか視界がかすみ、浦島の顔がぼやけている。
最後に、愛する男の顔を脳裏に焼き付けたかった。
浦島は戸惑いながらも、私の額の髪を掻き揚げて、顔を近づけてくれる。
私の目と浦島の目が、しっかりと見つめあう。
ああ、浦島、これで…
これで…
……
……
……
……
……
……
……
……
……ん?
『額の髪をかきあげて』だと?
おかしい、私の額は数時間前に割れて、出血が続いているはずだ。
当然、額は血まみれの筈だし、目に血が入ってないというのも変だ。

「……………」
「ちょっと素子ちゃん、急にどうしちゃったのさ…うわっ!」

私はがばりと起き上がると、肩、胸、足など、傷を負った部位をチェックした。
しかしそこには傷跡すらなく、それどころか服さえ損傷も血痕も無かった。

「も、素子ちゃん??」
シュパッ!

状況を理解した瞬間――――いきなり私に押しのけられて、呆然としている浦島に向かって、私は止水を突きつけていた。
抜く手も見せぬ高速抜刀―――――間違いなく、今までで最速だった。

「浦島…」
「は、はい…!?」
「いいか?私が起きてから喋った事を、全て忘れろ。いいな?」

浦島は何も言わず(言えず)に、何度も頷いた。どうやら、言葉に殺気が混ざっていたらしい。
それを確認してから止水を下げる。
露骨に安心した様子の浦島に、今度は普通に声をかける。

「ああ、それと」
「ん、なに?」

現金なもので、もう普通の反応になっている―――――それは私もか。と、内心苦笑いする。
危ない危ない。危うく想像力だけで死ぬところだった。
想像力を馬鹿にしてはいけない。電源の切れた冷凍庫に閉じ込められた人間が、想像力だけで凍死したという話もあることだし。
…まあそれはそれとして、浦島には一応言っておくべきことがあった。

「礼を言うぞ、浦島」
「え?何の事?」
「覚えてないのならそれでいい」

一応、『弐之太刀』を修得できたのだからな。
数分前(血迷っていた時)と同じような言葉を言うと、それを思い出したのか不思議そうな顔になり、すぐに約束(脅迫)を思い出したのか、真っ青な顔になり頭をぶんぶんと振った。
その様子を見て私は――自分でも驚くべきことに――微笑んだ。
それを見て浦島は初めのうちは驚いていたようだが、訳が分からないながらも微笑む。
その笑顔を見て私はやっと気付いた。
そうか、そういえば姉上も…いつも楽しそうに笑っていた気がするな…
今、私も笑えているのだろうか……姉上や、浦島のように。

 

 

 

 



…ってな所でこの話はおしまいだよ。
どうせこの後は二人のラブラブ(死語)な話が続くんだからね。
そんな物書いたってどうしようもないだろ?
ったくあの二人、部外者のことも少しは考えてくれよな…ってそりゃ無理か。
え、見てみたい?
うーん、それじゃあ次の日の会話の一部だけ書くけど…

 

 

修行、最終日(の会話より一部抜粋)

 


「そういえば、結局勝負はどうなったの?」
「ふむ…最後は二人とも気絶してたからな…」
「じゃあ引き分けだね」
「しかし最初の勝負も引き分けだったからな…」
「じゃあさ、どっちの要求もかなえる、っていうのはどうかな?」
「両方の?まあ、それでもいいぞ…あまり無茶な事でなければな」
「といっても…俺は決まってないから、素子ちゃんから言ってくれないかな?」
「私?私か…私の要求は…」
「うん」
「浦島、私の事を一番好きになれ」
「……………」
「……………」
「……………」
「何とか言え、浦島」
「な、何でいきなりそんなこと?」
「簡単だ。私をなる先輩の代わりにするのが嫌なら、私をなる先輩よりも好きになれば問題ないだろう?」
「………無茶苦茶だよ……」
「そうか?これでも一生懸命考えたんだが」
「人の心っていうのは、もっと複雑に出来てるものなの!」
「ハハ、浦島は深く考えすぎなんだ」
「どーせ俺はすぐに落ち込むよ…」
「ま、いいさ。私はそんな浦島が好きなんだから」
「素子ちゃん……性格変わってない?」
「自分に正直になっただけだぞ。ここには私とお前しか居ないんだからな。他人の目を気にする必要もないし」
「…ええっ!?」
「どうした浦島?顔が赤いぞ」
「分かってないんだね…ハァ」
「そういえば、お前の要求を聞いてなかったな」
「うーん、そうだなぁ…」
「言っておくが、離れろ、とか忘れろ、とかいうのは無しだぞ」
「いや、そうじゃなくて……逆なんだよなぁ」
「?」
「えーと、『青山素子さん、貴女のことが好きです。俺と付き合ってください』」
「…………………」
「………………」
「……今のは何の真似だ?」
「いや…こういうのは、正式に言っておくべきかなーって」
「ふう…返事をすれば良いんだな?」
「うん」
「『私も貴方のことが大好きです。喜んで』」
「素子ちゃん…声、変…」
「似合わなくて悪かったな!お前が言い出したんだろう!」
「イテッ…ゴメンゴメン」
「ま、いい…ところで今のはプロポーズだよな?」
「へ?」
「『正式に』『付き合ってくれ』と言うのなら、それはプロポーズだろう?」

 

 

 


いや、まったく
それにしても彼女も変わったね。ずっと一緒に居た僕が見るに、ありゃ子供の頃に戻ってるね。
結局のところ、二人はとてつもない回り道をして結ばれたって事なんだろうけど…
二人とも気付いてるのかね、これから先、いくつもの試練(修羅場)が待ってるって事に。
いや、賭けてもいい。ありゃ絶対気付いてないね。
まあそれを思えば、すぐ隣でいちゃつかれるのも、少しは許せるかもしれない…
二人の未来(さき)に、幸がありますように

 

 

 


END


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

back | index | next